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ゴールデンウィークは書くことをさぼり、友達に誘われてゴルフをやった。千葉県の房総半島にあるコースで、晴れ渡ったグリーンと海から吹く風を感じていると心地が良かった。とても素晴らしい景色を見ながら、プレーが出来る。それでもゴルフをするたびに、やれやれと思う。なんでこんなプレーをしてるんだろうと。それでも同じ過ちを繰り返してしまうのである。
最近のゴルファーの技術と道具の進歩は著しい。昔、父がパーシモンのクラブを使っていたことが信じられないくらいである。女性ゴルファーでも、250ヤードを軽く飛ばしてしまう。それでもゴルフの本質は、道具でも技術でもなく、心にあるのだと思う。なんだかそう書くと、宗教くさい話になってしまうかもしれないけど。
ゴルフは止まったボールを打つだけである。野球、サッカーのように誰かが邪魔するわけでもない。何からも自由であるからこそ、心の影響を受ける。僕のようなへたくそ初心者でも、心が一番の障害であると感じる。
そんな時、『禅ゴルフ』の本を見つけ、読んでみた。なるほど思う。ゴルフの練習場から、すでに心のゲームははじまっているのだなと。まさに人生の戯画のように感じる。
そのひとつの話のあらすじは、こんな感じである。ある僧侶が茶を新入りの僧に入れる。茶器から茶がこぼれても僧侶が注ぎ続ける。すると新入りの僧がいう。『もうこの器に注ぐことは出来ません』と。すると僧侶は、『世間のものが詰まった器は、一度空にしなくては多くを学べないと』。ゴルフも同じく我流に拘泥し、新しいことを聞くことが難しい。確かにそれまで調子が良かったなら、そのやり方を捨てきれない。
先日、タイガーウッズがマスターズで勝利した。スイングを大幅に改造し、スランプを経ての勝利である。そういう姿勢には、畏敬の念を感じずにはいられない。
ゴルファーは禅が大切?
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