東京のイタリア料理

g383700l
イタリア料理というと、僕は六本木通りにあったニコラスの看板を思い出す。
ニコラスは、六本木通り沿いにピザを抱えた男の漫画風なイラストの看板を掲げていた。1970年代初頭の六本木の存在しない光景と看板の意匠が、今でも奇妙に脳裏に焼きついている。調べたところ、ニコラス六本木店は1954年にオープンし、リニューアルして現在も営業をしているそうである。1980年代後半<バブル>までの東京では、ほぼ真っ当なイタリア料理なんて存在しなかった気がする。六本木のキャンティー、シシリア、代官山のAnotio、くらいがイタリア料理屋と呼べるものだったと思う。まだ六本木界隈が静かな住宅地だった頃である。
僕は1980年代の半ば、コモ湖にある知人の家にホームステイしたことがある。その家には、専属のシェフが住んでいるような立派な家だった。厩舎が庭にあるような、典型的な北の成功者の家庭だった。ちょうどイタリアが政治的な不安を抱えていた時期だったので友達の両親は独りで外に出ることを許さず、ほぼその家(といっても東京ドームくらいの敷地)で一日中過ごしていた。それで暇にしている僕に、その家族がピザの作り方を教えてくれた。生地からオリーブオイルを混ぜて練り、しばらく寝かし、最後に30センチくらいに伸ばして、チーズとバジルをちりばめてからオーブンで焼く。その夜の夕食に、初めて僕で作ったイタリア料理(?)をイタリア人が食べてくれた。
思い出すと、その当時のイタリア料理はオリーブオイルを大量に使っていたし、味がしっかりしていた。その10年後訪れたときには料理が全体的に軽くなっていた。
近頃東京で評価されているイタリア料理は、ほとんどが90年代以降の店である。勿論、30代前半のシェフがイタリアに修行したとかいう店なら、せいぜい97年以降の話である。だから味があっさりしている気がしてならない。
東京のイタリア料理は、和風イタリア料理と最新のトレンドの両極端であると思う。外国料理を、その国以外で評価するのは難しい。但し、日本のイタリアンは悪くはない。<全体的にはとても平均点が高い>
ちなみに僕が東京で食べたイタリア料理のベストは、90年代当初の恵比寿のイル・ボッカローネと、90年代後半のラ・ゴーラ。どちらも味がしっかりしていて、料理の骨格が明瞭だった。
そんなことをつらつら書いていると、何がなんだかわからなくなってくる。文化を頭で食っているのか、それとも素材を食べているのか…。まあそれはともかく、ニコラスのピザの看板から想像したかつてのイタリアの料理が、何よりも食べてみたい。
私は遠い記憶を食したいのだと思う。
<tokyotaro>

蕎麦と東京の記憶

002akasakasunaba
僕にとって、蕎麦は東京の記憶と繋がっている。
十年前くらいからだと思うが、蕎麦のヌーベルバークとして手打ちの新たな蕎麦などが出回っている。大抵、店のインテリア、そば猪口等から個性的あって、味が悪いというわけではない。それなりに真剣なスタイルの確立を目指している。但し、亜鉛版のインテリアであったり、鉄もどきの陶器であったりと閉口することは多い。でも大抵の食通とかいう雑誌には評価されている。水、そば粉等に拘り、手打ちのしっかりした食感に良いところがあるらしい。記事を読んで期待し、試してみることも少なくない。しかし僕にとっては、現代風の田舎そばに過ぎないと思う。蕎麦に関して僕はとてもコンサバティブである。
そういう僕が好きな蕎麦屋は、浅草、神田、赤坂等にある。中でも、祖母と通っていた三十余年前の想い出があって、赤坂の『砂場』が好きである。もはや韓国街になってしまっている赤坂において、かつて料亭が賑わっていた頃の風情をいまでも感じさせてくれる。
祖母は松竹蒲田で女優をしていた明治の女であり、僕が幼い頃に他界してしまった。その頃、祖母に手を引かれて歩いた記憶に見える光景は、青山通りを歩く左翼学生デモの群集、日劇のミュージックホールの電飾、青山ユアーズにあった芸能人の手形,,晴海通りを走る都電であったりと、今は失われてしまったものばかりだ。その同時代に力のあった事柄は、すっかりと消滅してしまった。
蕎麦をすすっていると、江戸の町人も同じような味を食っていたのだと感じいる時がある。江戸では辛い汁に蕎麦をささっとつけて食ったと、落語にもある。江戸でも、さまざまな地方から人が流入したこの五十年を経ても失われることなく、東京で同じような味が受け継がれて来たのだろう。
無論、懐古趣味というのはいやらしい。わざとらしく過ぎ去った時代を演出しているような店の、苦々しい馬鹿らしさを憎む。だからこそ、今も連綿と供される東京の味や文化を大切にしたいと思う。
僕は今日も、祖母と一緒に食べた蕎麦をすすっている。
<tokyotaro>

戒厳令の白昼夢

20050519130500
本物の戦闘用特殊車両が白昼に六本木ヒルズを方面を疾走していた。巨大なダンプカーよりも大型な車両である。右翼の抗議行動が激しくなっている近隣大使館に、(機動隊では役不足になってしまったて)派遣されたのだろうか…。しかしそれは杞憂であって、乗っていたタクシーの運転手が言うところ、自衛隊が協力したTVドラマのPRだそうである。
頑丈な装甲を持っているフォルムには迫力と機能美を感じた。さすがに操作は難しそうで、三名が四方に眼をやりながら操縦していた。それにしても迫力があり、普通の撮影用のハリボテとは違っている。こういう車両が攻撃をしたら、きらびやかな高層ビルも一瞬で廃墟になってしまうだろう。口径百ミリ強の機銃が陽光に輝き、異様な美しさを醸し出していた。それを否定するとか、肯定するとかを別にしても、武力はある種の生命力と連結していると思う。現実的に巨大な武力を見ると、畏敬を感じてしまう。
六本木ヒルズのルイ・ヴィトン前を疾走する戦闘車両は異様でした。こういう武力が活躍しない世の中であってほしいものです。
<tokyotaro>

ゴルファーは禅が大切?

south_hole09
ゴールデンウィークは書くことをさぼり、友達に誘われてゴルフをやった。千葉県の房総半島にあるコースで、晴れ渡ったグリーンと海から吹く風を感じていると心地が良かった。とても素晴らしい景色を見ながら、プレーが出来る。それでもゴルフをするたびに、やれやれと思う。なんでこんなプレーをしてるんだろうと。それでも同じ過ちを繰り返してしまうのである。
最近のゴルファーの技術と道具の進歩は著しい。昔、父がパーシモンのクラブを使っていたことが信じられないくらいである。女性ゴルファーでも、250ヤードを軽く飛ばしてしまう。それでもゴルフの本質は、道具でも技術でもなく、心にあるのだと思う。なんだかそう書くと、宗教くさい話になってしまうかもしれないけど。
ゴルフは止まったボールを打つだけである。野球、サッカーのように誰かが邪魔するわけでもない。何からも自由であるからこそ、心の影響を受ける。僕のようなへたくそ初心者でも、心が一番の障害であると感じる。
そんな時、『禅ゴルフ』の本を見つけ、読んでみた。なるほど思う。ゴルフの練習場から、すでに心のゲームははじまっているのだなと。まさに人生の戯画のように感じる。
そのひとつの話のあらすじは、こんな感じである。ある僧侶が茶を新入りの僧に入れる。茶器から茶がこぼれても僧侶が注ぎ続ける。すると新入りの僧がいう。『もうこの器に注ぐことは出来ません』と。すると僧侶は、『世間のものが詰まった器は、一度空にしなくては多くを学べないと』。ゴルフも同じく我流に拘泥し、新しいことを聞くことが難しい。確かにそれまで調子が良かったなら、そのやり方を捨てきれない。
先日、タイガーウッズがマスターズで勝利した。スイングを大幅に改造し、スランプを経ての勝利である。そういう姿勢には、畏敬の念を感じずにはいられない。

「時計」を欲しくなってしまう私


バーゼルの展示会から友達が帰国し、「新作の時計が良かったよ」と言った。僕は機械式時計の新作が出るたびに気になってしまう。我ながら、なぜだろうと不思議になってしまう。
機能としての時計は、クォーツにはじまり、デジタル、電波時計と精度は飛躍的に高まっている。しかも機能を追及した商品は価格が安い。考えてみると、二十年ほど前に機械式時計を欲しがる人は未だ少なく、本当に値が上がってきたのは二十一世紀になってからだと思う。普段の時間は、携帯電話、パソコンで十分であるし、所有欲をそそる何かがなくては「時計」は存在できない。
スイス時計業界が機械式時計の復権を願って、80年代にSWATCHのプロジェクトをはじめ、それから機械時計はファッションとして一般化していく。現在では老舗ブランドだけでなく、新しいブランドが高級品として機械時計の評価を得、もはや一部の好事家の世界ではなくなっています。ルイ・ヴィトン、グッチ等、ファッションブランドが本格的に「時計」ビジネスを始めたのも、それを加速化させているのでしょう。
欧州のアンティークショップで買ったのロレックス、ゼニス等、何個も持っているのですが、それでも欲は尽きない。そういう物欲を恐ろしいと思いながらも、ベダ社のNo.8という時計が気になっています。1996年に設立されたメーカーで、グッチのグループにいるそうです。
それにしても、自分が好きになるデザインの傾向がいつも一緒なんですよね。<tokyotaro>

李朝の白磁と楡の木のお膳

FH020024
韓国で買ってきた楡(ニレ)の木のお膳に、家にある雑器を並べてみた。
ぐいのみは李朝のもので、麻布十番にあった「うちだ」<今は八丁堀にある>で買った。繕いの跡があるのが、気持ちよいぐいのみで、浄法寺の朱塗りの片口とともに愛用している。残りは、現在のものである。残りは、笠間で買った茶碗と、李朝の陶器を本歌取りして作っている高仲健一氏の平皿である。
食事をするたび目で楽しむというほど余裕のある生活ではないから、食器に拘るのも中途半端になってしまう。それでも普段も惣菜を買って気を使わないでプラスチックの皿で食べるより、こういう簡単な手間で心が豊かに感じられることは大切だと思う。
私は骨董を買って眺めるような趣味はいまのところない。じっくり使ってみる方がいいと思う。数世紀の時間を感じながら、そういう骨董で酒を飲む時は幸せである。
高価な骨董を買うのは骨が折れる。値段が妥当なのか等、余計な邪念が入ってしまう。目で見て楽しいと思って買う値段-私にとっては片手くらいを目安にしている。
<tokyotaro>

バルセロナ・チェアと猫

『ディテールに神は宿る』というのは、建築家ミース・ファン・デル・ローエ氏の名言である。
バルセロナに滞在した時、昼に空いた時間で行かなくてはとタクシーに乗り、ミースの記念碑的作品へと向かった。その建物は、カタルーニャ美術館の敷地の斜面にある。元来、1929年のバルセロナ万国博覧会のドイツ館として建てられたパビリオンで、当時の建物は会期の終了と共に撤去されてしまったけれども、1986年、ミース財団によって同じ場所に復元されたそうだ。
僕は、NYのシーグラムビル、シカゴのアパートメント等、スケールが大きなものに足を運んだことはあるけれど、小さなスケールの建築物ははじめてだった。しかもここは、有名なバルセロナチェアの起源となる建築作品である。
建築家がデザインした家具は、その対象となる建築空間にフィットするように設計される。それでも名作と呼ばれるようになる家具は、ユニバーサルなデザインとして世界に普及していく。そういう意味でも、ディテールのなかに真髄のあるミースの家具の現場を知りたかった。そこには完璧な調和があるだろうと、期待していた。
その建築は、ミニマリズム建築の極地という程、素晴らしいものだった。僕は、バルセロナの陽光のなかに佇む建築物に崇高さを感じた。設計自体の構成美の素晴らしさもさることながら、石とガラスが織り成す建築物そのものが、質感として素晴らしいものだった。
現代のミニマリズム建築の旗手であるジョン・ポーソン氏の作品には、このミースの建築物を翻案したものがある。それでもこのテクスチャの素晴らしさは翻案できなかった。
ミニマルであることと、リッチであることのバランスに対する解答とは、ここにあるのだろうと思う。ゴージャスなミニマリズムという地平があって、そこにはローコストでは達成できない境地がある。
現在、その建物に住んでいるのは、一匹の猫である。
<tokyotaro>

ピニンファリーナと自動車の夢

先日、ピニンファリーナのチーフデザイナーである日本人のドキュメンタリーを見た。
チーフデザイナーの奥山氏は、山形県の出身であり、渡米してカーデザインの専門家となり、GMなどを経てイタリアのカロッツェリアであるピニンファリーナのチーフデザイナーとなった男である。
イタリアでは、自動車のデザインをデザイン工房に外注するのが、昔からの慣例だったそうである。自動車の文化が馬車から連綿と続いている欧州にとって、洋服の仕立て屋のように自動車の外観を発注するの当然だったのかもしれない。そういう工房にとってデザイン=意匠とは、商品のパッケージングというレベルではなく、美術史の創出(アート)の域に達している。
現代の自動車にとっては、意匠は魅力的な外観だけではなく、テクノロジーと様々な機能(エコロジー的な社会的機能も含めて)の表現となっている。そのために存在する様々なテクノロジーに関するコード(約束事)が、デザイナーの自由な発想を縛りつけている。想像力はその縛りを破ろうとし、しかし高次元で様々なコードとバランスをとっていくかという命題に挑戦しなくてはならない。
そのドキュメンタリーでは、あるデザイナーが既成概念とコードへの縛りつけで葛藤していることに対し、奥山氏の熱意がそれを解放していくプロセスを取材していた。
一流の工房は、感性とテクノロジーのはざまで葛藤しているのだと私は感心した。感性を刺激できない自動車には魅力が薄い。しかし世界には、感性を失った自動車が溢れてしまい、もはや家電のようになっている。
マーケティングの用語で、エモーショナルベネフィット(感性的な価値)という言葉が言われて久しいけれども、それは本来備えていたものが、テクノロジー(経営、生産)の発達の影で多くの商品から失われつつあるからだろうと思う。
奥山氏は言う「自動車に夢を戻したい」と。でもそれは困難な道であり、時代は自動車の家電化への道を突き進んでいる。
自動車が人間の「自由」のシンボルでから、完全なる「管理」のシンボルにならないために頑張って欲しい。
<tokyotaro>

中国の反日デモと吉野家

吉野家は大変である。
TVをつけると、北京で群集が吉野家を取り囲んでいた。反日の矛先として企業も襲われているらしい。
それにしても吉野家は、米国とのBSE問題しかり、ちかごろ国際問題の矢面に立っている。そもそも創業時、牛を喰うという欧米の食文化から派生しているのだから、当時は牛を大きな文化的な衝突があったことが想像に難くない。創業から先鋒だっただなと、そんなことを感じながら、時差ぼけ直らぬままTVを観ていた。
それから何人かの中国人が卵を日本大使館に投げる映像が放送された。中国では飢えている人も農村にいると聞くから、これはどういうことかと思った。日本では食べ物を投げるようなことはしないし、デモの女性は笑いながら投げている。
これはなんなんだろう。少なくともデモの参加者にとっては、日頃のストレスの捌け口になっているようで、みんな生き生きして、投げるとすっきりとしているようだった。
僕が許せないなと思うのは、中国は自国の飢えている人を尻目に、都会では卵も投げてしまう。そんなエネルギーがあるなら、自国の人を助けたらどうだろうかと思う。共産主義国家の人民とは思われない。もはや北朝鮮の方がストレートで、正直じゃないだろうか。
こういう茶番で誰が得をするのかと考えると、先ずやっているデモ隊の欲求不満解消と、放送局のネタぐらいには意味があるかもしれない。中国国内の急激な経済所得の格差による階層化、社会の変貌によるフラストレーションは高まっているにちがいない。
学生は社会のリトマス試験紙のようなものだ。でも茶番から何が出るか考えてはいないだろう。
結局東アジアの緊張は、欧米の武器商人たちの、「不安定化」による市場の創出に繋がるだけなのだから、頭冷やした方がいいでしょうね。そう、反応すればするほど、彼らの思う壺にはまっていくんです。しかも状況は清朝末期の頃のパロディのようですね。
牛を買ったら、おまけにミサイルも買わされたよ、なんて洒落にもなりません。
<tokyotaro>

バルセロナとヒップなホテル

FH010002
4月2日からバルセロナに滞在している。夜は寒く、昼は18℃くらいまでになる。
私にとっては、12年前に南仏から彫刻家の友達と二人で電車で国境を越えてやって来たバルセロナしか知らなかったので、やはり世界は変貌しているのだなと痛感する。スターバックス等のファーストフードの記憶がなかったし、その当時の欧州の先進国と比較すると、洗練されていなかった感があったのが嘘のようだ。その当時は、街のクラブに行っても、鳴っているのはスペインの歌謡曲であり、アメリカ等、外国の音楽の情報なんて一般的に知らなかったのだ。今ではとても洗練され、軽くなっている。そう昔のバルセロナは濃い感じがした。
建築・都市の外観は東京のようには変化しない。変化したのはそこに生活する人の情報の質である。
建築では、修復されたミースの設計したバルセロナ・パビリオン、ガウディの建築等、昔から素晴らしい名作が満ちている。そのバルセロナにも、イアン・シュレーガーのホテルやWに代表されるヒップなホテルが登場している。
Hote ommは、バーラウンジ・レストランともにコンテンポラリーな格好良さがあるホテルで、そのメインダイニングのMOOは2ツ星です。こういう感覚のホテルは、NY、London、Paris、そしてバルセロナにもあるけど、東京にはありません。目黒のクラスカはいい線なんでしょうけど、あんな郊外にあってはいけません。それに若者ばかりが流行で来ている感じもだめです。東京では表参道にあるようでなくては、そういうホテルの仲間ではないですね。
<tokyotaro>