サンテミリオンの罠

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日曜日の青空の下、エノテカでサンテミリオンを試飲した。4500円程を支払うと、2001Chカノン・ラ・ガフリエール、2001Chラ・クースポード、2001Chキノ・ランクロ、2003Chモンブスケ、2003Chヴァランドローという錚々たる銘柄を愉しめるという。店先の黒板では十日前から告知していたので、大勢集まるだろうとわたしは予約までしていた。しかし予想は外れ、私の他には、四十くらいの女性とその連れの黒眼鏡をかけたアメリカ人、ソムリエ志望風の青年(二十代後半?)の二組だけだった。
屋外の席に着く。テースティングシートとペンを渡され、ブラインドでお試しくださいと言う。五つのグラスが目の前に置かれた。えっと、私は動揺したが、もはや引き返せない。テースティングと言っても、なんだか薀蓄の説明があって美味いワインが飲める程度に想定していたので、まさに予想外だった。
縦軸に1番から5番あり、横軸に色、ブーケ、フレーバー、そして総合という空欄があった。まさに空欄、選択するわけでもない。横を見るとソムリエ志望の青年がグラスを傾けてワインの足(液の粘度)をみたり、ナプキンをあてて色味を見たりしている。また向こうでは、小太り眼鏡のアメリカ人がひっきりなしにノートにメモをしている。うーんと焦る。大体、ワインの色なんてガーネットしか言葉が浮かばない。このメモは提出したりするのだろうか…。携帯のネットで調べようと思うが、目の前のワインの答えなんて出てるわけもない。はやくも降参したくなり、安く高級な酒を飲んでみようなどいう目論見が悪かったのだと後悔する。しかし目の前には解答用紙、そして5つのワイン。
まるで勉強しないで模試を受けに来てしまった時の心境である。十年数年も経ってこういう心境になるとは思ってもみなかった。ソムリエ志望の回答をカンニングしたいと思う。そういう時こそ、感覚も脳も総動員される。結果は別として…。
上に書いた順に飲んでみた。1番目が結構いい酸味、しっかりとして美味しい。2番目は酸味が軽く、ちょっと平板な感じ。3番目は酸味がよく、タンニンもある。バランスもいいし、深い赤が美しい。4番目は乳製品ぽい味がする。他とは違う独特な味。ミッシェルロラン(有名なワイン研究&醸造家)のワインに似ているかな??5番目は酸味がある。でもしっかりはしていない。悪くはないけど???
結論は、1,3、5が一万円台の高級ワイン、2が一番安い中級クラス、4がシンデレラワインと言われる5万円のヴァランドローか、と私思った。1銘柄しか飲んだことないので、乱暴な判断である。そしてそれ以上は回答できない。ギブアップである。
「答えをくださいませんか」
と別の店員さんに言うと、
「さきほどのお渡しした紙の順です」
と言う。
絶句。意味不明だった。さっき言われたブラインドはどういうことか。
「カジュアルなもので、特にそれ以上の回答はご用意していません」
と、明るい笑顔が告げた。
そのサンテミリオンたちは、とても良いワインだった。
<tokyotaros>

棋士・羽生の「大局観」と中田英寿の引退。

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棋士・羽生 善治のドキュメンタリーの再放送をやっていた。十年前にはタイトル七冠全てを独占し、将棋に縁のない私であってもその偉業は知っていた。
わたしは天才という存在について、肉体を超越している霊的な存在のようなものと、勝手に勘違いをしていた。そのなかでも将棋というものは、努力を超えた才能と知性がなくては到達できない極みがあって、素人には到底及ばない境地なのだと想像していた。が、その番組で彼が言った「記憶力と瞬発力が衰えて来ると、昔の将棋は指せない」と。
その時、人間であるかぎり、天才的な棋士であるがこそ身体的な限界というものと対峙しているのだと、わたしは初めて知った。そして現在は将棋の「大局観」をどう持つかを常に考えて指しているという。それは若い肉体が持っていた側面とは異なる境地である。
 中田英寿はワールドカップをもって現役を引退した。棋士よりも、肉体の持っている瞬発力であり判断力が必要であることは自明である。それでも二十九歳という年齢での決断には残念という他ない。彼のブログの文章や行動から感じるのは、常に世界を自己愛のレンズを通して見ていることである。その範囲では、プレイに対しストイックであるし、ゲームのイメージも豊富である、優秀なプレイヤーだった。しかし、羽生の言う「大局観」を持つまでは至っていない。
勿論、棋士とサッカー選手という職業の違いはあるだろう。棋士は生涯プレイヤーであり得るのかもしれない。それでも関わり方として、もし中田が海外のトップリーグでは活躍できなくなっているとしても、名声やチームに拘らず自分を捨ててサッカーそのものを愛すことができたなら、また大きな実りがあっただろう。
晩節を汚さずというには、余りにも若すぎる判断であったと思う。

初期型i-podを探し出し、アークティック・モンキーズを聴く♪

Arctic_monkeys
北極の猿たちという不思議な名前のバンドを知ったのは、四月のロンドンのレコード店だった。
長らくロックとは遠ざかっていたので、とても印象的なCDジャケットのタバコを吸う男の写真を見、印象にあったのだが、買ったのはつい数日前だ。音楽の仕事とも遠ざかり、まったく自分の音楽情報の収集能力の低下に嘆く。
そこで彼らの音楽を聴いて衝撃を受け、感動した。PCの発達でサンプリングと打ち込みが多くなり、次第に音楽に飽きてしまった私にとって久々の福音だった。
(彼らのmyspaceで視聴できます♪)
パンクロック→テクノ→オルタナティブ・ロック→アンビエント・テクノと、70年代後半から90年代半ばまでは同時代の音楽を聴いてきたけれども、埃を被っていた初期型i-podについ最近入れたプレイリストを眺めると、入っているのは、キース・ジャレット、ビル・フリーゼルのようなECMのジャズ、またはドナルドフェィゲン等AORになっていた。そしてロックもデビットボウイ、エルビス・コステロのベストという状況だった。もはや青春を懐かしむ、カラオケオヤジそのものである。
初期型i-podに”Whatever people say I am, what I am not”を入れる。大音量で聴く。コンピューターのハイサンプリングの情報と洪水を抜けた後にある、生の響きは鮮烈だ。
英国シェフィールドの二十歳の少年たちのおかげで、精神のアンティ・エージングが出来た私である。

波は沖からやってくる。そして思い出は過去から現在へとやってくる。

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波を想うと夏が恋しくなる。
98年に僕が再びサーフィンをはじめたのは、どうしてだったかわからない。一度波に乗ってしまうと、なかなかその波の体験を忘れることができない。
僕の乗っているロングボードは9f6というサイズで、つまり284センチくらいある。僕の狭い部屋にあると、壁が一枚転がっているような感じである。僕は中古のワゴンを買った。サーフボードを運ぶため、2シーターのスポーツカーでは不足になったからだ。サーフィンはライフスタイルになってしまう。自動車だけでなく、住居、そして会社捨ててしまい、新しい世界に飛び込む人もいる。波はすべてを浚ってしまう。
サーフィンは1980年代初頭に大ブームになったことがある。渋谷にサーフショップができて、ファッションはすべてサーフィン系になって、トップサイダーのデッキシューズをはじめとする、サーフィン・ファッションが爆発的に売れた。それはまるで大波のようだった。バブル経済とともに大波がひいてしまい、それから20年、サーフィンは静かに好きな人たちによって海岸で行われるスポーツになった。それが最近またブームになってきつつある。でも20年前とは少し違う。
『次の海まで100マイル』という片岡義男の書いたエッセイがある。片岡氏は、1970-80初頭にアメリカの文化をベースにした小説・エッセイで一世を風靡した小説家だ。
その本の中で波について書いてある箇所がある。
「これまで人間が総合した波で最高のものはどのくらいなのだろう…記録がそっくり正しいとはかぎらないでしょうけど、高さで40メートルくらいかな…」
40メートル。13階建てのビルくらいある。波のエネルギーは波の高さの自乗に比例する。大きな波が来ると、テトラポッドが海のそこでゴロゴロと転がるそうである。
昔ハワイに自然発生していた波乗りは、白人の宣教師によって禁止された。波乗りは非生産的な享楽であり、時間の無駄だとおいう理由だったらしい。当時、裸でハワイ人はサーフィンをしていたそうだ。19世紀のことである。
波に乗りたいという人間の欲求はあったのだ。。1910年頃、ワイキキビーチに銅像がある、有名なサーファー、デューク・パオラ・カハナモクはカルフォルニアにサーフィンをし、500ヤード(350m)も波に乗ってみせたそうだ。
波という恐ろしい力を持った存在と一体になる時の幸福感。波乗りはなぜだか別の次元を見せてくれる。自然の力もそうであるし、またブームも人の心のなで湧き上がり、波のように突然に大きな力になる。
ハワイの持っている魅力は、多分そこにサーフィンの秘密がある。1998年の秋にサンディエゴでアロハ柄のケースに入れたロングボードを抱えて歩いていたとき、家族と一緒にいた白人のおばあさんが、「あなたハワイから来たの?」と嬉しそうな顔をして僕に声を掛けてきた。戸惑いながらも、僕は違うと言った。
たぶん彼女はカルフォルニアで青春を過ごしていたはずだ。1950年代のサーフィンブーム。そのサーフィンの思い出の奥には、遠いハワイがあるのだろう。
南カルフォルニアには、マリブというロングボードの聖地のようなポイントがある。半円形のでっぱりのような岬があって、波はそこを巻き込むようにできる。南カルフォルニアでサーフィンが流行したのは、1950年代の『ギジェット』というサーフィン映画がきっかけで、その当時、TVコマーシャルがなにからなにまでサーフィン一色になったそうだ。
「売れる夢がなくなりかけてた頃ですね。波乗りは最後の夢だったんじゃないか」と、片岡氏は言う。
波は沖からやってくる。そして思い出は過去から現在へとやってくる。

バルセロナ・イースターの思い出

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再び春のバルセロナに行く。
先週の日曜日の早朝にカテドラルの近くを散歩していたら、棕櫚の葉を束ねた飾りを持った群集を見た。棕櫚の葉はキリストを祝福するしるしである。ちょうど欧州は聖週間(イースター)のはじまりだった。
キリストがゴルゴダの丘で刑死し、その後復活したという奇跡を祝う祭りであり、また古来から春を祝う祭りがあって、それが転化したという説もある。
僕は子供の頃、カトリックの教会のイースター祭りに従姉に連れていかれた事を思い出した。イースターというと、教会の庭に色とりどりの卵を隠して、それを探すという行事がある。そこで卵を探したのだけれど、見つけた卵をある男の子と取り合いになり、キリスト教なんて良くわかるわけもないから、争ってはいけないと尼さんに諌められた時、その男の子に卵をぶつけて逃げ帰ったのだった。まあ頭の悪いガキだったのだと思う。
投げた卵が粉々になって彼の服を汚した記憶は、僕にとっては鮮明だけれども、その彼は三十年も昔の事は覚えていないだろう。
その昔の彼の驚いた顔を想い、僅かながら、贖罪の気持ちが生まれた気がした。
tokyotaros

表参道ヒルズに象徴される病

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表参道ヒルズは、安藤忠雄氏の建築したという。もうオープンして一ヶ月は過ぎただろう。
新しい建築が出来ると猫も杓子も行って見るのが、日本人の物見遊山の伝統だ。オープン当初は、5万人もの人を集めたという。一口に五万人というが、東京ドームの巨人戦よりも多い群集である。行ってみると、ハリーウインストン、ドルチェ&ガッバーナ等の世界的な高級ブランドが軒を連ねている。そんなところに五万人もの人が、本当に用事があるはずもない。昔のアパートメントを考えたら、千人も人が来たら仰天するような場所だったのだ。
最近の若い人たちと話をすると、結構身の丈で物を買うらしい。昔は機能が凄いという情報があって、何処どこで流行っているという情報があると、人は物を買った。これは今の二十代後半から四十代前半くらいの典型的な傾向だった。リーバイスのジーンズも、レア物のスニーカーも、そういう思考からブームになった。しかし、今の十代を調査すると、自分のスタイルが基準にあって、そこから物を買うという。その考察なしには、物を買わないのだ。思うと八十年代、これからはDJだとか言ってニューヨークのラッパーの格好をしたり、フランスの良家子女のスタイルを真似たりしていた僕らの世代は馬鹿者だった。それは情報がまだ蔓延していなかったからに違いない。
エルメスのバックを予約して買うおばさんたちも、そういう過去の病に冒されている。蓋し、表参道ヒルズはそういう患者に溢れている。バブルに影響された子供の末期症状である。
僕はそういう馬鹿げた思考に脳をやられた世代ではあるけれど、今の若い世代の思考を羨ましく思う。決してヨーロッパの富裕層になることはなく、どこまで行ってもアジア人はブランドという病に冒されているだけなのである。そこをきっぱり諦めているのはさすがだと思う。(無意識であるだろうが)
ヨーロッパの最後の財産は「ブランド」だという。さてどこまでアジア人は搾取されるのだろうか。

短編小説:『テープは反復する。まるでこだまのように』

指先が躊躇う。黒電話のひんやりとした感触。
耳を黒電話の受話器にあてる。ぽわんと外の空気から離されて、ツーっという音が響く。電信柱。その電話線を通って遥かかなたの交換機を通じ、その先にある漁港に通じる道を通り、田園に広がる里山の森のひっそりとした小道を駆け上がった先へ。やがて森を切り開いた丘陵にある彼女の家の電話に繋がっている。
赤いトタン屋根の下で家族たちは歓談しているかもしれない。その廊下ではひっそりとキルティングの服を着た黒電話が鳴り響くのを待っているだろう。私の心が高鳴る。
0番のダイヤルがジリジリと戻る、その一秒半くらい。心が惑う。指をそえた受話器の置きのバネの感触が伝わってくる。電話をかける勇気が十分でなかった私は、切ろうか切るまいかと、人差し指と中指に力をこめていた。やがてトゥルルトゥルルと呼び出し音が聴こえる。
 
ガチャ。
「どちらさまですか」
と彼女の母がでた。
「…さん、いらっしゃいますか」
「ちょっとお待ちください」
置かれた向こう側の黒電話。向こう側から聞こえてくる部屋の音。ドアの開く音。足音がする。彼女の母の声が響く。彼女が近づいてくる。
「電話くれたんだね」
その瞬間、黒電話から耳のなかへ、彼女の体温がやってきた。
それから七年の恋をして別れ、この電話番号を思い出したのは昨日のことだった。あれから二十年が経っていた。昭和五十九年に高校生だった私は四十を過ぎ、偶然開いた当時のアドレスブックにその電話番号を見つけた。
今日私は、その番号に電話をかけた。ケータイ電話に番号を入力し、発信ボタンを押した。もう指が二十年前のように躊躇うことはなかった。
「おかけになった電話番号は現在使われておりません。番号をご確認いただきもう一度…」
 テープは反復する。まるでこだまのように。そして私の切ない追憶は、深い闇とともに次第に、そして緩やかに消えていく。

東京の空を発見する。

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「東京には空がない」と、そう想うのは、精神を患っていた高村光太郎氏の奥方ばかりでもない。
が、先日逮捕されたライブドアのホリエモンが住んでいたという六本木ヒルズの屋上から東京を眺めると、そこには素晴らしい空が存在していた。今年になって少しばかり仕事の変化に戸惑っていた私にとって、その壮大な空の眺めに救われた気持ちがした。
かつてシェークスピアは戯曲にて、雲を眺める者を阿呆と登場人物に言わせた。しかし現代では、そういう阿呆は消えてしまい、東京は賢い人間で満ちている。
ケータイに代表される通信技術の発達は人の自由をより奪っているだろう。しかし皮肉にも、その象徴とも云える建物の屋上には、しっかりと空があった。
万葉の頃の人の自由な気持ちは追想と夢想にしか存在しない。が、空の手触りの中にその痕跡を発見し、その夢想が現実ではないかと想う時、私は夢の中にいるのだろうかと惑う。
<tokyotato>

X-Box360がプレイステーション2を追放する。やがて…。

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2006年の正月は寒く、冬の海を想うとサーフィンから足が遠のいた。そして引きこもり気味になり、買ったばかりのX-Boxをやっていた。情けなくも、暖かい年末年始の娯楽である。
昨年買ったハイビジョン対応の薄型テレビでプレイステーション2をやってみると、いままでは気にならなかった画像の荒さが目についていた。いままではクオリティの高い画像と感心していたのが、不思議なくらいだった。そんなある日、青山の紀伊国屋の跡地にできたX-Box360のプロモーションをやっているカフェで(リーズナブルな価格でコーヒーとスウィートも供してくれる、気持ちの良いスペースです)、はじめて実機を見た。
果てしなく広がる空の映像を見ながら、戦闘機を操縦している感覚は素晴らしかった。
確かに、これなら薄型TVでも楽しめる十分な画質を持っていると感心した。しかもゲームのインストラクションをしてくれた女性が親切だったので、それまでまったく興味のなかったX-Boxに親近感を、不覚にも抱いてしまった。やはりオヤジには、若い女性の誘惑は効果テキメン!と自嘲してしまう。
そんな好印象を想っていた最中、偶然友人がX-Box360の新品を買わないかと、私に訊ねた。しかも彼の乗っていた自動車の座席にその商品が置かれていた。しかも酔っていたので、即座に買ってしまった。友人は仕事の関係で4台買ったそうだ。
それから付属してきたファイナルファンタジー等のネットゲームにも興じてみる。二十時間ほど遊んだ挙句、疲れたしまった。
それにしても、TVゲームは人生の大切な時間を消費してしまう遊びだと思う。我が家ではX-Box360がプレイステーション2を追放したのもつかの間、やはり私には読書の方が性にあっているらしく、いまでは埃を被っている。
<tokyotaro>

レクサスISに乗る。高級を考える。

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トヨタの高級ブランドとしてレクサスがローンチされたのは、今年の8月だった。
メルセデス・ベンツ、BMWの顧客をターゲットにしているという。文芸批評家・故小林秀雄氏はトヨタの創成期に工場を見学し、「これは世界一の工場になる」と予言したそうだ。経済の門外漢であっても、小林氏の眼はそれを見抜いていたのだろう。現在、トヨタは日本一の会社であり、米国のビック3の牙城を突き崩したのである。しかも日本経済のバブル崩壊後の失われた十年に。
品質の高さとマーケティングには恐るべき強さを感じていたものの、私のような洋物好きにとっては「トヨタの高級ブランド?」と、頭に疑問があったのは否めない。まあ少なからず、ブランド=洋物である意識を持っているような人たちこそ、ルイ・ヴィトン等のブランド(高級)を信奉しているのである。ブランド(高級)は、日本にとっては明治以来の舶来信奉に結びついていると思う。
そういう意味でも、世界で確立してから日本へブランドを持ってくる段取りは、真っ当なプロセスである。逆輸入車に高い金を払って乗る人間が少なからずいるのも、そのコンプレックス(舶来信奉)からだ。
高級に関する概念を、「自動車の品質」「人のサービス」「通信ネットワーク」の三点から非常に高い次元のバランスで実現しているというのが、レクサスに対する私の印象である。
品質としては、乗ってみると、唯の静かな高性能な自動車というものではなく、リニアリティをステアリングから伝達しつつ、尚、高次元な形でコンピューターが介在してアシストする。乗り味は、硬く、尚且つ、上質な柔らかさを持っている。同乗者には滑らかなバターの上にいるかのような感覚をもたらし、ドライバーにはある種のしっかりとした硬さを感じさせる。多分、シャーシーがよほどしっかりしているのだろう。またインテリアの素材は、自分の乗っている700万円近くするAudi Allroad よりも、高品質である。
またナビゲーションが凄い。GPSと連動していて事故時にはボタンひとつで24時間スタッフが現場に急行するそうであるし、また渋滞情報を的確に、またタイムリーに表示する。しかも初めて触っても感覚的に使えるし、音楽を専用サイトから高速にダウンロードし(多分専用回線があるのだろうか)、HDにお気に入りジュークボックスが作れてしまう。本当に至れりつくせり、未来のおもてなしと驚く。
京都の俵屋とか、熱海の蓬莱のような高級旅館にいるような心地と言えばいいだろうか。いままでメルセデスでも感じたことのない、不思議な次元の高級感であった。
そういう私も偶然家族が買うことがなければ、乗ることはなかっただろう。
それにしても、日本独自の「エクスペリエンス(体験)」としての高級を実現しようとしている姿勢には、凄まじいと感嘆するしかなかった。<tokyotaro>