タイガー・ウッズは復活するのだろうか。

 

圧倒的な強さはもう戻らないのか。不倫騒動と離婚に揺れたタイガー・ウッズ(米国)は今季、1996年のプロ転向後では初めてツアーで1勝もできずに終わった。かつて手術を受けた左膝の負担を軽くするようスイングも改造しているが、完全復活は遠そうだ。
11月、米誌ニューズウィーク(電子版)に寄せたエッセー。「交通事故による体の傷は癒えても、心の痛みはより複雑なもので落ち着かない。生活のバランスを欠き、過ちから学ぶ苦しみが続いている」と書いた。正直な反省の表れとも取れるが、ツアーの賞金増額などプロゴルフの市場規模拡大にも貢献してきたスーパースターには、不似合いな弱音にも映る。
ゴルフは精神状態や性格がよく出る。5年余り世界ランキング1位に君臨し、抜群の実力で着々とスコアを伸ばすウッズに対し、優勝を争うライバルがミスなどで自滅していく場面が、かつては目立った。しかし、一連の騒動とその後の不振で、王者のオーラは消えた。スイング改造で技術は復調しても、他の選手が「ウッズ恐るるに足らず」と思えば、騒動前のようにはいかないだろう。
昨年8月の全米プロ選手権。ウッズはY・E・ヤン(韓国)に栄冠をさらわれた。メジャー大会で、単独首位か首位タイで最終日を迎えながら優勝を逃したのは初めてだった。3カ月後、不倫騒動が発覚。全米プロの敗北は、暗転の予兆だったのか。家族を裏切る行為を陰で重ねた報いに、第一人者は気付いていなかった。
[時事通信社]

偉大なゴルファーであっても、人生のスコアが崩れることはあるだろう。あのウッズであっても、1勝も出来なかったのかと凋落を憂う一方、凄まじいバッシングの状況であそこまでのプレーが出来たという見方もある。精神面の激しく反映するプロレベルのゴルフが出来ること自体驚愕であると、プレーをしたことがある人だったら、誰でも納得することだ。いろいろ契約もあるのだろうが、シーズン休んだ方が良かったかとも思う。
とにかく、もう一度素晴らしいプレイを見せつけてくれるだろうと、ファンとしては来年に期待したい。

ボルトの世界新記録とSEIKOの計測技術

ボルト 平均秒速は12.4メートル…時速44.6キロ
8月18日7時2分配信 スポニチアネックス
【世界陸上】国際陸連は男子100メートルの20メートルごとの通過タイムなどを発表し、ボルトは60メートルから80メートルを1秒61で走り、その区間の平均秒速は12・4メートルだった。日本陸連関係者は「聞いたことのないスピード」と驚嘆している。昨年の北京五輪はボルトの12・2メートル(非公式)が最高スピード。1991年世界選手権(東京)でカール・ルイス(米国)が当時世界記録の9秒86をマークしたときは12・1メートルが最高だった。

この快挙を計測したのは、日本の時計メーカーであるSEIKOだ。プレスリリースによると、『使用される機材は合計で約20トン、大会期間9日間の計時・計測はのべ12,000回以上にのぼります。今回は日本人およびイギリス人などからなる約50名のタイミングチームを3週間にわたり派遣しております。常に公平性と迅速性、高い精度が要求される公式計時は大会の成功の一端を担う重要な任務』だという。
9.58秒という途方もない記録とともに、世界の大舞台で活躍する日本人も誇りに思う。2016年の東京オリンピックが開催することを切に願う。

ボクシング、内藤の勝利と視聴率28%

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ボクシングが脚光を浴びたのはいつ以来のことだろう。
亀田親子が懸命にボクシングへの耳目を集め、ヒール役として倒されるという物語を用意し、ボクシング=スポーツという純粋さを国民にメッセージを発信した。ボクシングはショーであり、スポーツである。平均視聴率28%(首都圏)を達成し、K-1等、空手系の格闘技が台頭するなかで忘れられていたボクシングに、ショーしても面白さとスポーツとしての純粋さを思い起こさせる試合だった。
勿論、偉大なボクシングの試合ではなく、技術的にも面白いものではなかったけれど、本来のボクシングの持っているメッセージが強く伝わったのではないかと、僕はこの試合を観て思った。
亀田親子の素晴らしい点は、ここまでショーとしての側面に注目を集めさせたことだ。しかし、クレイ(M・アリ)のもどきの饒舌を真似しても、彼らの言葉には品がなかった。それは本質的なボクサーとしての矜持が備わっていないからだ。
孤独であり、ストイックであるスポーツ。偉大なボクサーは詩人であり、孤独を削り取って生きている。真のボクサーは詩人に近いと、ノーベル賞作家・ジョン・キャロル・オーツも書いているように。
<tokyotaro>

富士F1GP・雨そして運営の未熟さ

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日曜日は雨の予報となり、小雨の振る東京を午前七時に出発し御殿場にある富士スピードウェイに向かう。
ツアーでの参加であったので、チャーターバスで現地へ到着する。今回はパークアンドライド方式が徹底されているので、一般車両の走行はできないように交通がコントロールされていた。通常池袋から御殿場までは一時間半程度の距離であったので、約二時間程度で到着できたのは、名古屋から鈴鹿に向かうことを考えても悪くはなかった。パークアンドライドが効果的なのだろうと思った。
雨がやがて激しくなり、サーキットの駐車場からグランドスタンドへ向かう道は過酷だった。しかしこれも未だ序の口だったと後で知る。
ちょうどパドックを挟んでバス駐車場の位置は反対だったのだが、センターを抜けるトンネルを運営上封鎖していたので、第一コーナーから迂回するように係員に指示を受ける。
約一キロ半程度を歩き、ようやくグランドスタンドへ。
が、雨が本降りになる。雨をよける場所を探したが、広場でのプロモーションスペースを見渡しても、まったくそういう場所がない。鈴鹿サーキットであったら、フードコート等あるのだが、白テントで食事の販売をし、そこに人が殺到する。牛丼が発泡スチロール入りで千円。しかも二畳程度のスペースに十人近くが混雑し、雨を避けて飯を食う。少しでも屋根の延長を伸ばすか、フードコートとして使用できるキャノピー(大型の屋根)または施設を用意するべきではないだろうか。トヨタのような企業が資本を出し、鳴り物入りで運営した会場とは到底思うことができない。
トイレは男で三十分待ちの行列、しかもグランドスタンドでは難民化した観客が雨を避け、歩くスペースもない。しかもまだレースまで二時間前だった。
F1のレースも雨のせいでペースカースタートで始まる。F1は悪天候でも開始されるので仕方ないと思うが、十周近く大雨のなかパレードのようだった。しかも観客は雨に打ちひしがれ、僕は入れなかったトイレに向かう。しかしレース中にも関らず、トイレは行列。他のF1会場ではあり得ない光景だった。
レースは時速150km程度の平均速度だったので、通常のレースとは音も迫力も見劣りした。しかしこれは天候の問題なので仕方ない。ハミルトンが優勝。面識のあるコバライネンが二位だったのは嬉しかった。
レース終了後、バスへと歩く。やはり大雨のなかを歩く。泥濘、警備員の指示の不徹底、道を訊いても要領を得ない。またトイレはより凄まじい行列。そしてバスへたどり着くまで、席から一時間。
その後濡れた衣服、靴を乾かしながらバスで熟睡。が、午後七時半に起きてもバスは、10mも進んでいない。バスの乗客は二時間半経ち、それぞれがトイレに降り始める。その時、シャトルバスで駐車場へ向かっていた、会場での仕事で来ている友人に電話をすると、二時間半雨のなかバスを待っている最中だという。むしろ自分たちはツアーで幸いだったと痛感する。外に降りると、バスは微動もせず渋滞、大雨、泥濘、水溜り。ようやくバスがサーキットのゲートを出られたのは、搭乗から三時間半後だった。確かに鈴鹿の駐車場も同じくらい待つかもしれない。しかし普通車がない状況で、しかもシャトルバスは外に並んでいるのに、ここまでとは驚く。
僕もF1の仕事で海外を周ったりしていたが、なかなかひどい有様を見た気がする。やはりトランスポートが制限されているが、そのコントロールに不備があると思う。勿論、F1は世界中でパニックになるくらい人が集う。それは当然だ。しかし、海外のようにキャンピングカーが近くに泊められるわけでもなく、また自動車でさまざまなアイテムを運べない状況である。雨、そしてキャノピーもないスタンド周辺、言うまでもなくバス停にも屋根はない。
鈴鹿、もてぎを運営するホンダには一日の長がある。サーキットランドも、ホテルもある。少なくとも、大型倉庫のような簡素な建物でいいので、イベント時にはガス、電気、排水ができる設備を準備して欲しいと、世界のトヨタさんに願うばかりである。
最後に知人がシャトルバスに乗れたのは、雨のなか四時間半が過ぎた頃だったそうだ。
<tokyotaro>

サン・クレメンテから来たロングボード

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いつも愛用しているハップ・ジェイコブスのノーズライダーからちょっと浮気し、サンディエゴ在住のクリス・クリステンソンがシェイプしたロングボードを買った。サン・クレメンテにあるショップにオーダーし、何度かメールをやりとりして到着日時を確定させ、成田空港へとシップしてもらった。個人輸入のやり取りは煩雑だったけれども、なかなか東京で探しても良いボードが見つからずにさ迷っていたので、リーズナブルな解決方法だった。確かに、ドルのレートも安くなく、また世界的にボードが値上がりしているので、東京のショップで買う方がトータルのリスクは少ない。壊れていることもあるかも知れないし、きちんと英語でコミュニケーションしないと不満足に終わることも少なくないと思う。勿論実際に現地で買うのが一番だけど…。
前回オーダーした時は、現地に頼んでから通関業者に頼んで配送してもらったのだけど、今回は成田空港に自分で通関作業をしてみることにした。主な理由は、ボード代とすべての通関業務を委託すると、価格的なメリットがほとんどなくなってしまいそうだからだが、あとは興味もあってやってみた。
パスポートと印鑑をもって成田空港の貨物エリアに行き、入場の許可証を申請する。そこで現地からのシップメントの業者からの書類を受け取り、そこから税関に行って手続きをし、税金関連の支払いと査察をしてもらう。巨大なX線の装置までフォークリフトがロングボードを運んで来てから、税務官と一緒に査察に立ち会う。麻薬犬が数頭荷物を臭いを嗅ぎながら歩き回り、その横では中国から来た荷物がいくつも開封させられている。僕のボードもここで開封しなくてはならないのかなと、3m近い巨大なダンボールを僕は眺めた。
しかし問題なくサーフボードがモニターに写し出され、僕は許可印をもらうことができた。その書面を持ってUAの倉庫へと向かった。引き取りは一度税関から倉庫へ行かなければならないのだけど、巨大なトラックが溢れるカーゴエリアに入るにはまた許可証が必要。やれやれと、煩雑な手続きを我慢し、倉庫へ向かう。
結果、自分でやったことで38千円かかるところが、すべてのコストを考えても、20千円くらい安く済んだ。
内訳は消費税6200円、検査代2000円、保険代3000円、空港使用料2800円。 あとはガソリン代と高速代。時間は約2時間強かかった。
それから鹿島の平井海岸に向った。
平井海岸は平日というのに大宮、習志野等から来る自動車が二十台ほどは集まっていた。新品のボードにワックスを塗る。ゆっくり、焦らないように。
波は腰くらいだったけれども、外洋の波の力は、いつもの湘南とは違う。3mmフルだったけど、まだ海は冷たかった。セットで来る波に乗ると、普段のハップ・ジェイコブスのボードより短いので、取り回しがスムースだった。ピンテールのせいなのだろうか。特に波のトップでレールが食い込むので、ノーズでの安定度が増している。
このボードなら性格も被らないから、当分楽しめる愛用のボードになりそうだ。
そう思いながら、僕はインサイドからまたアウトサイドへとパドルアウトした。

棋士・羽生の「大局観」と中田英寿の引退。

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棋士・羽生 善治のドキュメンタリーの再放送をやっていた。十年前にはタイトル七冠全てを独占し、将棋に縁のない私であってもその偉業は知っていた。
わたしは天才という存在について、肉体を超越している霊的な存在のようなものと、勝手に勘違いをしていた。そのなかでも将棋というものは、努力を超えた才能と知性がなくては到達できない極みがあって、素人には到底及ばない境地なのだと想像していた。が、その番組で彼が言った「記憶力と瞬発力が衰えて来ると、昔の将棋は指せない」と。
その時、人間であるかぎり、天才的な棋士であるがこそ身体的な限界というものと対峙しているのだと、わたしは初めて知った。そして現在は将棋の「大局観」をどう持つかを常に考えて指しているという。それは若い肉体が持っていた側面とは異なる境地である。
 中田英寿はワールドカップをもって現役を引退した。棋士よりも、肉体の持っている瞬発力であり判断力が必要であることは自明である。それでも二十九歳という年齢での決断には残念という他ない。彼のブログの文章や行動から感じるのは、常に世界を自己愛のレンズを通して見ていることである。その範囲では、プレイに対しストイックであるし、ゲームのイメージも豊富である、優秀なプレイヤーだった。しかし、羽生の言う「大局観」を持つまでは至っていない。
勿論、棋士とサッカー選手という職業の違いはあるだろう。棋士は生涯プレイヤーであり得るのかもしれない。それでも関わり方として、もし中田が海外のトップリーグでは活躍できなくなっているとしても、名声やチームに拘らず自分を捨ててサッカーそのものを愛すことができたなら、また大きな実りがあっただろう。
晩節を汚さずというには、余りにも若すぎる判断であったと思う。

ゴルファーは禅が大切?

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ゴールデンウィークは書くことをさぼり、友達に誘われてゴルフをやった。千葉県の房総半島にあるコースで、晴れ渡ったグリーンと海から吹く風を感じていると心地が良かった。とても素晴らしい景色を見ながら、プレーが出来る。それでもゴルフをするたびに、やれやれと思う。なんでこんなプレーをしてるんだろうと。それでも同じ過ちを繰り返してしまうのである。
最近のゴルファーの技術と道具の進歩は著しい。昔、父がパーシモンのクラブを使っていたことが信じられないくらいである。女性ゴルファーでも、250ヤードを軽く飛ばしてしまう。それでもゴルフの本質は、道具でも技術でもなく、心にあるのだと思う。なんだかそう書くと、宗教くさい話になってしまうかもしれないけど。
ゴルフは止まったボールを打つだけである。野球、サッカーのように誰かが邪魔するわけでもない。何からも自由であるからこそ、心の影響を受ける。僕のようなへたくそ初心者でも、心が一番の障害であると感じる。
そんな時、『禅ゴルフ』の本を見つけ、読んでみた。なるほど思う。ゴルフの練習場から、すでに心のゲームははじまっているのだなと。まさに人生の戯画のように感じる。
そのひとつの話のあらすじは、こんな感じである。ある僧侶が茶を新入りの僧に入れる。茶器から茶がこぼれても僧侶が注ぎ続ける。すると新入りの僧がいう。『もうこの器に注ぐことは出来ません』と。すると僧侶は、『世間のものが詰まった器は、一度空にしなくては多くを学べないと』。ゴルフも同じく我流に拘泥し、新しいことを聞くことが難しい。確かにそれまで調子が良かったなら、そのやり方を捨てきれない。
先日、タイガーウッズがマスターズで勝利した。スイングを大幅に改造し、スランプを経ての勝利である。そういう姿勢には、畏敬の念を感じずにはいられない。