「現実の編集権」を意識する。

吉川英治の三国志を読みつつ、思ったところを書いてみる。

後漢末期、王朝の統治はすでに深い腐食の中にあった。その象徴的存在が、霊帝である。彼の治世は名目上こそ皇帝による支配であったが、実際の権力は宮廷内の宦官勢力、とりわけ十常侍と呼ばれる一団に握られていた。

十常侍とは、皇帝の側近として仕える宦官たちの中でも、特に強い影響力を持った者たちを指す。彼らは人事や財政、情報の流通に深く関与し、官僚機構を迂回して直接的に政治を動かす力を持っていた。地方で何が起きているのか、誰が忠実で誰が反抗的なのか。そうした報告はすべて彼らの手を経由して皇帝に届けられる。だがその情報は、必ずしも事実そのままではない。彼らに都合のよい形に選別され、加工され、時には意図的に歪められていた。

結果として霊帝は、現実を直接認識することができない構造の中に置かれていた。彼が見ていたのは、世界そのものではなく、すでに整えられた「世界の像」である。十常侍にとって、皇帝とは統治者であると同時に、操作可能な存在でもあった。後世の史書が彼を「盲帝」と評するのは、このような状況を指している。

この構図は、単なる古代史の一挿話にとどまらない。ここには、権力のより本質的な問題が潜んでいる。すなわち、「何が現実として認識されるのか」を決定する力である。

「現実の編集権」という言葉を中心に据えるとき、私たちは単に情報の流通やメディアの影響力を論じているのではない。問題はもっと深い。何が「現実」として知覚されるのか、その編成そのものをめぐる権力について語ろうとしている。

後漢末、霊帝は世界を直接見ていたわけではない。彼が見ていたのは、十常侍によって整えられた「世界の像」だった。報告は選別され、言葉は装飾され、不都合な事実は削除される。その結果、霊帝にとっての現実は、すでに編集された後のものでしかなかった。ここで重要なのは、彼が愚かであったかどうかではない。彼の認識の回路が、外部によって構造的に規定されていたという点である。

このとき、十常侍が握っていたのは単なる権力ではない。彼らが支配していたのは、「現実の編集権」だった。

現代に目を移すと、この構造は消滅したどころか、むしろ精緻化している。ニュースは編集され、アルゴリズムは選別し、広告は意味を付与し、ソーシャルメディアは感情の強度によって情報の可視性を増幅する。私たちが触れている「現実」は、未加工の素材ではなく、複数のフィルターを通過した後の生成物である。

しかし、ここで単純な陰謀論に回収されるべきではない。現代の「十常侍」は単一の主体ではないからだ。国家でもなければ、企業だけでもない。むしろそれは、メディア、プラットフォーム、政治、そして私たち自身の選好や欲望が織りなす分散的な構造である。言い換えれば、「現実の編集権」は特定の誰かが独占しているのではなく、複数の力が競合しながら暫定的に形成されている。

それでもなお、この権力が本質的であることに変わりはない。なぜなら、人間は「与えられた現実」の外側で思考することができないからだ。何を問題とし、何を無視し、何に怒り、何に共感するか。そのすべては、すでに編集された現実の内部で起こる。ここにおいて、編集とは単なる加工ではなく、認識の地平そのものを規定する行為となる。

民主主義において、市民は主権者であると同時に、この編集された現実の受け手でもある。この二重性は決定的だ。霊帝が「知らされなかった存在」であったのに対し、市民は「選びうる存在」である。だがその選択は、常にすでに編集された選択肢の中で行われる。完全に自由な視点など存在しない。

ここで問われるべきは、「誰が編集しているのか」だけではない。「どのような編集に自らを委ねているのか」という自己の関与である。

例えば、強い言葉だけが流通する空間に身を置けば、現実は過剰に対立的なものとして立ち現れる。逆に、整えられた専門的情報だけに触れれば、現実は過度に合理的で摩擦のないものとして見えるだろう。どちらも現実の一部ではあるが、同時に偏った像でもある。私たちは、自らの接続する回路によって、異なる現実を生きている。

この意味で、現代の問題は「盲目」であることではない。むしろ、「見えていると思い込むこと」にある。霊帝は盲帝であったがゆえに問題だったのではない。彼は、自らが見ているものを現実そのものだと信じていた。その確信こそが、権力の暴走を可能にした。

現代の市民もまた、同様の危うさの中にある。情報にアクセスできることと、現実を理解していることは同義ではない。むしろ情報の過剰は、編集の不可視性を高める。何が削除され、何が強調されているのかが見えなくなるとき、編集権は最も強く作用する。

では、この構造から完全に自由になることは可能なのか。おそらく不可能だろう。人間が言語と象徴の中でしか世界を把握できない以上、何らかの編集を免れることはできない。

それでもなお、態度の問題は残る。

複数の現実に触れようとすること。

自らの見ているものが編集された像にすぎない可能性を保留すること。

そして、どの編集に加担しているのかを引き受けること。

「現実の編集権」は、もはや宮廷の奥に隠された特権ではない。それは分散し、拡張し、私たち一人ひとりの手の中にまで降りてきている。だからこそ、その扱い方は、かつてよりもはるかに倫理的な問題となった。

玉座は消えた。しかし壇上は残っている。

そして私たちは、観客であると同時に、すでにその上に立っている。

Core on those voices

AIの進化は凄まじい。制作に使ったAIの「Suno」は、米国マサチューセッツ州ケンブリッジに本社を置くスタートアップ企業 Suno, Inc. によって開発され、歌詞やテーマなどのテキストプロンプトを入力するだけで、ボーカルと楽器を含むオリジナル曲を自動生成する機能を持ち、大手レーベルとの提携も進み、AI音楽制作の代表的なツールとして注目されているという。

エリックドルフィーをオマージュし、現代的(2026年らしい)フリージャズの黎明期を再現してみた。力量のあるミュージシャン、エンジニアの力を借りなきゃできない場面を独りで想像する悦楽は、新しい音楽空間を開いていく。譜面化したところで、自分で演奏は出来ないので、デスクトップ音楽家のヨチヨチ歩きで楽しみたい。

Core on those voiceshttps://suno.com/s/Yx2DzlMgOPH4pRth

アポフィス (99942 Apophis) 世界は一元化した「共通言語」で人の魂を救済できるのであろうか。

現在は過去の文化の複製を生み出し、そこに文化を感じていることで危うげに結びついている。多様であった文化は、「共通言語」として一元化されていく方向を進んでいる。世界は一元化した「共通言語」で人の魂を救済できるのであろうか。
メディアの技術は「共通言語」を生み出し、世界の知識を一元化しつつある。しかし共通言語は幸せをもたらすのかどうかは分からない。「共通言語」の間で魂は凍りつくかもしれないし、結びつくはずの糸が解けていくきっかけになるのかもしれない。それでも技術は世界を結びつけ、人の魂を浚っていく。蟹の群れを底引き網が根こそぎ浚っていってしまうように。それでも人の魂は、海底に潜む蟹のようにしか生きていけない。
紙はかつて人々の魂に大胆な変化をもたらした。それまでの人は紙によって、別の空間、時間からやって来る他の人の言葉を知らなかった。言葉は人の口から出で、人の耳に入るものでしかなかった。息、体温、その場の空気というノイズとともに、言葉は語られるだけであり、同時の空間の中で紡ぎだされるものでしかなかった。物語も知識も、人の口から膨大な周辺の情報と共に伝えられ、それを人は理解し、その周辺情報の残滓から文化が育成された。神話、方言、さまざまな所作は、そういうノイズを包含しながら真髄であるところの意味を醸成して来たのである。
 
無駄がなくては文化が出来ないと言う真意は、つまりはそういうところにある。酒が菌による醗酵によって生み出されるように、文化は不純物によって醗酵出来る。つまり、余りにも有機的なものなのである。だからこそ、文化は宿木であるところの、人を決して出ることができない。宿木が失われればその文化は死んでしまう。
周囲に存在する人は、文化の伝承者として尊敬され、社会的な位置づけを帯びていた。勿論すべてが優秀な伝承者であったわけではない。副産物として迷信が生まれ、無知蒙昧な人々となっていたことも否めない。十八世紀以降の「文化人」たちは、啓蒙(エンライトメント=光を当てるという英語の方が分かりやすい)と称して市民社会を生み出そうとした昔の人々は、そういう不純物に目をつけて浚っていった。次第に宿木は倒され、無知の別称と共に排斥されて来たのが、つまり近代である。マルクスが自然から疎外された存在としての人間を発見できたのも、まさにそういう現実が顕在化しつつあるのを目の当たりにしたからだろう。
 グーテンベルグの印刷機の発明も、紙の大量生産も、文化の神話性を貶める役割を帯び、やがて写真、映画、音響装置の発明が拍車をかけてきた。テレビとインターネットがあまねく普及した(つまりユビキタスある)現代の市民社会はそういう文化の磨耗のある極点となっている。これは地球温暖化よりも深刻な問題であり、人の生きる意味に関わる問題である。(日本の自殺者の急増も、蓋し文化の崩壊と深刻な関わりがある。)
勿論現在も、企業文化等、「文化」という言葉は周囲に満ちている。しかしその「文化」という言葉は文化のメタファーでしかない。「共通言語」は、政治的な思惑とシンクロナイズし、つまりデファクト化した知性として、最後の砦である言語の障壁をクリアしようと目論んでいる。これも技術の進歩で早晩実現するかもしれない。
そこには不純物は存在しない。純粋な水で生物が死に絶えるようにすべての魂は死に絶えるだろう。その先に残るものは、ゾンビとなった人に過ぎないのではないか。ゾンビにも欲望はあるのだろうか。そこは平準化した死=最大化されたエントロピーが満ち満ちた静かな地獄であるにちがいない。
ネットワークを完璧に破壊する存在以外に「魂」を救える救済者はいない。キリストは再度降臨するだろうか。
 

アポフィス (99942 Apophis) は、アテン群に属する地球近傍小惑星の一つ。2004年6月に発見された。地球軌道のすぐ外側から金星軌道付近までの楕円軌道を323日かけて公転している。
アポフィスという名は古代エジプトの悪神アペプ(ギリシア語でアポピス、ラテン語でアポフィス)に由来する。
2004年12月、まだ2004 MN4という仮符号で呼ばれていたこの小惑星が2029年に地球と衝突するかもしれないと報道され、一時話題になった。その後、少なくとも2029年の接近では衝突しないことが判明している。

憲法の精神も愚弄する、民主党の現況

ここまで来ると言葉を失う。
整備がちゃんとされていないとか、そういう問題ではなく、そもそも政治というものを、また国政というものに対する責任感の欠如のほか、何があるだろう。
僕は陰謀論が跋扈するネットを鵜呑みにはしないが、もし意識的でないとするならば、法治国家に関する理解の不足も甚だしいじゃないか。
こういう政党が、本当に国民一人一人の痛みを理解するなんて言うのは、嘘である。読売新聞の社説にもあるように。

代表選の投票権 外国人にも認めるのは問題だ(9月5日付・読売社説) 
民主党代表選は日本の政党の党首選びである。在日外国人にまで投票権を認めるのは、明らかに行き過ぎだ。
 民主党は、国会議員、地方議員、党員・サポーターに代表選の投票資格を与えている。その合計の1224ポイントのうち、党員・サポーター票は300ポイントと約4分の1の重みを持つ。
 選挙戦が激しくなれば、約5万人の党員、約29万人のサポーターの1票が、勝敗を決する可能性もあると指摘されている。
 問題は、民主党の規約が党員とサポーターの資格を「在日外国人を含む」と定めている点だ。
 憲法は公務員選定・罷免の権利を、公職選挙法は選挙権を「日本国民」にのみ認めている。政治資金規正法は、政党や政治団体が外国人や外国法人から寄付を受けることを禁じている。
 いずれも、日本の政治や選挙が外国からの干渉を受けるのを防ぐための規定だ。この趣旨に照らせば、政権党であれ、野党であれ、党首選の投票権を外国人に認めることは、きわめて疑問である。
 党員などの要件や代表選の仕組みは、政党自身が決めることではある。民主党は「開かれた政党」という考えの下、在日外国人にも門戸を開いていると説明する。
 しかし、政党は、国民の税金である政党交付金を受ける公的な存在だ。憲法や法律から逸脱することは無論、その趣旨を歪(ゆが)めるようなことがあってはならない。
 民主党は、党員・サポーターの中にどのぐらい在日外国人が含まれているかも把握していない。選挙管理があまりに杜撰(ずさん)過ぎる。
 枝野幹事長は先月、記者会見で「将来的にいろいろ検討しないといけない。国政に参加する要件は国籍で判断するべきだ」と述べている。代表選が首相選びに直結してようやく、この問題の重大性に気づいたのだろう。
 自民党や共産党などは、日本国籍を党員の要件としている。民主党も、党員・サポーターの資格を日本国籍の者に限るべきだ。
 党員・サポーターには、永住外国人への地方選挙権付与を期待する在日韓国人が少なからずいるとみられている。
 菅首相と小沢一郎・前幹事長が党を二分する選挙戦を演じる中、党員・サポーター票の獲得を目当てに、両氏やその支持議員が、この法案の成立を競って約束するといった展開になれば、国の基本を損ねることにもなる。
 民主党は、早期に是正措置を講じるべきだろう。
(2010年9月5日01時11分 読売新聞)

Neil Barrett x Palladium を買う。

Boots
バイクに似合うブーツという企画が、今月発売の『Moto Navi』にも掲載されていたけれど、やはりバイク用はどこまでいってもバイク用であり、なかなか自分が望むようなデザインのブーツがない。そうと言っても、ブランド物のブーツを傷を恐れず履き潰すのもどうかと、MIHARAの限定ブーツを買うのも躊躇していたら売り切れてしまい、やれやれと探していたら、Neil Barrett x Palladiumで今季ブーツが発売されるのを知った。
プラダのデザイナーをしていた時から、僕はバレット氏のデザインが好きであるけれど、十年以上たった現在でも、バッファローの革ジャンしかり、フランス軍用ブーツとのコラボしかり、モノのマーケティング&デザインがうまいなと感心する。
雨やロングツーリング用には、伊ダイネーゼ社のゴアテックスを買ったけど、街乗り&晴れにはこういうブーツを履いて颯爽とバイクに乗ってみようと、僕は一足注文した。しかも9月4日には、青山の店舗にバレット氏本人が顔を出し、ブーツも含めての新作を披露するというので、行ってみようかなと思う。

年間、クジラが人間の3~5倍も魚を食っているとは、知りませんでした。

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「エコロジー」は、(正義等のワードはいつもそうですが)現在は政治的な自己表現の正当化に多用され、世界的に禍根を残すものが多くなっております。 クジラに関する問題も、日本人は加害者の立場として非難されているものであり、わたしたちは見過ごすことのできない問題です。その問題を、とても詳しく解説した興味深い記事が知人から送られて来たので、そのまま転載します。 『The Globe Now: クジラは地球を救う』 (増えすぎたクジラを捕る事で、食糧危機と環境危機に立ち向かう事ができる)というタイトルで、クジラ問題について世界的な視点から、論じているものです。

■1.年間300万頭のカンガルーを殺しながら反捕鯨を訴える偽善
 オーストラリアのケビン・ラッド首相は、日本が2010年11月までに捕鯨をやめな
ければ、日本を国際裁判所に提訴すると語った。このスタンドプレーに対して、オー
ストラリア国内からも常識的な批判が出ている。
 オーストラリアの有力紙「オーストラリアン」は社説で「日本はわが国の大きな輸
出市場であり、重要な戦略的同盟国だ」と強調し、重要な同盟国との関係は、自分た
ちだけが道徳心を持っていると思い込む国内の自然保護団体をなだめるだけの首相で
は、支えられない」と批判している。[1]
「自分たちだけが道徳心を持っていると思い込む」人々に対しては、もっと手厳しい
批判が国際紙、インターナショナル・ヘラルド・トリビューンから突きつけられた。
「鯨に銛(もり)を打ち込むことは、牛や羊の肉を常食としている者の間にさえ感情
をかき立てるのかもしれないが、豪州は、作物や牧草を守るため年間300万頭余の
野生のカンガルーを撃っているときに、苦情を言える立場にはほとんどない」と批判
した。[2]
■2.反捕鯨国でも捕鯨賛成が過半数
 もう一つ、反捕鯨派の足下をすくうような世論調査の結果が出されている。
 アメリカの民間会社レスポンシブ・マネジメント社が、1997(平成9)年から翌年に
かけて、代表的な反捕鯨国であるアメリカ、イギリス、フランス、オーストラリアの
国民を対象に行った世論調査である。その設問は次のようなものであった。[3,p191]
__________
 ミンククジラは絶滅に瀕しておらず、国際捕鯨委員会(IWC)は世界中に100
万頭のミンククジラが生息していると推定しています。では、あなたは次の条件のも
とで行われるミンククジラの捕鯨に賛成ですか、それとも反対ですか。
 捕獲したミンククジラは食糧として利用される。
 一部の国民や民族にとってミンククジラの捕獲は文化的側面を有している。
 ミンククジラの捕獲はIWCによって、規制されており、資源に影響が及ばないよ
うに毎年適切な捕獲枠が設定される
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「強く反対する」「反対する」を「反捕鯨」、「どちらとも言えない」を「中立」、
「賛成する」「強く賛成する」を「捕鯨賛成」と3分類すると、主要な反捕鯨国4カ
国での回答は次のようであった。
           反捕鯨    中立  捕鯨賛成
  アメリカ     19%   10%   71%
  イギリス     31%    8%   53%
  フランス     27%   11%   63%
  オーストラリア  40%    6%   53%
 すなわち主要な反捕鯨国でも、過半数は捕鯨賛成なのである。もっとも、この設問
はミンククジラが100万頭もいるというIWCの推定をきちんと説明し、さらに適
切な規制が行わる、という前提を明記している。こういう点を知らない一般国民は、
反捕鯨の比率がもっと高いかも知れない。
 しかし、このような合理的な説明をきちんとすれば、反捕鯨国の国民でも過半数が
捕鯨に賛成するという点が重要なのである。したがって捕鯨問題の本質は、一部の反
捕鯨派の政治宣伝に対抗して、事実と合理的な主張により、いかに国際世論の支持を
勝ち取るか、という問題なのである。
 参考文献[3]には、そのための豊富なデータと合理的な主張が掲載されているので、
その中から、いくつか興味深いものを紹介したい。反捕鯨国の人々と話をする機会が
あったら、ぜひこれらを紹介し、啓蒙に努めていただきたい。
■3.ミンククジラは世界で100万頭
 まずは前節のアンケートの設問にも紹介されていたが、クジラの種類によっては、
絶滅どころが増えすぎているものもある。
 1982(昭和57)年に行われた調査では、南氷洋だけで76万頭のミンククジラがい
ることが分かった。この数字は、IWCの本会議に報告され、承認されている。その
後、IWCの科学委員会がさらに詳しい調査を行い、世界中の海には114万頭程度
は生息しているというのが、現在のIWCの公式見解となっている。
 国際自然保護連合(IUCN)により絶滅危惧種とされているナガスクジラは、調
査捕鯨により北大西洋で約3万頭確認されている。ワシントン条約で絶滅危惧種とさ
れるのは、個体数が1千から2千の種とされているので、日本はIUCNがナガスク
ジラを絶滅危惧種としているのを見直すべきだと主張している。
 また生物学的にクジラは年に4~7%ずつ増えている、という調査結果が出ている。
したがって、南氷洋のミンククジラの生存数は76万頭と確認されているので、商業
捕鯨で年に4%、すなわち3万頭ほど捕獲しても、絶滅の心配はない。
 IWCの科学委員会では、これだけの生存数が確認されているのだから、年に2千
頭は獲っても問題はない、と結論を出した。
 日本の調査捕鯨枠としてIWCから認められているのは、南極海調査海域で44万
頭いると推定されているクロミンククジラの850頭、0.2%である。また北西太
平洋調査海域で25千頭いると推定されているミンククジラの220頭、0.9%で
ある。他の種も0.009%から0.4%の幅に入っている。
 このようにIWCは科学的にクジラの種類と海域ごとに生存数が調査され、そこか
らかなりの安全を見て、調査捕鯨の枠が決められているので、調査捕鯨がクジラを絶
滅に追い込む恐れは全くない。
■4.絶滅が危惧されるホッキョククジラを採り続けるアメリカ
 83種類のクジラの中で、絶滅の心配のある種ももちろんある。たとえばホッキョ
ククジラで、北極海には約8千頭が確認されている。
 このホッキョククジラの捕獲を、アメリカは行っているのである。アラスカに住む
先住民族イヌイット族のための「先住民族生存捕鯨」として、年間54頭の捕獲がI
WCにより認められている。
 ホッキョククジラは体長20メートル近く、平均体重が80トンもあり、平均5ト
ンのミンククジラの16倍も大きい。寿命も150歳から200歳の個体が見つかっ
ているので、ミンククジラの50年よりもはるかに長い。
 このようにホッキョククジラは寿命が長く、また極寒の海に住むため、増殖が非常
に遅く、このペースで捕獲していると、ホッキョククジラこそやがて絶滅してしまう
のでは、と危惧されている。
 またトン数で言えば、アメリカは4320トン、日本の調査捕鯨で南極海と北西太
平洋を合わせても、ミンククジラで5350トンと、量的にもそれほど変わらない。
 アメリカは絶滅を危惧されているホッキョククジラを捕獲しながら、世界に100
万頭もいて増えすぎだと言われているミンククジラの調査捕鯨を批判しているのであ
る。
■5.増えすぎたクジラが食糧を求めて沿岸部までやって来た
 各海域におけるクジラの生存数や、クジラの年齢推定方法などは、日本の調査捕鯨
などで明らかになってきたことだが、もう一つ驚くべき事実が判明した。
 長らく、クジラはオキアミ(エビに似た体長数センチほどの浮遊生物)だけを食べ
ていると考えられていたが、実は近年、クジラが増えすぎて他の魚まで食べるように
なってきているのである。
 たとえば、2009(平成21)年に釧路沖で調査捕鯨が行われたが、捕獲された、どの
ミンククジラの胃袋からも大量のスケソウダラが出てきて、関係者を驚かせた。2百
リットル容量のドラム缶2~3本分のスケソウダラ、サンマ、イカ、オキアミなどが
詰まっていた。
 また近年は、大型種のクジラが釧路沿岸で頻繁に目撃されている。
 これらの事実を総合すると、クジラの数が増えすぎて、オキアミなどの餌が足りな
くなり、やむなくサンマやタラを食べ始めたこと、そして大型のクジラもそれらの餌
を求めて、沿岸部に近づいてきている、と考えられている。
 実は、クジラの食害が釧路での漁獲高の急減の原因のようだ。釧路では1980年代に
は120万トンの漁獲量を誇っていたが、2005年には12万トンと10分の1にまで
減ってしまっている。
 クジラによる食害は、釧路ばかりではない。函館では伝統的にイカ漁が盛んで、夜、
集魚灯をつけてイカを集める。そこにクジラが大量にやってきて、集まって来たイカ
を食べてしまう、というのである。カナダやアメリカの漁民の間でも、クジラの食害
問題が浮上し始めているという。
 日本鯨類研究所の試算では、1年間で地球上の人類が採る漁獲高の総量は約9千万
トンであるのに対し、地球上のクジラが食べる魚の総量は3億トンから5億トンとさ
れている。
 クジラの商業捕鯨を再開して、適切な生存数をコントロールすることによって、鯨
肉の供給だけでなく、人類全体の漁獲高を大きく増やすことができる。これが迫り来
る食糧難への有効な対応策なのである。
■6.地球環境を心配なら牛肉よりも鯨肉を
 鯨肉は、環境面においても、また健康面においても、牛肉などよりははるかに優れ
た食材である。
 まず環境面から見てみよう。牛肉を生産するのと、クジラを獲るのとではエネルギー
効率がまるで違う。
 鯨の場合は、鯨肉一キロカロリーを得るのに、小型捕鯨船を使った場合、1キロカ
ロリーの燃料を消費する。牛肉1キロ分を生産するには約120キロの穀物飼料が必
要であり、それだけの穀物を生産するには、1200キロカロリーの燃料を必要とす
る。カロリー効率で見れば、鯨肉は牛肉の1200倍ということになる。
 また牛は大量の糞尿を出し、これが土壌を硝酸化する。さらに牛の発するゲップか
ら大量のメタンガスが排出される。アメリカだけで数億頭の牛を飼育しているので、
地球の温暖化にとって無視できないほどだという。
 海に棲むクジラには、こういう環境汚染の心配はない。鯨肉は牛肉に比べて、格段
にエコな食材であると言える。地球環境危機を心配する人なら、牛肉よりも鯨肉を食
べるべきなのである。
■7.鯨肉は優れた食材
 栄養面でも、鯨肉は大変に優れた食材である。100グラムあたりのタンパク質含
有量では、牛肉赤身の17~18グラムに対して、鯨肉の赤身は24~25グラムも
あり、動物性タンパク質の中ではもっともタンパク質含有量が高い。
 このタンパク質が口中で噛まれることによってアミノ酸となり、それが生命体の活
力源となる。また、このアミノ酸がうまみとなるので、鯨肉は美味しいのである。
 コレステロールが少ない点も、健康食として多いに注目されている。100グラム
あたりのコレステロール量は、牛肉が72ミリグラム、豚肉が61ミリグラムに対し
て、鯨肉は38ミリグラムしかない。
 健康に関心のある人なら、EPAやDHAという用語はおなじみだろうが、鯨肉は
これらを多く含む。EPAは脳溢血や心筋梗塞などの血管系の病気の予防に効果があ
り、またDHAは脳を活性化して学習能力を上げたり、眼の老化防止、疲労回復の機
能がある。
 牛肉、豚肉、鶏肉を食べてアレルギーになる人はいるが、不思議なことにクジラで
アレルギーになる人はいない。そこでアレルギー体質の子供のために、鯨肉を供給す
る運動も行われている。
 なぜ鯨肉にはアレルギーが出ないのか、理由は分かっていないが、一つの有力な仮
説として、南氷洋で捕れたクジラには発ガン性を持つPCBや、水銀などの汚染物質
がきわめて少ない点が挙げられている。他の魚の平均に対し、PCBは2700分の
1、水銀は15分の1である。
■8.捕鯨は我が国の国際的使命
 適切なコントロールのもとで商業捕鯨が再開されて、このような優れた鯨肉が供給
されたら、どうなるか。先進国においては、消費者は地球環境にも人体にも優しい健
康食として、牛肉よりも鯨肉を歓迎するだろう。また発展途上国においても、安価な
タンパク質源として、栄養状態の改善に貢献するだろう。
 その分、牛肉の需要は落ち込み、価格は低下する。困るのはオーストラリアやアメ
リカなどの牛肉輸出国である。これらの牛肉輸出国が代表的な反捕鯨国であることか
ら、反捕鯨国の真の狙いは牛肉輸出を維持することだ、という穿った見方が出てくる。
 それが真実であるかどうかは別にして、鯨肉の利用拡大は我が国の食料自給率を高
め、かつ世界の食糧問題、環境問題の解決に向けて効果的な対策になりうるのである。
 反捕鯨プロパガンダに対抗して、このような事実と論理によって捕鯨の妥当性、必
要性を粘り強く訴え続けていく事は、我が国の国際的な使命と言えるのではないか。
(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(097) クジラ戦争30年
 捕鯨反対運動は、ニクソンの選挙戦略から始まった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog097.html
1. 産経新聞、H22.02.23、「捕鯨問題 ラッド首相を批判 豪紙『対日関係育成を』」
東京朝刊、3頁、総合3面
2. 産経新聞、H22.02.25、「年間300万頭のカンガルー撃つ豪州に「反捕鯨」唱え
る資格なし」東京朝刊、8頁、国際面
3. 小泉武夫『鯨は国を助く』★★、小学館、H22
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4093878978/japanontheg01-22/

世界初の日本製宇宙ヨット、金星へ行く。

Venus

日本初の金星探査機「あかつき」など大小6基を搭載したH2Aロケット17号機が21日午前6時58分、鹿児島県・種子島宇宙センターから打ち上げられた。早稲田大と創価大、鹿児島大の小型衛星3基が地球周回軌道に投入された後、宇宙航空研究開発機構のあかつきが無事分離、打ち上げは成功した。
宇宙機構の宇宙ヨット実証機「イカロス」、大学・高専連合の「UNITEC(ユニテック)―1」も金星へ向かった。
あかつきは12月に金星周回軌道に到着。5種類のカメラで高速回転する分厚い大気を2年間観測する。約46億年前の太陽系誕生時には地球と双子のように似ていたはずの金星が、なぜ二酸化炭素による温暖化で灼熱(しゃくねつ)の星になったのか、謎の解明が期待される。
イカロスは、1辺が14メートルある四角い薄膜の帆を広げ、太陽の光の粒子を風のように受けて進む宇宙ヨット。この推進方式はソーラーセール(太陽帆船)と呼ばれ、航行に成功すれば、世界初の快挙。宇宙機構は将来の木星探査への応用を目指す。
ユニテック―1は、学生の衛星が世界で初めて地球重力圏より遠くへ飛行する。微弱な電波信号の解読実験や、6大学のコンピューターの生き残り競争を行う。イカロスとユニテック―1は金星近くを通過する見通し。
日本の惑星探査は、2003年12月に「のぞみ」が火星周回軌道に入るのに失敗して以来。一方、小惑星探査機「はやぶさ」は05年11~12月に「イトカワ」の砂利採取を試み、今年6月13日に地球に帰還する予定。あかつきは当初、中型ロケットM5で打ち上げられる計画だった。M5廃止で大型のH2Aに変更されたため、相乗り衛星が募集された。打ち上げは18日朝の予定だったが、悪天候のため直前に延期された。(了)
[時事通信社]

太陽の粒子と言う風を受け、宇宙を航海するという帆船(ヨット)だという。日本の宇宙技術は、今後の国力の核になっていくだろう。ロボット・通信工学との連携する新領域の進化が、世界の技術大国としての矜持に繋がる。
確かに国の経済状況は大変だろうが、さまざまな人的・技術的な価値を生み出す、未来への投資は続けてもらいたいと願う。

運転士を育成資金自己負担で公募するという、第三セクターの荒技

4月29日16時18分配信 読売新聞
第3セクター「いすみ鉄道」(本社・千葉県大多喜町)は28日、全国初の公募運転士4人の採用内定を発表した。
 同社が所有するディーゼル車運転の国家資格を取得するには、1年半から2年の訓練が必要だが、この間の費用700万円はすべて自己負担というのも異例。内定者は5月10日の正式採用後、同社の契約嘱託社員として訓練に入る。
(中略)
 内定者からは「子供のころからあこがれていた運転士の座が目の前にある」「人生の後半を夢の実現に挑戦したい」「鉄道を通じて地域社会に貢献したい」など、従来は鉄道会社員しかなれない運転士への可能性が開けた喜びの声が上がったという。http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/local/local_transportation/?1272539431
最終更新:4月29日16時18分

第三セクターも現在のマーケットの病巣をしっかりと理解しているらしい。もはや市場には、夢中になるほど欲しい物は、一般的にはには存在しないということだ。第三セクターの課題を一挙に解決するこういう手法は、賞賛に値すると思う。
それにしても鉄道マニア=鉄ちゃんの情熱は凄まじい。雨の日も雪の日も、路傍で電車を撮影している彼らを見るたび、魔力はさまざまなところに遍在しているのだなと痛感する。まさに鉄道の極「道」である。

乗客数110万人近くを記録、デリーメトロ(インド)

 

首都デリーを走る都市高速鉄道(デリー・メトロ)の1日の乗客数が21日に
109万2,780人に達し、過去最高を記録した。道路の渋滞や炎天下での運転を
避けて、鉄道に乗り換える人が多かったためとみられる。
デリー・メトロは今月初めにインデルロク~ムンドゥカ間のグリーン線が開
通して以来、乗客数が連日100万人を超えていた。19日には過去最高となる
105万8,664人を記録したが、これをさらに上回った格好だ。
この日は最大野党インド人民党(BJP)によるデモが予定されており、道路
の渋滞が見込まれるとして、交通当局や警察がメトロを利用するよう通勤者
に呼び掛けたことが背景にある。また、40度を超える暑さが続いていること
も、車にエアコンがないドライバーにメトロへの乗り換えを促したようだ。
これまで郊外の自宅から市内の職場に車で通っていたソフトウエア技術者の
ソウミャ・シンさんは、渋滞や暑さを避けるため1週間ほど前からメトロでの
通勤に切り替えたという。「今は救われた気分。以前は、道がすいていれば
職場まで車で20分の距離を1時間以上もかけて通ってたんだから。メトロは
空調も利いていて、快適だわ」と語る。
路線の拡大と利用者の増加を受け、デリー・メトロ鉄道公社(DMRC)は新た
な列車の導入を進めている。現在はグリーン線を含め全5路線を100編成以上
の列車が走っているが、10~15日間ごとに1編成が追加されている。
(C)NNA-PTI通信

確実に都市としての機能が充実しつつあるデリー。確かにあの渋滞に毎日巻き込まれていることを思うと、耐えがたいだろう。5月は気温が40度以上になるし、自動車のクーラーも効かないだろうし。(実際、日本車のクーラーだって、効いてても涼しくはない)デリー(インド)の成長には、こういうインフラの整備が欠かせない。まだまだ成長するインドは、今後何十年も魅力的な市場だ。

パチンコ換金合法化?カジノ法制化って、なんですか?

Onlinecasino

カジノ議連きょう発足 パチンコ換金、合法化検討
カジノ合法化法案の成立を目指し14日に発足する超党派の「国際観光産業振興議員連盟(カジノ議連)」は13日、警察の裁量で換金が事実上認められているパチンコについてもカジノ法案と同じ仕組みで立法化していく方針も固めた。カジノを合法化すれば「パチンコは賭博ではないのか」との議論が起こりそうなため、パチンコによる換金も行政の監視下で合法化させるのが目的だ。
 カジノ法案では、カジノについて、国や地方公共団体が運営を厳格に管理、監督することを定めることで、刑法が禁じる賭博の「例外」扱いにする。民主党の案では、地方公共団体の申請を受けた国がカジノエンターテインメント(特定複合観光施設)区域を指定。地方公共団体は、運営する民間事業者を公募・選定し、警察と協力して違法行為の摘発、監視も行う。
 一方、パチンコは現在、「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(風適法)」で「遊技場」と位置づけられ、獲得賞球は、日用品などに交換することになっている。しかし、金地金などの特殊景品に交換し、外部の景品交換所で現金化されることが多い。現金化は「事実上の賭博」にあたるものの、警察が裁量で「黙認」しているのが実態だ。
 パチンコ業界は客離れの加速とともに、ギャンブル性の高い遊技機の導入が増え、「庶民の娯楽からかけ離れつつある」との指摘もある。これを踏まえ、議連はパチンコも国や地方公共団体が管理、監督し、「健全な庶民の娯楽の場」として再生を図りたい考えだ。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100414-00000056-san-pol

確実に、逼迫した財政の地方公共団体等が藁をもすがるように飛びつくことは、眼に見るようです。こういうくだらないポピュリズムに陥った国が、どういう末路を辿るかを想像してみてください。
確かにモナコ等、ギャンブルとハイブローな社会が共存している場所もありますが、一朝一夕に生まれるはずもなく、早晩日本のカジノはイカガワシイ場所になるでしょう。そこにパチンコの話も入ると、どういう意味かわからなくなりませんか?こんなのは庶民からまともな生活をはく奪する装置にしか過ぎません。どうして健全な社会になるのでしょう。
理想的には、パチンコの換金禁止するべきでしょう。それが出来ないのならば、こんな法律は廃案にして現状に任せておけばいい。そのうちパチンコをするような人はいなくなるだろうから。
百歩譲って朽ち果てる地方都市を救うために、観光都市を創出するつもりならば、カジノ指定都市における外人観光客に対するサービス限定にするべきじゃないでしょうか。それでもマカオ等と競合していくなんて、役人根性で経営できるはずもなく(民間に任せるとか言ってますが、手綱は手放さないですから)結局第3セクターの潰れたテーマパークと同じで、税金の余計な投入にいたると。まるで馬鹿げてると思います。
日本が今後どういう道徳と良識を持って生きていくべきか、真剣に議論できない老害を今こそ根絶するべきです。