
三月の半ば後輩の結婚式でハワイに滞在していた。今回ハワイ(オワフ島)に来るのは二度目で、どちらも他人に強いられて訪れたのだった。僕は苦い過去の記憶から、無意識にハワイを遠ざけていた。
義理の祖父が日系人で、その祖父との関係が私とハワイを隔てさせる壁となっていたのだ。それを今回の島に滞在したことでちゃんと理解し、意識できたと思う。それはとても大事な収穫だった。
結婚式の前に島に入り、毎日ワイキキの沖合いでサーフィンをしていた。島の山々には雲が広がり、時折天気雨が降り、海面で銀色の跳ねる雨粒となった。波待ちをしている僕らは幻想の世界にいるかのようだ。未だ寒い東京からここに来ると、世界中の人々が波待ちをしている。白人、日系人、インド人、そしてハワイアン。太ったアメリカ人のカップル、ビキニを着た留学生の日本人、痩せたアメリカ人。サーファーではなく、テンポラリーサーファーたちが溢れている。その光景は、日本で波待ちをしている時に感じる感覚とは、根源的に違う何かがあった。金色に輝くダイアモンドヘッドを沖合いから眺めていると、ワイキキビーチの高層ホテル群との存在のコントラストに軽いめまいを覚える。土地の力が軽々と資本主義のシステムを飲み込んでしまうような、自然の力に底知れぬ恐ろしさを感じたのかもしれない。海の上まで広がるリゾートカルチャは、とても底深い自然の力に晒されている脆弱な存在だった。そのことを僕は痛感し、ライトな無常観に至った。
結婚式は、後輩のニューヨークから来た旧友たちと、日本から来た友人たちが集う愛情深いものだった。各々のスピーチにて、複雑な家庭環境・人生の岐路のなか、とても心温まる交流があったのだと知ると、感涙せずにはいられなかった。僕は彼のいままで一面しか知らなかったのだ。
ロータス・エリーゼをレンタルし、僕は海岸沿いの道をパールハーバーから、ワイメア、ハナウマベイへと走った。軽やかに駆けるスポーツカーでハワイの空気を満喫し、初めてハナウマベイを見た。
そこは自然保護の徹底されたビーチで、素晴らしい景観だった。しかし僕はここへ来たことだけで十分な意味があった。僕はハワイをいままで嫌っていたし、また義理の祖父の筆名の元になったというこの地については、素晴らしい土地だと人にいわれる度に、心の底で拒んでいたものがあった。
複雑な家庭環境は、僕の幼少期にもあった。父と義理の祖父の関係、また祖母と義理の祖父の関係等。さまざまな視点からその人物・家族像が断片化されて語られる物語、そのひとつが僕の記憶に強い影響を及ぼしてきた。いままでは、その断片が僕の人生に大きな影を落としているのだと、自分では思っていた。
しかしそうではなかった。僕は義理の祖父に直接言われた一言に、そこから起こった一連の出来事と紐付けて記憶を操作していたのだった。『もうお前の祖父ではない』と言われ、そこからすべてが失われたと自分は思い込んでいたのだ。
ノーベル賞脳科学者の ジェラルド M. エーデルマン氏は、人の意識は、脳の外部的な近くからの情報と、記憶の情報が複雑にフィードバックを繰り返し、発生する脳現象から生まれた何か(彼は脳の機能運動をCとし、意識をC´と仮説している)
つまり意識は、外部の入力と、内部の入力(記憶)が混在した状態に過ぎないのだと書いている。
二歳の時に入力された記憶と、繰りかえし形成された人からの物語が混在していびつな意識を生み出していた。しかし今回ゆっくりとハワイの土地に触れたことで、別の意識が芽生えたらしい。
ここに書くにはとても長い話になるので、今日はここまでにしたいと思う。
tokyotaro
ホワイトカラー・エグゼンプションは復活するのか?
エゴイスティックな人々たちが、矢鱈日本には蔓延っているなと痛感するこの頃だ。
近年日本を瓦解させようと企んでいる法律が多いと思う。なかでも恐ろしい悪法だと私は思うのは、ホワイトカラー・エグゼンプションだ。サラリーマンの評価を、時間から成果へと変革させる法律として立法し、ワーキングスタイルからの自由な社会を実現するのだという。本当に笑止千万だ。
いったい日本の社会においては、真っ当な近代人もしっかり確立していないというのに、そんな自由な個人として会社と対峙する人格があるとは到底考えられない。
TV等でも有名な財部 誠一氏は、以下のようなコメントをYahooニュースに残している。
そもそも人間には、それぞれペースがあり、生きるスタイルがある。だが宮仕えをする以上は、組織に自分を合わせることが強要される。無理が過ぎれば、仕事の効率が落ちるばかりか、精神的にも追い込まれる。
私は20年以上、職業として原稿を書いてきて、つくづく思うことがある。それは人間の脳は24時間、均一なレベルを維持することができないということだ。脳も疲れる。疲労がたまれば、効率が落ちる。そもそも私の脳は朝型で、午前中でなければ良い原稿が書けないという強迫観念すらあるほどだ。だから私は夜中には原稿は書かないし、徹夜もしない。どうしても〆切に間に合わないようなら、3時間でも4時間でも一度寝てしまう。そして朝早く起きて、それからまた書く。逆に、午後3時前後に私の脳の活動はもっとも停滞するので、できるときは20~30分の仮眠をとる。そういうスタイルを私は20年以上、続けてきた。
<中略>
これからはサラリーマンもそういう生き方をすべきではないだろうか。どんなに忙しくても、自分のペースとスタイルを守ってさえいれば、少なくとも精神を病むような事態には至らないないだろう。それよりもなによりも、作業効率は格段に上がるはずだ。ホワイトカラー・エグゼンプションはまさに、この点において大きな役割を果たしうると私は考えている。その是非を、「カネ」の議論に終始せず、サラリーマンの「生き方」という視点から考え直してみる必要があるのではないだろうか。
そもそも彼のように高い能力もあり、自己管理で生活できる人は稀である。
確かに経営する立場からは、経営のリスクとなる人的資源の固定化及び高コスト化を改善したいのは当然である。だが法の理念の根拠がまるでファンタジーでは、労働者は納得できない。どこの会社に、自分が自由に選べる仕事があるのだろうか。そして利益部門が無限にある会社があるのだろうか。まるで空飛ぶ絨毯があったら、飛行機はいらないというようなものである。
時間も、労働内容も恣意的に決められ、また経営戦略の意識が乏しい日本企業に導入された際には、社内政治の強化=会社内のいじめが多発化するだろう。現実的には、企業内に適正な評価をする基準など、明確にないのである。だから長時間働きたくて働く人はいないのだから、それが本人の責任だと問うなど不可能である。
起業家であるとか、文化評論家という人間たちは、サラリーマンの現実を知らない。また日本の文化的な土壌に個人主義は育ちにくいことも分かっているのだろうか。
蓋し政府が外国政府の傀儡であったなら、買収しやすいように下草を刈るのも無理はないが。
tokyotaro
断片。月に落下していく隕石の姿。

諸行無常の響きあり。
無常観を感じる映像<イメージ>だった。
21世紀になっての映像技術とメディアの整備によって、いままで観たことがないものが見れるようになった。NASAが提供している月に衝突する隕石の映像も、そのひとつである。
月は深くわたしたちの生活に関わっている星である。今日は大潮だなとか、小潮だなと、私はサーフィンをするようになってからとても月の存在を強く感じるようになった。月は毎日の潮だけでなく、28日周期でわたしたちにさまざまな影響を及ぼしている。でもそれは地球→月の視線であって、人の観念でしかない。月は観念を超越して存在しているという真実を、いまさらながらに痛感する。
その映像の断片は、とても痛烈な批評のようだ。幾千年の歴史も一時の幻か。人生の儚さを覗き見るような心地がするのは、蓋し私だけではない。
<tokyotaro>
ソフィア・コッポラ:『マリー・アントワネット』を観る。

ソフィア・コッポラの作品は、とてもハイクラス・セレブリティな感性に溢れている。
『ロスト・イン・トランスレーション』におけるS・ヨハンソンのコケテッシュなオヤジ殺しの魅力溢れる感性も素晴らしく、女の子が一番輝く瞬間をとてもよく知り抜いていると思う。そういう感性を、若い女の子が学ぶのはとても大切であるし、いままで表現の空白地でもあっただろう現代のファッショナブルな女の子の感覚的風俗を体現している稀有な作家であることは間違いない。
その点、最近活躍している日本の女性監督は少し偏っているし、まったくセレブ性は低い。ファッショナブルな女の子が憧れる感性とは違って、哀愁がある。(貧しい…新興劇団のトーンマナーだ)
そういう意味では、『マリーアントワネット』は成功している。アメリカの少女は、これを観てフランスと歴史に興味を抱くと思うし、フランスPR映画としては最良の部類である。セレブリティの日常生活のように、主人公のライフスタイルを体感できるフィルムだ。しかし、確かにキルスティン・ダンストの魅力はあるけれど、それがフランス革命の断頭台に消えたマリーアントワネットと思うことは最後までできなかった。
まるでタイムスリップしたヤンキー娘がフランスの王妃になったら??という、少しお馬鹿映画の雰囲気すら漂ってしまう。それでも舞台は本物(ヴェルサイユ宮殿)だから、そこは目で楽しめるけれど。
発想は面白いけど、何が言いたいのかとオヤジは腹が立つだろう。若い女の子に自分の大事なことを伝えたいと思っても、なかなか伝わらないときのような苛立ちがそこにある。
まあオヤジは観ないほうが身のためだと痛感した映画でした。
※サウンドトラックはとても素晴らしい。いつも音楽のセンスはさすがです。
tokyotaro
イエロー・マジック・オーケストラ「RYDEEN 79/07」を聴く。そして思い出す日々。

キリンラガーのCMは僕らの世代のツボを巧くついてきた。イエロー・マジック・オーケストラ「RYDEEN 79/07」を聴くと、もう二十七年も昔の話なのだと感慨深くなる。憧れだったYMOも年をとったなと思うと同時、アレンジされることで古くならないメロディに驚嘆する。
アジア的電子時代の夜明けを予感させる衝撃的なデビューは、まだ小学生だった僕もよく覚えている。
「コンピューター楽器だけで演奏する変わった日本のバンドが海外で反響を呼んでいるそうだよ」と音楽関係者の小父さんが言い、父が「富田さんが先駆者だよ」とか話していたのが懐かしい。
中学に入ると、そこは小学生の頃考えられないほど自由な場所だった。先輩がカセットデッキをプールサイドの屋上で鳴らしながら、サンオイルをぬって日光浴をしていた。中学生なのに、『YMOはなかなかいい』とか生意気なことを言い、また突然アンプとギターを持った先輩が、屋上でライブを始めたりしていた中高生活。初期のウォークマンを聞きながら、街を歩いてプラスチックスを聞き、立花ハジメかっこいいなとか、シーナ&ロケッツの鮎川誠に憧れ、歯でギター弾くぜとか嘯く友人を馬鹿にして喧嘩したり、渋谷のレゲエ小屋を回ったり、中学生のくせに下北沢でタバコをふかし、カクテルを飲んだりした日々を思い出す。現在の管理社会とは到底異なる、自由な環境だった。そして社会は寛容だった。それはその頃の大人たちが戦争や戦後の混乱を生き抜き、本当の生の現場を体感していたからだと思う。
先日偶然母校を訪ねると、当時の校舎が失われ、セキュリティを完備した建築に変貌していた。もはや当時の光景は喪失していた。そして僕の追憶も、荒れたノイズのなかに消えてしまうような心地がした。
YMOを聴くと、その当時の自由を思い出す。バリケード封鎖をしていた頃の残像が残り、教師がデモをしていた時代、反体制は美学だった。
そういう時代への郷愁はオウムの事件で抹殺され、911で決定的となった。それでも、くだらないセキュリティへの幻想より、もう一度自由の世界に回帰したい。現代の人たちは、そんなに失うのが怖いのだろうかと思うと同時に、多分僕も変わったのだろうと自問する。
異常に潔癖な社会、セキュアな管理社会。これって1984当時、ジョージ・オーウェルが盛んに議論され、とうとう来なかった管理社会が、二十年以上遅れて到来したということなのだろうか。そんな透明性なんていらない、不透明な悪にまみれて生きたいと、子供に回帰して当時を思うたび涙が出てしまうのはなぜだろう。tokyotaro
NHK?? Vladimir & Rutchovを聴く。

北島三郎はアゲアゲを鼓舞していたように見えたけど、実は怒っていたそうだ…。
その直前に放送されていた昨年のNHK紅白歌合戦で、DJ・OZMAのバックダンサーの裸にかぎりなくちかい演出で苦情が殺到したという。その後のNHKの対応はまさに滑稽であり、またそのくらい折り込んで音楽を楽しめない日本の状況はあまりに窮屈で堪らない。子供が見ているとかいう馬鹿な苦情を言うくらいなら、午後10時前に寝かしつけるべきである。ロックによって自由も何ももたらされなかった国であり、また教育を受けたとぬかす人たちは、ピューリタンでもないくせにアメリカ・ワスプの倫理を真似る。まさに猿であり、全く北朝鮮の管理社会を馬鹿に出来ない人々だと思う。
放送直後、YOUTUBEには模様及び関連情報がUPされており、さすが新しい時代のメディアの面目躍如だと思う。いまさら情報の閉鎖性で、くだらない大人の権威を保とうという卑屈さが気持ち悪い。一体自称大人というひとたちは何を守りたいのか、わたしには理解できない。現代に関する恐ろしいほどの見識の欠如である。
そんな状況で音楽ってどうなってるのかなと、渋谷のレコードショップに久しぶりに立ち寄った。Vladimir & RutchovのCDを買った。テクノでお馬鹿でXXX Fricksレコードというくらいで、ポルノ嬢がコラージュロゴデザインが怪しさとともに期待感を醸し出す。
さすが鎖国のさなかも交流のあった自由の国・オランダのレーベルだ。その曲はエレクトリック・テクノのDJテクニックが展開され、かぎりなく明るいエロである。鬱屈した気持ちをぱあっと開放する力にみなぎっている。
確かに昨年末欧州で見たMTVの音楽アワードでも、現地・欧州の人たちは五十歳ちかくになっても踊り、エネルギッシュに盛りあがっていた。その時わたしは、欧州のそういうパワーがEU拡大とユーロ高にも現れていると実感した。
日本もバブルの時、あれほどジュリアナ東京でパンツを全開に踊る女の子で溢れ、エロパワー全開だったのを懐かしく思い出す。それにTVも平気でヌードを放送していたではないかと。
多分、子供が見ているとか文句を言っている母親は、その頃パンツを見せていた世代だったはずだ。まあ自分がそうしていなくても、そういうエロのエネルギーが満ちていた日本を知っていると思う。
もともと日本は開放的な民族であり、昭和初期にも裸は日常だった。なぜそういう愚かなことを言う社会になってしまったのだろう。蓋し、ひとつは国民の老化と、もてない女のやっかみである。そういうやっかみなどという負のエネルギーに翻弄されていては、国は発展しない。
所詮人間なんてエロなのである。大人しいエロより、激しいエロの方が国が活気ずく。暗くて残酷なエロは追放してもいいけど、明るいエロまで犠牲にしてはいけない。石原都知事さん、あんまり風俗の取締りを言っては文化を殺すと肝に銘じてもらいたい。
tokyotaro
「意味するもの」を失った記号と、感情的なメディア
メディアという言葉を知らない人はいない。
しかしその意味がなんであるかを理解している人は少ないと思う。
メディアとはなんですかと質問した場合、一般的な社会人だったら、多くは新聞、雑誌、テレビ、ラジオと回答するだろう。そして最近では、インターネットもメディアとしては強くなってきますよねと。メディア=マスコミという構図がいまでも根強くあると思う。そこで私も、そういう意味でメディアという言葉を使ってみる。
そのメディア自体、権力の構造に組み入れられているといわれて久しい。それでも報道の自由をめぐる争いでは、メディアは権力を監視するのであり、自由は保障されるべきだという正論から、国家戦略に同調する放送をNHKですら拒絶する側面がある。
メディアは本当に国民の意思に基づく、意志を表象しているのだろうか。ちょうどそんなことを考えている時、2002年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン氏が「利用可能性に基づく思考」において、人間には「思い出しやすいものほどよく起こっている」と考える癖があると説明したことを、青山学院大学の鈴木教授のコラムで知った。鈴木教授によると、メディアが少年犯罪の増加を訴えるが、1960年以降実際の件数は激減しているのだそうだ。
確かにその当時の方が、ネットも存在していないのだから告発されることも少なかった。蓋し、現在よりもはるかに少年犯罪は多かったのだろう。現在では小さな告発がネットで増幅され、そしてメディア=マスコミに繋がるというパターンが増加している。
最近これをしてはいけないというような、紋切り型の規制が多くなっている。そしてその観点から、いじめ、少年犯罪、飲酒運転のような日常の犯罪が、日本では何よりも大事のように騒がれる。しかし目を中東に向ければ、一日100人以上がテロで殺され、飢餓と貧困で死亡する幼児はアフリカに溢れている。しかしそれらの惨事は忘却される。それはメディアにおける「思い出しやすいもの」でないからに他ならない。
「意味するもの」を失った記号がメディアには散乱している。さいきん話題になった崖に登った野犬を市民が救う美談があった。その犬には91件の里親志願がいるという。しかしその野犬の後ろ側には、殺され、捨てられる数万の犬たちの存在は忘却されている。
「繰り返されるもの」=「思い出しやすいもの」をメディアが増幅し、感情のスパイラルで国民が動いてしまう現状こそ、なによりもそら恐ろしい。
コペンハーゲンから眺める東京、あるいは日本

11月のはじめ、僕はコペンハーゲンに滞在していた。
はじめて訪れたコペンハーゲンは荒涼とした空港から程近い港町だった。人口も541万人しかなく、また国土も日本の十分の一でしかない。が、この小国は、A・ヤコブセン、H・ベグナー、F・ハンセンと偉大なデザイナーを輩出し、ロイヤルコペンハーゲン、バング&オルフセン、カールスバーグ、レゴ等、世界的に有名な企業が少なくない。
SASロイヤルホテルというアンリ・ヤコブセンがデザインしたホテルに泊まっていたので、そのデザインの良さには感嘆した。華美でなく、洗練というわけではなく、ほっとするようなセンスの良さである。
またデンマークは、かの森鴎外が紹介した『即興詩人』の著者アンデルセンHans Christian Andersenの祖国である。彼は眠ったまま埋められた男の悲話を聞いて恐ろしくなり、以来枕元に自分は死んでいないとメモを置いて眠るほど素朴な男だった。
アンデルセンの逸話は、彼の夢見がちな性格を現していた。11月の頭にマイナス6℃にもなる土地の部屋では、誰もがシンプルな生活を嗜好するのかもしれない。素朴でピュアな空気がコペンハーゲンには満ちていた。

街を歩いても、パリやロンドンのようなモードはない。一般的なデザイン…特にインテリアの趣味は良いのに、服装は良くも悪くも野暮である。質実のバランスに優れているという言い方できるかもしれない。その趣味の良さにはナチュラルなものであり、マスコミの影響というものではなく、教育の賜物のように思う。折りしも日本では政府主導で教育の話が盛んであるけれども、本来の教育は政府主導ではなく、人々の生活から育まれ、自由な文化教育から生まれるものだろう。知識の正誤に拘泥し、教育委員会が跋扈する日本の教育のなかから、素晴らしいデザイナーなど生まれない。勿論、素晴らしいデザイナーは日本にもいる。しかし彼らは、蓋し日本の自由なサブ・カルチャ=マスコミが育んだ者たちだ。
もはや商業主義的な色彩の強くなってきた日本のサブ・カルチャばかりに頼るのではなく、本来のカルチャを取り戻すために、これからは政府の教育への関与など最小限にするべきだと思う。
何を履修しようがしまいが関係ない。読むこと、書くこと、そして最小限の計算だけができるようにすることが公の教育の基本であり、その他は個々の自由に(つまり学校単位の)委譲するべきだ。
早晩教育において、受験機械=官僚機械を破壊し、もっと自由な個人が醸成される社会になって欲しいと願う。
短編小説:『花』

雨後の照りつける陽射しのなか、私、凍ってしまう気がしたわとわたしの女がつぶやいた。暑い夏の陽射しと蒸風呂のような湿気のなかで凍るなどと口走る女が正常だとは思えなかった。が、結晶のように固まった光線が紫陽花の葉に照り返す光景には、普段の感覚を超越させる奇妙なものがあるかもしれない。それでもわたしには依然として暑い、夏の午後だった。雨後の雑草の匂いにのぼせてしまうわたしには、死ぬまでその女の感覚は分からないだろう。
此処に逃げてきて三ヶ月になる。とうとう気が狂う段になったのかも知れない。横に寝ている女の首筋から汗がじわり吹き出し、わたしの白いシャツに染みた。豚草の匂い。ベトナム人はあれを食うのだそうだ。湿気と汗。化粧気もなくなった女の横顔を見ていると、初々しさなど微塵もない。平凡な日常がまた満潮のように戻ってくる。太陽がわたしの頬に照りつける。女は自分の境遇を悔いている様子もなく、わたしに抱きついている。半年前はただの他人であり、法的にわたしは犯罪者であり、彼女が被害者であるなどと想像もできない。一匹の蛙が草むらから顔を出した。目を閉じると、世界が大きな鍋のなかで煮えたぎっている幻像が現れた。そこに形もなく、場所もなく、ひたすら煮えたぎっている幻だった。
「雨やんだのね」
「ああ、やんだよ」
「もう夏ね」
「やっと夏だ」
わたしの女が立ちあがった。軽く伸びをし、縁側を降りて庭に出た。裸足で雨後の雑草のなかを女は歩いている。足が土を跳ねあげ、泥が舞い、女の顔に点々と黒い跡が残る。わたしは女が逃げない理由が分からなかった。わたしは相当に疲れていた。わたしは逃げている自分を思うだけで吐き気を催す位、精神が弱っている。別に女が警察を呼びに行っても、それを阻止しよういう意志などなかった。
わたしは、ぼんやりと女が泥と戯れるのを眺めていた。
あれは凍てつくような冬の晩だった。
1987年製のカローラで、わたしは多摩丘陵にある郊外住宅地を走っていた。冬一番の寒波が、シベリア高気圧とともにやってきたとラジオが喋る。天気予報を聴きながら、わたしはある男を殺そうと、死に物狂いで男の家を探していた。寒く、窓を開けると、耳をちぎりそうな風が吹いている。男とわたしは一度の面識もなかった。しかしわたしは殺す者であり、男は殺される者だった。一生涯に一度の逢い引きのようなものだ。
閑散とした集合団地の群れを抜けると、住宅街に入った。誰も人が歩いていない冬の夕暮れだ。唯、一匹の犬が歩いているのを見た。老いぼれた犬は飼い主に捨てられたのだろう、人を憎む眼をしてわたしを睨む。
迷った挙げ句、ようやく家を見つけた。伊勢丹の包装紙でくるんだ箱を小脇にお歳暮の配達を偽装し、わたしは呼び鈴を鳴らした。腰下の小袋に布で巻いたナタを隠し、玄関に近づく人の匂いをびりびりと感じていた。ストップウオッチを押す。もはや、わたしの心は白かった。
「**さん、お届け物です」
「はい、ごくろうさま」
箱を両手で**氏が受け取った瞬間、わたしは布を巻いたままのナタで大振りに左頭部を殴打した。男は殴られるままに玄関横の壁に頭を打ち、壁のモルタルが少々剥落する。わたしは、玄関の戸を閉め、卒倒してぴくぴく虫のように痙攣している**氏を玄関先にうつぶせにし、腰の袋から取り出したアイスピックを後頭部から延髄に向けて刺した。**氏の絶命。とその時、二階に足音がした。わたしは、直ぐ二階に駆けあがり、足音のした部屋のドアを開けた。すると高校生位の女の子(男の娘だろう)が恐怖の余り声が出なくなり、ウガウガと喉を鳴らして座り込んでいた。わたしは時計を見た。ちょうど一分。わたしは取り出した透明のスコッチテープで女の子をぐるぐる巻きにした。髪、顔の皮膚、両手、氷に閉じこめられているかのようだ。もはや抵抗もしない。震えている。二分が経過。わたしは玄関を閉め、自動車のトランクに女の子を押し込めた。バタン、とトランクが閉まる。
福島県の廃村にある隠れ家で、わたしは女の子を犯した。それから女の子は女になり、毎夜わたしの隣で眠っている。わたしの依頼者は、娘を殺さなかったことを不服に思っているのだろうか、約束の三ヶ月が過ぎても連絡がない。わたしは、ひどく疲れてしまった。不毛の待ち時間と、父親を殺した男と平然と過ごす娘にわたしの神経が参っているのだろうか。凶器は処分したし、ラジオによれば目撃者もない。だがもはや唯一の目撃者を処分する気力がないのだ。青空と入道雲。庭の泥が強烈な陽光に輝いている。
「見て、見て」
「なんだよ」
「ほら、あれ。だって太陽に顔を向けているのが本当なのに。ね、変よ」
泥塗れの女が白い歯を剥き出しげらげらと笑っている。わたしには何がおかしいのは分からない。唯、急に見た太陽が眩しすぎたのか、女が空を背に切り取られた影絵のように平板な、軽く、重さのない存在になっていた。そして余りにも青い空と余りにも黒い女の向こう側に眼を凝らした。すると陽炎のようにおぼろげながら恐ろしい姿の何物かが立っていた。
それは巨大な一茎の向日葵が、燦然と太陽を背に輝いている姿だった。
(1997年)
短編小説:『性物画』

その穴は白かった。崖の岩肌が脆く崩れ、私は足場を失った。底の方へと落ちていく最中、私の意識が次第に妙な具合に明確になり、恐ろしいとか死ぬのではないかという不安の彼方に妙な希望を感じていた。私の存在は、その肉体の周りに纏わりついている空間と時間の枠組みを超えてしまっているかのようだった。頭蓋骨が砕ける音が耳に響いた瞬間、永劫の責め苦と至福の映像が脳裏を去来した。
私は名前を忘れてしまった。私は意識を回復したと同時、肉体の自由を完全に失っていることを悟った。目が覚めると眩い光が網膜を突き刺し、喋ることも動くこともできない身を認識した。私は完璧な不具者になったらしい。が、肉体の自由を失ったことが悲しいという反射的な感想を感じるには、私の脳は少々壊れすぎてしまったのかも知れない。未だない位、冷静な私がそこにいるのだった。
窓の外には春風が吹き荒れていた。その硝子を叩く音が祝福の歌のようだった。私はじっと死の到来を待っていた。それは遠い雷鳴のように現実感のない危機だった。
針が私の右腕に突き刺さっている。一匹の蝿が窓硝子の傍に惑っている。何処に行こうとしているのだろうか、それとも何処にも行けないのか。リノリウムの床が日光を受けて輝き、薄汚れた天井に照り返していた。生き物のように日の痕跡は蠢いている。
喉を感じてみたが、その感触は何もない空洞のようだった。私は喋ることができない。一日はひどく緩やかに流れる河のようだった。背骨が何かに巣食われているような感官に幾度も襲われて大声を張りあげたが、辺りは完璧な静寂に包まれていた。薄く、そして完璧なベールが私と現実世界との間には張り巡らされている。
脳が次第に現実の時間から私を解放していくのか、私は過去に向かって世界が広がるのを感じていた。私の寝ているベッドが、次第にかつて子供の頃寝ていたベッドになり、空を流れる雲が、かつて私が虫取り網を持って駆け巡った野原の雲になった。私は、父親に殴られて痛んだ心を抱えて走り抜けた、あの野原に立っていた。
凧の群れが青空に舞っている。雲の切れ端が硝子の先端の鋭さで空に突き刺さっている。私はひとりだった。郊外の空き地では、錆びた立て看板が客を待っていた。
風が吹いてきた。私は半ズボンで来た事を後悔した。ススキの穂が私の素足を叩いた。瞳には寒い青空だけが映っていた。ドクダミの匂いが肌に沁み込んだ。ショウリョウバッタが背中に子供を乗せて歩いている。泥棒草の実がからだじゅうに纏わりつき、捨てられた猫たちが鳴いている。僕も泣いていた。僕は捨てられた猫の身になり、人を呪った。青空は果てのない青だった。セスナ機が東から飛んできて、大きな空を叩いていた。バタバタと音が世界中に響いていた。僕は空を見あげていた。僕の小さな手を空に向けると、空は手に収まらない程広かった。途方もなく広い。段々と僕の悲しみは空に吸い込まれていってしまい、すっとした心が残った。ラムネの味が口に広がった。僕はラムネのキャンディを舐めていたことを思い出した。
誰もいない公園。独りでに揺れるブランコ。その軋む音が空に響いている。
周囲は真っ暗闇だった。医療機械のスイッチの光だけが点滅している。私はその光を感じていた。小さな弱い光であるのだが、私にとっては太陽よりも眩しい光だった。
父は未だ八歳の私に問うた「お前の人生はどう転んでもお前の人生だ。どう生きるつもりなのかを考えろ」と。私はその答えが未だ分からない。何十年も答えることのできない父の問いを心に刻み生きてきた。そして私は穴に落ち、此処に至る。
空虚な、余りにも空虚な存在に成り下がったのだ。私はカフカの『家父の心配』に登場するオドラデグそのものだった。はたして死ぬことができるのだろうか?死ぬものはみな、生きている間に目的を持ち、だからこそあくせくして、いのちをすりへらす。オドラデグはそうではない。生き物でもなく、物でもない存在…私は涙を忘れてしまったらしい。
昼が去り、夜が訪れる。
暗闇のなかで忘れていた事柄が洪水となり、私の記憶は今の私に舞い戻ってくる。今の私は何もない空虚な身体であり、記憶はより強烈に私の脳髄を占拠してしまう。
私が最後に海に行ったのは、秋だった。
閑散とした観光道路を、女とオープンカーで走っていた。イタリア製のオープンカーが奏でる排気音を響かせ、海外沿いの道を北に向かった。東北は冬がキツイと女が呟いた。
女は肌が痛むのを極度に気にしていた。寧ろ神経症に近かった。太陽の光を恐れ、サングラスとスカーフで顔全体を覆っていた。その癖、オープンカーには乗りたいと云っている。私には話を合わせて引っ込みがつかなくなり乗っているのかと思ったが、別段そうでもないような顔をしている。最大限に日の光を避ける為、トンネルの多い道を走っていた。時折地下水が頭上より滴り、顔を打った。冷たいと女が叫び、私は笑った。私はどうしてこの女と此処にいるのか分からなかった。涼しい風に髪が舞い、遠くの島々が書割の風景のように景色に張りついている。透明な午後だった。私は自分の目的を見失っていた。女を抱きたいのか、それとも何かに向かって走りたいのか。酷いと女が叫んだ。見ると、路面には一匹の鼬が轢死していた。
「いつの日かあたしたちもああいう目になるのかしら」
「わからない。明日か、それとも五十年先なのか」
「そういう危うさって大切な感覚じゃない」
「普段はすっかり忘れてしまっているけどね…」
ブルーの空が幾重にも重なり合い、透明な秋の空が広がっている。私たちは走り抜けている。女は北の実家へと戻り、二度と東京へは戻らないと呟いた。
「あたしのが前に勤めていたクラブの娘の話なんだけどね、あたしが店を辞める半年前に失踪してしまって見つからないのよ。いつも突然いなくなる娘は多いんだけど、彼女の場合は、同じ店に勤める美奈ちゃんていう娘と同居していたから…。美奈ちゃんがいうには、身の回りの物がすべて朝出かけた通りに残っているし、化粧品からパジャマまで普段通りにちらかっているし、荷物をまとめて出て行った形跡もないらしいのよ。渋谷にでも服でも買いに出かけたのかなって思って気にもしないでいたらしいの。でも次の夜になっても帰らないから変だと思って、携帯に電話をしたら彼女の部屋で音がしたんだって。彼女の部屋を覗いたらハンドバックが残っていて、携帯が鳴っていたそうなのよ。しかも財布も残っているし、銀行のカードも現金もあるし、普段使っていた口紅もコンパクトも入っていたそうなの。それで怖くなったんだって。だって化粧も直さないで歩き回っている娘じゃないし、それに現金を剥き出しで持って出かけるなんて想像できないでしょ。それで美奈ちゃんはお店のマネージャーに連絡したんだって。でね、それで履歴書にある彼女の実家にマネージャーが電話を入れたらしいんだけど、電話は現在使われておりませんとメッセージが繰り返しているし、住所から地図を調べたら、そこは福島県***市の郊外にある発電所だったそうなの。それで美奈ちゃんは近所の警察に届を出しに行ったらしいんだけど、カードの名前も偽名だったらしく、失踪届にもならなかったんだって。夜逃げ同然で暮らしている人も多いんですよ、あなたが何か被害にあっている可能性はないですかと警察は言ったそうなの。で、美奈ちゃんは怖くなって自分の保険証とか印鑑とかを調べたけど全部あるし、ほっとしたらしい。でもひとつなくなっているものに気がついたんだって…」
女が黙った。
「臍の緒の入った巾着…美奈ちゃんの亡くなったお母さんに貰ったお守りで、出生書といっしょになっていたものらしいの…しかも美奈ちゃんお母さんの指の遺骨も一緒にしていたらしくて」
「気味が悪いね、人のそんなものを盗むなんて」
海岸沿いの岩肌がぎらりと輝き、暗闇のトンネルのなかへと私たち自動車は入った。鍾乳石のようなのたくったコンクリートの天井から地下水が滴り、フロントガラスで弾け飛んだ。
「美奈ちゃん、それから少し気が変になって、今じゃ神経科に通院しているのよ。美奈ちゃん、なんだか自分が盗まれてしまったみたいだと泣いていたわ」
時折強い風が日本海から吹きつける。トンネルの暗闇を出、一面の青空が現れた瞬間、女が巻いていたシルクのスカーフが風に吹き上げられて飛んでいった。ひらひらと舞い上がりながら、バックミラーから消えてしまった。
「ねえ戻ってよ、ねえ」
「…」
太陽が昇っていた。
看護婦が私の股間を洗っている。私のペニスはしっかりと立っている。女はピンセットを用いてガーゼでペニスを洗浄している。その光景は妙であるが、医学的な見地からは正しいのだろう。だがそれを悪ではないと言えるのだろうか。注射が一本打たれる。私が腐らない為なのだろうか。私は生鮮食料品だ。腐らない為に生きている。看護婦は腐らせない為に努力している。喉元に流動食が流れる。生きるための装置、だがその先に何があるのだろう。私は小さな汚物工場であり、その存在は人工世界の規則に遵守している。
私はその世界のどの場所に登録されているのだろう。その登録は有効なのだろうか、それとも無効なのだろうか。私の存在は、法的な監視下のもとにある場所を与えられている間は処分されないだろう。が、その範囲を少しでも逸脱してしまうと、私は人間から動物にでも、または物体にでも格下げされてしまうだろう。薬物の実験台になりさがり、糞尿を垂れ流しながらも意識なく死にゆく存在にもなるし、切り刻まれて医大生の為の標本にもなる。その境界線は曖昧なものであると、私は確信した。そう、今の私にここまでの明晰な思考があるなど、誰も思ってはない。私はかって人間と呼ばれた存在のなれの果てなのである。
私は顔を忘れてしまった。顔の記憶は朧げな輪郭、目鼻、口、しかしながら自分の顔という明晰な像を思い出すことはできない。顔の断片、瞳の光彩、目元の黒子。私の隆起した鼻の側面にある脂肪の残滓。それらは覚えているが、私の顔の総体を覚えていない。昔母親が綺麗なハンカチを鞄から取り出し、私が垂れ流している鼻を拭いてくれた。光が空から降り注ぐ午後の庭先だったか、それとも…。砂浜に掘られた穴に埋められていた。入道雲が輝く広大な青空。崩れる砂が顔に降る。子供たちの顔が穴から私を覗き込む。悪戯を愛し、人の不幸を軽快に楽しめる年頃の少年たち。肌が黒く、夏を体いっぱいに吸収していた子供たち。私は崩れる砂の、穴のそこに座っている。私はそのうち訪れるだろう大波を待っている。海が満ちて海水が注ぎむ時を。私は溺れ死ぬことを期待していた。青空の処刑台は幸福な地獄だった。
私は目覚めると、青白い病室のなかにいた。いままで私は子供の自分を生きていたが、夢だったらしい。汗が毛穴から噴き出で、四肢が痺れてきた。これは回復の予兆なのだろうか。それともシシュポスの責め苦のように出口がないのだろうか。
生の輪郭が朧げになっている。生とは意識のことなのだろうか。それとも現実に関与する力なのか。私は喋ることもなく、思うことで生を証明している。しかしそれが理性の所業であるとは確信できない。私は理性など私は持ち合わせていない。感情の郵便があて先不明になって、口から理をまとって出でるに過ぎない。私は必死に思考している。思考が果て、私が死んでしまわないために。思考が果てても、肉体が勝手に生き続けるのは地獄だ。それとも私は既に地獄にいて、傍から見たら勝手に生き続けている肉体でしかないのかもしれない。
心臓の鼓動が耳に障った。目を開くと、海原が広がっていた。私は世界の果てに棲んでいる一つ目族を捜している。星の道筋を辿って私の船は闇の海原を進んでいた。一つ目族に捕らえられたオデュッセウスは名乗る「何者でもない=ウーシス」と。大いなる海原の洞窟に棲んでいる怪物たちの呼吸が耳に響く。名前はやっかいなものだ。肉体の外、心の外で勝手に生きている。金貸しも、誹謗者も名前を忘れてはくれない。私はオデュッセウスのような罠を仕掛けることはできなかった。私は病院の枕元にしっかり名前を貼られ、縛りつけられている。私は名前を忘れてしまったが…。目を潰された一つ目族の男に仲間が言う「誰でもないものに潰されたなら、ゼウスの所業にちがいない。あきらめろ」私は一冊の本を拾った。開くと、ゼウスは復讐の神であると書かれていた。
闇が来た。私は目を瞑る。
看護婦は監獄の看守のようだった。
私に何も話し掛けないことで、偉大なる権力を保持していた。日に二回私の肛門に管を差込むと、ぞんざいに尻をタオルで拭く。私の性器は女の手に著しく反応していた。私は大きな女に抱かれていた昔を思い出した。私の家には北の漁村から出てきた若いお手伝いが住んでいた。病弱な母の代わりに、私の面倒を見ていてくれたのである。私を風呂で洗ってくれたその女性は、二倍以上の体躯の女だった。大きな女に包み込まれる快楽…以来、そこには決定的な愛があると信じている。今の私も看護婦である女に対して、決定的に私は無力であり、私は乱暴に扱われ、その状況が私に女を神聖化させる。
白衣の匂いを感じた。私は女の眼を見た。が、殆ど女は私を無視していた。
「・・・・・・・・」
女がなにかを喋っているような気がしたが、私にはよく見えなかった。無論、何も聴こえない。朧げな女の輪郭が宙に浮かび、私は美しさに胸を痛めた。女は乱暴で、私は無力だった。その無力な私は、その女を渇望していた。性器は女の手を感じていた。だが私は生き物でもなく、物でもなかった。孤独で満ち足りていて、そして空虚だった。私は生きている…。
残雪が踏み荒らされていた。私は飛行機で窓から眺めた空を想った。群青色の天空には大熊座が輝き、その下方に拡がる雲海には橙色の光の帯が連なっている。群青色、薄緑、薄黄色、橙色、赤、黒い灰色。何歩から私の人生は惑ったのだろう。踏みしめられた残雪が音を放つ。青い色が鳴った。夕暮れが虚空に流れる綿毛の軽やかさを思い起こさせ、肉体が歩くたび軽くなっていく。私は飛んでいた。舞っていた。時計が午後六時を指していた。私の首筋に痛みが走った。首筋で蠢く甲虫の足が刺さった。いや何かが血管に挿入された痛みだった。私は墜落した。一台の旧式の路面電車が来た。パンダグラフを直撃すると、屋根が破れて路面電車のなかに落ちた。そこには壊れた座席が並んでいた。破れた布地からバネが頭を出している。割れた運転席のガラスドア越しに一羽のカラスが私を凝視していた。路面電車は街を滑走していた。街は昭和三十年代の東京だった。灰色の日劇を横目に路面電車が走る。鳩の群れが空を埋め、急に到来した夜に群集は戸惑っていた。煙を吐き出す巨大なネオンの看板が屋上に輝いている。私は父の手を握り締め、都会の夜景をじっと眺めていた。ゴジラが破壊した街の中心に立っているのだと思い、背筋がぞっとしたのことを忘れない。
涙が口蓋を満たし、溺れそうになった。私は真夜中に目が覚めた。現実と妄想の境界が曖昧になっているのか、横たわる肉体の私が現実であるという意識もなくなり、妄想や夢の方が現実味を帯びてきていた。私の生命を維持している装置の鼓動が聞こえてくる。私は次第に空想のなかに生きるようになっていた。意識が次第に明確になってきているのか、それとも肉体が崩壊していく予兆なのかは分からない。時々目が覚めると、子供の姿で近所の友達が私の枕元に立っていたりする。現実と空想が重なり合ってしまい、どちらが地であって、どちらが重なっている虚像なのかが判断がつかなくなっている。私が夢の中の存在であり、目が覚め、母親に大人になって動けなくなった夢を見たんだよと、泣いている自分が現実なのではないか。小学生くらいの薄桃色のカーディガンを着た少女が私の枕元に立っていた。その少女の顔の輪郭を記憶に重ねると、それは妙子ちゃんだという事を思い出した。私が八つの頃好きになった初恋の女の子だ。頬にキスをした思い出が忘れられない。幾分物憂げな大人びた目をした女の子だった。
「何しているの」
「眠っているんだよ」
「わたしと話しているじゃない。昨日も学校さぼったでしょ」
「学校はもう出てしまったんだよ」
「もう学校には来ないのね」
「そうだよ、もう僕は大人なんだ」
「悲しいな、妙子」
「どうして」
「わたしはずっと小学生なのに」
「もう君も大人だよ、同い年だから」
「だったら抱いてくれない。何十年もわたしはキスしかされていないわ」
妙子ちゃんは怪しげに私を睨んだ。桃色のカーディガンを脱ぐと、性的に興奮した女の狂態で絡んできた。小学生の姿のままなのに、心だけが大人になってしまったのだろう。私は妙子ちゃんに脱がされるままに裸になっていた。私のペニスは屹立していた。小さな口がペニスを咥えている。赤いランドセル。私は小児愛の欲望などなかったが、小学生の妙子に興奮を覚えていた。スカート。妙子は裸になった。すると次第に肉体が艶めきだし、子供の肉づきから大人の女の肉づきへ変貌していく。ソプラノリコーダー。肌を重ねると、成熟した女の肉体がやんわりと触れた。小さな花柄の髪留め。私は微動もできず、妙子を眺めていた。小学生の体躯に女の肉体が具わっている姿は奇妙な興奮を促した。薄桃色のカーディガン。やがて妙子は私の上で腰を振った。私はペニスが熱くなっていくのを感じた。私は妙子のなかに射精した。
次の瞬間、妙子は消えた。
二晩に一度は妙子が私の傍にやってきた。私は最近妙子以外の空想を見なくなっていた。目が覚めると、病室のリノリウムの床が日光を受けて輝き、薄汚れた天井に照り返し、一般的に現実という光景が広がっていた。妙子は小学生から次第に成長し、いまでは高校生くらいの年齢になっていた。妙子の変貌を追っていなかったら、私はいまの彼女を妙子だとは分からなかっただろう。
「もう私はいなくなるわ」
と、妙子が呟いた。
「本当。どうして」
妙子は黙ったまま私を見、辛そうに微笑んだ。
「本当。淋しいけど、もう来ないわ」
「そうか…」
「さようなら、また何処かで会いましょう」
妙子は消滅した。
「さようなら」
と、私は告げた。私は消えてしまった妙子の痕跡がまるで残り香のように宙に浮遊しているのを感じた。私は思い出した。妙子が昔に他界した初恋の人だった。私は初めてのキスをしたが、若すぎてセックスまで至っていなかった。その後高校が別になり、やがて疎遠になった。訃報を聞いた時、悲しくなった同時に存在すら忘却してしまった。どうして此処に現れたのだろう。今はいつなのだろう、何処にいるのだろう。私は脳髄の中に閉じ込められてしまった囚人なのだ。ここから出ることはできないのだろうか。急に焦燥感が満ち、何も動かない肉体と、現実か 幻覚か判別できない光景を呪った。
美奈ちゃんのへその緒を盗んだ福島の女は誰なのだろう。私は出生所とへその緒を亡くしてしまって気が狂った美奈ちゃんのことを想った。私は大きな海原を目の前にしてオープンカーを止めていた。日本海を見るのは初めてだった。女が失くしたスカーフのことを悔しがっていた。風が吹きすさんでいた。海がヒステリックに波立っていた。私が垂れ流した鼻を拭いてくれた母、失踪した母を想いました。へその緒を失くした美奈ちゃんを余り知らないけれど、母との繋がりが何であるかは神秘的なものであり、その証拠を赤の他人に盗まれる気持ち悪さを想うと、気が狂う美奈ちゃんの弱さを私にも発見できる気がしました。海は岩場を砕き、屹立する山もやがて海に飲み込まれてしまうのでしょう。海岸線には大きな岩が点在し、荒れすさぶ海の音を聞いているうち、その岸壁から海原を眺めたいと、足が向いて歩き出しました。女は「危ないから変なところ登らないでよ」と叫んでいます。思い出しました。女は私の妻でした。東北にある妻の実家へ向かう道の途中だったのです。
空はモノクロームの映像のようでした。散りじりに、速く、雲が流れていました。崖を昇ると、青い空が破かれた雲の間に顔を出し、波が一瞬きらりと輝きました。瞬間、私の足場は脆くも崩れ、はっと宙に舞いました。
頭蓋骨が割れました。目を開けると白い岩が真っ赤に染まっていました。
(2002年作)
