グレン・グールドを聴く。生誕75周年CD80枚セットを買う。

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 グールドを聴くたび思い出すのは、友達が『ばあさんが好きだからこのレコード録ってよ』と、当時僕が愛聴していたグールドのベートーヴェンのピアノ変奏曲をダビングしたことだ。当時使っていた貧弱なオーディオ装置でダビングしたテープだった。当時使っていたアイワ製のカセットレコーダーで再生すると、若干ノイズが残っていた。が、調整が難しいので、そのままカセット・テープを友達に渡してしまった。後日、友達に大丈夫だったと訊くと、『ばあさん喜んでたよ、ありがとう』と言う。その友達の祖母は、今は故人となられた白洲正子さんであり、その芸術に対する深い見識について、当時の僕は余りにも認識が浅かった。後年僕が分別つくようになった頃には残念ながら他界され、カセット・テープを二度頼まれることはなかった。せめてカセット・テープをもうひとつランク高いメタルにすれば良かったなと、ふと悔やむことがある。まあ蓋し音楽素晴らしさと、音質は違うものなのであるが…。
 それから二十年経っても、僕はいまでもアナログレコードを聴く。またエソテリック製のワディアデジタルのDAコンバーターを搭載したCDプレイヤーを買ってからは、CDでも十二分に音楽を愉しんでいる。その他のオーディオ機器も、ソニー、マランツの廉価版、やがてセレッションのスピーカーにクオード44+405のアンプで聴いていた頃から、現在はATCのスピーカーにクレル+アキュフエーズのアンプと変遷した。いまでもアナログの馴染みの良さ、蓋し昔からの耳の慣れというか郷愁に心を揺らし、同時に明瞭な音のCDの方が優れていると感じる。気がつくと、アナログがデジタルか等と、二十年来さ迷っている。
 グレングールドの生誕75周年記念で80枚のCDセットが限定発売されたのは昨年だった。買う機会がなかったが、ようやく手に入れることが出来そうだ。80枚のコンプリートセットで3万円を切る価格はべらぼうに安い。一枚2500円も払ってLPレコード一枚を買った高校生の自分を想うと、夢のようである。すべての聴衆に最高の音楽を表現できないとライブ演奏を辞め、オーディオでの再生を最良の観客として演奏したグールド氏の全作品である。
※写真は別のLPです。
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 ぜひ手元に残っているLPレコードとCDを聞き比べて、もう一度昔を思い出してみようと思う。カセット・テープもなくなってハードディスクが記録媒体になってしまうなんて、夢にも思っていなかった昔を。

大学を再建する必要ってあるんですか。

日経ネットによると、こういう報告が出たそうだ。
私大や短大「経営困難」98法人・事業団調査、再建支援へ
 日本私立学校振興・共済事業団は、全国の大学法人64と短大法人34が早急に改善が必要な「経営困難状態」(イエローゾーン)にあり、うち15法人は「いつつぶれてもおかしくない」レベルと判定した。今後、経営実態を精査し必要に応じて支援に乗り出す。法人名は未公表だが、イエローゾーンが調査対象の約15%に当たる計98法人に上ったことで、大学・短大の淘汰時代到来が現実味を増した。
 同事業団は大学法人521と短大法人144の2006年度決算と07年度の入学者数動向などを基に、教育研究活動による現金収支(キャッシュフロー)や外部負債、運用資産に着目して7ランクに分類した。 (NIIKENET)

僕の感想としては、もうそういう大学などは必要ないと思う。現状の有名大学が縮小することはあっても、潰れることはないだろう。潰れるような大学に税金を投入したり、大学に希望者全員が(金さえ出せば)行けるようなことは無意味である。高等教育が遍く必要であると見なしている人々の頭がオカシイと思う。勿論、大学が必要ないというわけではない。大学は必要な人だけが行く、本当に意味のある教授・生徒・研究者が行くべきだからである。
第三セクターのレジャーランドが倒産するように、こういう大学等もなくなっていく。そういうことと同じであると思う。
大学に行けばいいというのは、あくまで有名大学に過ぎない。早稲田大学の学生から話を聞いたら、5万人もの学生が早稲田にいるという。仮に大学を出る目的が就職であったとする。通常の有名企業1社が雇用する新卒はよくても数百人だ。仮に日本の大学が早稲田だけだったとしても、新卒学生で人気企業トップの約40-50社程度が埋まる計算になる。
もはやなんとなく大学にいく時代ではないだろうと思う。潰れることころは潰れるので当然だ。さまざまな格差があってしかるべきであり、(実質なかった時代があるのだろうか)格差がないとか言っている幻想は捨てた方がいいと思う。実質それ(税金等)を負担していくのは、30代以前の世代なのだ。

銀座マキシムに行く・高級フランス料理の代名詞

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銀座にある『マキシム』の名は余りにも有名だけれども、いままで食する機会がなかった。
理由は高級である=値段が高いということもあるけれど、その他東京のレストランと比べて高価すぎる訳でもない。確かに70年代当時から、高級レストランの代名詞として確か漫画でも見た気もするし、子供でも、どこか遠くで聞いたことのある名だった。自動車のメルセデスベンツであり、フェラーリのように乗ったことがなくても、(当時は見たことがなくても)知っているべき高級レストランだった。
先日出版されたミシュラン東京にも掲載されていないし、勿論それ以前に、80年代からのフランス料理を含めたヌーベル・キュイジーヌの波から取り残された遺跡のような存在である。だからこそ、90年代に大人になった僕としては、そこで食事をしようという頭の中に存在していなかった秘境であった。
壁には、マリアカラス、イブ・モンタン等かつてのフランスの著名人の訪問時のサインが飾られ、バーは古色蒼然と、ロートレックの絵(勿論本物ではないが)で彩られている。椅子はベルベット地である。現在主流である、ミニマルなスタイルの余分がない空間とは対極にあると言ってもいい。しかしここは、確かにイメージするフランスそのものである。シャンソンが似合う空間であり、五月革命以前のフランスへの追憶そのものだと感じる。80年代の五木寛之氏がパイプを吹かしていそうな場所だ。
およそ日本のトレンドは欧米より20年遅れているから、まあ1967年オープンのこの店が1947年のトレンドを体現しているのだろう。現在では、まあ10年以下のギャップかもしれないけど。
食事は、それなりに満足できるフランス料理だということだけに留めたい。良かった点は、ワインリストに飲み頃の銘柄が良心的なプライスで載っていることだ。ワインについては、巷のワインショップで売っている値段よりも、(近年のユーロの高騰も影響しているのだ)安いものが多くある。そこは歴史がある故なのだろう。
それにしても子供の頃想像していた「高級フランス料理」を食し、かつての「高級」の意味を知ったのは、とても感慨深かった。

バンコクを見、東京を憂う。

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先週バンコクに滞在していた。
滞在期間は、気温も30度半ばと聞いていたものの涼しく、湿度も低かった。
8年前に一度空港を訪れたことはあるが、その当時とは空港も見違えるほど素晴らしく、アジアの発展に驚く。最近はインドへの出張が多かったので、その差は驚くべきものだった。昔、バンコクの混雑は相当ひどいと聞いていたが、高速道路が整備されたおかげでエアポートからのアクセスも良い。やはり聞くのと、見るのとでは大違いであることを痛感した。
宿泊したのは、メトロポリタンというホテルで、2003年に出来たところだそうだ。このホテルはロンドンとバンコクにあるだけだそうで、全体的にコンテンポラリーなグローバルスタイルであり、客室もミニマルなタイ風なインテリア。また有名なスパ<“COMO Shambhala”は、“Conde Nast Traveller”誌などで世界のベストスパにも選ばれたほどの実力をもち、欧米のセレブから支持される、大変有名なスパでそうです。> と素晴らしいプールがあって、仕事でなかったら、じっくり楽しめたと思う。
東京も変貌しているが、確かにアジアの変貌はより別の次元に進んでいる。東京よりも現代的な国際的な感覚というのだろうか、そういう空気のようなものを感じる。食事も美味しいし、飲む場所はバラエティに富んでいて楽しい街であること等、いまさらながらに知ったのは収穫だった。
サムイ島に行った90年代当時は、水溜りの道をバイクで走ったりしたものだったけど、いまではサムイの道もきちんと舗装されているそうだ。タイがエキゾチックな場所だという、高所から見るような幻想は捨てたほうがいいのだろう。
消費のスタイルも現代化し、アジアは変貌する。さて東京は2010年代にはアジアの先端でいるのであろうか。そう考えてみると、やはり2016年の東京オリンピックがターニングポイントとして必要なのだと痛感する。

民主党の迷走とトヨタの世界一達成

民主党の小沢代表が「連立政権」構想のなかで迷走している。
その最中にトヨタの売り上げ世界一の話と、GMが4兆4千億円もの赤字を出したという。
 トヨタ自動車が7日発表した平成19年9月中間連結決算は、売上高が前年同期比13・4%増の13兆122億円、本業のもうけを示す営業利益は16・3%増の1兆2721億円、最終利益は21・3%増の9424億円となり、中間期として売上高は8年連続、利益は2年連続で過去最高を更新した。アジアや中南米など新興国での販売が好調だったほか、為替の円安効果も利益を押し上げた11月7日21時16分配信 産経新聞
売上高は米ゼネラル・モーターズ(GM)の4~9月期の数字を上回り、中間期の売上高でトヨタが初めて「世界一」に立った。
確かにアメリカは製造業でなりたってはいない。貿易収支は赤字であるし、世界からの金が流れ込むことで一応平静を保っているに過ぎない。その一方、世界一のマーケットであり、また軍事大国である。
同時に、日本国内は高齢化社会で自動車産業も含めての需要は芳しくない。またアジアを含む地域においての、特に北アジアにおける覇権は、中国、韓国の著しい成長に押されている。つまり日本の軍事・政治的な状況は、前門の狼、後門の虎といっても良い。原油は1バレル:100ドルに達する勢いになり、その余剰金がアメリカの生命線となり、そのマーケットを狙って中国、日本、韓国はしのぎを削っている。
労働力の減少と、日本に流入する資本の相対的な減少が国を抜本的に蝕んでいる。いまでは中国国内の株式市場の総額は、東証の総額と遜色ないのだ。つい十年前には考えられなかった状況である。
高齢化社会という国内マーケットの衰退とともに、日本企業の海外へのシフトが高度な段階になってることを、この「トヨタの世界一」という事態において明確にしたと思う。民主党の迷走は「連立政権」という、政治的空白を解消する手段を模索するプロセスで起こった。国際的な変化のスピードは著しく、もはや、政治的な云々という物語を受容できるほど、日本に余裕はない。意思決定のプロセスは迅速化されなくてはならない。
格差を解消するために法人税を高くしたり、無駄な公共投資をする余裕はなく、もはや日本型の社会主義体制は崩壊している。トヨタは日本の企業ではなく、グローバル企業なのである。モノとしての企業(株式)だけでなく、人としての企業も脱日本人化している。
高齢社会は郷愁の社会である。過去の仕組みを回顧し、そのなかにいいものがあると夢想する。最近の「昭和」への追憶ブームも同様である。過去は美化されるのみだ。昭和三十年代は決して『三丁目の夕日』ではなく、戦後の暗闇が潜んでいたことを皆は忘却している。
トヨタが世界一になったことは、日本が世界一であることの象徴ではない。日本人にとっては、いまこそ危機であるという意識を持たなくては、亡国の期が迫っていくのだと痛感するべきだ。

新しいGT-Rの広告戦略とイメージ

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6年前にゴーン氏が約束した日産GTRがデビューし、築地にある日産本社には、カラーバリエーションのラインナップとともに数台のGT-Rを展示している。モーターショーでは予約制らしいが、ここでは自由に触れるので、座席にも座ってみた。タイトな革張りのシート、情報機能の満載したナビ、現代的なステアリング、それでも日産のDNAを感じさせるデザインになっている。
私にとっての日産・スカイラインのイメージは、『神奈川』、『暴走族』、『セブンスター』がコアになっている。明け方の本牧埠頭近く、また第三京浜で爆走する姿であり、少し悪いぼんぼんが乗っているというイメージがある。スカイラインは嫌味なほど男臭い自動車であり、コンサバティブなセンス人たちは乗らない自動車だった。
時代が変遷し、バブルを経て、その当時の方々も五十代半ばになっている。確かにギャラリーを見渡すと、若い者は少なく、白髪頭の紳士たちが熱心に覗き込み、ステアリングを握っている。800万円という価格もあるが、やはり自動車に情熱を持つ人々は、確かに高齢化しているようだ。
今回のGT-Rは日産の情熱を表現したものだと、ゴーン氏は語っていた。若者に情熱を伝えるために(?)通常のTV-CFは行わず、路上で発表前に露出するというハプニング的なシティジャックの演出を用いたり、ブログを活用し、若者に自動車の情熱を伝える役割を与え、紙媒体、ゲーム等でのPRを実施している。
走りはポルシェターボ以上だという、0-100kmも3.6秒。凄まじい性能である。
しかしはたして若者が再び情熱を取り戻すきっかけになるのかは、正直分からない。デザインもセンスは良くなっているが、少々やぼったい。でもそこがGT-RのDNAなのである。
最近40代後半から50代向けのファッション誌が創刊されている。ドルチェ&ガッバーナ、その他イタリアブランドを着た年配の方が、男臭さを発散し、確かに六本木のクラブでもそういうタイプの紳士を目にする。昔、暴走族でやんちゃをしていたけれど、今では企業の役員になって、それでも過去の熱を忘れられない方々。
蓋し、GT-R=リッチなチョイ悪親父カーである。どこまで若者を魅了するかは未知数であるが、男の回春薬としては、ポルシェ以上であるのは間違いないだろう。

サルの群れ襲撃、ニューデリー副市長が転落死

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インドは不可思議な国です。やはり、想定外の出来事が起こるみたいです。
10月22日12時8分配信 読売新聞
サルの群れ襲撃、ニューデリー副市長が転落死
 【ニューデリー=永田和男】インドPTI通信によると、首都ニューデリーのS・S・バジワ副市長(52)が20日、市内の自宅2階ベランダで、襲いかかるサルの群れを追い払おうとしてバランスを崩して庭に転落、頭を強く打って、収容先の病院で21日死亡した。
 副市長を襲ったのは、近所のヒンズー教寺院に住みつくサルの一群と見られる。ニューデリーでは、これまでもサルの襲撃による死亡事故が発生。国会議事堂や官庁が集中する市中心部でも野生のサルが我が物顔で走り回り、建物に侵入して業務の妨げになっているとして、裁判所は何度も市衛生当局に対策を講じるよう命じていた。
 しかし、ヒンズー教で神聖視されるサルを殺すことはできず、市では、動物捕獲業者が生け捕りにしてきたサルを買い取って郊外で放している以外、抜本的な対策を取れないでいた。

全日空ムンバイ直行便に乗る。

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先週出張のため、インド・ムンバイへの直行便に乗った。全席ビジネスクラスで、2007年9月1日から就航。ボーイング737-700ER型機で飛行し、36席全てがビジネスクラスの客室仕様となっている。
乗り心地は、小さな機体であったからか揺れが多少大きかったと思う。でも偏西風がキツクなってきているからかもしれない。10月末からは、確かに燃料の消費量も時間も多くかかる時期になり、成田を出て、長崎で一度給油が必要になる程だそうだ。
食事は洋食・和食と特別の料理がサービスされる。和食を食べたけれど、いままでの飛行機の食事のレベルを上回る美味しさだった。しかし想像よりも座席は堅く、僕にとって寝心地は良くはなかった。アメニティは気配りも良く充実していたが、インドの航空会社のジェット・エアがブルガリ製のアメニティを常備していることを比べてしまうと、少々物足りない。<モデルのような女性をCAにし、それを売りにしている高級志向の会社ではあるけど>
最大のメリットは、なによりトランジットがなく、10時間弱でムンバイまで到着できることに尽きる。早く、安全に到着できることの他、確かに大切なのことはないけれど、さらに贅沢を言ってしまうのが客の常である。

ボクシング、内藤の勝利と視聴率28%

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ボクシングが脚光を浴びたのはいつ以来のことだろう。
亀田親子が懸命にボクシングへの耳目を集め、ヒール役として倒されるという物語を用意し、ボクシング=スポーツという純粋さを国民にメッセージを発信した。ボクシングはショーであり、スポーツである。平均視聴率28%(首都圏)を達成し、K-1等、空手系の格闘技が台頭するなかで忘れられていたボクシングに、ショーしても面白さとスポーツとしての純粋さを思い起こさせる試合だった。
勿論、偉大なボクシングの試合ではなく、技術的にも面白いものではなかったけれど、本来のボクシングの持っているメッセージが強く伝わったのではないかと、僕はこの試合を観て思った。
亀田親子の素晴らしい点は、ここまでショーとしての側面に注目を集めさせたことだ。しかし、クレイ(M・アリ)のもどきの饒舌を真似しても、彼らの言葉には品がなかった。それは本質的なボクサーとしての矜持が備わっていないからだ。
孤独であり、ストイックであるスポーツ。偉大なボクサーは詩人であり、孤独を削り取って生きている。真のボクサーは詩人に近いと、ノーベル賞作家・ジョン・キャロル・オーツも書いているように。
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