東京はどこにあるのだろう。
東京で生まれてしばらくは東京の近郊に住んでいたので、東京という場所は「出る」場所だと長らく思っていた。電車で一時間もかからないのだけど、東京に「出る」と母も言った。
東京はどこからが東京で、どこからが東京でないのだろうと、僕は考えた。きっと境界線は…。<中略>
子供の頃、郊外に越したものの生まれた街へ戻り、僕はこの十年くらいはずっと東京に住んでいます。汐留のシオサイト、六本木のヒルズと街はさまがわりし、高層ビルがそびえる街になっていくんだなあと感慨深く、まさに失われていく光景を思い出し、そして忘れるばかりです。番町や、麻布の屋敷跡がマンションになり、長く静かでありながら力強い石壁も壊され、遺されるのは空き地と保存樹木。子供の頃、都電が走っている銀座通りやゴジラが壊した日劇を知っている僕にとって、東京の原風景は70年代なのでしょう。それにしても、知っている街が怪獣でなく、時に壊されるとは子供の頃は想像もできませんでした。
月日は百代の過客にして、行かふ年もまた旅人なり <芭蕉>
都会に住むというのは、失われる記憶と不眠不休で更新される情報の洪水のなかを、サーフィンするようなものです。だからこそ、コンテンポラリーな東京の日記を残してみようと、プログをはじめました。
ヨロシクオネガイシマス。<tokyotaro>
※写真は十九世紀の麻布十番周辺(赤羽橋)の浮世絵です。
東京はどこにあるのだろう。
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