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韓国で買ってきた楡(ニレ)の木のお膳に、家にある雑器を並べてみた。
ぐいのみは李朝のもので、麻布十番にあった「うちだ」<今は八丁堀にある>で買った。繕いの跡があるのが、気持ちよいぐいのみで、浄法寺の朱塗りの片口とともに愛用している。残りは、現在のものである。残りは、笠間で買った茶碗と、李朝の陶器を本歌取りして作っている高仲健一氏の平皿である。
食事をするたび目で楽しむというほど余裕のある生活ではないから、食器に拘るのも中途半端になってしまう。それでも普段も惣菜を買って気を使わないでプラスチックの皿で食べるより、こういう簡単な手間で心が豊かに感じられることは大切だと思う。
私は骨董を買って眺めるような趣味はいまのところない。じっくり使ってみる方がいいと思う。数世紀の時間を感じながら、そういう骨董で酒を飲む時は幸せである。
高価な骨董を買うのは骨が折れる。値段が妥当なのか等、余計な邪念が入ってしまう。目で見て楽しいと思って買う値段-私にとっては片手くらいを目安にしている。
<tokyotaro>
バルセロナ・チェアと猫
『ディテールに神は宿る』というのは、建築家ミース・ファン・デル・ローエ氏の名言である。
バルセロナに滞在した時、昼に空いた時間で行かなくてはとタクシーに乗り、ミースの記念碑的作品へと向かった。その建物は、カタルーニャ美術館の敷地の斜面にある。元来、1929年のバルセロナ万国博覧会のドイツ館として建てられたパビリオンで、当時の建物は会期の終了と共に撤去されてしまったけれども、1986年、ミース財団によって同じ場所に復元されたそうだ。
僕は、NYのシーグラムビル、シカゴのアパートメント等、スケールが大きなものに足を運んだことはあるけれど、小さなスケールの建築物ははじめてだった。しかもここは、有名なバルセロナチェアの起源となる建築作品である。
建築家がデザインした家具は、その対象となる建築空間にフィットするように設計される。それでも名作と呼ばれるようになる家具は、ユニバーサルなデザインとして世界に普及していく。そういう意味でも、ディテールのなかに真髄のあるミースの家具の現場を知りたかった。そこには完璧な調和があるだろうと、期待していた。
その建築は、ミニマリズム建築の極地という程、素晴らしいものだった。僕は、バルセロナの陽光のなかに佇む建築物に崇高さを感じた。設計自体の構成美の素晴らしさもさることながら、石とガラスが織り成す建築物そのものが、質感として素晴らしいものだった。
現代のミニマリズム建築の旗手であるジョン・ポーソン氏の作品には、このミースの建築物を翻案したものがある。それでもこのテクスチャの素晴らしさは翻案できなかった。
ミニマルであることと、リッチであることのバランスに対する解答とは、ここにあるのだろうと思う。ゴージャスなミニマリズムという地平があって、そこにはローコストでは達成できない境地がある。
現在、その建物に住んでいるのは、一匹の猫である。
<tokyotaro>
ピニンファリーナと自動車の夢
先日、ピニンファリーナのチーフデザイナーである日本人のドキュメンタリーを見た。
チーフデザイナーの奥山氏は、山形県の出身であり、渡米してカーデザインの専門家となり、GMなどを経てイタリアのカロッツェリアであるピニンファリーナのチーフデザイナーとなった男である。
イタリアでは、自動車のデザインをデザイン工房に外注するのが、昔からの慣例だったそうである。自動車の文化が馬車から連綿と続いている欧州にとって、洋服の仕立て屋のように自動車の外観を発注するの当然だったのかもしれない。そういう工房にとってデザイン=意匠とは、商品のパッケージングというレベルではなく、美術史の創出(アート)の域に達している。
現代の自動車にとっては、意匠は魅力的な外観だけではなく、テクノロジーと様々な機能(エコロジー的な社会的機能も含めて)の表現となっている。そのために存在する様々なテクノロジーに関するコード(約束事)が、デザイナーの自由な発想を縛りつけている。想像力はその縛りを破ろうとし、しかし高次元で様々なコードとバランスをとっていくかという命題に挑戦しなくてはならない。
そのドキュメンタリーでは、あるデザイナーが既成概念とコードへの縛りつけで葛藤していることに対し、奥山氏の熱意がそれを解放していくプロセスを取材していた。
一流の工房は、感性とテクノロジーのはざまで葛藤しているのだと私は感心した。感性を刺激できない自動車には魅力が薄い。しかし世界には、感性を失った自動車が溢れてしまい、もはや家電のようになっている。
マーケティングの用語で、エモーショナルベネフィット(感性的な価値)という言葉が言われて久しいけれども、それは本来備えていたものが、テクノロジー(経営、生産)の発達の影で多くの商品から失われつつあるからだろうと思う。
奥山氏は言う「自動車に夢を戻したい」と。でもそれは困難な道であり、時代は自動車の家電化への道を突き進んでいる。
自動車が人間の「自由」のシンボルでから、完全なる「管理」のシンボルにならないために頑張って欲しい。
<tokyotaro>
中国の反日デモと吉野家
吉野家は大変である。
TVをつけると、北京で群集が吉野家を取り囲んでいた。反日の矛先として企業も襲われているらしい。
それにしても吉野家は、米国とのBSE問題しかり、ちかごろ国際問題の矢面に立っている。そもそも創業時、牛を喰うという欧米の食文化から派生しているのだから、当時は牛を大きな文化的な衝突があったことが想像に難くない。創業から先鋒だっただなと、そんなことを感じながら、時差ぼけ直らぬままTVを観ていた。
それから何人かの中国人が卵を日本大使館に投げる映像が放送された。中国では飢えている人も農村にいると聞くから、これはどういうことかと思った。日本では食べ物を投げるようなことはしないし、デモの女性は笑いながら投げている。
これはなんなんだろう。少なくともデモの参加者にとっては、日頃のストレスの捌け口になっているようで、みんな生き生きして、投げるとすっきりとしているようだった。
僕が許せないなと思うのは、中国は自国の飢えている人を尻目に、都会では卵も投げてしまう。そんなエネルギーがあるなら、自国の人を助けたらどうだろうかと思う。共産主義国家の人民とは思われない。もはや北朝鮮の方がストレートで、正直じゃないだろうか。
こういう茶番で誰が得をするのかと考えると、先ずやっているデモ隊の欲求不満解消と、放送局のネタぐらいには意味があるかもしれない。中国国内の急激な経済所得の格差による階層化、社会の変貌によるフラストレーションは高まっているにちがいない。
学生は社会のリトマス試験紙のようなものだ。でも茶番から何が出るか考えてはいないだろう。
結局東アジアの緊張は、欧米の武器商人たちの、「不安定化」による市場の創出に繋がるだけなのだから、頭冷やした方がいいでしょうね。そう、反応すればするほど、彼らの思う壺にはまっていくんです。しかも状況は清朝末期の頃のパロディのようですね。
牛を買ったら、おまけにミサイルも買わされたよ、なんて洒落にもなりません。
<tokyotaro>
バルセロナとヒップなホテル
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4月2日からバルセロナに滞在している。夜は寒く、昼は18℃くらいまでになる。
私にとっては、12年前に南仏から彫刻家の友達と二人で電車で国境を越えてやって来たバルセロナしか知らなかったので、やはり世界は変貌しているのだなと痛感する。スターバックス等のファーストフードの記憶がなかったし、その当時の欧州の先進国と比較すると、洗練されていなかった感があったのが嘘のようだ。その当時は、街のクラブに行っても、鳴っているのはスペインの歌謡曲であり、アメリカ等、外国の音楽の情報なんて一般的に知らなかったのだ。今ではとても洗練され、軽くなっている。そう昔のバルセロナは濃い感じがした。
建築・都市の外観は東京のようには変化しない。変化したのはそこに生活する人の情報の質である。
建築では、修復されたミースの設計したバルセロナ・パビリオン、ガウディの建築等、昔から素晴らしい名作が満ちている。そのバルセロナにも、イアン・シュレーガーのホテルやWに代表されるヒップなホテルが登場している。
Hote ommは、バーラウンジ・レストランともにコンテンポラリーな格好良さがあるホテルで、そのメインダイニングのMOOは2ツ星です。こういう感覚のホテルは、NY、London、Paris、そしてバルセロナにもあるけど、東京にはありません。目黒のクラスカはいい線なんでしょうけど、あんな郊外にあってはいけません。それに若者ばかりが流行で来ている感じもだめです。東京では表参道にあるようでなくては、そういうホテルの仲間ではないですね。
<tokyotaro>
Leeum美術館とレム・コールハース
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レム・コールハース氏は世界的な現代建築家である。
『錯乱のニューヨーク』という著書で、素晴らしい都市論を披露している。ニューヨークという都市が一枚の岩盤からはじまり、何もない土地にグリッド(桝目)を当てはめ、そこに過去の土地の様相の記憶を留める広大なセントラルパークが計画される。歴史の読解力と、ユニークな都市論の視点。 現代建築を理解する必携の本である。
そのコールハース氏の建築を観たいと思ったら、福岡に集合住宅もあるけれど中には入れない。だからソウルのLeeum美術館がおすすめだ。
この美術館には、日本では電通ビルを設計した、ジャンヌーベル氏とマリオ・ボッタ氏の建築もあり、国際的にも面白い巨匠たちの共作である。
日本でも、ジャン・ヌーベル氏がグッゲンハイムを建築する計画があったそうだが、実現していない。韓国企業のサムスンのように気概のある施主が現れてくれないだろうか。
<tokyotaro>
韓国における野菜と肉
小鉢に野菜がいくつも盛られてやって来た。韓国の料理は多種多様である。香菜の類がからめられた小鉢を食すると、中華とも、日本料理とも、タイ料理とも違う食感を楽しめた。それにしても韓国料理は辛いという観念に縛られていた一般的な日本人の私には、ある種の解放を味わうことができた。
そもそも焼肉という料理は、銀座にある老舗の焼肉屋が創案したということを聞いたことがある。その時、いくつかの伝統料理のみを出し、肉を供するというスタイルが一般的になったからだろう。多種多様の日本料理があるなかで、「肉」を食わせる店=韓国料理という戦略が大当たりしたからにちがいない。
ワールドカップの共同開催と韓国ドラマのブームを受けて、韓国料理は日本でも一般化しつつある。私も新大久保辺りで家庭料理を何度も食したことがある。
それでも自分が虫になったと思うくらい野菜ばかり食べ、肉はさほどでもない本場の料理を体験し、日々の商業文化の刷り込みは恐ろしいと痛感した一夜だった。
<tokyotaro>
ソウルの春
初めて朝鮮半島に行くまで、そこに日本に似ている都市を想像していたけれども、漢江を眺め、やはり大陸なのだと実感する。曇り空のなかシャッターを切ると、ヨーロッパ都市に似た風景の湿度を感じたからかもしれない。
羽田から二時間あまりで着く都市とは想像できない、明らかなディファレンス(差異)を秘めて都市が呼吸をしている。河はそれぞれの都市の鼓動であり、基底音だと思う。
厳冬期は河が一面白く凍るんですよと、ガイドが日本語で言う。高速道路は東京の倍は道幅があり、こういうところも河とのアナロジカルな関連があるのだろう。
そんなことを、ソウルの明洞に向かう自動車のなかで想った。
<tokyotaro>
広告という幻想
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マールボロマンが表参道から眺めるビルの屋上に屹立していたのは十年少し前になるだろう。外国のたばこが上司の前では吸えないという声もあった時代である。(これは嘘のような本当の話です。)
当時、僕は広告代理店の仕事でマールボロと関わっていた。こういうアメリカの文化を売りつけるイメージ戦略の凄さをダイレクトに経験したことで、僕は世界を見る見方が変わった。世界はイメージが現実を凌駕し、そのイメージの中で世界の人々の心がコントロールされているのだと。
90年代のアートは引用(アプロプリエーション)アートが全盛となり、世界に偏在する広告・商品のイメージが最大限に活用された。道にある看板、アニメーションのキャラクター、テレビの画面、雑誌の広告等々、街に溢れている凡庸なイメージをアーティストは自分のアートに引用したのである。
僕はその流れを見て、ポップアートが台頭した頃のシニカルな批評性とは違う地平にあるのだと知った。もはやアーティストの頭のなかにも、そういうイメージが巣食ってしまい、もはや彼自身なんて何処にもないのだと。台本を演じているつもりの役者が、気がついたら役が自分になり、世界が台本のなかに吸い込まれてしまったように。
インターネットは世界を欲望の織物で包み込むくもの巣(ネット)である。いままでは戦略家が書いていた脚本も失われ、世界は自己増殖する台本に溺れてしまい、もはや脚本家は何処にもいないのかもしれない。
くもの巣のなかで、僕らは何をしているのでしょう。何処かに僕たちを食らう毒蜘蛛がひそんでいるのかもしれないのに。<tokyotaro>
東京の空
昭和の初期には、「東京には空がない」と、高村光太郎の妻は言ったそうだ。それでは、2005年の空はどうだろう。僕が住んでいる東京の港区には、雨後のタケノコのように高層ビル群が立ちあがっている。政府の高さ規制が緩和されたせいらしい。
港区には、三田の小山町のように戦前の街並みが残っている土地もある。今でも木造の銭湯に人が集い、路地には植木の小鉢が溢れ、野良猫が昼寝をしている。このあたりはかって、青山二郎の父方の土地だったそうだ。
僕の知人の画家はアパートの前の木伐採されそうな時、なんで切るんだと怒ったらしい。大家にとってはいらぬ迷惑なのだが、友達びいきを差し引いても彼の気持ちが分かる。
防災とか、老朽化の問題もある。地震の国だし、もともと建て直すことを前提にした木造建築の文化である。それでも文化的な意匠のつながりがなくなり、モダンな建築に溢れるだけの東京というのもいかがなものだろう。
東京は新しく変わり続けるところが魅力ではあるけれど、それでも少しは立ち止まって考えてみてもいいだろう。
