子供の頃、心底大好きだった『宇宙戦艦ヤマト』が実写版で公開されると知り、普段はあまり意識しなかった問題について考えてみた。
アニメ作品の実写化というプロジェクトに至る理由は、映画製作の費用の回収と言う観点から見たら、1)既に有名であるので、動員が見込みやすい。2)制作現場からセールスに至るまで、プロジェクト開始時点から、イメージを共有しやすい 3)有名人をキャスティングすることで、話題性が作りやすい ということが大きな要因であるだろう。権利者が明確に存在しているところからスタートするので、プロジェクトに参加する人々の皮算用からも、推進力が当初からあるだろうし、リスク回避という観点からも、ある種の保守的なプロジェクトなのだろうか。確かに制作サイドからの理由づけはありそうだ。
そこで実際の興行成績で確認しようと、世界歴代映画興行ランキングを見てみると、確かにバットマン(昔TVシリーズは実写だったが、コミックベースであるし、アニメも存在したので)を原作とした、『ダークナイト』が7位、17位『スパイダーマン3』、23位『トランスフォーマー:リベンジ』と、確かに成功している映画も少なくない。しかし、そもそもアニメで評価が高かった作品ではない。それでは、日本の歴代映画興行ランキングを見てみると、前述された『スパイダーマン』以外に上位にランクインしているタイトルは存在しない。アニメーションそのものは、スタジオジブリの名作ばかりでなく、華々しく好成績であるに関わらずである。結果、人気の高いマンガをアニメーション化する方が、どうも分が良いようにも感じられる。
マンガをアニメーションにしたいというのは、そもそも性質が全く違うから良くわかる。動画になっているということは、声、音、しかも動きがある=いい悪いは別にしても、より作品に生命を感じさせるからだ。それはファンにとって、見てみたいと思わせる動機が存在している。しかし、すでにアニメーションで存在する作品を、しかも成功しているものをまた見たいと思うのであろうか。
『人造人間キャシャーン』、『タイムボカン』等、いくつか実写化アニメーションというものを観たことがある。個人的には、アニメーションよりも生命感の欠けた残骸にしか感じなかった。『ドラゴンボール』に至っては、そもそものアニメーション版を理解すらしていない。
看板俳優で人を呼ぶというのは、スターシステムを生み出した映画界からの定石である。有名アニメ+人気俳優は、確かに数字が高くなる公式のような気もしてしまう。しかし、僕には質の悪いコスプレショーにならないよう、頑張って欲しいと言う他、なにも励ましの言葉が浮かばない。
それは、日本のアニメーション程、生命感溢れる映像表現を知らないからだ。
初源的なアニメーションの力。『崖の上のポニョ』を観る。
飛べる人は飛べるけれど、そうでない人は海に飲み込まれる。
賛否両論が多く観るかどうか迷ったものの、『黒猫のタンゴ』以来の子供の素直な歌声に誘われ、ついに映画館に足を運んだ。宮崎駿氏の曰く、できる限り手で書くアニメーションであり、素直に動くことに対する魅力を表現したという。冒頭のオープニング、くらげの軍団とともに溢れていく海の豊穣な世界の描写を見、僕はディズニーの傑作である『ファンタジア』を想い出した。一枚一枚の絵が動いていくと、宇宙が出来ていく。
『ハウルの動く城』しかり、最近の宮崎駿の映画を観ると、重層的な物語をアニメーションの語りに置き換えていく試みに驚かされるものの、少しばかり「アニメーション」としては難解になっている気がした。少女の内的世界を外部化した試みは素晴らしいが、そこにはアニメーションを言語化し理解するというリテラシーが要求される。
『崖の上のポニョ』は、すべて見たままの世界である。見たままに見たことが現実化する。言語化し、自分の価値観と照らしあわすなんて不要だ。見たままを見たままに感じる力が求められる。子供が母親を名前で呼ぶから、そういう映画を見せたくないなどという馬鹿親の書き込みを見たけれど、そういう既成観念こそ不要である。
蓋し、初源的なアニメーションの力は、文字通り生命を吹き込む力である。豊穣な海は母の力に満ち、母はすべてを可能に出来る存在=生命の力である。魚は人間になり、老いた者も若返る。それがこの映画の本質であり、あとは見るだけだ。
そう、海=「産み」の世界なのだと、僕は席を立つとき気がついた。 <tokyotaros>
