東京発、新潟六日市から奥只見湖畔の峠を走破する-バイクツーリング。

Okutadami20100830
モーターサイクルの醍醐味を知った。
港区から高坂のSAでの集合に向け、僕はDucati M400を走らせた。初めてツーリングに参加することにしたのである。初めてバイクにて長距離を走るのは少し不安だったが、勢い参加してみた。参加者のほとんどの方は、バイク関係の広告であったり等、長年バイク業界の周辺で仕事に関わってきた方である。
僕のバイクは年式は2005年製だけど、設計は古く、しかもイタリア製である。充分に整備をして参加しようと、ブレーキパットの交換、オイルの交換、バッテリーの管理ツールの導入等、対策はしてみた。結構準備は周到にしたと思う。しかし最後まで、今年の夏の暑さにどう対応するかは、判断が出来ず、メッシュのライディングパンツは買ったものの、ジャケットは、ダイネーゼの3シーズンのインナーを外して対応した。メッシュのプロテクター付、シャツはあったけど、長距離には不安を感じ、そうしたのだけど、港区の家を出て、都内を午前7時に走っている段階で、暑さに閉口した。夏の暑さは、凄まじい。脱水症状にならないかなと不安になりながらも、環八を北上し、練馬インターから関越へ。
Takasaka
ツーリングの予定の通りだった。高坂まで自宅から80kmくらいあるし、佐野からも90kmくらいあるので、僕にとっては、約700kmのツーリングである。しかも聞くところによると、数年前まで奥只見にはバイクは通行禁止だったそうだ。約100kmはガソリンスタンドもない道である。
1日目:高坂S.A9:00発⇒(約90km)⇒10:00月夜野IC⇒給油⇒国道17号三国街道⇒(月夜野から20km)10:30赤谷湖あたりで休憩11:00発⇒(約45km)⇒12:30湯沢町岩原高原「ピッツェリア ラ・ロカンダ・デル・ピット-レ岩原」にて昼食⇒14:00発⇒国道17号三国街道戻り・石打から国道353・魚沼スカイライン(小休憩)・国道253で六日町(約35km)⇒15:30六日町・国道291号・小出にて給油・国道352号(約35km)⇒大湯温泉17:00着
2日目:大湯温泉10:00発⇒奥只見湖畔(小休止)⇒(約110km)⇒13:00木賊温泉にて昼食&入浴(約75km)⇒16:00西那須野塩原IC(給油)⇒(80km)⇒17:00佐野SA着(休憩・解散会)
参加車両は10台だったが、高坂SAで1台のDucati SR4がトラブル。ガソリンが漏れ出しているらしい。急遽、彼は高坂のドカッティショップに修理へ。まず9台でのスタートとなる。僕以外は、みんなが大型バイクであり、自分も大型を調達して参加したら良かったかもと思うけど、今さらしょうがない。ネットの情報でも、M400はオイルの温度が130度以上に注意した方がいいとコメントがあったので、注意しながら走ってみる。
普段は都内を乗るばかりなので、風を受け、清々しい山を抜ける高速道路を走るのは爽快だった。初心者である僕をサポートしてくれる先輩がいたものの、ほとんどのバイクは遥か彼方に走り去る。自分のバイクは、自分の技術も、速度も一杯いっぱい(その時点では、そのような気がした)しかも油温が、119°、125°、129°と、どんどん高くなっていくが、無事に月夜野に到着。料金所のカーブが結構きつく、一瞬回りきれないなと思うが、事なきを得る。自動車のETCカードも持ってきたのでスムースに支払えたけど、ETCの機械がついてないと割引にならないことを知る。そうだったのか、ETC。
赤谷湖で休憩。ジャケットを脱ぐと、汗まみれ。どこに行っても、今年の夏は猛暑である。そこでも1台のBMWが、バッテリートラブル。結局8台になってしまう。僕のバイクは大丈夫だろうかと思いつつ、三国峠を走りだす。トンネルに入ると、クールダウンするのが気持ち良い。が、高原だから涼しいんじゃないかと想定していた、苗場も、湯沢も、猛暑だった。自分のジャケット選択を反省する。苗場では、ハーレーのイベントやってるらしく、プラスチックのボックスを段々に重ねて積み込んだハーレーが溢れている。それにしても、ずっと万歳したようなポジションのハンドルで疲れないのだろうかと思う。

湯沢に到着。「ピッツェリア ラ・ロカンダ・デル・ピット-レ岩原」にて昼食。そこで修理したDucati SR4が合流。石窯でのピザが美味しい。それにしても、夏のスキー場に来ている人達って、結構いるのだなと知る。いつもは海しか行かないので、山に来るのは数年ぶりである。そこから魚沼スカイラインへ。狭いところでは、1車線くらいの稜線を走っていく。400ccなので、アップダウンのたびに、2速まで落とし、そこから5速までの繰り返し。他の人たちは、もう少し楽そうだ。いくつかある展望台に来ると、米で有名な魚沼が一望できる。そこに遠雷が聴こえてきたので、私たちは道を急ぐ。

緩やかな田舎道を走り、やがて大湯温泉へ。BMWも再度合流し、別のメンバーも1台、東京からやって来た。温泉で一日の疲れを癒し、宴会。バイク及び時事放談。
翌日、曇天であったが、9時半には宿を出発し、樹海ラインを奥只見へ。100キロを超える峠道がはじまる。カーブを過ぎるたび、特に左コーナーでは、サーフィンのターンを思い出し、眼とからだを曲がる方向へ投げ出すようにすると、しっかりと曲がっていく。下りだと勢いもあってスパッと4速くらいでアクセルを戻すと、3千回転程度になっていい感じ。昇りがやってくると、失速するのでもたついて、ギヤを落としたり。すべてのギアをフルに使って、ベテランライダーたちを、懸命に追っていく。波と違って、次にはいくらでもコーナーが来るから、練習また練習。永遠に波がたつ海岸にいるように、奥只見のコーナーは贅沢だ。やがて湖畔までやってきて休息。まだ半分も来ていないらしい。ふー。メンバーがバーナーで湖畔で珈琲を淹れてくれた。

奥只見ダムを眺望し、沢が流れるという後半の道へ。コンクリートの道を沢が流れているというのだが、半信半疑だった。晴れているから、あまり流れていないだろうと思ったが、此処は冬は人を寄せつけない豪雪地帯であり、豊富な水量の沢が、コーナーの先を横切っていた。

Okutadami3_3
面白い場所もあるものだなと笑っていたが、それでも体は結構暑さと峠でヘロヘロだ。やがて無限に続くかと思っていたコーナーも終わり、尾瀬の森林にバイクは出た。木賊温泉に着くと、まるでトトロのおばあちゃんのような声をした女性が、岩魚を焼いて食べさせてくれた。しばし、湯につかり、昼寝をし、ゆったりとした日本の夏を味わうもつかの間、塩原では突然の大雨に突入し、レインウエアを大慌てで着込んだり、雨に打たれながらも、森林地帯のコーナーを走り抜け、塩原温泉の渓谷を仰ぎ見、ようやく那須塩原ICに着いたのが、予定よりも50分程ディレイした午後6時前だった。結局、佐野SAではなく、塩原の次のSAで解散し、そこからは約180kmの一人旅となったが、あれだけ練習したコーナリングも成果があったのか、とてもスムースに走ることが出来たのは幸いだった。
都内に入ると、渋滞に巻き込まれたけど、まあうまくかわしながら、やっと霞が関ICを降りる。マンションのガレージに入るまではと気を引き締める。確かに都内の方がぼうっとしてたら、危ないなとは思う。
その晩は泥のように眠ろうと思ったが、頭は脳がぐるぐる動いて様々な光景がフラッシュバックする。アドレナリンが止まらない。辺境の700km疾走し、脳が旧バージョンからクロックアップしたみたいだった。不惑の夏の冒険だった。

東京のバイク乗りが集う「カフェ」という場所を知る。

バイクに乗ってみると、はじめて知ることがいくつかある。
東京に長く暮らしていても、こんなに風が首都高速では吹いているのだなとか、確かにバイクを駐車できる場所って少ないなとかって、いままでは気づかなかった。
東京は基本的に公共交通機関が充実しているし、若者も電車・バスまたは自転車で移動するから、お洒落なカフェというものも、公共交通機関ベースで立地している。駐車場も自動車基準で準備されているし、別にバイク乗りが来ない方が近隣の住民からも、好意的に受け入れられる。そうでなくても、深夜営業も、酔った人間が騒ぐことも、街に住む人たちには耐えがたい。
バイクは、一般的な人々の視線では、「悪」の方に存在する記号だと思う。
そこでライダーが集うカフェとう存在が生まれる。バイク乗りは、基本バイクに乗って移動しているから、少し不便な場所であっても駐車が出来たり、ライダーに対して親切な場所であるということが大事である。少しぐらい遠くにある方が、バイクに乗れる分だけ有難いくらいにも考えているだろう。プチツーリングになるし、何処か行く場所があるのは、走る意味でも好都合だ。
芝浦にあるスーパーレーサーというカフェは、レインボーブリッジの橋脚の近くにあるという、公共交通機関の人々には理解されないエリアにある。ある意味逆手でありつつ、素晴らしい立地である。バイカーにとっては、それっぽいファッション性すら感じさせる立地だ。
またアンティークスカフェは、早稲田通りに面しているバイク乗りが集まるカフェ。集う人たちの精神性を反映したかのような、インテリアである。店の周りには、個性的なバイクがまるで見本市のように並んでいる。
コンビニエンスストアも、ファミリーレストランも、バイク乗りが休める場所ではあるけれど、こういう少し趣味性をリスペクトできるような場所は、やはりロイヤリティが高くなる。
普通にモノが高価なものが売れる時代でないからこそ、こういう趣味性のある場所が広がりつつあるのだろう。

6月の雪・初めてモスクワの夏が暑いことを知る。

Moscow3
6月のモスクワは、ポプラの綿毛が雪のように降り注いでいる。
タンポポの綿毛よりも大柄であり、耳掻きの毛綿が離れ離れになったり、固まったりして浮遊しているようなものだ。不思議な光景だった。口で呼吸をすると入り込むし、埃も一緒に浮遊するので汚い。東京のスギ花粉が可視的なら、こういう蔓延状態なのだろう。
VW,BMWばかりでなく、レクサス、インフィニティ、ポルシェ・カイエン、アウディ、ベンツ、ベントレー等、汚れも気にしない高級車が往来する大通りを歩きながら、モスクワがかつて社会主義国だったなど夢物語のようだと思う。至るところ広告看板が張り巡らされ、東京で言えば、桜田門周辺、皇居の外壁一面にBMWの広告看板になっているような状況だ。
それにしても暑い。夏は暑いと聞いていたが、6月はもっと涼しいのかと思っていた。湿気はないが、その分綿毛が飛んでいるので気持ち良くはない。まあ一ヶ月しか飛ばないらしいので、丁度その時期が重なったのは不運だった。アメリカが勧めて植林したポプラが原因らしく、最大のバイオテロだとロシア人は冗談を言っていた。
普通のロシアの食事は、ビーフストロガノフの親戚のようなものが多く、口にあう。フライの魚、きのこ、ホワイトシチューのようなものを、お米にかけて食べる。勿論、バーベキュー等もある。そばの粒をご飯のように食べたり、マッシュポテトを食べたり、欧州よりも日本(アジア)に近い料理だ。
それにしてもロシア人はタバコをよく吸う。隣の席でだべっている二十歳ぐらいの女の子たちの仕草は、まるで神奈川とか千葉の深夜のファミレス、あるいはマクドナルドのようだと思う。1980年代の日本のメンテリティに似ているのかもしれない。
成り上がり。ロシアにはYAZAWA魂が溢れている。

唐津・洋々閣、初めて九州の地に足を踏み入れる。

1
唐津までは約1時間の道程だった。雨は昨日まで降っていたが、ちょうど止んで曇り空だった。
福岡空港からヴィッツのレンタカーを走らせ、唐津に来た。
私は九州の地に足を踏み入れたことがなかった。宿は洋々閣という松原の海岸近くにある老舗に泊まった。
丁度中里隆氏の個展を開催していたが、手ごろな良いものは売れてしまっていた。手に入れようかと目論んでいたので残念だったが、宿はとても素晴らしく、中里氏の器が品良く飾られている。
晩は、鯛、アラ等白身の刺身から、豆腐、煮付けに至るまで新鮮さと少しばかり濃い目の味を堪能する。酒は地酒を飲んだけれども、程よい甘さとキレがあり、地元の料理に合うと感じた。料理全般、豪快であり、爽快という印象だ。
仲居さんは、「田舎でなにもないんですよ」と謙遜していたが、十分に形がない何かがあるとは思う。宿には、フリーダイバーで有名だった故人のジャック・マイヨール氏がしばしば滞在していたらしい。いくつかの彼に関する本が書棚に並んでいた。
翌日は空が晴れ渡り、近くの漁港から唐津城を眺める。
玄界灘の向こう側には、朝鮮半島が直ぐ近くにある。そう思って海を眺め、現代の日本の地図とは異なる古人の地図を想った。

宇宙旅行は2年後から、20年後は普通のことに=ヴァージン社

11_virgingalacticll_500x437
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090509-00000084-reu-int

[ロンドン 7日 ロイター] あと20年もすれば、長距離旅行は飛行機ではなく宇宙船でする時代が来るのかもしれない。(中略)宇宙旅行を希望する人から総額4000万ドルの予約金を集めており、2年以内の商用宇宙旅行を計画している。(中略)将来的には、宇宙船を使って1度大気圏外に飛び出し、英国とオーストラリアを2時間半で結ぶ長距離旅行も可能だと語る。ホワイトホーン社長が見据えるその実現は「20年後」だという。

宇宙旅行という言葉は、昭和四十年代生まれの僕にとってマジックワードである。キューブリックの映画だけでなく、アポロの月着陸の一大事件は、極東の島国に住んでいた僕らにもしっかりと影響を及ぼし、頭の隅にはそういうなにかしらの記憶の種があって、こういう話を聞くたびにそわそわしてしまう。勿論大人になるにつれ、宇宙に行くのは過酷だし、美味しいモノもなさそうだしと、行くことなんて諦めてしまっているのだが、20年後は普通のことになるらしい。
無重力、暗黒の宇宙空間、青く輝く地球。それを我が目で見るということだ。
気楽に宇宙旅行を体験できるのならしてみたいと思うけど、やはり打ち上げのGは相当なものになりそうだから、少し飛行機が揺れるくらいで騒ぐようでは駄目だろうなと思う。まずは苦手はジェットコースターで練習してみようか。
宇宙旅行のご予約はこちら☆

鴨川・波乗り・夏休み

R0011678
世間よりも少しばかり早い夏休みだった。
ちょうど仕事の台風の目のようにぽっかり空いたので、ひとり千葉・鴨川へ出掛けた。昼間に前原海岸で波に乗ったけれども、波がスネくらいしかなく、一時間半程度で諦めてコンドミニアムに向った。チェックインした後、缶ビールを開け、高層マンションのベランダから海を眺める。海風が心地良い。僕はビール二缶飲みながら、ハワイのFMラジオ局から流れる80年代ヒットソング、カジャグーグー、マイケルジャクソン、TOTO等の懐メロを聴いていた。
やがて夕方6時近くになったので、僕は歩いて横渚の街を散歩し、何処か美味しい魚でも食べさせる店がないかと歩いてみた。次第に日が落ちてきて、夕方から夜へと光が変わっていく。
しばらく歩いていると、鴨川駅の商店街も午後6時だというのにしんと静まって、時折通軽自動車の音が響くだけだった。平日の夜はこんなものなのだと、僕ははじめて知った。都心に暮らしている時間の感覚とは、まったく異なる時間が流れている。が、ここも同じ首都圏なのだ。D1000031_2
一時間ほど散歩をしたけれど、閉まったシャッターの他に眼にするものもなく、駅へと戻る。すると整然と留まっている列車の群れが、まるで子供の頃みたジオラマのように静かに、目前に広がっていた。近くには人の気配がない。何処か遠くへ来てしまったような気がした。昔の夏休みに迷い込んだような休日だった。
翌日腰くらいのセットが入り、僕のようなロングボード乗りには、丁度楽しめる波だった。tokyotaros

春の海原。葉山→初島

Hatsusima2_2
葉山マリーナを出発したのは10時半だった。
昨晩の雨天から曇り空となり、肌寒い海原へとボートで出航した。
33フィートのクルーザー。相模湾に面する葉山から、伊豆初島までは一時間半程度の航海だ。友人たちと集い、十名ほどで一路向かった。近海であるのだが、初島までの航海では出会う船は少ない。ちょうど五海里程度の沖合いを進むため、ヨットや小型船舶が沿岸で楽しむ航路をずれているからだという。
360度に拡がる海原と水平線を眺めていると、普段の生活をまったく離れてしまう。至極気持ちが良い。
潮風を浴び、若干具合も悪くなる者もあったけれど、無事島に到着できた。
Hatsusima1
初島に来ると、まるで遠い小島に来たかのようだ。とても都内から二時間程度でやって来た場所ではない。岸壁に干された網のカラーが眩しく、その収穫物である初島の豊かな海産物を堪能した。あわび、イカ、伊勢海老。新鮮過ぎるくらい新鮮である。実に素晴らしい食材だった。
青山次郎氏はひと夏のヨット生活とぐい飲みを交換したと随筆に書いているけれど、確かに交換する価値のある程、海は喜びがあるなと思う。ヨットで来ると、同じ航路が8時間かかるそうだ。普段のサーフィンに似た自然の力には憧憬があるけれど、まあ僕は船旅には強くないらしい。
僕は昔ヨット部に在籍して一年を海で過ごしたことがある。しかしある台風の時沖の波に呑まれて以来、海が怖くなって部を辞めてしまいヨットには乗らなくなった。その後、高校時代の友人がヨットレースで他界したりと、確かに海の恐ろしい側面も良く理解している。やがてサーフィンをするようになって再び海に戻り、沿岸では大丈夫だけど、やはり陸地が見えないと少し不安になるらしい。
翌日僕は筋肉痛になっていた。多分、体中に力を入れていたのかもと、自分を笑った。友人たちはまったく大丈夫だったらしく、至極楽しかったと笑っていた。

春の房総・サーフポイントを巡る。

Photo_21
青空、暖かい南風。週末、房総へサーフィンに行く。
鴨川の歴史あるポイント・シーサイドで緩い波に乗り、ようやく春の到来を感じた。鴨川でも有数の高級なマンションが立ち並び、とても気持ちの良い場所だった。波は膝、たまに腰くらいのセットが来るだけだったが、スムースなライディング、そして鹿嶋とは違う緩やかな豊かさ、というか荒涼としたところがない。
翌日、長期に波を楽しむために滞在する場所を探すため、房総を一日で周ろうと、国道128号を北上した。
勝浦の部原は波がなかったが、日本有数のポイントであり、目の前にはロイヤルバンベール勝浦というマンションが建っている。ここだったら、毎日良い波が見えるだろうと、夢想する。
次にサン・ドライブインから崖下を眺める。ここはかつて霊場だった土地であり、現在ドライブインは閉鎖されている。部原がクローズすると素晴らしい波が立つそうだが、高所から眺めると降りるのが怖そうだ。また後に知ったけど、幽霊話も多いところだそうだ。昼は燦燦と陽が差し、そういう雰囲気はないのだが…。Photo_16
次に御宿に寄り、そこから岩舟へ。釣師海岸へと128号から細道を左へとしばらく向かう。次第に人気がなくなり、海岸への入り口が現れる。その崖に掘られたそら恐ろしい程暗いトンネルを抜けると、切り立った崖の下にある海岸に出る。落石が一面に散乱している。なんでもここはサーフスポットだけでなく、ゲイ・ビーチとしても有名らしい。Photo_17
やがて128号を北上していくと、お洒落なサーフショップが大東を過ぎた辺りから点在しはじめる。サーフショップに併設されたカフェでクラムチャウダーを飲む。
Photo_18
一宮、片貝海岸を過ぎ、最後に向かったのは、九十九里の成東周辺。
ここまで房総を北上する来ると、人影もなく、荒涼とした海が広がっている。
同じ天候の中周ってみると、本当に表情が異なっている。普段良く行っている茨城とも、湘南とも違うなと思う。なかなか一箇所に場所を決めるのは難しい。さまざな土地を巡りつつ、波に乗るのが一番楽しいのかも知れない。

バンコクを見、東京を憂う。

Photo
先週バンコクに滞在していた。
滞在期間は、気温も30度半ばと聞いていたものの涼しく、湿度も低かった。
8年前に一度空港を訪れたことはあるが、その当時とは空港も見違えるほど素晴らしく、アジアの発展に驚く。最近はインドへの出張が多かったので、その差は驚くべきものだった。昔、バンコクの混雑は相当ひどいと聞いていたが、高速道路が整備されたおかげでエアポートからのアクセスも良い。やはり聞くのと、見るのとでは大違いであることを痛感した。
宿泊したのは、メトロポリタンというホテルで、2003年に出来たところだそうだ。このホテルはロンドンとバンコクにあるだけだそうで、全体的にコンテンポラリーなグローバルスタイルであり、客室もミニマルなタイ風なインテリア。また有名なスパ<“COMO Shambhala”は、“Conde Nast Traveller”誌などで世界のベストスパにも選ばれたほどの実力をもち、欧米のセレブから支持される、大変有名なスパでそうです。> と素晴らしいプールがあって、仕事でなかったら、じっくり楽しめたと思う。
東京も変貌しているが、確かにアジアの変貌はより別の次元に進んでいる。東京よりも現代的な国際的な感覚というのだろうか、そういう空気のようなものを感じる。食事も美味しいし、飲む場所はバラエティに富んでいて楽しい街であること等、いまさらながらに知ったのは収穫だった。
サムイ島に行った90年代当時は、水溜りの道をバイクで走ったりしたものだったけど、いまではサムイの道もきちんと舗装されているそうだ。タイがエキゾチックな場所だという、高所から見るような幻想は捨てたほうがいいのだろう。
消費のスタイルも現代化し、アジアは変貌する。さて東京は2010年代にはアジアの先端でいるのであろうか。そう考えてみると、やはり2016年の東京オリンピックがターニングポイントとして必要なのだと痛感する。