銀河鉄道の夢

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地球の外を旅してみたいと子供の頃はよく想像していた。自分が大人になった頃には、宇宙服くらい買うんだろうなとか、30歳のころには宇宙ステーションで仕事していたりとか、想像は現実的なディテールをともなって、「うんこしたら、重力がないからぐちゃぐちゃになるぞ」とか言う大人に、「重力を作る機械があるから大丈夫なんだよ」とか言って、さも宇宙旅行のエキスパートのようなこと言ってました。
僕のもうひとつの宇宙観には、宮沢賢治『銀河鉄道の夜』からの影響があります。カンパネルラは死んでしまって銀河鉄道で行ってしまう。確かに、宇宙は広大な死の世界でもある。音もなく、空気もなく、闇ばかりで、確かに人間が生きてはいけない空間なのでしょう。それでも魂になったら、自由に飛びまわれるような気します。友達の去っていく場所としては幻想的な場所です。
写真はタイタンという土星にある衛星の写真です。大気があるらしく、地球に良く似た惑星だそうです。何年もかかって探査衛星が到達したのです。
子供の頃考えたより人間は小さな存在なのだなと痛感します。何年も闇に揺られながら、生命のない死地を飛んでいけるのは機械だけなのでしょう。

現在建築

20050129144651モダン建築が再評価されて流行となり、5~6年くらいになるんですね。チャールズ・レイ・イームズの椅子ばかりでなく、建築まで自動車の広告となっているし、青山、代官山、中目黒のファッショナブルな建築には、モダン家具のイメージが溢れていますね。80年代にはポストモダンの洗礼を受けて、いまさらまたモダン?って僕は思うんだけど。いまの若い人たちが半世紀も昔のものを、(百年以上も昔のものならまた別だけど)新しいと感じているのは、僕には日本の美術教育の怠慢としか考えられないんです。そんな難しい話じゃなく、WallPaper等、お洒落な外国の建築雑誌の影響が一番の理由なんでしょうけどね。
写真は再開発エリアに取り残された孤島のような建物ですが、嫌味な作為性がなく、目を奪われました。住まうことが生み出した現在建築の粋だと思います。さまざまな規制、さまざまな快適性への課題を思うと、この家には問題はあるでしょう。しかし生活の感性から偶然生み出された(多分意識的ではないのでしょう)無為なフォルムに美しさを感じます。
ダンボールの家もそうですが、建築家の持つ作為的なものを超えたところに何かを感じるんですね。もちろん作為的でありながら、新しい地平を切り開く、フランク・O・ゲイリー氏のグッゲンハイム美術館(スペイン・ビルバオ)のような建築は別ですが…。

デジタルカウンターって日本イメージ?

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宮島達男氏はデジタルカウンターで世界的な作家になった男である。聞くところによると、数字が仏教的な無常観に通ずるという話である。1,2,3と数字がおのおのの安価なデジタルカウンターで刻まれている様子は、確かに小乗仏教的な静謐さを感じさせた。その粗末な基盤が剥き出しになった機械が連なる様から、鴨長明の方丈記を思い出し、根に同じ精神を僕は想った。
それから十年たち、ヴェネチアビエンナーレで発表された「メガデス(大量死)」を、東京の凱旋展覧会で見た。真っ暗な入り口を抜けると、そこには青いデジタルカウンターが壁一面に(体育館ほどあるスペース)数字を黙々と刻んでいる。1から9までカウントし、そこから一旦発光をやめ、また1から数字を刻みだす。ひとつはそういう動きだけれども、マクロでみると、明るいところと暗いところがモザイクのようになり、人の一生の明滅に感じなくもない。それが急に全部消えてしまい。観客は暗闇に包まれる。やがてしばらくして、ひとつひとつが徐々に光り始める。これはなにか大乗仏教的な視線だなと、大変感心した。普段は、真っ暗になって隣に女の子がいたらキスと相場が決まっているのに、それを忘れて感動したくらいだった。<残念>
その彼は、六本木ヒルズのパブリックアートも制作している。交差点の明かりのなかで光る作品にはどんな意味があるのだろう。
有名になった宮島氏の作品は、スノッブなアートコレクターたちに大人気らしい。鏡のなかに光る作品はなかなかファッショナブルだったけれど、もう鴨長明ではなくなってしまった。僕はどちらも好きだけど、やはり素敵な家に飾るなら洗練された方がいいのでしょうね。<tokyotaro>

3Cというイタリアの画家たち

NYクレメンテは素晴らしい画家だと僕は思う。イタリアの3Cとして、ニューペインティング(もう二十年になるんだ…)80年代にスターダムに登場したイタリアの画家である。イタリアの3Cとは、フランチェスコ・クレメンテ、エンツォ・クッキ、サンドロ・キアの彼らは、70年代後半から台頭し、Transavangurdia(トランスアヴァンギャルディア)という、非ヨーロッパのイメージを引用したアーティストたちである。その後のポップな観点からの、イメージ引用ブームのさきがけとなった。特にクレメンテは東洋の思想が感じられ、わたしたちに親しみやすい。
僕はニューヨークの出張中に忘れていた友人にふと出くわすみたいに、ハローと声をかけたくなるような感じで写真を撮った。うーん、今見ても新鮮だなと思うし、ぐにゃぐにゃとしている身体のフォルムが僕の気分である。
ぜひ青山ブックセンターあたりの画集の棚を覗いてみてください。80年代ブームはファッションだけじゃないかもね。
※写真はニューヨークの59thにあるHudsonというPスタルクがデザインしたホテルで撮りました。
http://www.hudsonhotel.com/www.hudsonhotel.com
<tokyotaro>

ルイ・ヴィトンのさくらんぼ

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フランスの老舗ブランドがこんなに売れる都市は、世界でもほかにないでしょう。もともと、ルイ・ヴィトンは十九世紀末にフランスで展示された日本のデザイン・ジャポニズムを基本にして、一松模様をやってるんですから日本人に受け入れられるのも理解できますが…。
デザイナーのマーク・ジェイコブスの服はあんまり人気ないですが(僕はそう思うけど)、アーティストの村上隆がコラボレートした鞄は大人気ですね。いま六本木ヒルズの店内には「さくらんぼ」の彫刻と鞄がさりげなく飾られています。
村上氏は日本画を現代に翻案し、「スーパーフラット」という概念で、いわゆる「アニメ絵」で欧米のアート業界に挑戦している男です。つまりは、「アニメ絵」は現代の「浮世絵」であり、秋葉原のおたくは、江戸時代の歌舞伎のひいき筋みたいなものなんですね。そう思うと、歴史は糸でしっかり繋がっています。
戦前は、古川の下から歌舞伎座まで船で出かけたそうです。いまでは高速道路が頭上に張りめぐり、暗渠のようです。(悲) 蓋し、おたくの船・川はネットなんでしょうね。

東京はどこにあるのだろう。

253東京はどこにあるのだろう。
東京で生まれてしばらくは東京の近郊に住んでいたので、東京という場所は「出る」場所だと長らく思っていた。電車で一時間もかからないのだけど、東京に「出る」と母も言った。
東京はどこからが東京で、どこからが東京でないのだろうと、僕は考えた。きっと境界線は…。<中略>
子供の頃、郊外に越したものの生まれた街へ戻り、僕はこの十年くらいはずっと東京に住んでいます。汐留のシオサイト、六本木のヒルズと街はさまがわりし、高層ビルがそびえる街になっていくんだなあと感慨深く、まさに失われていく光景を思い出し、そして忘れるばかりです。番町や、麻布の屋敷跡がマンションになり、長く静かでありながら力強い石壁も壊され、遺されるのは空き地と保存樹木。子供の頃、都電が走っている銀座通りやゴジラが壊した日劇を知っている僕にとって、東京の原風景は70年代なのでしょう。それにしても、知っている街が怪獣でなく、時に壊されるとは子供の頃は想像もできませんでした。
月日は百代の過客にして、行かふ年もまた旅人なり <芭蕉>
都会に住むというのは、失われる記憶と不眠不休で更新される情報の洪水のなかを、サーフィンするようなものです。だからこそ、コンテンポラリーな東京の日記を残してみようと、プログをはじめました。
ヨロシクオネガイシマス。<tokyotaro>
※写真は十九世紀の麻布十番周辺(赤羽橋)の浮世絵です。