ピニンファリーナと自動車の夢

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先日、ピニンファリーナのチーフデザイナーである日本人のドキュメンタリーを見た。
チーフデザイナーの奥山氏は、山形県の出身であり、渡米してカーデザインの専門家となり、GMなどを経てイタリアのカロッツェリアであるピニンファリーナのチーフデザイナーとなった男である。
イタリアでは、自動車のデザインをデザイン工房に外注するのが、昔からの慣例だったそうである。自動車の文化が馬車から連綿と続いている欧州にとって、洋服の仕立て屋のように自動車の外観を発注するの当然だったのかもしれない。そういう工房にとってデザイン=意匠とは、商品のパッケージングというレベルではなく、美術史の創出(アート)の域に達している。
現代の自動車にとっては、意匠は魅力的な外観だけではなく、テクノロジーと様々な機能(エコロジー的な社会的機能も含めて)の表現となっている。そのために存在する様々なテクノロジーに関するコード(約束事)が、デザイナーの自由な発想を縛りつけている。想像力はその縛りを破ろうとし、しかし高次元で様々なコードとバランスをとっていくかという命題に挑戦しなくてはならない。
そのドキュメンタリーでは、あるデザイナーが既成概念とコードへの縛りつけで葛藤していることに対し、奥山氏の熱意がそれを解放していくプロセスを取材していた。
一流の工房は、感性とテクノロジーのはざまで葛藤しているのだと私は感心した。感性を刺激できない自動車には魅力が薄い。しかし世界には、感性を失った自動車が溢れてしまい、もはや家電のようになっている。
マーケティングの用語で、エモーショナルベネフィット(感性的な価値)という言葉が言われて久しいけれども、それは本来備えていたものが、テクノロジー(経営、生産)の発達の影で多くの商品から失われつつあるからだろうと思う。
奥山氏は言う「自動車に夢を戻したい」と。でもそれは困難な道であり、時代は自動車の家電化への道を突き進んでいる。
自動車が人間の「自由」のシンボルでから、完全なる「管理」のシンボルにならないために頑張って欲しい。
<tokyotaro>

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