A Vacation in Bali

バリ島に滞在している。
スミニャックという地域で、デンバサール空港から三十分くらいの土地であり、東京でいうと代官山(十年以上前の)ような場所であり、つまり少しずつハイファッションなヴィラ、レストラン、ブティックが出来ているという具合である。オーストラリア人、欧州の人たちが多く、バリ一番の観光客である日本人は少ない。どうも欧米人はアジアのツーリストから逃げたいらしい。彼らのオリエンテリズムの満喫を阻害する要因にしかならないのだろう。観光というイメージの消費の求められる土地では、どうしても生活が演劇的にならざる得ない。欧米人にとってアジアはファンタジーであり、いつまでも神秘的(野生的)でなくてはいけない。
またバリの人は親切でありながら、ずるいところがある。元来性質のいい人たちなのだろうが、貨幣価値が数十倍は違う国の人たちのせいで、オカシクなってしまっているのだろう。勿論、日本人の責任も少なくはない。そして彼らは日本語を喋る人が多い。
それを金を稼ぎたいから喋るのだろうと、皮肉るのは簡単である。しかし元来インドネシアは、五十余年前にオランダの植民地から、日本人が加担して独立を勝ち取った国なのだ。いまでもウブドの独立戦争の英雄が眠る墓地には、日本人の軍人が眠っている。特に若い日本人はそういう歴史を知らない。もっと正面からインドネシアと対峙していい。が、いつでも欧米人の文化のフィルターを通して評価してしまう傾向が強いと思う。
日本は欧米の眼差しのイミテーションで満足するのではなく、アジアの同胞として、こういう土地の日本語を学んでいる人々を真っ当に評価するべきである。バリの人に聞くと、そこまで日本語を喋れても日本に来ることは(経済的な理由で)難しいそうだ。
こういう日本語を学んでいる人の資源はなによりも大事であり、もっと日本の政府も経済会もスカラーシップのプログラム充実させて、馬鹿な外交での無駄な支出を、意味のある交流に注いで欲しいと切に願う。

並木通りのカルティエ

腕時計が壊れた。十年間順調に動いていてくれ、ある日突然止まってしまったパシャCだ。思い起こせば、4-5年で整備に出してくださいと言われていたのを、うっちゃっていたせいである。それで銀座の高級ブティックと高級クラブが軒を連ねる並木通りに出かけた。

並木橋のカルティエにはカスタマーセンターがあり、製品の修理を受けつけてくれる。ドアマンのいる入り口から、横の階段を地下に降りると、革張りのソファが上品に配置され、美しい担当の方が修理を承る。カルティエの雑誌、モダンなフランスを感じるインテリア。やはり宝飾品の修理センターで、同じ高級品でもオーディオの修理センターとは別次元である。僕は修理を頼むと、分解整備になるという。金額は五万円程度。きちんと磨いてもらえるそうで、約一ヶ月預けることになった…やれやれ。
高級な商品を取り扱うに相応しい店の対応とコストであるが、もう少し気軽な方がいいなと思うのは身分に相応でないからだろう。なにしろ時計なんだから、綺麗な白衣を着た修理職人が対応してくる感じが良いのだと思ってしまう。でもそこでは、上品で綺麗な方々が慇懃に対応してくれるのである。満足できない僕が変なのである。

外に出るとショーケースには、美しいブローチが飾られていた。記憶が正しければ、オリジナルは二十世紀初頭のアールデコの頃のものだ。(写真のものです)そのデザインを模倣して再生したのだろう。でも初めて本物を見たので感激した。
過去の華美なフランス文化に思いを馳せる。憧れはありつつも、そういう奢侈の生活について僕の器量は妥当なのかと、軽い居心地の悪さを感じた。
<tokyotaro>

中国ってやはり…大変なんですね。

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中国の反日暴動の件を書いたとき、日本人が過剰に反応するなんて馬鹿らしいと書きました。
そんなことを思っていたら、こういうニュースです。貧富の格差の問題があって、日本人がまともに言ってることに対応すれば、不満がなくなるなんてものじゃないんですね。
中国・安徽省 1万人の群衆暴徒化 派出所破壊、スーパー襲撃
 【北京=野口東秀】中国中部の安徽省池州市で二十六日、一万人の群衆が交通事故をきっかけに暴徒化し、パトカーや派出所を破壊したほかスーパーを襲撃する騒ぎとなった。鎮圧に出動した武装警察隊員六人が負傷、警備当局は首謀者として参加者十人を拘束した。
 中国国内では、地方住民が警備当局と衝突する大規模な事件がこのところ相次ぎ発
生。今回の事件も、ささいなきっかけで騒乱に発展する中国社会の不安定ぶりを示す
ものとなった。
 地元紙「池州日報」などによると、きっかけは乗用車が歩行者をはねたうえ、被害
者が運転手から暴行されたことだった。市民の通報で警官が派出所に運転手を連行し
たが、群衆が派出所を取り囲み、人数は一万人近くに膨れ上がった。
 このうちの「少数の不法分子による扇動」で群衆が騒ぎ始め、乗用車をひっくり返
したほか、パトカーや消防車にも襲いかかり、派出所にも放火した。近くのスーパー
も襲撃され、商品が略奪される事態となった。
 地元当局は事態の拡大を重視、市幹部の緊急会議を開催。交通事故発生から九時間後に武装警察部隊約七百人を出動させてようやく鎮圧した。これまでのところ、騒ぎの理由に関する住民側の情報は伝えられていない。
 最近明らかになった中国国内の騒乱では農地の強制収用をめぐり、農民と工事関係者らが衝突するなどのケースが多い。今月だけでも、河北省で立ち退きの補償金をめぐるトラブルで、村民らが猟銃などで武装した二百-三百人の集団に襲撃され、五十人以上が死傷。広西チワン族自治区でも、立ち退きを拒否する住民と警官隊が衝突し、多数の死傷者が出ていた。
(産経新聞) – 6月29日2時57分更新
まあこういうことで反日も何も単なる気分の旗に過ぎないってこと。こういう社会不満の塊がなくちゃ、革命が三十年毎に起きる国なんてありえません。
<tokyotaro>

May the force be with you!

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ダース・ベイダーがウーロン茶を飲んでいるのは、25日未明の六本木ヒルズ。午前三時過ぎにハートランドで騒ぐ外人たちの歓声を受けながら、六本木ヒルズを歩いていたダースベイダーは私です。30代半ばの男がダース・ベイダーになってしまうのも、ダーク・フォースの威力でしょう…それにしても、スターウォーズのシリーズの完結が、異様なフェスティバルになっていますよね、アメリカでは経済損失になっているそうです…馬鹿は多いんです。
思い出せば、私がかわいらしい小学生だった頃、香港の九龍にある劇場、『星球戦争』の看板を見たのが最初でした。その一年後日本で公開され、いまだから言えるんですが、生まれて初めて学校をサボって見に行ったんです。まさにダークサイドに入り込んだ瞬間でした。
欲望を律するジェダイではなく、どうしても感情に生きて悪に染まる方が魅力的なのかもしれません。<tokyotaro>

薄型TVが欲しくなり…

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プラズマTVと液晶TVどちらがいいのだろう。当初は自動車一台くらいの値段がしていたのが、いまでは50ccバイク程度になっている。
秋葉原の店員に訊いてみると、プラズマが暗いというのは迷信らしい。暗いわけではなく、店頭の蛍光灯が映りこんでいるからだそうであり、自宅では問題という。液晶の方が文字情報は読みやすいが、スポーツでは残像が残りやすい。でも両者欠点を改善し、新しいモデルでは遜色ないらしい。唯、電気代はプラズマの方がかかるそうである。そのうち話がこんがらがってしまい、私の理解が追いつかなくなる…。
でもひとつ理解できたのは、シャープの液晶は目に優しいということだ。ぱっとみるとソニー、パナソニックは店頭では綺麗であるけど、目には長時間だと辛いそうである。シロウト目にはソニーの画質はいいと感じると言ったら、それはまあ好みの範囲であって、正当な評価にはならないそうだ。それにインテリアに気を配るなら、シャープですよと最後に彼は言った。広告の影響が多分にあるんじゃないかなと思う。
それにしても、トリビアのように知識を披露し、買うかどうか分からない客に熱く語ってくれたオタク系店員には感謝している。
<tokyotaro>

東京のイタリア料理

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イタリア料理というと、僕は六本木通りにあったニコラスの看板を思い出す。
ニコラスは、六本木通り沿いにピザを抱えた男の漫画風なイラストの看板を掲げていた。1970年代初頭の六本木の存在しない光景と看板の意匠が、今でも奇妙に脳裏に焼きついている。調べたところ、ニコラス六本木店は1954年にオープンし、リニューアルして現在も営業をしているそうである。1980年代後半<バブル>までの東京では、ほぼ真っ当なイタリア料理なんて存在しなかった気がする。六本木のキャンティー、シシリア、代官山のAnotio、くらいがイタリア料理屋と呼べるものだったと思う。まだ六本木界隈が静かな住宅地だった頃である。
僕は1980年代の半ば、コモ湖にある知人の家にホームステイしたことがある。その家には、専属のシェフが住んでいるような立派な家だった。厩舎が庭にあるような、典型的な北の成功者の家庭だった。ちょうどイタリアが政治的な不安を抱えていた時期だったので友達の両親は独りで外に出ることを許さず、ほぼその家(といっても東京ドームくらいの敷地)で一日中過ごしていた。それで暇にしている僕に、その家族がピザの作り方を教えてくれた。生地からオリーブオイルを混ぜて練り、しばらく寝かし、最後に30センチくらいに伸ばして、チーズとバジルをちりばめてからオーブンで焼く。その夜の夕食に、初めて僕で作ったイタリア料理(?)をイタリア人が食べてくれた。
思い出すと、その当時のイタリア料理はオリーブオイルを大量に使っていたし、味がしっかりしていた。その10年後訪れたときには料理が全体的に軽くなっていた。
近頃東京で評価されているイタリア料理は、ほとんどが90年代以降の店である。勿論、30代前半のシェフがイタリアに修行したとかいう店なら、せいぜい97年以降の話である。だから味があっさりしている気がしてならない。
東京のイタリア料理は、和風イタリア料理と最新のトレンドの両極端であると思う。外国料理を、その国以外で評価するのは難しい。但し、日本のイタリアンは悪くはない。<全体的にはとても平均点が高い>
ちなみに僕が東京で食べたイタリア料理のベストは、90年代当初の恵比寿のイル・ボッカローネと、90年代後半のラ・ゴーラ。どちらも味がしっかりしていて、料理の骨格が明瞭だった。
そんなことをつらつら書いていると、何がなんだかわからなくなってくる。文化を頭で食っているのか、それとも素材を食べているのか…。まあそれはともかく、ニコラスのピザの看板から想像したかつてのイタリアの料理が、何よりも食べてみたい。
私は遠い記憶を食したいのだと思う。
<tokyotaro>

蕎麦と東京の記憶

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僕にとって、蕎麦は東京の記憶と繋がっている。
十年前くらいからだと思うが、蕎麦のヌーベルバークとして手打ちの新たな蕎麦などが出回っている。大抵、店のインテリア、そば猪口等から個性的あって、味が悪いというわけではない。それなりに真剣なスタイルの確立を目指している。但し、亜鉛版のインテリアであったり、鉄もどきの陶器であったりと閉口することは多い。でも大抵の食通とかいう雑誌には評価されている。水、そば粉等に拘り、手打ちのしっかりした食感に良いところがあるらしい。記事を読んで期待し、試してみることも少なくない。しかし僕にとっては、現代風の田舎そばに過ぎないと思う。蕎麦に関して僕はとてもコンサバティブである。
そういう僕が好きな蕎麦屋は、浅草、神田、赤坂等にある。中でも、祖母と通っていた三十余年前の想い出があって、赤坂の『砂場』が好きである。もはや韓国街になってしまっている赤坂において、かつて料亭が賑わっていた頃の風情をいまでも感じさせてくれる。
祖母は松竹蒲田で女優をしていた明治の女であり、僕が幼い頃に他界してしまった。その頃、祖母に手を引かれて歩いた記憶に見える光景は、青山通りを歩く左翼学生デモの群集、日劇のミュージックホールの電飾、青山ユアーズにあった芸能人の手形,,晴海通りを走る都電であったりと、今は失われてしまったものばかりだ。その同時代に力のあった事柄は、すっかりと消滅してしまった。
蕎麦をすすっていると、江戸の町人も同じような味を食っていたのだと感じいる時がある。江戸では辛い汁に蕎麦をささっとつけて食ったと、落語にもある。江戸でも、さまざまな地方から人が流入したこの五十年を経ても失われることなく、東京で同じような味が受け継がれて来たのだろう。
無論、懐古趣味というのはいやらしい。わざとらしく過ぎ去った時代を演出しているような店の、苦々しい馬鹿らしさを憎む。だからこそ、今も連綿と供される東京の味や文化を大切にしたいと思う。
僕は今日も、祖母と一緒に食べた蕎麦をすすっている。
<tokyotaro>

戒厳令の白昼夢

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本物の戦闘用特殊車両が白昼に六本木ヒルズを方面を疾走していた。巨大なダンプカーよりも大型な車両である。右翼の抗議行動が激しくなっている近隣大使館に、(機動隊では役不足になってしまったて)派遣されたのだろうか…。しかしそれは杞憂であって、乗っていたタクシーの運転手が言うところ、自衛隊が協力したTVドラマのPRだそうである。
頑丈な装甲を持っているフォルムには迫力と機能美を感じた。さすがに操作は難しそうで、三名が四方に眼をやりながら操縦していた。それにしても迫力があり、普通の撮影用のハリボテとは違っている。こういう車両が攻撃をしたら、きらびやかな高層ビルも一瞬で廃墟になってしまうだろう。口径百ミリ強の機銃が陽光に輝き、異様な美しさを醸し出していた。それを否定するとか、肯定するとかを別にしても、武力はある種の生命力と連結していると思う。現実的に巨大な武力を見ると、畏敬を感じてしまう。
六本木ヒルズのルイ・ヴィトン前を疾走する戦闘車両は異様でした。こういう武力が活躍しない世の中であってほしいものです。
<tokyotaro>

ゴルファーは禅が大切?

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ゴールデンウィークは書くことをさぼり、友達に誘われてゴルフをやった。千葉県の房総半島にあるコースで、晴れ渡ったグリーンと海から吹く風を感じていると心地が良かった。とても素晴らしい景色を見ながら、プレーが出来る。それでもゴルフをするたびに、やれやれと思う。なんでこんなプレーをしてるんだろうと。それでも同じ過ちを繰り返してしまうのである。
最近のゴルファーの技術と道具の進歩は著しい。昔、父がパーシモンのクラブを使っていたことが信じられないくらいである。女性ゴルファーでも、250ヤードを軽く飛ばしてしまう。それでもゴルフの本質は、道具でも技術でもなく、心にあるのだと思う。なんだかそう書くと、宗教くさい話になってしまうかもしれないけど。
ゴルフは止まったボールを打つだけである。野球、サッカーのように誰かが邪魔するわけでもない。何からも自由であるからこそ、心の影響を受ける。僕のようなへたくそ初心者でも、心が一番の障害であると感じる。
そんな時、『禅ゴルフ』の本を見つけ、読んでみた。なるほど思う。ゴルフの練習場から、すでに心のゲームははじまっているのだなと。まさに人生の戯画のように感じる。
そのひとつの話のあらすじは、こんな感じである。ある僧侶が茶を新入りの僧に入れる。茶器から茶がこぼれても僧侶が注ぎ続ける。すると新入りの僧がいう。『もうこの器に注ぐことは出来ません』と。すると僧侶は、『世間のものが詰まった器は、一度空にしなくては多くを学べないと』。ゴルフも同じく我流に拘泥し、新しいことを聞くことが難しい。確かにそれまで調子が良かったなら、そのやり方を捨てきれない。
先日、タイガーウッズがマスターズで勝利した。スイングを大幅に改造し、スランプを経ての勝利である。そういう姿勢には、畏敬の念を感じずにはいられない。

「時計」を欲しくなってしまう私


バーゼルの展示会から友達が帰国し、「新作の時計が良かったよ」と言った。僕は機械式時計の新作が出るたびに気になってしまう。我ながら、なぜだろうと不思議になってしまう。
機能としての時計は、クォーツにはじまり、デジタル、電波時計と精度は飛躍的に高まっている。しかも機能を追及した商品は価格が安い。考えてみると、二十年ほど前に機械式時計を欲しがる人は未だ少なく、本当に値が上がってきたのは二十一世紀になってからだと思う。普段の時間は、携帯電話、パソコンで十分であるし、所有欲をそそる何かがなくては「時計」は存在できない。
スイス時計業界が機械式時計の復権を願って、80年代にSWATCHのプロジェクトをはじめ、それから機械時計はファッションとして一般化していく。現在では老舗ブランドだけでなく、新しいブランドが高級品として機械時計の評価を得、もはや一部の好事家の世界ではなくなっています。ルイ・ヴィトン、グッチ等、ファッションブランドが本格的に「時計」ビジネスを始めたのも、それを加速化させているのでしょう。
欧州のアンティークショップで買ったのロレックス、ゼニス等、何個も持っているのですが、それでも欲は尽きない。そういう物欲を恐ろしいと思いながらも、ベダ社のNo.8という時計が気になっています。1996年に設立されたメーカーで、グッチのグループにいるそうです。
それにしても、自分が好きになるデザインの傾向がいつも一緒なんですよね。<tokyotaro>