
世間では40前後をアラフォーというらしいが、それはとても便利な言葉だと思う。40代と言ってしまうと幅広いけど、アラフォーはなにかをくくっている。それは肉体的にも、社会的にも、そして精神的にも。
僕もさまざまな情けない事やら、クダラナイことばかりをやりながら、そういう年になった。まあそれなりに立ち止まって考えたこともあって、素晴らしくもならけりゃ、酷くもない。それはアラフォーにおけるすべてにおいて、幸いな事に病気でもないし、仕事もちゃんとあるし、狂ってもいない。
そういう普通のアラフォー男は、結構まだ若いというか、まだオヤジじゃないと思ったり、モラトリアムに逃げていたり(まだ結婚は早いとか、子供は早いとか、親離れ?出来てないとか)、自分が子供の頃よりはなんだか成熟していない。が、確実に年は重ねている。
そんな自分があとどのくらい何が出来るかと思うと、昔やっていた事をもういちどやろうとか、やれなかったことをやろうとかする。僕の場合は、サーフィンはずいぶん前から(もう十四年か)コンスタントにやるようになっていたから、人の話を聞いてじゃあバイクでもと免許を取った。普通二輪免許、昔の中免である。
中学生の時、バイク乗りである(いまでも)父親に造成地に連れて行かれ、泣く泣くモトクロスバイクに乗らされて怪我までしたこともある自分なので、教習所でもバイク乗ってた事有るでしょとか言われた(免許ないのに)。まあ確かに世代的に盗んだバイクを無免で乗る連中がごまんといた世代だから仕方ない。
そんな僕がはじめて買ったのは、中古のドゥカティだ。L型ツインの空冷という独特のエンジンだけど、レースをするわけでもないし、デザインで選んだ。
バイクはエコなのに悪のイメージを背負っている。そういう逆風があるところが、世間ではコンプライアンスとか、家族の束縛とか、そんな我が身がふと自由な幻想を抱けるのが、アラフォーにとってのバイクの素晴らしいところだろうと、逆説的に感じている。
バイクに乗るという行為は、アラフォーにとってどういうことなのか。
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