外国人参政権を推し進める民主党は、何を意図しているのか。

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戦時中の徴用令によって日本に渡航し、昭和34年の時点で日本に残っていた朝鮮人は、当時登録されていた在日朝鮮人約61万人のうちわずか245人だったことが10日、分かった。自民党の高市早苗元沖縄・北方担当相の資料請求に対し、外務省が明らかにした。
 資料は34年7月11日付で、245人について「みな自分の自由意思によって日本に留った者または日本生まれだ。日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き一名もいない」と結論付けている。
 永住外国人に地方参政権(選挙権)を付与する法案の推進派は、在日韓国・朝鮮人が自分の意思に反し日本に住んでいることを理由の1つとして挙げてきた。

自由意思によって留まったものが、永住権を持ったからと参政権を持つのはいかがなものだろう。国籍を取得してから参政権を持つというのは、憲法にも定められており、また最高裁の判決においても結論が出ている。
そこを無理に推し進めるとしたら、まさに法の精神に反する、独裁社会だ。
外国人が居住し、働く権利を持つことと、参政権はまったく別の問題である。早期にこういう馬鹿けだ話は破棄すると、誠意ある与党議員、野党議員に頑張っていただきたい。
私は攘夷論者ではないが、国家を破壊せんとする愚行には明確に反対する。

Audi R8<フルスペック>に乗る。東京⇔横浜を走る。

R8
AudiR8に乗ってみないかと声が掛かり、東京から横浜まで運転してみる機会を得た。個人的には長年のAudiユーザではあるけれど、最新鋭の高級スポーツカーを購入するようなライフスタイルではない。二十年程前のスポーツカーは近年まで所有していたけれど、最新鋭のカーボンブレーキを装着し、V10のエンジンを搭載した自動車なんて、どんなものかと雑誌やWebで見る程度だった。
都内を速度50kmで走っている間は、セダンとは言わないが、高級車に乗っているかのようにスムースで、乗っている空間の感覚も、普段のAudiとそう変わらない。Q5とか、A6とか最近のAudi車の文法通りである。オートマティックとマニュアル(パドルまたはシフトレバー操作)を選択できるが、レーシングカーに倣ってクラッチがシングルになっているらしく、通常のオートマとは勝手が少々違う。マニュアルのレバー操作では、前が+、後ろが-となっているので、僕はそちらを選択してみた。
基本的にランボルギーニのガヤルドと姉妹車である。(ガヤルドはアウディ製である)でも友人によると、味つけは異なっているらしく、ガヤルドは固めだそうだ。湾岸道路を加速してみると、3速で100キロくらいで確か4500回転程度。そうすると、後部のV10はレーシングカーらしいエンジン音の味つけを感じるが、4-5速にしてしまうと、120-30kmくらいでも何事もないかのように静まり、高速道路のギャップでも、突き上げもなく、足回りはしなやかである。
仕事で関わったこともあるF1の世界の視点から見たら、そもそも高級スポーツカーは金持ちのファンやタニマチに、「それらしさ」を提供するものでしかない。フェラーリだったら、乗ってみるとわくわくさせる演出は、「音」である。そういう意味での魅力がどこにあるのかと僕は探してみながら、アクセルを踏むと、やはり容易に非日常の領域に突入する。しかし、公道では一瞬の煌めきのあとに、日常が舞い戻る。
良く言えば「高級」、悪く言えば「スポーツカー・レーシングカー」らしさの弱さがあるけれども、一台こういう自動車を所有できるような生活は、夢のようだとも思う。コンラッドホテルに乗りつけてみると、やはり待遇も一段違うし、そういうライフスタイルを含めての価値なのだろう。馬子にも衣装である。

シックスセンステクノロジー・インド人の知性は世界を変革するか。

sixthsense technologyという新しいインタフェースの考え方がTED2009で示された。インド人のMITの研究者が示したヴィジョンであり、デジタルの世界と現実をシームレスに繋ぎとめる考え方は、確かに触発させる創造性に溢れている。
その一方で、現実的なディバイスが実用レベルでどうなるのかについては、いくらでも批判できるポイントはある。日本の開発の現場では、こういうクレイジーアイデアは消されてしまうだろうし、自分からもなかなか提案しにくいのではないか。
そういう意味で、デジタルの変革は、まずは「なんでもあり」で、やってみた方がいいのかも知れない。日本人のデジタル予測に関する書籍・資料を読んでいると、優秀なのだろうけど、あまりにも生真面目で小難しい。インド人くらいホラを吹けるいい加減さが、ビックピクチャを作り出すには、必要なのだろうと思う。

やっぱり嘘だった!温暖化という幻想

ヒマラヤの氷河消失、報告書は誤りと陳謝
1月21日10時22分配信 読売新聞
 【ワシントン=山田哲朗】国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は20日、声明を発表し、2007年の第4次報告書で「ヒマラヤの氷河が2035年までに解けてなくなる可能性が非常に高い」とした記述は科学的根拠がなく誤りだったと陳謝した。
 世界中の科学者が協力して作成した報告書は信頼性が高く、IPCCはアル・ゴア元米副大統領と2007年にノーベル平和賞を受賞したが、地球温暖化の懐疑派は「報告書の信頼は揺らいだ」と攻勢を強めている。
 欧米の気象学者らが20日、独自に発表した分析によると、報告書は問題の部分を世界自然保護基金(WWF)のリポートから引用した。WWFは英国の一般向け科学雑誌ニュー・サイエンティストが1999年に掲載したインド人研究者についての記事を引用した。しかし、この研究者の論文は未公表で、氷河消失の時期も予想していなかった。
 「2035年」という時期は、別の文献の「2350年」を写し間違えた可能性があるという。分析は「査読を経た論文を基礎に置くという科学の基本を守れば回避できた間違い」と指摘している。 最終更新:1月21日10時22分

ほんとの『不都合な真実』が暴露です。
それにしても長い間、周囲のエコ熱狂者たちの犠牲になってきたなと思う。彼らに謝罪を求めたい。さっさと夏暑く、冬寒いオフィスの冷暖房のエコ状況を改善してほしい…ホントに。

グーグル対中国。どういう決着になるのだろうか。

中国のグーグル検索に「天安門事件」登場、オフィスは厳戒
1月14日11時3分配信 CNN.co.jp
北京(CNN) 「ネットの検閲はもう続けない」と宣言した米検索大手のグーグルが13日、中国の検索サイト「Google.cn」に天安門事件やダライラマ、法輪功など従来は出て来なかった検索結果を表示するようになった。
これまでは同サイトで「天安門」を検索しても、天安門の写真が出てくるだけだったが、13日以降は1989年の天安門事件について解説したサイトへのリンクが表示されるようになった。ただし部分的に検閲された状態と検閲されていない状態が入れ替わるなど、不安定な表示が続いている。
グーグルは同日、中国でサイバー攻撃の被害に遭い、何者かが人権活動家の電子メールに不正アクセスしようとした痕跡があると発表し、「検索の検閲をこれ以上続けるつもりはない」と言明。今後の成り行きによってはGoogle.cnのサイト閉鎖や同社の中国からの撤退もあり得ると表明した。
ただし今回のサイバー攻撃について中国政府の関与を直接明言したわけではなく、検閲なしの検索サイト運営の可能性について当局と話し合うとしている。
北京にあるグーグル中国法人のオフィスでは、この発表から間もなく従業員に有給休暇が出されたと伝えられ、いつになく厳重な警備が敷かれた。米カリフォルニア州の本社が運営する社内のシステムなどにもアクセスできなくなっているという。
オフィス前にはグーグルのユーザーやファンが集まって言論の自由を守る姿勢に支持を表明。同社には大量の花がひっきりなし届けられており、現地のブログはこれについて、グーグルの中国撤退を見越して哀悼の意を表するものだと伝えている。
グーグルは2006年に中国で検索サイトを立ち上げたが、現地の大手バイドゥ(百度)に阻まれてシェアは伸び悩んでいた。中国インターネット・ネットワーク情報センターの09年9月の統計によると、ネット検索市場のシェアは百度が77%、グーグルが13%となっている。しかし3億人以上がインターネットを利用し、広告市場の急拡大も見込まれる同国から撤退すれば、グーグルにとっては大きな痛手となる。

インターネットによる既存価値の崩壊を推し進めるグーグル。中国、ロシアのような旧共産主義圏において、また歴史的な地政学の観点からも、受け入れられる存在なのかどうかは判断が難しい。
情報の統制による国家の統治を脅かすと、既存体制は考えるし、新たな体制が出来たとしても、(現在はグーグルを支援する人であっても)、その人たちが為政者になったとき、果たしてその地において同様のスタンスを取るかは疑問である。地政学観点からは、その国・土地においては譲ることのできないポイントであると、想像できるからだ。
グーグル的=カルフォルニア的なカルチャの臨界点がどこにあるのかを見極めることが、歴史の趨勢を予測するには不可欠なのだろう。現在この問いに答えられる者はいないだろうが。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100114-00000002-cnn-int

オーストラリアって南極の利権を主張してたとは、知りませんでした。

1月10日21時42分配信 読売新聞
 【シンガポール=岡崎哲】今月6日に発生した日本の調査捕鯨船団の監視船「第2昭南丸」と米国の反捕鯨団体シー・シェパードの小型高速船「アディ・ギル号」の衝突が、高速船の大破など過去最悪の被害となり、同団体に同情的だったオーストラリアで過激行動への反感が募っている。
 不満は、エスカレートする事態を止められない豪ラッド政権にも向かっている。
 「政治家と記者は(シー・シェパードの)活動家への支援をやめるべきだ」――。豪有力紙「オーストラリアン」は8日付の社説でこう訴えた。一連の抗議行動を「傲慢(ごうまん)で理屈に合わない」と切り捨て、シー・シェパードとの「決別」を宣言した。同紙のサイトで実施された読者投票で衝突責任の所在を尋ねたところ、約64%が「シー・シェパード」と回答した。
 シドニー・モーニング・ヘラルド紙の社説もシー・シェパードの行為を「違法すれすれの極めて危険な遊び」と非難。日本側の「防衛的措置は合法」とした。
 捕鯨海域に近い豪州は、シー・シェパードの事実上の出撃拠点で、資金の主要供給源でもあった。衝突直後には日本を批判する意見が強かったが、最近は矛先が反捕鯨団体に転じた。背景には、衝突時の映像が広がり、団体の無謀な抗議行動がひとつ間違えば人命にかかわる事態となっていたことが判明、反感が広がった事情がある。
 こうした風向きの変化にもかかわらず、ラッド政権は衝突後、「(捕鯨船団と抗議側の)双方に危険行為の自制を求める」と公式発言を繰り返すにとどまっている。野党などからは、「豪州から船を派遣して双方の動きを監視すべきだったのではないか」などと無策批判が一斉に上がった。
 そもそもラッド労働党は2007年の総選挙で、「日本の調査捕鯨の違法性を国際法廷で訴える」と公約、反捕鯨の環境団体「グリーンピース」の元理事ギャレット氏を環境相にすえた。だが、その後は「外交努力」をうたうだけで具体的行動は見送ってきた。
 政府内には、主要貿易相手国である日本との関係悪化への懸念に加え、国際司法裁判所などに持ち込んでも「勝てる保証はない」(ギラード副首相)との計算があるようだ。豪州の主張は、自国が南極大陸の一部に領有権を持ち、その沖合は「排他的経済水域」(EEZ)にあたるため、「この海域での日本の捕鯨は違法」という論拠だ。
 だが、領有権が確定していない南極でEEZを主張するには無理があり、「国際法廷で南極領有が否定されれば、かえって国益を損なう」との懸念がうかがえる。ラッド政権は年内にも行われる総選挙をにらみ、世論と国益確保のはざまでジレンマに陥っている

面白いニュース。捕鯨運動がこういう利権と絡んでいたとは…。そういう話だと思うと、捕鯨問題も理解できるというものです。
環境とか、捕鯨とか、「綺麗ごと」がニュースになる背景って、壮大な利権があるんですね、やっぱり。tokyotaro
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100110-00000757-yom-int

ゴードン・ベル賞を受賞した浜田教授の快挙と、新たな発想力。

 東京・秋葉原でも売っている安価な材料を使ってスーパーコンピューター(スパコン)を製作、演算速度日本一を達成した長崎大学の浜田(剛つよし)助教(35)らが、米国電気電子学会の「ゴードン・ベル賞」を受賞した。政府の「事業仕分け」で次世代スパコンの事実上凍結方針が物議を醸しているが、受賞は安い予算でもスパコンを作れることを示した形で、議論に一石を投じそうだ。
 同賞は、コンピューターについて世界で最も優れた性能を記録した研究者に与えられ「スパコンのノーベル賞」とも呼ばれる。浜田助教は、横田理央・英ブリストル大研究員、(似鳥にたどり)啓吾・理化学研究所特別研究員との共同研究で受賞。日本の研究機関の受賞は06年の理化学研究所以来3年ぶりという快挙だ。
 浜田助教らは「スパコンは高額をかけて構築するのが主流。全く逆の発想で挑戦しよう」と、ゲーム機などに使われ、秋葉原の電気街でも売られている、コンピューターグラフィックス向け中央演算処理装置(GPU)を組み合わせたスパコン製作に挑戦した。
 「何度もあきらめかけた」というが、3年かけてGPU380基を並列に作動させることに成功。メーカーからの購入分だけでは足りず、実際に秋葉原でGPUを調達した。開発費は約3800万円。一般的には10億~100億円ほどかかるというから、破格の安さだ。そしてこのスパコンで、毎秒158兆回の計算ができる「演算速度日本一」を達成した。
 26日の記者会見で事業仕分けについて問われた浜田助教は「計算機資源は科学技術の生命線。スパコンをたくさん持っているかどうかは国力にもつながる」と指摘。一方「高額をかける現在のやり方がいいとは言えない。このスパコンなら、同じ金額で10~100倍の計算機資源を得られる」と胸を張った。【錦織祐一】

米国でソニーのPS3を並列使用してスパコンを構築する話は知っていたけれども、日本人でそういう発想から構築を目指し、しかも同賞を受賞できる程の性能を発揮するとは予想もしなかった。やはり知らないところにも、偉人はいるのだと痛感し、自分の思い込みを恥ずかしくも思う。
記事にもあるように、現在素材から作り出すようなプロジェクトが政治でも話題になっている。スパコンの使用目的として語られるのは、「気象変動の精緻な予測が出来るので、温暖化をシュミレーションできる」等、誰にでも分かる凡庸な大儀であって、それ以外にも核分裂のシュミレーション等さまざまな使途があるのだろう。が、スパコンの開発に際し、どの程度のスペックが必要であり、コスト効果がどうであるかについては、誰も詳細を説明しない。蓋し、官製プロジェクトの常として、手段が目的化しているのが実情でないかと思う。
日本のような小資源国には、確かに技術が必要である。それを国民は否定しない。しかし同時に巨額の債務を抱えた国家であることも忘れるべきではない。第二次大戦における海軍の巨艦主義と同質の病が日本には潜伏しており、それがこういう浜田氏の快挙(まるで航空機が戦艦を撃沈するかのような)転換点を見過ごすことになっては、同じ誤りを繰り返してしまう。
現在、日本のさまざまな状況に求められている資質は、柔軟な知性ではないだろうか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091127-00000003-maiall-soci

美食の王様と喧伝される来栖氏のレストランに行く。

10月半ばにオープンし、『ソロモンの賢人』でも取材を受けていた西麻布にあるレストラン・エキュレに行く。ちょうど週末の金曜日だったが、席は十名ほどでほぼ満席だった。革張りの一人がけのソファでフランス料理を食するというのは、少しばかり不思議な気がする。
食事はコースになっていて12,000円と、デザート&パンが充実した+4,000円のコースになっている。給仕は3名、そのうちの一人が来栖氏で、彼はパンとデザートをサーブする。バケットは、駒場東大前にあるル・ルソールから取り寄せているという。
僕はスペインの辛口のスパークリングワインをグラスで飲みながら、料理を待った。
2009年11月6日金曜日。1品目は、アミューズとして、カリッとした脂:イベリコハムを揚げたもの…これは少し揚げ方に(タイミング)が、微妙にずれた感じだけど、中身はうまい。
2品目はいがぐりのスープ…秋の栗の甘みが口に広がるロマンティックな味わい。
3品目は美白と題された、ホワイトマッシュルームとかわはぎの一品。かわはぎの肝のソースとホワイトマッシュルームって、結構美味しいなと思う。フランス料理でも、和食でもないフュージョン感が面白い。
4品目はホタテパン…ホタテを焼いたパンと黒トリュフで挟んだ一品。トリュフって美味しいけど、大量に食べたらどうなんだろうとか、妙なことを空想する。味は上々。
5品目は、じゃがバターと題された、ソテーされたしっかりした量のフォアグラと、サツマイモ。フォアグラは、まさにフランス料理の王道って感じで美味しく、サツマイモは僕にはどう料理されたのか分からないけど、とても上品な石焼きイモという印象。
6品目は潮風と題された、アズキハタに青菜としじみ、全体にゆずの香りがする和の感じの一品。
7品目は、鴨。非常に貴重な鴨の肉を取り寄せたらしく、臭みも無く、素晴らしい。いままで食べた鴨のなかでも最高の部類だ。その次の2品は、デザート。いちじくとモンブラン。軽くてさっぱりしている。
デザートを+している人は、そこからパティスリーリョーコのキャラドゥー等、6品がサーブされる。最後は元麻布のミ・カフェートのキロ6万円?とかいうコーヒー豆(少量づつガスで封をされ梱包された)を挽いてから、来栖氏自らが目の前で注いでいく。
シェフは元白金にあるカンテサンスのスーシェフだったらしい。カンテサンスは行ったことないけれど、伝統的なフランス料理からヌーベル・キュイジーヌになって久しいが、もはや別カテゴリーのフュージョン、ジャパニーズ懐石フランセーズと呼びたくなる。店のサービス&料理の統合的な印象を言葉にするならば、ロマンティック、ノスタルジック&一生懸命。
価格以上の食事(食材&技術)とサービスがあるので、ぜひ足を運んで損はないと思う。しかし食事に集中するほかない環境なので、接待&デートには難があるかもしれない。

クロード・レヴィ=ストロース氏が亡くなる。構造主義者ではない構造主義の祖。

【パリ共同】フランス紙ルモンド(電子版)が3日伝えたところによると、現代フランスを代表する思想家で社会人類学者のクロード・レビストロース氏が、死去した。100歳。10月31日から11月1日にかけての夜に死去したという。死因など詳しい状況は不明。
第2次大戦中に亡命した米国で構造言語学を導入した新しい人類学の方法を着想、戦後フランスで実存主義と並ぶ思想的流行となった構造主義思想を開花させた。
1908年11月28日、ブリュッセルのユダヤ人家庭に生まれた。パリ大学で法学、哲学を学び、高校教師を務めた後、35年から3年間、サンパウロ大学教授としてインディオ社会を調査。41~44年にナチスの迫害を逃れて米国亡命、49年の論文「親族の基本的概念」で構造人類学を樹立した。
自伝的紀行「悲しき熱帯」(55年)は世界的ベストセラーとなり、「構造人類学」(58年)「今日のトーテミズム」(62年)「野生の思考」(同年)で構造主義ブームを主導する思想界の重鎮に。世界の民俗や神話に鋭く切り込み、64年から71年にかけ「神話学」4部作を発表。
73年、フランス学界最高権威のアカデミー・フランセーズ正会員に選出された。

『野生の思考』を十代に読んだときの高揚感を忘れない。彼こそ言うまでもなく、未開という文脈に知性の存在を見い出し、はじめてヨーロッパ中心主義を離れた局面から文化人類学を切り開いた人である。器用仕事と訳されたプリコラージュという思考様式は、実は現在のネットカルチャアに相似している。後年、概念をツールであると表現したドゥルーズ&ガタリの先見も、未開の思考にその根源がある。500年来連綿と世界の中心であった欧州から、第二次大戦後アメリカに中心を移動させることにより花開いた思考だったと思う。
ナチズムの根拠となった観念主義=人間(欧州)中心主義により、多大な犠牲を払ったユダヤ人であるからこそ、ストロース氏は欧州文明を離れた視線を獲得し、また時代に呼応したのだ思う。
構造主義者は、その構造に対し一歩離れたところから批評するので、「プチブル的」とコミュニスト&実存主義者に批判されたりもした。そういう意味では、ストロース氏は「構造主義者」ではなかった。
日本はそういう意味で20世紀に突如大国として世界史に登場し、戦争を通じて欧州中心主義を破壊した外部である。ストロース氏はその日本についても講演にて的確な分析をしていた。僕はテレビで見たのだけれども「日本には開く時期と、閉じる時期がある。そして常にアメリカ(欧州)と中国の均衡のなかに晒される。しかし常にバランス良く、立ち回って来た国である」というようなことを、言っていたと記憶している。確かに現状ストロース氏の言うように、中国とアメリカの間でどういうバランスを取るべきかは、日本の課題である。中国は常に沿岸部と内陸部の格差に悩んでいる。時に毛沢東のような人物がその平準化を図るため、中国であっても国を閉じる。
現在はインターネット&金融の国際化により、世界はアメリカ的なグローバニズムで開放状態である。その最中日本はどうバランスを取っていくのか。氏の意見をもはや聞けないのは残念である。

URTRA002@青山スパイラル 新進気鋭の画廊ディレクターたち

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画廊の名前ではなく、画廊に属するディレクターの名による展示というイベントである。主催者によると『才能あふれる51名の若手ディレクターが集結する、新形式のアートフェア』だそうである。画家や作品よりもキュレーターが現在の価値を表現するシンボルになったように、画廊の名前のバックヤードたちが表舞台に出るという嗜好らしい。
個人的には作家であってもアノニマス(無記名)であることを美徳と感じている私にとって、バックヤードの人々が表舞台に出ること自体は、またそれを説明責任の明確化だという観点から評価することもあるかもしれないけど、教育的な観点以外に意味あることとは思わない。
ざっくりとした印象は美術大学からの青田買いという風である。将来の才能を感じさせる作家もけれども、先鋭的なディレクターの挑戦というよりも、美大の学園祭というか、ゆとり世代のフェスティバルかなと辛口ながら感じてしまった。表現に生命力であるとか、知性を感じたいと無理を思うのは、僕が現在の美術業界の外に属しているからかもしれない。が、少なくとも東京モーターショーよりは明るい活気があるのが、日本の将来を考えると救いかもしれないとは思う。