川崎の運河に「人食いザメ」
26日午前9時ごろ、川崎市の千鳥運河から体長約4.8メートルのホオジロザメが死んだ状態で発見された。ホオジロザメはどう猛な性格で「人食いザメ」として一般的に知られている(26日午後、川崎市川崎区)(時事通信社)
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東京近辺でサーフィンをしている者にとっては、信じたくない話です。ハワイ、沖縄等では、確かにサーファーを襲うという事故が少なくないのです。が、関東にホオジロザメがいるなんて初耳です。しかも東京湾とは…。
くわばらくわばら…。
<tokyotaro>
靖国をめぐる内政干渉を考える
現在の私たちの生活は、第二次世界大戦における多大なる犠牲のもとに成り立っています。これは紛れもない事実です。国を守って亡くなった方々を祀る感情は、まさに正しいのです。
しかし靖国神社における問題に関しては、1980年以降(A級戦犯の合祀以降)次第に注目され、特に小泉首相の参拝には中国の批判が絶えません。当然の行為が責められる理由は、ひとつは歴史認識であり、ひとつは宗教観の違いです。
当時、思想の問題、経済的な問題、人種的な問題等さまざまな課題がありました。当時日本は「近代の超克」を掲げ、西欧からの自律性を主張しましたが、その考えは完全に駆逐されたという点が、その敗北の意味する所です。日本の姿勢は、多くの有色人種の自律を促しました。しかし日本では、霧散してしまいました。敗北までは、確かにその骨格としての「装置」として、靖国神社は機能し、また当時の天皇制も機能していました。
日本の宗教的な背景は、「やおよろずのかみ」であって、包容力の高い宗教性を有した国民であり、だからこそ、仏教、イスラム教、キリスト教に関しても偏見なく、受け入れてきたという歴史があります。(江戸時代のキリスト教徒の弾圧は、まったくの政治的な問題です)だからこそ、祟りを恐れて祀ることもあり、また英雄を祀ることもあり、しかも日本人が霊性を感じるのは、山、滝もあり、人においてだけでもありません。
しかし戦争中、国体を強固なものにする目的で、本居宣長のいう「やまとごころ」と「からごころ」を一緒くたにしてしまった。平易に言えば、「やまとごころ」はゆるやかな集合意識=「やおよろずのかみ的なもの」、「からごころ」は文化された骨格=「中国・韓国からの大陸的なもの」でした。
蓋し、靖国問題について、中国は「からごごろ」から批判する。日本は「やまとごころ」から納得がいかない。なぜなら当時の国家システム=「装置」は、六十年前に消滅しているからです。
では中国の言うように(政治的に)、またその「装置」が復活しうるのでしょうか。私はあり得ないと断言できます。なぜならもはや、「近代の超克」を意図したときのような、歴史的な意義は世界から喪失しているからです。
1990年代に冷戦は終結しました。それから十五年、天皇制も、憲法九条の問題も再度検討し、それから日本は新しい装置を構築する局面を迎えています。(なぜなら現憲法・体制は、アメリカの冷戦シフトの産物だからです)それがどういう形であれ、民主主義国であるのだから、議論をし、国民に提示されていくべきです。
確かに中国的な考え方では、国家元首の参拝=装置の復活に繋がるという図式になります。それならば、パラダイムのギャップを埋めるべく現実的な解決を促すべきです。少なくとも中国の歴史教育の転換とセットで話し合うべき問題であるはずです。
日本は中国に関して、一方的に譲歩する必要はありません。説明していくことしかないのです。譲歩するということは、その批判を認めることです。納得もしていないのに認めることは、絶対に正しくないのです。それは一時的な納得を促しても、経済面も含めて、将来大きな禍根となるでしょう。
※歴史的な背景について、イギリス人の歴史家クリストファー・ソーンが、『太平洋戦争とはなんだったのか』において非常に公正な視点で歴史を語っています。(偏向なく歴史を知るには良い本です。)
<tokyotaro>
フェルメール・レンズ・記憶
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『デルフトの眺望』という画は、オランダの画家・フェルメールの作品である。初めて図録で見た時、十七世紀を覗く窓のようだと感銘した。作品はハーグにある、マウリッツハイス美術館にあり、僕は一度本物を見たことがある。勿論本物も素晴らしいが、図録でも十分に真価は味わえる。
僕が感銘したのは、その写真のように精密な外光の表現ばかりではなく、当時十七世紀、オランダ・デルフトという土地の記憶である。この土地は、陶器を通じて日本との繋がりが深かった。画を見、長崎の出島を出たオランダの商船の積荷が、ここに降ろされていたのだという証拠を見た思いがしたのである。東インド会社は、東洋の富を欧米にもたらし、欧米からは日本に銀がもたらされた。(金の兌換価値が日本の方が低かったので、多くの金が欧米に渡った)また陶器という文化は、デルフトに製陶を伝播し、有名なデルフトのブルーには、蓋し有田のブルーを感じる。
フェルメールは、カメラ・オブスキュラというカメラの装置を通じ、レンズを通じて見た世界を描いたと言われている。レンズを通じた世界(映画、TV、報道写真)を、世界の姿だと信じている=洗脳されている私たちだからこそ、フェルメールをリアルに感じるのかもしれない。フィルムが発明されたのは、十八世紀当初の銀塩式であるが、それまでは画像を定着できなかった。だからカメラの見た光景は残っていない。だからその映像を、当時の画家が描きたいという心情は想像に難くない。
レンズは総てを光として等価に描写する。艀も、船も、運河も、人も。その等価性=客観性は、人の眼で描かれた世界とは微妙に違う。外の光のそのままに残すこと=リアルな世界であると私たちは感じる。
十七世紀のオランダにある港町・フェルメールの描いた船の船倉には、日本の陶器があったかもしれないし、長崎を出島を出入りした船かもしれない。そこには、リアルな時代の空気がある。
確かに神の眼を巡る「ミメーシス(世界をありのままに描く)」の問題は、現在レンズが担っている。しかしレンズの世界は編集方法の高度化で、リアルとは乖離されつつある。テロリズムを巡る政治の問題は、もはやレンズの問題である。
レンズの世界の黎明期を見つめることで、また新たな世界の眺め方のヒントを見つけられるかもしれない。
<tokyotaro>
サーフトリップ:東京→鹿嶋→日立
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台風18号が来る。
都内から鹿嶋へ高速道路を走ると、一時間半で鹿島灘へ出た。
鹿嶋は古来より、風土記にも記されている土地である。鹿島灘は太平洋に面し、荒々しい海が一面に拡がっている。空は果てしなく、水平線の果てからスウェルがやってくる。ちょうど台風の影響で普段よりも海は荒れていた。
サーフィンに良いかたちの波ではなかった。潮来から国道51号を北上すると、旭村に至る。鹿島灘を望む眺望は素晴らしく、気持ちの良い場所である。かつてヴィラトレディオという名の瀟洒なホテルがあったそうだが、現在は営業していない。やがて塩が満ちた海風に朽ち、廃墟となってしまうだろう。海岸に降りると、3-4人のサーファーが海に入っていた。オンショアの風が強く、ちょっと入る気持ちにはならなかった。確かに、ここにホテルがあっても、遁世を望む人しか来ないかもしれない。
そこから大洗へ北上。30分程度の道のりである。大洗のサンビーチで、買ったばかりのショートボードに乗った。いつも乗っているロングよりも1m以上短いので、自転車から一輪車に乗り換えたような感覚である。荒い波に揉まれながらも、ショートボードを楽しんだ。
翌日、大洗から日立へ北上する。距離にして40kmくらい。
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日立は工場もあるので、海岸の状況が想像できなかった。が、港の横にある浜は、とても綺麗だった。そこから丘に昇ると、日立の白い灯台が陽光に輝いている。海見ると、波がアウトで割れていた。潮が速いというので私は海には入らなかった。数人が浜から500mはアウトへ出て行くのを見たが、ガイドによると満ちると戻れなくなるらしい。
波がいいのに誰も入らないのは、なぜ??と思う。湘南ならショッカー軍団のように黒山になるだろう。
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その帰り、大洗海岸で入った。すると、見た目よりも潮の力が強く,辛かった。日立の潮の流れを思うと、自分の力量では難しかっただろう。
海岸を巡って旅をしてみると、東京から自動車で二時間圏内であっても、素晴らしい自然は残っているのだなと実感した。
<tokyotaro>
株という魔物とデイ・トレーディング
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『賭博者』というドストエフスキーの小説に克明に書かれているように、人は賭け事の熱気に翻弄されて我を失ってしまう。
公式には賭場は禁止されているが、さまざまな金融商品とネット売買の進歩に伴って、株式市場はヴァーチャルな賭場の様相を呈している。証券会社が提供するネットツールの点滅する気配値をにらみながら、目と指先に神経を集中する。その指先の向こう側では、白熱する市場がネットとともに連結し、その波動が肉体を蝕む。
特に、信用で売り・買いの瞬間の恍惚感と、身投げをするような高揚感を感じる時が恐ろしい。
白熱している株で、一瞬で10%以上も値が変動する時は、まるでジェットコースターが落ちていく感覚でしかない。先週からの三菱関連株の乱高下は、まさにその熱狂を感じる場だった。
百万円ももとでがあるなら、数十万から数百万の金を一瞬で儲けられるし、また失う。
追証に追われて、キャッシングをするものもいるだろう。掲示板では、数千万の損失を出した個人の書き込みもあった。
怖いと思うと、平気で人は暴走する。まるでチキン・ゲームのように誰が先に降りるのかを見極める。
と言う私も、落ちていく株価を眺めながら、頭が白くなり、指に電気が走った。
儲けるためだけでなく、この高揚感を感じるために投機している者も少なくないだろう。
そんなことを思いながら、己の臆病さに腹が立ち、今晩も酒を煽るしかない。<tokyotaro>
9月11日選挙、あるいは「お上は死んだ」
選挙には足を運んでみた。
選挙に行ったことがないと豪語しながらも堀江氏が出馬した件でも明らかなように、今回の選挙の争点は明確だった。郵政民営化により、ようやく日本が明治維新後から続く、中央集権主義から脱却していくということだ。つまりは「お上は死んだ」、正確には死につつあるのである。
団塊の方々は、いまでも「お上」が欲しいらしい。筑紫哲也氏を典型とする旧左翼系のジャーナリストにとっては、批判する対象の消失であり、いつまでも「お上」の監視がジャーナリズムの仕事だと、いつまでも国民=大衆と愚弄している。自分たちのような東大を出た頭の良い人が一生懸命監視しなくては、社会矛盾を大衆は見つけられないと信じている。でも私は、彼らのニュースほど主観に満ちた情報操作はないと感じる。客観を装い、誰もがうなずかなくてはいけないような踏み絵を使い、自分たちを正当化しているように思う。
十年前に東欧の社会主義国が崩壊したとき、東欧の諸国にメディアの自由があっただろうか。彼らは国を超えて飛んでくるラジオから情報を得ていた。現在の北朝鮮もしかりである。情報を遮断する権力など、現代の社会には不可能なのである。しかも今はインターネットも存在している。
現代において、国を誰が持っているかは明確だろう。それはいうまでもなく国民である。社会資本の大方は国民にある。別に聡明な先導者が、搾取された資本を奪回するための策を練る必要もなく、みんなが資本を持っている状況である。そして今回の選挙では、もっと国の資本を開放するということである。
それなのに、旧左翼系の方々はなぜ反対するか。それは彼らこそ「お上」を信じているからだ。
19世紀末、ニーチェは「神は死んだ」と書いた。教会の支配が強い時代だったからこそ、その神の弱体化を意識できたのである。しかし、誰も信じなくなったら、そんなことを言う必要がなくなる。「それってどういう意味」とメッセージが空虚化していく。
私は中央集権的な国家など必要ないと思う。もし自民党が翻ってそういう方向になるなら、それは問題だと思う。しかし、本当だったら国の資本を開放するなんてことはしない。
夏目漱石以来問い詰められきた近代という問題について、ようやく現実的な解答が出てくるのかもしれない。
個人は個人で苦しみ死ぬかもしれない。でも共同体の幻想に逃げることはもう不可能であると社会現象が、(現在の自殺率の増加しかり、犯罪の特殊化しかり)雄弁に語っている。
いまもナロードニキを夢見る老人たちと、借金の話はしたくない。
<tokyotaro>
世界は烏と泥酔者のものである…酔っ払いの光景
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いうまでもなく馬鹿騒ぎをして酒をアオッタからだった。
午前様となって麻布をさ迷っていると、日が昇ってきた。飲みすぎは良くないと思う頭がある反面、酔っ払っていることと睡眠不足が祟った状態であることの、ほど良い高揚感が気持ち良い。世界がクリアになっていく。脳内の麻薬がドピュっと吹き出ているかもしれない。睡眠・二日酔いジャンキーである。早い話が、アル中予備軍でしかないが…。
そんなさなかこういうヴィジョンを残したいと思い、ポケットを見たらケータイがあった。眺める光景が面白く、ばちりばちりと写真を撮った。いまではこんなものにまで映像記録装置がついているから、酔っ払いの写真家しか知らないような光景を残すことができる。
写真とは、まず写真機と写真家の関係が大切である。いつも肌身離さず持っていてこそ、良いスナップが撮れるのだと思う。蓋しシロウトは、カメラを買うのはいいが、普段持ち歩く人は少ない。
写真のなかの女が五時半の酔っ払いを冷ややかに見つめている。何、私見ないでよと。写真の女が撮られる時も、またポスターを製作しているデザイナーも、広告代理店も、そういうメッセージを発するとは思っていない。朝の五時半の男の眼差しもそうであるし、真っ当な社会の境界線を越えてしまうと、すべてのメッセージは暴力的にもなりうる。
私はこれらを、「世界は烏と泥酔者のものである」というタイトルにする。
ケータイ泥酔写真道というものを謳い、その第一人者になってみたいと思う此の頃である。<tokyotaro>
イスラエル・テロリズム・希望
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「暴力はただ暴力に抗する場合にのみ正当化される」と、十九世紀末にロシアの無政府主義者、バクーニン等は言った。ロシアの帝国主義に対する方法として、テロリズムというコンセプトが発明されたのである。
以来政治的な手法としてのテロリズムはメディアの台頭とともに拡張された。なかでも9・11のアメリカ帝国主義への拮抗として、アラブ人過激派が貿易センタービルを破壊した事件の効果は凄まじいものだった。
アメリカ人にとっては、間違いなく9・11は歴史的な転換点である。強大な軍事力も、自国攻撃の危険を避けることができないことを自明にしたからである。高度資本主義社会にとって、城壁は存在しない。(グローバルなネットワークを閉じたら、早晩アメリカは潰れてしまう)
そしてブッシュ大統領の主張する「対テロ戦争」というスキーム(テロリズム自体に対抗するという計画)が実施されるのだが、それは一方で帝国主義の強化=権力による正当化されない弱者への弾圧であることも事実である。
やはりそこには、南北の格差という問題が大きく残っている。グローバリズムに準拠する先進国である限り、テロリズムというウィルスを完璧に除去することはできないだろう。しかし暴力という方法でなく、オルタナティブな方法を模索できるとしたら事態は変化するかもしれない。
そのひとつの形として、イスラエルのガザ地区よりの撤退が実施されている。希望を感じさせる政策であり、ブッシュ大統領の意志が感じられる。確かにいままでの行動が、まるで病原のウィルスを除去しようと、ピストルを自分に向けて撃っていたようなものだと気づいたのかもしれない。
この問題は別にブッシュ大統領=アメリカ人だけの問題ではない。アメリカ合衆国の傘のなかにいる日本人にとっても避けることができない問題である。
政治的に難しい局面であるが、だからこそ、パレスチナ人をサポートしていく役割を日本は担うべきと思う。国連における地位云々ではなく、世界第二位の経済国(世界の資源を消費している大国)としての義務であるし、また同じアジア人として捨て去るべきでない。
宗教および政治体制の問題をどうこう言うのは、核心を逸らしてしまう。急激に、世界は富める者とそうでないものの対立になっている。蓋し、メディアの発達がその不満を加速させている。
その問題を真摯に考えなくてはいけない。<tokyotaro>
ジャズと東京の夜
ちょっといいコンサートがあるんだけど、聴きに行かないと美女に誘われるままに、六本木の老舗のジャズ・ラウンジ(サテンドール)へ。音楽事務所に勤める彼女はビックバンドに興味があるらしく、古き良き時代のジャスを捜し求めているらしい。
扉を開けると、100席ほどの店内に18名のミュージシャンがウォーミングアップしていた。ドラム1名、ベースギター1名、パーカッション1名、バリトンサックス1名、トランペット4名、トロンボーン4名、テナーサックス2名、アルトサックス2名、ピアノ1名(バンドマスターは砂川氏)、ヴォーカル1名という錚々たる編成である。そして店内は大盛況だった。
僕は日本人のジャズミュージシャンが大編成のジャズをやるのかとう驚きとともに、ビックバンドならではの音のうねりとハーモニーを堪能した。ライブハウスの会場を考えると、トリオ、またはカルテットあたりでも採算がと思うのだが、そこでビックバンドとはとても贅沢である。
かつて東京・赤坂見付のホテルニュージャパンの敷地には、”ニューラテンクォーター”があった。フランク・シナトラ、サミー・デイビスJr、ナット・キング・コールが出演したという素晴らしいラウンジだったと伝説のように語られている。まさにビックバンド全盛の時代だった。
モダンジャズ以前の、1950-60年代の在りし日の記憶のなかにしか存在しないビックバンドの音楽。しかし、いまでもその生の演奏には、誰もが素直に感動できる力を秘めていると思う。
<tokyotaro>
Lotus Elanとの蜜月
このエランSEとの関係は、もう10年になる。
91年の東京モーターショーに展示されているのを見て惚れてしまい、その4年後に僕は中古を一台を手に入れた。その当時、走行できるに値するライト・オープンカーの選択肢はというと、MG、またはマツダのロードスターしかなかった。コーリンチャップマンのオーラというものに侵されている私は、ロータスというブランドの呪縛から逃れる術を知らなかった。ポルシェよりもロータスの英国のバックヤード魂が素晴らしいものに感じられたし、FFまた日本製のエンジンであるということも、(マクラーレンF1もデザインした)P・スティーブンスの華麗なデザインと、卓越したハンドリングの感触の前には小さな問題だった。
当時新車価格が700万円もした1600CCの自動車だったので、とても贅沢なものを買ってしまったと感じた。かつてアトランティック商事のショールームで、「うちはローンで買うお客などいませんよ」と慇懃に言われたことを思い出し、凄いものを買ったなと身の丈の小ささを恥じた。
その後、雨の時はタオルは必携だったもののトラブルも少なく、ミッレミリアを観戦に行く時、東北道で最高速度を試したり、箱根の山道でスカイラインに追っかけられたりと、さまざまな局面で性能を発揮し、楽しませてくれた一台である。
少なくとも21世紀になるまでは、ライト・スポーツカーの領域では傑出した存在だった。
現在でも、0-100km 6秒台の俊足は変わらない。最高速ではエリーゼよりも速い。しかし自動車テクノロジーの進歩とともに、やはり旧車趣味の領域になってしまったことは否めない。コンピューターの制御もなく、ロータス伝統のバックボーンフレームのシャーシと、FF・ミドシップと言える重量配分、左右・前後の全長比が限りなくスクエアであること、軽量であること等、物理的な特性にのみ依拠したスポーツカーである。
勿論、現在のレーシングカーの定石も同じである。しかしサポートするコンピューター(知能)の性能が桁違いである。個人的には、サーフィン用に購入したSUVが軽く走り出すのを感じ、もはやライト・スポーツカーの性能優位は、ケータハム・スーパーセブンとか、アリエル・アトム等のスパルタンなスポーツカー(フレームが剥き出しで、エンジンが付いているバイクのようなもの)まで徹底しなくては、現在のレベルについていけなくなったのだなと痛感した。
そうであっても趣味としては、こういう少し古いスポーツカーがいい。個人的にはルノー5ターボ、アルピーヌV6等の学生時代に憧れた自動車には、いまでも心を揺らされる。
巷ではのアースウインドファイヤや、エアサプライ等、AORのヒット曲を集めた『Melody』のようなコンピレーションCDがヒットしている。そのうち自動車趣味も懐メロが流行するかもしれない。
<tokyotaro>
