
インドは不可思議な国です。やはり、想定外の出来事が起こるみたいです。
10月22日12時8分配信 読売新聞
サルの群れ襲撃、ニューデリー副市長が転落死
【ニューデリー=永田和男】インドPTI通信によると、首都ニューデリーのS・S・バジワ副市長(52)が20日、市内の自宅2階ベランダで、襲いかかるサルの群れを追い払おうとしてバランスを崩して庭に転落、頭を強く打って、収容先の病院で21日死亡した。
副市長を襲ったのは、近所のヒンズー教寺院に住みつくサルの一群と見られる。ニューデリーでは、これまでもサルの襲撃による死亡事故が発生。国会議事堂や官庁が集中する市中心部でも野生のサルが我が物顔で走り回り、建物に侵入して業務の妨げになっているとして、裁判所は何度も市衛生当局に対策を講じるよう命じていた。
しかし、ヒンズー教で神聖視されるサルを殺すことはできず、市では、動物捕獲業者が生け捕りにしてきたサルを買い取って郊外で放している以外、抜本的な対策を取れないでいた。
想像力を失っていく文化人、あるいは幼児化する倫理観

テレビのニュース関連番組を傍観していると気になることが多い。
古館氏の報道ステーションでの痴呆的なコメントにも驚くことはさておき、現在のテレビにおけるニュースが速報性という観点からネットに後塵を拝している状況は明らかであり、テレビの報道番組の役割は、詳細の取材また知者の見識を発揮することがより求められている。
幼稚園児への教育だったら、『悪いことは悪い、良いことと良い』と、明解な二元論で語らなくてはならない。しかし大人の視聴者に語るにして、現状のTVは余りにも二元論的に語りすぎる。事件が起きた、悪辣な犯罪だ、だから犯人は死刑だとか、子供が事故で死んだ、だから自動車は悪いとか、感情に訴えるだけで事柄の本質に届かない意見を放送で垂れ流している。
法を犯したことは悪い。そこまでは分かるが、法を犯さざる得ない状況はなんであるのかを、しっかりと見ていくべきである。『格差社会』しかり、そのマジックワードを唱えることで、すべてをまとめようとする安直な姿勢こそが批判されるべきである。
弁護士であったり、有識者という方々の意見に、(なかには慧眼の持ち主もいるが)想像力が欠如し、自分の目線からしか物事を判断しない人が多く、そういう想像力・感情の欠落した意見が放送されることに恐怖を感じる。
家出少女がやくざに軟禁され春を売らされた事件に対し、「親がしっかりするべき」だとかのたまり、しっかりできる親がいない子供の環境が分からず、物を盗まざる得ない心、博打にはまってしまう心の在りようそのものを否定する。さまざまな人の生き様と心の在りようは、二元論で悪いと断罪するはことできない。私たちは、そういうことは良くないと断罪するのではなく、どうしてそうなるのかを想像していかなくては、問題の核に至らない。それこそ格差社会を導き、『貧困層の固定化』になってしまう。
僕はTV局にいるような人間が『格差はいかがなものか』などと、あたかも庶民の痛みを分かっている振りをするのは、笑止千万だと思う。どうであっても恵まれた立場にいる人と、そうではでない人がいる。だからこそ、知識層といわれる人たちこそ、高等教育を親の庇護のもとに受けた人々であるのだから、犯罪を犯すような弱者に対しては、より想像力を働かせなくてはならないし、『正しいことは正しい』という幼稚な意見に終始してばかりではどうかと思う。
二元論は分かりやすい。だからといって、複雑な世の中をシンプルに断罪するという無理を通してはならない。
