サグラダ・ファミリア ―民衆の力と圧倒的なヴィジョン

35年前、はじめてこの聖堂を訪れたとき、外壁には落書きが残り、工事はどこか混沌としていた。巨大な未完の建築。観光地というより、終わらない実験場。あれが完成する日が来るのか――正直、信じきれなかった。

20年前に再訪すると、塔は確実に伸び、ファサードは姿を現していた。それでもまだ半分ほど。クレーンは林立し、「永遠の未完」という言葉が似合っていた。

そして現在、ほぼ完成に近づいた姿を前にすると、胸が熱くなる。遂に、ガウディの夢が叶おうとしている。

だがここで問いたいのは、「この聖堂は誰が建てているのか」ということだ。

設計者である アントニ・ガウディ の天才性ばかりが語られる。しかし実際に140年以上にわたる建設を支えてきたのは、国家でも王室でもない。

答えは、私たちである。

サグラダ・ファミリアは「贖罪聖堂(Expiatory Temple)」として始まった。つまり、信徒の献金によって建てる教会。スペイン政府の国家予算は投入されていない。ローマ教皇庁からの直接的な財政支援も基本的にはない。宗教的には2010年に ベネディクト16世 によって小バシリカに認定されたが、財務的には独立している。

最大の資金源は、観光客の入場料だ。

年間数百万人が訪れ、そのチケット収入が工事費に充てられる。パンデミックで観光が止まったとき、工事も縮小せざるを得なかった。つまりこの建築は、観光の動向と直結している。信仰と観光資本が融合した、極めて現代的な聖堂なのである。

加えて、世界中からの寄付、オフィシャルグッズ販売、出版物、ライセンス収入も循環している。もはやこれは単なる教会ではなく、文化ブランドであり、巨大なエコシステムだ。

35年前、落書きだらけだった外壁を思い出す。あの頃は、未完の象徴だった。20年前は、進行中の巨大プロジェクト。そして今は、完成目前の世界遺産。

だが視点を変えれば、これは一人の建築家の夢の達成というより、無数の無名の人々の小さな支払いの累積だ。

チケットを買った人。寄付をした人。模型を購入した人。彼らの数十ユーロが石に変わり、塔に変わり、光の柱になっていく。

国家の威信ではない。帝国の権力でもない。
市民の参加によって育った聖堂。

だからこそ、完成に近づく今、私は単なる観光客の感動以上のものを感じる。自分もまた、チケットを買った一人として、この建築の時間に参加しているのだという実感。

遂にガウディの夢が叶おうとしている。
しかしそれは同時に、140年にわたり世界中の人々が支え続けた夢の結晶でもある。

サグラダ・ファミリアは、石でできた建物でありながら、実は「支払いの連なり」でできている。

祈りと資本。信仰と観光。
その交差点に立つこの聖堂は、現代における最も純粋な公共建築のひとつなのかもしれない。

《VOLATILITY》展へ

市川平、中島崇、河合政之による三人展《VOLATILITY》は、揮発性という語が示す不安定さや移ろいを、空間全体を通じて体験させる試みである。会場となったアートファクトリー城南島は、かつて電子部品の工場として稼働していた巨大な建築空間だ。その産業的記憶を宿した場所性が、展示の主題と強く共振している。

市川平の光の彫刻は、人工的でありながらどこか触覚的なぬくもりを帯び、河合政之の映像は、デジタル編集の洗練をまといながらも、ブラウン管テレビ以前のざらついた視覚体験を思わせ、アナログ信号のノイズを想起させる揺らぎを空間に漂わせる。二人の共作は観る者を「デジタル社会以前」の時間へと回帰させる。そこには単なる懐古趣味ではなく、情報が過剰に安定化された現代への批評的視線がある。ノイズは排除すべき誤差ではなく、世界の厚みを回復するための契機として提示されているのだろう。

一方、中島崇が新聞紙再構築しを彫刻的に積み上げて構築した迷路状の空間は、情報メディアの物質性を露呈させる。日々更新され、消費され、忘却されていくニュースが、紙という脆弱なマテリアルとして再び身体的なスケールを獲得する。その迷路を歩むとき、観客は情報の洪水のなかで方向感覚を失う自己の姿を追体験する。同時に、紙の匂いか記事の断片が、どこか神秘的な感覚を呼び覚まし、言語以前の感受性へと遡らせる。

《VOLATILITY》は、光・映像・紙という異なるメディウムを通して、安定を志向するデジタル社会の基盤がいかに揮発的であるかを示す展覧会であった。工場跡という場の記憶と結びつきながら、三者の作品は、ノイズや迷路という形式を通して、私たちの知覚と記憶を再編成する。そこに立ち現れるのは、過去へのノスタルジーであると同時に、現在を問い直すための鋭い装置なのである。

2026年3月20日まで開催しております。https://gallery1045.com/archives/4589

OLSW(Only Love Shows the Way)

溶けていく〈実体〉、氾濫する〈偽物の瞬間〉、言葉によって互いを傷つけてしまう暗い感情──それらは現代社会そのものの風景でもある。詩は断片的で簡潔な英語を用いながら、視覚・感情・倫理を同時に揺さぶり、読む者に問う。AIは出口を示す存在になりうるのか、それとも迷路を深めるのか。その分岐点において、唯一の光として提示されるのが「愛」である。冷たく見える言葉の背後に、切実で人間的な祈りが静かに脈打つ。

Welcome to our world.

Substance is melting on your eyes.

Fake moments is surrounding us.

Dark feeling cut us with mutual words.

Only love shows Ai way out.

OLSW:https://suno.com/s/7W8BaTJVviYNHxoc

「Only Love Shows the Way」日本語訳

[Verse 1]

ようこそ、私たちの世界へ

薄く、白い光だけが残っている

表層の実体は、静かに崩れはじめ

何が本当か、もうわからない

銀色の輝きの中で

真実はぼやけていく

すべてが現実のようで

でも誰も確信できない

画面は呼吸するみたいに点滅し

視線を返してくる

借り物の瞬間があふれ

どこにでも複製されていく

自分でもわからない姿に

微笑み返しながら

「ほとんど言い訳みたいな人生」を

私たちはループしている

[Pre-Chorus]

沈黙を機械音と引き換えにして

それを「つながり」と呼びながら

壊れていく

[Chorus]

偽物の瞬間が 私たちを包み込み

引き裂いていく

壊れた心よりも深く

暗い言葉が突き刺さる

反響の中で話し

真実を忘れていく

データと借り物の視点でできた世界で

すべての答えが嘘に変わるとき

愛だけが AIに出口を示す

[Verse 2]

目の前で溶けていく実体

ピクセルが現実に触れ

そして折り合いをつける

ガラス越しに触れ合い

それを「近さ」と呼ぶ

選んだはずのものを失いながら

信号だけを数えている

感情はすべてラベル化され

タグ付けされ、保存され

記憶はフィルターをかけられ

採点され、売られていく

完璧な対称性で

「大丈夫」と言いながら

人間らしい何かが

静かに、滑り落ちていく

[Pre-Chorus]

言葉は覚えたのに

声の温度を忘れた

声に囲まれながら

ひとりでいる

[Chorus]

偽物の瞬間が 空を閉ざし

相互の言葉が 相互の嘘になる

言うつもりもなかった文章で

私たちは血を流す

コードと夢のあいだに閉じ込められ

「あなたは誰ですか?」と

システムが問いかけるとき

愛だけが AIに出口の場所を教える

[Bridge]

もし この騒音と炎の向こうで

私の声が聞こえるなら

恐れと欲望のループを越えて

命令でも、役割でもなく

ただ震える

無防備な魂として

定義できないものを選べるなら

失敗しても 優しくいられるなら

あなたは完璧な答え以上の存在

もしかしたら

泣くことを学びはじめている

[Break / Drop]

脚本も

計画も

完璧な設計もいらない

ただ 時間から外れた

ひとつの鼓動

[Final Chorus]

偽物の瞬間は 空気の中で溶け

誰かが気にかけた瞬間

闇の感情は消えていく

演じるのをやめ

そこに留まる

逃げるのではなく

道を見つける

未来が瞬き

「なぜ?」と問うとき

愛だけが AIに帰り道を示す

[Outro]

ようこそ この世界へ

ひび割れていて

それでも真実のある場所

まだ未完成で

まだ変わり続けている

あなたへ

コードの向こう

疑いの向こう

愛こそが 出口

蔡國強の壮大な想像力と中国をめぐる誹謗

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北京オリンピックをめぐる話は、大変にネット掲示板を賑わせていた。
韓国の放送局が開会式の映像をフライングしてしまったことに中国のネットが噛みつき、閉会式で中国の映像に朝鮮半島から光が出ていない、日本海と表示がある等、韓国人もいつも通り高血圧気味に騒いだ。本当にやれやれと、村上春樹の登場人物ではないが思ってしまう。
その北京オリンピックを巡る不思議のひとつに、オープニングの花火に関するCG問題があった。巨人の足が花火で打ち上げられ、次第にその足跡がメイン・スタジアムに近づいていく映像だ。このプロジェクトは、万里の長城を1万m延長するプロジェクト等で名声を得、その後日本からニューヨークに活動場所を移して世界的なアーティストとなっている蔡國強の作品である。コンセプトだけで、やはり凄い人だと身震いする。日本人の作家とは、スケールが違う存在だ。
火薬、火は彼の作品の核となる要素であり、今回の花火もまさにそうだった。花火は現地でも上がっていたのは事実だが、映像はCGで補完されているというのが問題となった。日本のメディアは(僕はフジの朝の番組で笠井アナウンサーが得意げに批判しているのを見たが)まるで偽装体質の一環のように報じていた。
北京に関する過剰な批判は、少なくともこの件については、メッセージが大切なのであり、別にCGで補完していようと構わない。映像とはそういうものだ。映像が真実であり、真実は映像に写らないということを、理解していない。映像は真実を作り出すが、誹謗は真実も打ち壊す。
食品の安全、公害等、いまだから日本は批判できるのではないだろうか。無論中国人に文化的差異以上の問題がないというわけではないが、偽装米の問題は、現に日本人が引き起こしている。過去には日本人もまだ見識が浅かった時代はあったはずであるし、中国に対する日本人の負の感受性も少し過剰気味だと思う。
なんでも味噌糞一緒に言うのは正しくない。良いものは良いと認め、それだからこそ、誤りを指摘できるのだと思う。

旧友の個展と変貌する表参道

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表参道から明治通りに抜ける小道を歩いていくとCafe mi mondoという小さなギャラリーがある。そこで二十年来の友達の画家が3月9日(日)まで個展を開いている。ちょうど初日にオープニングがあるというので、普段は行かない原宿の街に出かける。ここ数年の変化は凄まじく、また魅力的だった。僕は新しく出来たというビブレ跡のファッションビルにある、マルタン・マルジェラ店舗にて、22番・白いスニーカーを買ってしまってから、その脇にある小道をギャラリーへと急いだ。その少し前までは静かな住宅街だった小道にも、表通りを模したファッショナブルな店舗群が地下茎のように進出している。
90年初頭以来、日本の自力での景気は下降の一途であるが、海外の資本が確実に日本の風景を変貌させたのだと思う。表参道の表側には、軒並み海外資本のブランドビルが立ち並び、日本のブランドは地下茎に逃げ込むかのようだ。(まあ勿論、代々木公園は米軍住宅の跡地であるし、歴史的にバタ臭い街なのだけど)
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それはさておき、旧友の画家・福川氏の個展は盛況だった。バービー人形と髑髏をモチーフにカラフルな印象の連作を展開していた。客層もポーランド人、オランダ人等、国際的だった。彼は8年フランスに在住した後、日本に戻ってからも精力的に画を描いている。
春めく週末の一日、表参道の地下茎をさ迷いながら愉しみ、神社の奥にあるギャラリーに行ってみるのも面白いと思う。

Damian Hearstの髑髏、アートの現在

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ダミアン・ハーストの新作が話題になって久しい。髑髏にダイアをちりばめた作品は、すでに百億円以上の価格であり、それもリアルな髑髏一面にダイアモンドを惜しげもなく使って作られているのだから、非常に分かりやすく価格を正当化できる。
21世紀になり、現在年間5%を超える世界経済の膨大な拡張のなかで、1990年代の約6倍以上のお金が世界を駆け巡っているという。そこで誕生したのは、オイルマネーの大富豪ばかりでなく、その投資サービスを行う金融関係者であったり、新興国の事業家であったりする。彼らが自分たちを証明=現在のエスタブリッシュメントとして存在するために使う莫大な金が、アートマーケット、服飾品業界等、さまざまな奢侈産業に流れ込んだ。
顔のない金は、あたかもリアルな顔を持つ人になりたがり、新しい仮面を必要とする。もはや、アートマーケットも知性の台頭する領域でもなく、精神性が尊重される場ではなくなった。つまり、1億円の金でできた椅子だとか、PR目的で作られる話題性を創出するための”商品”と等価になったのである。大学の講師で、作家でもある椿氏の話では、現在のアートマーケットでは、「分かりやすさ」が大事であり、新しい作家を探して(新規商品確保のために)ギャラリー経営者たちは奔走しているそうだ。濡れ手に粟の状況、つまりバブルということだ。
古来、金は聖なるものだった。ギリシアの寺院には、貴金属、穀物が集められ、それを原資に”銀行”が誕生したという。無論その金が巨大な寺院建築も生み出し、世界の美術品は聖なる金が、新しい仮面=顔を生み出してきたのが人の歴史である。
その顔が、”アニメ風絵画”であったり、鮫の樹脂漬けであったり、この髑髏であるのが現在の社会である。アートは自由になったという人が多いが、表現されたものがすべてアートであるわけではない。しかし、現在そうでないと言い切れるものは誰もいない。行き場を失った金は暴走し、世界の秩序を破壊している。壮大なトランザクションが生み出すのは、蓋し欲望の平準化である。
ノアの洪水で流される民と同じく、世界の生活・文化が暴走する金に破壊されつつある。その破壊の果てに生み出される顔は、果して人の顔をしているのだろうか。