モーターサイクルの醍醐味は、大型二輪にあるのだろうか。

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ロングツーリングに行ってから、そろそろ一ヶ月が過ぎようとしている。涼しくなってくると、秋の素晴らしいシーズンとなる。また走りたいなと思いながら、暇ができると、いろいろと大型二輪を試乗している。
400ccでもしっかり回せば、法定速度なんてすっかりオーバーしてくれるくらいの力は持っている。でも奥只見を走った時、昇りのコーナーではやはり力不足を痛感し、以来、大型やっぱり欲しいなと、自分のバイクを横目に探してしまう。しかし、人に訊くと、十人十色の見解があるのがバイクであるので、何がいいのか見極めるのは難しい。ツーリングで楽を求めるか、コーナリングの楽しさか、はたまた高速道路での暴力的な加速なのか。ニーズマップを作るのは得意でも、自分のニーズを探すのは甚だ困難を極める。それでまず乗ってみようかということにした。排気量が急に大きくなるのも、手に余る気がして、上限800ccを目安にしてみた。
現在、5年落ちのドカッティに乗っているので、ハイパーモタード796、モンスター696+に試乗してみた。どちらも自分のバイクと同じ血統を感じさせる親しみやすさがあるが、新設計であるがやはりスムースさはないし、デザイン偏重が過ぎている気もする。796はパワーもしっかりしているし、このエンジンが自分のバイクに載っていたらいいなとは思う。
すると、BMWという全く別の領域を見たくなる。そこでF800STに乗ってみた。スムースに回るエンジン。ちょうどレインボーブリッジを走ったのだけど、いつものドカよりもペースが早いのに、大人しい感じ。少し回してみると、クッと後輪がしっかり地面を蹴り、バランスがとても良くなる。これを最初に持っていたら、満足したし、ツーリングにもいいなと感心した。が、一度ドカに乗ってしまうと、なんだか淡白な気がする。ドルチェ・ガッバーナ着ていると、モノが良いから、ラルフローレンのパープルラインとか、英国老舗テーラーはどう?と言われているような感じかな…。悪くはなく、賢い選択だとは思う。多分1200ccとかになると、もはやパイプ片手に乗るような世界だろう。
やはり日本車かなと、ホンダに乗ってみる。CB1100、CBR1000RR、VFR1200。スムースでエンジンが存在しないかのようだ。魔法の絨毯の感覚で、するするスピードが出て行く。VFR1200のDCTでは、もはやクラッチもなく、スーパースクーターの気軽さである。一番気に入ったのは、CBRだ。スーパーバイクでありながら、CBRはとても乗りやすい。スーパーバイクなら、こういうのじゃなきゃ僕は乗れないなとは思う。ホンダは素晴らしい。でも後悔はしないだろうことが、一番の後悔になる気がする。しかも800ccというお題に適わない。
同じく適わないが、ヤマハのFZ−1、KawasakiのZ1000にも試乗した。どちらも力強く、逞しく、素晴らしい。ホンダと比べると、スムースさはないが、なんかバイクに乗ってるなという気分になる。個人的には、Kawasakiの方が、アドレナリンが出る感じがする。が、どちらも僕の感覚からは、少々ボディが重過ぎるかなと思う。
3気筒という変わり種にも乗った。英国のトライアンフのストリートトリプルRだ。675ccであるが、100馬力くらいあって、車体も軽く、小型だ。知人は一輪車のようだと言うが、まさにそのようにパワフルで、楽しく、自在に動く。確かに走行安定性はないが、前輪もすぐに浮き上がるようなパワーと、レスポンスの良さは素晴らしく、バイクに乗っているぞと嫌でも感じる。長距離は疲れるかもしれないが、いつでもどこでも楽しめる感じが良い。アンジェリーナ・ジョリーも、『ソルト』で豪快に乗り回していたバイクだ。
そんなこんなで、中々候補が絞れないのだけど、こういうプロセスが一番楽しいときなのだろうなと、秋一杯はいろいろ試そうと思っている。

バイクに乗るという行為は、アラフォーにとってどういうことなのか。

世間では40前後をアラフォーというらしいが、それはとても便利な言葉だと思う。40代と言ってしまうと幅広いけど、アラフォーはなにかをくくっている。それは肉体的にも、社会的にも、そして精神的にも。
僕もさまざまな情けない事やら、クダラナイことばかりをやりながら、そういう年になった。まあそれなりに立ち止まって考えたこともあって、素晴らしくもならけりゃ、酷くもない。それはアラフォーにおけるすべてにおいて、幸いな事に病気でもないし、仕事もちゃんとあるし、狂ってもいない。
そういう普通のアラフォー男は、結構まだ若いというか、まだオヤジじゃないと思ったり、モラトリアムに逃げていたり(まだ結婚は早いとか、子供は早いとか、親離れ?出来てないとか)、自分が子供の頃よりはなんだか成熟していない。が、確実に年は重ねている。
そんな自分があとどのくらい何が出来るかと思うと、昔やっていた事をもういちどやろうとか、やれなかったことをやろうとかする。僕の場合は、サーフィンはずいぶん前から(もう十四年か)コンスタントにやるようになっていたから、人の話を聞いてじゃあバイクでもと免許を取った。普通二輪免許、昔の中免である。
中学生の時、バイク乗りである(いまでも)父親に造成地に連れて行かれ、泣く泣くモトクロスバイクに乗らされて怪我までしたこともある自分なので、教習所でもバイク乗ってた事有るでしょとか言われた(免許ないのに)。まあ確かに世代的に盗んだバイクを無免で乗る連中がごまんといた世代だから仕方ない。
そんな僕がはじめて買ったのは、中古のドゥカティだ。L型ツインの空冷という独特のエンジンだけど、レースをするわけでもないし、デザインで選んだ。
バイクはエコなのに悪のイメージを背負っている。そういう逆風があるところが、世間ではコンプライアンスとか、家族の束縛とか、そんな我が身がふと自由な幻想を抱けるのが、アラフォーにとってのバイクの素晴らしいところだろうと、逆説的に感じている。

Audi R8<フルスペック>に乗る。東京⇔横浜を走る。

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AudiR8に乗ってみないかと声が掛かり、東京から横浜まで運転してみる機会を得た。個人的には長年のAudiユーザではあるけれど、最新鋭の高級スポーツカーを購入するようなライフスタイルではない。二十年程前のスポーツカーは近年まで所有していたけれど、最新鋭のカーボンブレーキを装着し、V10のエンジンを搭載した自動車なんて、どんなものかと雑誌やWebで見る程度だった。
都内を速度50kmで走っている間は、セダンとは言わないが、高級車に乗っているかのようにスムースで、乗っている空間の感覚も、普段のAudiとそう変わらない。Q5とか、A6とか最近のAudi車の文法通りである。オートマティックとマニュアル(パドルまたはシフトレバー操作)を選択できるが、レーシングカーに倣ってクラッチがシングルになっているらしく、通常のオートマとは勝手が少々違う。マニュアルのレバー操作では、前が+、後ろが-となっているので、僕はそちらを選択してみた。
基本的にランボルギーニのガヤルドと姉妹車である。(ガヤルドはアウディ製である)でも友人によると、味つけは異なっているらしく、ガヤルドは固めだそうだ。湾岸道路を加速してみると、3速で100キロくらいで確か4500回転程度。そうすると、後部のV10はレーシングカーらしいエンジン音の味つけを感じるが、4-5速にしてしまうと、120-30kmくらいでも何事もないかのように静まり、高速道路のギャップでも、突き上げもなく、足回りはしなやかである。
仕事で関わったこともあるF1の世界の視点から見たら、そもそも高級スポーツカーは金持ちのファンやタニマチに、「それらしさ」を提供するものでしかない。フェラーリだったら、乗ってみるとわくわくさせる演出は、「音」である。そういう意味での魅力がどこにあるのかと僕は探してみながら、アクセルを踏むと、やはり容易に非日常の領域に突入する。しかし、公道では一瞬の煌めきのあとに、日常が舞い戻る。
良く言えば「高級」、悪く言えば「スポーツカー・レーシングカー」らしさの弱さがあるけれども、一台こういう自動車を所有できるような生活は、夢のようだとも思う。コンラッドホテルに乗りつけてみると、やはり待遇も一段違うし、そういうライフスタイルを含めての価値なのだろう。馬子にも衣装である。

86の復活。そんなこと喜んでいるのはオヤジだけかもしれないが…。

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トヨタは東京モーターショー2009に、小型FRスポーツコンセプト「FT-86 Concept(エフティー・ハチロク・コンセプト)」を出展する。
FT-86 Conceptは、08年4月にトヨタと富士重工業による共同開発が表明され、11年末に市場投入が目標のFRスポーツカーのコンセプトモデル。生産は富士重工業が担当し、トヨタとスバルの両ブランドで販売する予定だ。
エンジンは、スバルの伝統である水平対向4気筒自然吸気ガソリンエンジンを搭載、トランスミッションは6速MTだ。車名の86=ハチロクは、83年にトヨタが発売した小型FRスポーツカー、4代目「カローラ・レビン」「スプリンター・トレノ」の1.6Lモデルの車両型式番号「AE86」にちなんで名付けられている。


白物家電のような自動車が横行するこの頃(まあこれもトヨタだが…)ではあるけれど、日本グランプリでのトヨタ・トゥルーリの二位表彰台に続き、日本人のモータースポーツ愛好家にとって嬉しいニュースだ。社長の豊田氏が個人的にも、レーシングカーを運転するような自動車好きだから、はっきり時流に逆らうような自動車がリリースされるのだろう。(しかもアストンからIQをリリースさせてしまうような、エンスージアニストだ。)
日本市場の若者に刺激を与えるかどうかは未知数(無理かな…)とは思うけど、中国やアジアの新興国の若者たちにとっては、憧れになりうる可能性は高いだろう。
ヤングマガジンでは、いまだに現役でハチロクはバトルを繰りひろげているが、ヴァーチャルでない現実でわたしたちを興奮させて欲しいものだと、わたしは密かに願っている。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20091006-00000304-trendy-ind
(追記)
日経トレンディの取材によると、ターゲットはやはりオジサンらしい…。

メインターゲットは40~50代の男性。つまり80年代の若いころに、かつての「ハチロク」に乗っていた、あるいは憧れていた人々だ。「目指すのは、オヤジがカッコよく見えるクルマ。運転するお父さんを見て、息子が自分も乗ってみたい、運転したいという憧れや夢を抱くクルマにしたい」と多田氏はいう。そしてオジサンたちの楽しそうな姿から、若い人にも関心が広がってほしいと考えている。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp:80/article?a=20091026-00000301-trendy-ind

レクサスISに乗る。高級を考える。

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トヨタの高級ブランドとしてレクサスがローンチされたのは、今年の8月だった。
メルセデス・ベンツ、BMWの顧客をターゲットにしているという。文芸批評家・故小林秀雄氏はトヨタの創成期に工場を見学し、「これは世界一の工場になる」と予言したそうだ。経済の門外漢であっても、小林氏の眼はそれを見抜いていたのだろう。現在、トヨタは日本一の会社であり、米国のビック3の牙城を突き崩したのである。しかも日本経済のバブル崩壊後の失われた十年に。
品質の高さとマーケティングには恐るべき強さを感じていたものの、私のような洋物好きにとっては「トヨタの高級ブランド?」と、頭に疑問があったのは否めない。まあ少なからず、ブランド=洋物である意識を持っているような人たちこそ、ルイ・ヴィトン等のブランド(高級)を信奉しているのである。ブランド(高級)は、日本にとっては明治以来の舶来信奉に結びついていると思う。
そういう意味でも、世界で確立してから日本へブランドを持ってくる段取りは、真っ当なプロセスである。逆輸入車に高い金を払って乗る人間が少なからずいるのも、そのコンプレックス(舶来信奉)からだ。
高級に関する概念を、「自動車の品質」「人のサービス」「通信ネットワーク」の三点から非常に高い次元のバランスで実現しているというのが、レクサスに対する私の印象である。
品質としては、乗ってみると、唯の静かな高性能な自動車というものではなく、リニアリティをステアリングから伝達しつつ、尚、高次元な形でコンピューターが介在してアシストする。乗り味は、硬く、尚且つ、上質な柔らかさを持っている。同乗者には滑らかなバターの上にいるかのような感覚をもたらし、ドライバーにはある種のしっかりとした硬さを感じさせる。多分、シャーシーがよほどしっかりしているのだろう。またインテリアの素材は、自分の乗っている700万円近くするAudi Allroad よりも、高品質である。
またナビゲーションが凄い。GPSと連動していて事故時にはボタンひとつで24時間スタッフが現場に急行するそうであるし、また渋滞情報を的確に、またタイムリーに表示する。しかも初めて触っても感覚的に使えるし、音楽を専用サイトから高速にダウンロードし(多分専用回線があるのだろうか)、HDにお気に入りジュークボックスが作れてしまう。本当に至れりつくせり、未来のおもてなしと驚く。
京都の俵屋とか、熱海の蓬莱のような高級旅館にいるような心地と言えばいいだろうか。いままでメルセデスでも感じたことのない、不思議な次元の高級感であった。
そういう私も偶然家族が買うことがなければ、乗ることはなかっただろう。
それにしても、日本独自の「エクスペリエンス(体験)」としての高級を実現しようとしている姿勢には、凄まじいと感嘆するしかなかった。<tokyotaro>

Lotus Elanとの蜜月

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このエランSEとの関係は、もう10年になる。
91年の東京モーターショーに展示されているのを見て惚れてしまい、その4年後に僕は中古を一台を手に入れた。その当時、走行できるに値するライト・オープンカーの選択肢はというと、MG、またはマツダのロードスターしかなかった。コーリンチャップマンのオーラというものに侵されている私は、ロータスというブランドの呪縛から逃れる術を知らなかった。ポルシェよりもロータスの英国のバックヤード魂が素晴らしいものに感じられたし、FFまた日本製のエンジンであるということも、(マクラーレンF1もデザインした)P・スティーブンスの華麗なデザインと、卓越したハンドリングの感触の前には小さな問題だった。
当時新車価格が700万円もした1600CCの自動車だったので、とても贅沢なものを買ってしまったと感じた。かつてアトランティック商事のショールームで、「うちはローンで買うお客などいませんよ」と慇懃に言われたことを思い出し、凄いものを買ったなと身の丈の小ささを恥じた。
その後、雨の時はタオルは必携だったもののトラブルも少なく、ミッレミリアを観戦に行く時、東北道で最高速度を試したり、箱根の山道でスカイラインに追っかけられたりと、さまざまな局面で性能を発揮し、楽しませてくれた一台である。
少なくとも21世紀になるまでは、ライト・スポーツカーの領域では傑出した存在だった。
現在でも、0-100km 6秒台の俊足は変わらない。最高速ではエリーゼよりも速い。しかし自動車テクノロジーの進歩とともに、やはり旧車趣味の領域になってしまったことは否めない。コンピューターの制御もなく、ロータス伝統のバックボーンフレームのシャーシと、FF・ミドシップと言える重量配分、左右・前後の全長比が限りなくスクエアであること、軽量であること等、物理的な特性にのみ依拠したスポーツカーである。
勿論、現在のレーシングカーの定石も同じである。しかしサポートするコンピューター(知能)の性能が桁違いである。個人的には、サーフィン用に購入したSUVが軽く走り出すのを感じ、もはやライト・スポーツカーの性能優位は、ケータハム・スーパーセブンとか、アリエル・アトム等のスパルタンなスポーツカー(フレームが剥き出しで、エンジンが付いているバイクのようなもの)まで徹底しなくては、現在のレベルについていけなくなったのだなと痛感した。
そうであっても趣味としては、こういう少し古いスポーツカーがいい。個人的にはルノー5ターボ、アルピーヌV6等の学生時代に憧れた自動車には、いまでも心を揺らされる。
巷ではのアースウインドファイヤや、エアサプライ等、AORのヒット曲を集めた『Melody』のようなコンピレーションCDがヒットしている。そのうち自動車趣味も懐メロが流行するかもしれない。
<tokyotaro>