ソニー×ホンダのEV「AFEELA」開発中止。このニュースをどう読むべきか。

単なる一企業のプロジェクト撤退として処理するなら、それはあまりにも浅い。むしろこれは、自動車産業という巨大システムの前提そのものが崩れ、再編に入ったことを示す象徴的な出来事である。まず、表層的な事実関係から整理しておく。ホンダはEV戦略を大幅に見直し、最大2.5兆円規模の減損を計上した。そして北米向けのEV3モデル、さらに「0シリーズ」と呼ばれる自社EVの中核プロジェクトを停止した。この判断により、同じ技術基盤を共有していたソニー・ホンダの合弁EV「AFEELA」は、構造的に成立しなくなった。量産直前まで進んでいたプロジェクトが、極めて短期間で白紙化された背景には、単なる意思決定の変更ではなく、「前提の消滅」がある。

では、その前提とは何か。それは「EVは不可逆的に成長する市場である」という認識である。この認識が崩れた。決定的だったのはアメリカの政策転換だ。ドナルド・トランプ 政権下で、EV普及を後押ししていた規制や制度が大幅に見直され、事実上の緩和・撤回が進んだ。これにより、EV投資の回収前提が崩れた。補助金と規制によって成立していた市場が、急速に「自立的な競争市場」へと戻されたのである。

その影響はホンダだけに留まらない。フォード、GM、ステランティス、フォルクスワーゲンなど、世界中の主要メーカーが相次いでEV事業の減損や縮小を発表している。これは個別企業の失敗ではなく、産業全体のシナリオ修正である。言い換えれば、「EVが正解」という時代は終わり、「EVも選択肢の一つに過ぎない」という段階に入った。

しかし、より本質的なのはここからだ。ホンダの意思決定の核心は、EVそのものではない。「何と戦うか」を再定義した点にある。

動画でも強調されていたが、ホンダが直面している最大の脅威は、中国メーカーである。BYDやジーリーといった企業は、電池、ソフトウェア、車体設計を統合し、「車をIT製品として再構築」している。さらに価格競争力が圧倒的に高い。これは単なる製品競争ではなく、産業モデルそのものの競争である。

現実の市場はすでに変化している。ASEANや中国では、日本車のシェアは急速に低下している。ホンダはかつて15%近いシェアを持っていた市場で、短期間のうちに半減させている。これは「将来の危機」ではない。すでに進行している現実だ。

この状況で、ホンダが選んだのは「EVを続けるか否か」ではない。「何を優先するか」である。EV開発は5年単位の投資である。しかし中国との競争は2〜3年で勝敗が決まる。ならば、まずは四輪事業そのものの競争力を再構築する必要がある。中途半端なEVを作るよりも、「勝てる車」を作ることが優先されるべきだという判断だ。

これは撤退ではない。戦略の再配置である。

さらにAFEELAというプロジェクト自体にも、構造的な課題が存在していた。価格は約9万ドルと高額であり、テスラや中国EVと比較した際の明確な優位性が見えにくかった。加えて、開発スピードや量産体制においても競争環境に対して遅れがあった。ソニーの持つエンターテインメント性やソフトウェア体験というコンセプトは魅力的であったが、それが「車としての価値」をどこまで上回るのかは不透明だった。理想は先行していたが、現実の市場との接続が弱かったと言える。

ここで視点を広げると、この出来事は「EVの失敗」ではない。むしろ「EVという言葉で覆い隠されていた競争の本質」が露出したと考えるべきだ。

中国の強さは個別技術ではない。構造にある。国家、産業、大学が一体となり、研究成果が即座に事業化される。地方政府は産業クラスターを競い合い、資本と人材を集中させる。そして電池というコア技術を押さえ、さらにソフトウェアと半導体で主導権を握ろうとしている。これは単なる「EVメーカー」ではない。総合的なテック産業である。

加えて、シャオミのような企業は、車をスマートフォンや家電と統合された「生活OS」の一部として位置付けている。ここではもはや、車単体の性能ではなく、体験全体が競争軸になる。これは従来の自動車産業とは全く異なるゲームである。

では、日本はどうか。遅れている、という表現は正確ではない。すでに一部の市場では敗北している。しかし同時に、日本はまだ基盤を持っている。トヨタのように多様な戦略でリスクを分散している企業もあれば、スズキのようにインド市場で強固なポジションを築いている企業もある。つまり、完全に敗北したわけではないが、「このままでは負ける」という地点に立っている。

その意味で、AFEELAの中止は終わりではない。むしろ、重要なのはここからである。ソニーとホンダは一度ゼロベースに戻った。これはリスクであると同時に、機会でもある。従来の自動車の延長線ではなく、モビリティそのものを再定義する余地が生まれた。

ソニーはエンターテインメントとソフトウェアの企業であり、ホンダはハードウェアと製造の企業である。この二つが本質的に融合するなら、「車」という形を超えた新しいプロダクトが生まれる可能性もある。それは単なるEVではなく、移動体験そのものの再設計かもしれない。

結局のところ、この問題はEVではない。産業の主導権を誰が握るのかという問題である。アメリカはルールを変え、中国は構造で勝ちに来ている。そして日本は、戦うべき相手と方法を再定義し始めたばかりだ。

ここで問われているのは技術ではない。市場でもない。
「どの戦場を選び、何を捨て、何に賭けるのか」という意思である。

その意思を持てるかどうか。それこそが、この時代の企業と国家の分岐点になっている。

アップルⅡからAIへ——3つの宇宙を横断した世代の記録

私たちの世代は、たぶん少し変わった仕方で機械と出会った。
いまのように、スマートフォンを指でなぞれば世界につながる時代ではない。もっと粗く、もっと不安定で、もっと身体的だった。けれど、そのぶんだけ、機械は単なる便利な道具ではなく、ひとつの異世界への入口だった。

小学生のころ、まず洗礼を受けたのはゲームセンターの光だった。ピンポン、ブロック崩し、インベーダーゲーム。白黒あるいは単純な色面で描かれた、きわめて抽象的な世界。しかしそこには、確かに宇宙があった。一本の線、ひとつの点、反復する敵の列。その単純な図形の運動に、私は現実とは別の秩序を見た。球は正確に跳ね返り、ブロックは法則に従って崩れ、インベーダーは無機質なリズムで迫ってくる。人間の感情とは無縁の、冷たい演算の美しさがあった。

あれは単なる遊びではなかったのだと思う。
世界は物語だけでできているのではなく、ルールでもできている。しかもそのルールは、目で見える。身体で覚えられる。その最初の衝撃が、アーケードゲームにはあった。

そのあと、渋谷の西武百貨店のパソコン売り場で見たアップルⅡは、さらに別種の衝撃だった。ゲームセンターの機械は完成品だった。そこにある世界は、すでに誰かが作ったものであり、私はその内部で遊ぶだけの存在だった。だがアップルⅡは違った。あれは「遊ぶもの」ではなく、「作れるもの」に見えた。画面に文字が出る。キーボードを叩けば反応する。命令を書けば、世界の側がそれに従う。あのとき感じたのは、たぶん驚きよりも先に、眩暈に近い感覚だった。世界の奥に、言葉で触れられる層がある。現実とは別に、命令によって生成される領域がある。その事実に、子どもながら震えたのだと思う。

アーケードゲームが「できあがった宇宙」だったとすれば、パソコンは「これから生成される宇宙」だった。そこでは消費者であるだけでは足りない。入力し、試し、失敗し、修正しなければならない。世界は向こうから完成した姿では来ない。こちらが呼び出さなければならない。

80年代初期の日本のパソコン雑誌には、そのための呪文が載っていた。I/O、ASCII、そして後にはベーマガ。雑誌の紙面にびっしりと並ぶソースコード、16進数の羅列、メモリアドレス。あれをひたすら打ち込む。いま思えば、途方もない時代である。書店で雑誌を買い、紙を見ながら手でプログラムを入力し、その果てにゲームやツールを再現する。たった一文字の誤りで動かない。どこが違うのか、目で追い、耳で確かめ、時には最初からやり直す。

それでも、あの苦労は苦痛だけではなかった。
むしろ、打ち込むことそのものが参加であり、創造だった。雑誌に印刷されたコードは、単なる情報ではない。紙の上の文字列が、こちらの指を通り、メモリに移され、やがて画面の上で動き始める。その変換の全過程に、自分の身体が介入していた。いまのようにダウンロードして終わりではない。コードは目で読み、手で運び、耳で監視するものだった。

カセットテープの記憶は、その身体性をさらに濃くしている。
データを保存し、あるいはロードするとき、あの「キー、ガー、ピー」という独特の音を聴いていた。あれはノイズではない。データそのものだった。いまでこそ情報は沈黙のまま流通するが、当時は情報が音になっていた。つまりプログラムは、視覚だけでなく聴覚にも属していたのである。ロードが止まっていないか、失敗しそうか、音で気配を読む。まるで機械の呼吸を聞いているようだった。私たちはコードを打ち込むだけでなく、機械の気分まで耳でうかがっていた。

そしてBLACK ONYXである。
あのゲームの衝撃は、いま振り返っても特別だ。アーケードゲームにはない物語性、空間性、持続性がそこにはあった。反射神経だけではなく、探索があり、蓄積があり、未知への恐れがあった。画面は粗い。表現も限られている。だが、だからこそ想像力が大きく働いた。ワイヤーフレームのダンジョンは、単に線で描かれた迷路ではなかった。そこには闇があり、奥行きがあり、自分の知らない領域が続いていた。

しかも私はフロッピーを持っていなかったから、テープでロードするしかなかった。二十分。失敗したらまた二十分。いまの感覚で言えば、ほとんど狂気に近い。だが当時、その時間は単なる待ち時間ではなかった。あれは儀式だったのだと思う。ゲームの世界に入る前に、こちらの時間を差し出さなければならない。すぐには始まらない。簡単には入れない。だからこそ、起動に成功して画面が立ち上がったとき、世界は重みを持って現れた。一回のプレイには、一回の人生のような切実さがあった。

やがてファミコンが出て、その儀式は終わった。
カートリッジを差し込めば、すぐに始まる。安定している。失敗しない。革命だった。間違いなく、あれは人類にとって正しい進歩だったと思う。だが同時に、そこで失われたものもあった。待つこと、備えること、失敗の恐怖、起動の重み。ゲームは儀式から消費へと変わった。世界に入るための通過儀礼が消え、世界は即座に開かれるものになった。それは幸福でもあり、どこかで軽さの始まりでもあった。

それから長い時間が経ち、いま私はAIと向き合っている。
ここで不思議な感覚に襲われることがある。最先端のはずのAIが、ときどきあの頃のパソコンに似て見えるのだ。もちろん技術的にはまったく違う。AIはテープロードしないし、16進ダンプを手で打ち込ませたりもしない。だが、未知のものにプロンプトを投げ、反応を待ち、うまくいかなければ言い方を変え、再試行する。その感覚の根には、昔とよく似たものが流れている。すなわち、こちらの言葉が機械の内部で変換され、思いがけないかたちで返ってくるという驚きである。

違うのは、当時が「人間が機械の言葉に近づく時代」だったのに対し、いまは「機械が人間の言葉に近づいてくる時代」だということだ。BASICやマシン語を学んだころ、私たちは機械に合わせて考えなければならなかった。短く、正確に、誤りなく。だがAIは逆に、人間の曖昧さや飛躍や比喩を、ある程度そのまま受け止めようとする。そこには大きな転換がある。けれども、根底にあるのは同じ対話の欲望ではないかと思う。未知の機械と向き合い、その向こうに新しい世界の輪郭を見ようとする欲望だ。

思えば私は、3つの宇宙を通ってきたのかもしれない。
最初はドットの宇宙。ピンポンやインベーダーの、図形と反射の世界。
次にコードの宇宙。アップルⅡやI/Oやマシン語が開いた、命令と生成の世界。
そしていま、言語の宇宙。AIと自然言語が交差し、言葉そのものが機械の内部で世界を作り始める時代。

この3つを連続したものとして生きた世代は、おそらくそう多くない。
だからこそ思う。AIは突然現れた断絶ではない。私にとってそれは、渋谷の西武でアップルⅡを見て震えたあの瞬間の、はるかな延長にある。あのとき、キーボードの向こうに別の世界があると直感した。いまもまた、画面の向こうに別の知性が立ち現れつつある。その驚きは新しい。だが同時に、どこか懐かしい。

結局、私たちはずっと同じものを見てきたのかもしれない。
機械そのものではない。
機械を通して開く、もうひとつの宇宙を。