ロータスエラン/12年来の愛車を手放すこと。

11903
 1996年に買ったロータスエランSEを手放すことにした。
 
 理由はそれなりにあるのだけど、そろそろ十分な手をかけてくれる人に譲った方が良いかと考えたからだった。いままで所有した自動車は、フォルクスワーゲン、ホンダCRX、ロータスエランSE、アウディ80アバント、現在はアウディのオールロード。エラン以外はすべてファーストカーである。
 セカンドカーというのは、金銭的には大変であるし、経済的な合理性などまったくない存在である。そういう意味で長年の愛人のようなものだった。ファーストカーと同じように、車検があり、自動車税を払い、また修理費を払う。普通セカンドカーのエランが壊れやすく、扱いずらそうなものだけど、一番壊れたのは同時期のファーストカーのアウディ80アバントだった。時折、トラブルに見舞われはしたけれど、深刻なトラブルはこの12年なかった。(ちなみにアウディはエンジンが壊れ、ほぼ部品換装したが完全に治らず、僅かな金で売却した。)
 経済的な合理性はなかったが、自動車性能の価値は高かった。イリーガルな速度で高速道路を(しかもオープンで)激走中にふらっと目の前に自動車が割り込まれた時、ステアリングを切って横にすり抜け助かったことがある。コーリンチャップマンのバックボーン・シャーシから来る俊敏な運動性能のおかげだと痛感した。そういういざという時の、俊敏な対応力は抜群であったし、それまでには知らなかったスーパーカーの世界を垣間見せてくれた。当時は革新的なFFスポーツカーであり、偉大なコーナリングマシーンだった。鈍重なMGB・V8、MGFと比較検討して買ったので、殊更満足したのを覚えている。
R0011897
 箱根、伊豆、京都、那須等に遠乗りをし、ツインリンクもてぎのロータスミーティングに出掛けたり、カーマガジンの取材に参加したりと(編集者の知り合いのルートが転々とし、嫌になって集合写真撮影後に逃走したのだが…)いろいろ活躍した。バッテリー、ウインドー等の、マイナートラブルもそれなりにあった。でも事故も致命的な故障もかなく、良い状態でいままで維持できたと思う。
ロータスエラン・M100には愛好会のサイトもあって、ユーザは生産終了から10年以上経った自動車とともに頑張っている。こういう素晴らしいオーナーの手に渡り、多少はレストアしてもらって往年の良さを取り戻し、大切にしてもらってほしいと願っている。

ハワイを巡る私の記憶

Imgp0768_1
三月の半ば後輩の結婚式でハワイに滞在していた。今回ハワイ(オワフ島)に来るのは二度目で、どちらも他人に強いられて訪れたのだった。僕は苦い過去の記憶から、無意識にハワイを遠ざけていた。
義理の祖父が日系人で、その祖父との関係が私とハワイを隔てさせる壁となっていたのだ。それを今回の島に滞在したことでちゃんと理解し、意識できたと思う。それはとても大事な収穫だった。
結婚式の前に島に入り、毎日ワイキキの沖合いでサーフィンをしていた。島の山々には雲が広がり、時折天気雨が降り、海面で銀色の跳ねる雨粒となった。波待ちをしている僕らは幻想の世界にいるかのようだ。未だ寒い東京からここに来ると、世界中の人々が波待ちをしている。白人、日系人、インド人、そしてハワイアン。太ったアメリカ人のカップル、ビキニを着た留学生の日本人、痩せたアメリカ人。サーファーではなく、テンポラリーサーファーたちが溢れている。その光景は、日本で波待ちをしている時に感じる感覚とは、根源的に違う何かがあった。金色に輝くダイアモンドヘッドを沖合いから眺めていると、ワイキキビーチの高層ホテル群との存在のコントラストに軽いめまいを覚える。土地の力が軽々と資本主義のシステムを飲み込んでしまうような、自然の力に底知れぬ恐ろしさを感じたのかもしれない。海の上まで広がるリゾートカルチャは、とても底深い自然の力に晒されている脆弱な存在だった。そのことを僕は痛感し、ライトな無常観に至った。
結婚式は、後輩のニューヨークから来た旧友たちと、日本から来た友人たちが集う愛情深いものだった。各々のスピーチにて、複雑な家庭環境・人生の岐路のなか、とても心温まる交流があったのだと知ると、感涙せずにはいられなかった。僕は彼のいままで一面しか知らなかったのだ。
ロータス・エリーゼをレンタルし、僕は海岸沿いの道をパールハーバーから、ワイメア、ハナウマベイへと走った。軽やかに駆けるスポーツカーでハワイの空気を満喫し、初めてハナウマベイを見た。
そこは自然保護の徹底されたビーチで、素晴らしい景観だった。しかし僕はここへ来たことだけで十分な意味があった。僕はハワイをいままで嫌っていたし、また義理の祖父の筆名の元になったというこの地については、素晴らしい土地だと人にいわれる度に、心の底で拒んでいたものがあった。
複雑な家庭環境は、僕の幼少期にもあった。父と義理の祖父の関係、また祖母と義理の祖父の関係等。さまざまな視点からその人物・家族像が断片化されて語られる物語、そのひとつが僕の記憶に強い影響を及ぼしてきた。いままでは、その断片が僕の人生に大きな影を落としているのだと、自分では思っていた。
しかしそうではなかった。僕は義理の祖父に直接言われた一言に、そこから起こった一連の出来事と紐付けて記憶を操作していたのだった。『もうお前の祖父ではない』と言われ、そこからすべてが失われたと自分は思い込んでいたのだ。
ノーベル賞脳科学者の ジェラルド M. エーデルマン氏は、人の意識は、脳の外部的な近くからの情報と、記憶の情報が複雑にフィードバックを繰り返し、発生する脳現象から生まれた何か(彼は脳の機能運動をCとし、意識をC´と仮説している)
つまり意識は、外部の入力と、内部の入力(記憶)が混在した状態に過ぎないのだと書いている。
二歳の時に入力された記憶と、繰りかえし形成された人からの物語が混在していびつな意識を生み出していた。しかし今回ゆっくりとハワイの土地に触れたことで、別の意識が芽生えたらしい。
ここに書くにはとても長い話になるので、今日はここまでにしたいと思う。
tokyotaro

株という魔物とデイ・トレーディング

dost
『賭博者』というドストエフスキーの小説に克明に書かれているように、人は賭け事の熱気に翻弄されて我を失ってしまう。
公式には賭場は禁止されているが、さまざまな金融商品とネット売買の進歩に伴って、株式市場はヴァーチャルな賭場の様相を呈している。証券会社が提供するネットツールの点滅する気配値をにらみながら、目と指先に神経を集中する。その指先の向こう側では、白熱する市場がネットとともに連結し、その波動が肉体を蝕む。
特に、信用で売り・買いの瞬間の恍惚感と、身投げをするような高揚感を感じる時が恐ろしい。
白熱している株で、一瞬で10%以上も値が変動する時は、まるでジェットコースターが落ちていく感覚でしかない。先週からの三菱関連株の乱高下は、まさにその熱狂を感じる場だった。
百万円ももとでがあるなら、数十万から数百万の金を一瞬で儲けられるし、また失う。
追証に追われて、キャッシングをするものもいるだろう。掲示板では、数千万の損失を出した個人の書き込みもあった。
怖いと思うと、平気で人は暴走する。まるでチキン・ゲームのように誰が先に降りるのかを見極める。
と言う私も、落ちていく株価を眺めながら、頭が白くなり、指に電気が走った。
儲けるためだけでなく、この高揚感を感じるために投機している者も少なくないだろう。
そんなことを思いながら、己の臆病さに腹が立ち、今晩も酒を煽るしかない。<tokyotaro>

9月11日選挙、あるいは「お上は死んだ」

選挙には足を運んでみた。
選挙に行ったことがないと豪語しながらも堀江氏が出馬した件でも明らかなように、今回の選挙の争点は明確だった。郵政民営化により、ようやく日本が明治維新後から続く、中央集権主義から脱却していくということだ。つまりは「お上は死んだ」、正確には死につつあるのである。
団塊の方々は、いまでも「お上」が欲しいらしい。筑紫哲也氏を典型とする旧左翼系のジャーナリストにとっては、批判する対象の消失であり、いつまでも「お上」の監視がジャーナリズムの仕事だと、いつまでも国民=大衆と愚弄している。自分たちのような東大を出た頭の良い人が一生懸命監視しなくては、社会矛盾を大衆は見つけられないと信じている。でも私は、彼らのニュースほど主観に満ちた情報操作はないと感じる。客観を装い、誰もがうなずかなくてはいけないような踏み絵を使い、自分たちを正当化しているように思う。
十年前に東欧の社会主義国が崩壊したとき、東欧の諸国にメディアの自由があっただろうか。彼らは国を超えて飛んでくるラジオから情報を得ていた。現在の北朝鮮もしかりである。情報を遮断する権力など、現代の社会には不可能なのである。しかも今はインターネットも存在している。
現代において、国を誰が持っているかは明確だろう。それはいうまでもなく国民である。社会資本の大方は国民にある。別に聡明な先導者が、搾取された資本を奪回するための策を練る必要もなく、みんなが資本を持っている状況である。そして今回の選挙では、もっと国の資本を開放するということである。
それなのに、旧左翼系の方々はなぜ反対するか。それは彼らこそ「お上」を信じているからだ。
19世紀末、ニーチェは「神は死んだ」と書いた。教会の支配が強い時代だったからこそ、その神の弱体化を意識できたのである。しかし、誰も信じなくなったら、そんなことを言う必要がなくなる。「それってどういう意味」とメッセージが空虚化していく。
私は中央集権的な国家など必要ないと思う。もし自民党が翻ってそういう方向になるなら、それは問題だと思う。しかし、本当だったら国の資本を開放するなんてことはしない。
夏目漱石以来問い詰められきた近代という問題について、ようやく現実的な解答が出てくるのかもしれない。
個人は個人で苦しみ死ぬかもしれない。でも共同体の幻想に逃げることはもう不可能であると社会現象が、(現在の自殺率の増加しかり、犯罪の特殊化しかり)雄弁に語っている。
いまもナロードニキを夢見る老人たちと、借金の話はしたくない。
<tokyotaro>

世界は烏と泥酔者のものである…酔っ払いの光景

20050728044515
いうまでもなく馬鹿騒ぎをして酒をアオッタからだった。
午前様となって麻布をさ迷っていると、日が昇ってきた。飲みすぎは良くないと思う頭がある反面、酔っ払っていることと睡眠不足が祟った状態であることの、ほど良い高揚感が気持ち良い。世界がクリアになっていく。脳内の麻薬がドピュっと吹き出ているかもしれない。睡眠・二日酔いジャンキーである。早い話が、アル中予備軍でしかないが…。
そんなさなかこういうヴィジョンを残したいと思い、ポケットを見たらケータイがあった。眺める光景が面白く、ばちりばちりと写真を撮った。いまではこんなものにまで映像記録装置がついているから、酔っ払いの写真家しか知らないような光景を残すことができる。
写真とは、まず写真機と写真家の関係が大切である。いつも肌身離さず持っていてこそ、良いスナップが撮れるのだと思う。蓋しシロウトは、カメラを買うのはいいが、普段持ち歩く人は少ない。
写真のなかの女が五時半の酔っ払いを冷ややかに見つめている。何、私見ないでよと。写真の女が撮られる時も、またポスターを製作しているデザイナーも、広告代理店も、そういうメッセージを発するとは思っていない。朝の五時半の男の眼差しもそうであるし、真っ当な社会の境界線を越えてしまうと、すべてのメッセージは暴力的にもなりうる。
私はこれらを、「世界は烏と泥酔者のものである」というタイトルにする。
ケータイ泥酔写真道というものを謳い、その第一人者になってみたいと思う此の頃である。<tokyotaro>

中国ってやはり…大変なんですね。

flag_china
中国の反日暴動の件を書いたとき、日本人が過剰に反応するなんて馬鹿らしいと書きました。
そんなことを思っていたら、こういうニュースです。貧富の格差の問題があって、日本人がまともに言ってることに対応すれば、不満がなくなるなんてものじゃないんですね。
中国・安徽省 1万人の群衆暴徒化 派出所破壊、スーパー襲撃
 【北京=野口東秀】中国中部の安徽省池州市で二十六日、一万人の群衆が交通事故をきっかけに暴徒化し、パトカーや派出所を破壊したほかスーパーを襲撃する騒ぎとなった。鎮圧に出動した武装警察隊員六人が負傷、警備当局は首謀者として参加者十人を拘束した。
 中国国内では、地方住民が警備当局と衝突する大規模な事件がこのところ相次ぎ発
生。今回の事件も、ささいなきっかけで騒乱に発展する中国社会の不安定ぶりを示す
ものとなった。
 地元紙「池州日報」などによると、きっかけは乗用車が歩行者をはねたうえ、被害
者が運転手から暴行されたことだった。市民の通報で警官が派出所に運転手を連行し
たが、群衆が派出所を取り囲み、人数は一万人近くに膨れ上がった。
 このうちの「少数の不法分子による扇動」で群衆が騒ぎ始め、乗用車をひっくり返
したほか、パトカーや消防車にも襲いかかり、派出所にも放火した。近くのスーパー
も襲撃され、商品が略奪される事態となった。
 地元当局は事態の拡大を重視、市幹部の緊急会議を開催。交通事故発生から九時間後に武装警察部隊約七百人を出動させてようやく鎮圧した。これまでのところ、騒ぎの理由に関する住民側の情報は伝えられていない。
 最近明らかになった中国国内の騒乱では農地の強制収用をめぐり、農民と工事関係者らが衝突するなどのケースが多い。今月だけでも、河北省で立ち退きの補償金をめぐるトラブルで、村民らが猟銃などで武装した二百-三百人の集団に襲撃され、五十人以上が死傷。広西チワン族自治区でも、立ち退きを拒否する住民と警官隊が衝突し、多数の死傷者が出ていた。
(産経新聞) – 6月29日2時57分更新
まあこういうことで反日も何も単なる気分の旗に過ぎないってこと。こういう社会不満の塊がなくちゃ、革命が三十年毎に起きる国なんてありえません。
<tokyotaro>

May the force be with you!

DSC00163
ダース・ベイダーがウーロン茶を飲んでいるのは、25日未明の六本木ヒルズ。午前三時過ぎにハートランドで騒ぐ外人たちの歓声を受けながら、六本木ヒルズを歩いていたダースベイダーは私です。30代半ばの男がダース・ベイダーになってしまうのも、ダーク・フォースの威力でしょう…それにしても、スターウォーズのシリーズの完結が、異様なフェスティバルになっていますよね、アメリカでは経済損失になっているそうです…馬鹿は多いんです。
思い出せば、私がかわいらしい小学生だった頃、香港の九龍にある劇場、『星球戦争』の看板を見たのが最初でした。その一年後日本で公開され、いまだから言えるんですが、生まれて初めて学校をサボって見に行ったんです。まさにダークサイドに入り込んだ瞬間でした。
欲望を律するジェダイではなく、どうしても感情に生きて悪に染まる方が魅力的なのかもしれません。<tokyotaro>

李朝の白磁と楡の木のお膳

FH020024
韓国で買ってきた楡(ニレ)の木のお膳に、家にある雑器を並べてみた。
ぐいのみは李朝のもので、麻布十番にあった「うちだ」<今は八丁堀にある>で買った。繕いの跡があるのが、気持ちよいぐいのみで、浄法寺の朱塗りの片口とともに愛用している。残りは、現在のものである。残りは、笠間で買った茶碗と、李朝の陶器を本歌取りして作っている高仲健一氏の平皿である。
食事をするたび目で楽しむというほど余裕のある生活ではないから、食器に拘るのも中途半端になってしまう。それでも普段も惣菜を買って気を使わないでプラスチックの皿で食べるより、こういう簡単な手間で心が豊かに感じられることは大切だと思う。
私は骨董を買って眺めるような趣味はいまのところない。じっくり使ってみる方がいいと思う。数世紀の時間を感じながら、そういう骨董で酒を飲む時は幸せである。
高価な骨董を買うのは骨が折れる。値段が妥当なのか等、余計な邪念が入ってしまう。目で見て楽しいと思って買う値段-私にとっては片手くらいを目安にしている。
<tokyotaro>

バルセロナとヒップなホテル

FH010002
4月2日からバルセロナに滞在している。夜は寒く、昼は18℃くらいまでになる。
私にとっては、12年前に南仏から彫刻家の友達と二人で電車で国境を越えてやって来たバルセロナしか知らなかったので、やはり世界は変貌しているのだなと痛感する。スターバックス等のファーストフードの記憶がなかったし、その当時の欧州の先進国と比較すると、洗練されていなかった感があったのが嘘のようだ。その当時は、街のクラブに行っても、鳴っているのはスペインの歌謡曲であり、アメリカ等、外国の音楽の情報なんて一般的に知らなかったのだ。今ではとても洗練され、軽くなっている。そう昔のバルセロナは濃い感じがした。
建築・都市の外観は東京のようには変化しない。変化したのはそこに生活する人の情報の質である。
建築では、修復されたミースの設計したバルセロナ・パビリオン、ガウディの建築等、昔から素晴らしい名作が満ちている。そのバルセロナにも、イアン・シュレーガーのホテルやWに代表されるヒップなホテルが登場している。
Hote ommは、バーラウンジ・レストランともにコンテンポラリーな格好良さがあるホテルで、そのメインダイニングのMOOは2ツ星です。こういう感覚のホテルは、NY、London、Paris、そしてバルセロナにもあるけど、東京にはありません。目黒のクラスカはいい線なんでしょうけど、あんな郊外にあってはいけません。それに若者ばかりが流行で来ている感じもだめです。東京では表参道にあるようでなくては、そういうホテルの仲間ではないですね。
<tokyotaro>

ドラえもんの娘。

藤子不二雄さんに小学生のころファンレターを出すと、キャラクターが勢ぞろいしたはがきを送ってくれた。その優しさにとても感動してしまい、大人になったらああいう漫画を書きたいなと思った。ひとりでキャラクターを想像し、ノートにいくつもの話を書いた。1970年代の話である。
それから十年して、僕は世田谷にある某私立大学に入学した。明るく、楽しく。80年代のキャンパスライフの理想がある場所だった。そこで同じ学部に藤子不二雄Bさんの娘がいると知った。友達が彼女をよく知っていたので、子供の頃の想いがあって、「ぜひお父さんを会わせて欲しい」と頼もうと思ったが、妙に恥ずかしくて切り出せなかった。子供でもなく、漫画家志望でもない大学生が会って何をしていいかわからなかった。
しばらくして、彼女のお父さんは亡くなった。恥ずかしいなどと思って切り出せなかった自分を後悔した。とても残念だったし、結局僕は友達から彼女を紹介してもらうこともなかった。
今度ドラえもんのアニメの声優の大山さんが辞めるという。僕のドラえもんは紙であってアニメではないけれど、そういうことにノスタルジーを感じてしまう人たちの気持ちはわかる。「ドラえもん」という漫画の世界も、世界のどこかで現実としての静かな死と繋がっているのだろうと。