友愛政権の愚かな欧米軽視を憂う。

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20090901-00000034-mai-pol

次期首相と目される民主党の鳩山代表に、欧米で警戒感が広がっている。米紙への投稿で、経済や安全保障のアメリカ主導を批判し、東アジアを軸に考えるとしているからだ。
■「オバマ政権は、相手にしないだろう」
 民主党が総選挙で圧勝し、海外でも政権交代に関心が集まっている。まだ開票から1日のため、海外のメディアで鳩山由紀夫民主党代表への論評は少ない。しかし、鳩山代表の考えに違和感を表明した向きもあり、今後、海外でも政策を巡る論議が広がりそうだ。
 鳩山代表の考えで特に注目されたのは、米ニューヨーク・タイムズ紙に2009年8月27日載った寄稿論文「日本の新しい道」(英文)。そこで、鳩山代表は、冷戦後、アメリカ主導のグローバリゼーションの中で、日本が市場原理主義の風潮にもてあそばれてきたと指摘。そして、人々が目的ではなく、手段として扱われ、「人間の尊厳が失われている」とまで言い切った。その現れとして、イラク戦争や金融危機があるという。
(中略)
 英エコノミスト誌は、8月20日付サイト記事「間違った敵に攻撃している」で、鳩山代表が奉じる友愛に噛みついた。それは「感傷的に聞こえる概念」だというのだ。日本で鉄壁の保護を受けている農業をグローバリズムから守り、非正規労働の禁止や最低賃金引き上げだけを考えていると批判。経済政策については、影響力がなく、関心もないとの指摘が出ているとして、民主党の政策には限界があるとしている。
 また、英フィナンシャル・タイムズ紙は、28日付サイト記事「民主党代表の政策への疑問」で、友愛の概念を具体的な政策に移す鳩山代表の能力に疑問があると指摘している。

グローバリズムの批判及び高齢化した島国中心内向き政策が、鳩山氏の考えであるそうだ。欧米との歪を生みながらやっていくのは、愚の骨頂であるし、しかも欧米各誌のポイントは、冷静な分析であると思う。
冷静な政権分析もなく、無闇に政権をバッシングしてきた日本のサヨク系マスコミに踊らされた結果である。現在の高度金融&IT社会の中において、感情的にグローバニズムを軽視する人間に投票した方々は、今後の世界からの反動に覚悟してほしい。踊らなかった人々も、一蓮托生なのであるからこそ、泣き言を言わないで欲しい。

グーグルの『ストリートビュー』に総務省が配慮を要請する。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090825-00000031-san-bus_all
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総務省は24日、グーグル日本法人に対して、同社が展開する地図検索サービス「ストリートビュー」をめぐり、個人のプライバシーなどに配慮した運用ルールを策定するように求める方針を固めた。路上から撮影した風景などをインターネット上で立体的な画像として閲覧できる同サービスに対しては、個人の生活環境などが判別されるとして、地方自治体などから強い反発が起きていた。グーグル日本法人も運用のルール化を受け入れる方向で調整を進めている。(産経新聞)
グーグルは摩擦を気にせず、旧来の社会を変革している。
そういう意味では、こういう衝突があることは十分に予見していただろう。インターネットの革命的な資質は、誰にでも十年前には政府の諜報機関でしか入手できない情報を開示した点にある。時間・空間の束縛を解き放ち、またクラウドコンピューティングは、知の偏在をも技術によって消失させていく。米国では、絶版された出版物はデジタルコピーされて配布することも合法となり、グーテンベルグの印刷技術の発明以来の転換が起きつつある。
中国、ロシアにおいてもグーグルは同様の活動を推進しつつある。旧来の権威と軋轢を生みつつも、新しい枠組みは、まさに水が高きから低きに流れるように浸透していく。米国であっても、テロリストに情報を与えるようなこういうデジタル技術の拡散は、いままでの観点から見たら国益に反すると考えるだろう。しかし現在の米国は、ITの変革を恐れず、国家の変貌も容認しているように思う。
今回の日本の総務省も調整は促すが、確かに禁止はできない。蓋し、現在のインターネットで起きつつある流れをもし国家が止めてしまった場合、それは何よりも「鎖国」を起こすようなものであり、同時に世界の時流から大きく取り残され、ケータイの業界で生じた日本製品の没落を、同様にIT産業界のみでなく、経済全般に引き起こししてしまうだろう。
政治的な変革を謳いながらも、駅前商店街の窮乏を解決するとかいう政党たち。『三丁目の夕日』的アナクロニズムに陥っている日本の現状を見ると、本当にこのままではガラパゴスになってしまうなと憂う。列車から自動車の時代に変革させたのもあなたたちであるし、光ファイバーを張り巡らせたのもあなたたちである。しかしその結果引き起こされた現状には、「納得」できないのである。
昨日の魚は美味しい。人の脳は、機能的に良かったことしか記憶しないそうである。だからこそ変化を恐れず、さらに変革していく世界を受け入れていこうと、僕は思う。

会社は人であるか、物であるか-雇用問題を考える。

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派遣社員切りの話題が巷を賑わしている。メディアでは、大企業は内部留保が十分にあるのに雇用を救わないと共産党が糾弾し、また一方で大企業も瀬戸際であって、規制が強くなるなら雇用は海外へ流失するという「日本空洞化」論を唱え始める。
一昨年だったか、東京大学経済学部教授である岩井克人氏の講演を聞いたことがある。
現在、未曾有の金融危機であるという最中に、彼が『会社は法人であるというが、その法人のなかの「人」は何を意味するものだろう』言っていたことが頭をよぎった。
 岩井教授の説明では、会社は物であり、同時に人なのだという。株式会社である場合、持ち主は株主であるが、株主だからと言って会社を言いなりにはできない。つまり人であるからだ。株主であっても、会社の所有物=自分のものではない。会社は「人」として存在しているし、そのなかに働いている「人」も自由になる存在ではない。つまりは永遠に二重性があり、ある時は「物」として扱われ、ある時は「人」となる。昨今のグローバル化は、会社の「物」としての側面を強調してきた。株主=マネー至上主義が横行し、同時に「人」が忘れられていった。が、金融が危機に瀕死してスポットライトが弱まると、とたんに忘れていた暗闇から「人」の側面がたち現れた。今はちょうどその「時」である。
 資本主義経済の本質は、(経済と言ってもいいが)「信用」を売って成立している。貨幣も、会社も、商品も(特に金融商品は)、「信用」の賜物である。
 
そういう視点で今回の騒動を考えるならば、安定のない雇用は、会社の「人」としての「信用」を失墜させることに他ならない。すなわち直ちに安定雇用を叫ぶ人も多い。しかし一方で、派遣・契約のような雇用形態を望む者も少なくないという事実がある。派遣社員、契約社員であるから故に、いままでは学歴・経験等さまざまな要因で体験できなかった職域での仕事が経験できたり、また生活の自由度と給与のバランスに魅力を感じていたのだ。
ある意味、そういう派遣社員の人々も、会社を「物」と考えていたのであり、弱者=救済という短絡的なそして痴呆的な意見をメディアで振りかざしている姿は聞くに値しない。自分がどういう「人」として生きていくべきか、どうすれば「信用」されるかという根本的な問題を無視し、お寒い限りである。
グローバル経済を標榜し、マスコミ・政治家・一般の人々も「物」説に酔いしれたのではないだろうか。世界経済の好調に乗って回復した日本経済のなか、皆が反対を明確に唱えることもなく、「物」化することを助長していたのではないだろうか。ホリエモン、ファンド、ネット個人投資家の台頭、すべてがその流れから生まれた。しかし僕はすなわち「物」化が悪いことだとは思わない。非常に腹立たしいのは、風向きが変わるとすぐ転向するという、終戦直後も同様日本の悪癖である。
 物は何も言わない。恐ろしく、限りなく透明な存在なのである。「物」は常にそれを使う人の心を反映するに過ぎない。

自動車産業を失った米国経済はどういう道へ向かうのだろうか。

[ワシントン 11日 ロイター] 米上院は11日夜、自動車メーカー3社(ビッグスリー)救済法案について、妥協案で合意に達せず、事実上、年内の議会での救済法案をめぐる協議は打ち切りとなった。自動車メーカー救済法案は、上院での採決に持ち込むための審議打ち切り動議に十分な支持を得ることができず廃案となった。
自動車産業を失った米国経済はどういう道へ向かうのだろうか。
産業革命以来、資本の集中により発展して来た20世紀型の資本主義を牽引した産業構造が音を立てて崩れていく現場である。ビックスリーはなくなっても1社は残るだろうが、かつて英国が失った製造業を、追従するように米国は失っている。タバコ、自動車というアメリカを代表する産業が疲弊していく姿を見ると、かつてアメリカ文化に羨望の目を向けていた私たちは、大きな時代の転換を痛感する。<tokyotaro>

ムンバイにおけるテロ行為と経済的な繁栄

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ムンバイで大規模なテロが発生(ロイター写真)したという知らせを受けたのは早朝だった。都市の半分がスラム街である金融都市に衝撃が走ったのは、そのテロの発生した場所が、オベロイ、タージ等の超高級ホテルであり、しかも占拠および銃撃等、テロというよりも市街戦の様相を呈しているからだろう。
見出しの写真はオベロイ・ホテルのロビーであるけれど、ムンバイのスラム街との対比を見ると、凄まじい格差だった。普通の中流階級の月給が約2万円の国で、一泊6万円以上するのである。日本の感覚ならば、一泊80-100万円以上の部屋しかないホテルと言ってもいい。そこにいるのはインドの富裕層と、欧米人(+日本人)である。
格差が急拡大しているという理由がそこにある。カースト制度という旧来の階級社会に、高度資本主義のもたらした経済格差が渦巻いているのだ。インドの成長は、2003年からこの5年間に急拡大したものであり、そこから実質GDPにて年7-9%超の成長を遂げているのである。ちなみに、アメリカでは人口の2割が、8割の富を独占しているそうだが、インドでは5%の人口がほぼ大部分を独占している。(人口は約11億人)その他の人は、すべて年収40万円以下である。
蓋し、富の配分の問題及び宗教の問題が絡まり、社会不安が増長している。文化と経済の発展は、常に破壊と犠牲を伴う。インドには現在、日本における昭和20-30年代の左翼運動時と同様のエネルギーの高まりが満ちているのだ。
インドのその先には輝かしい未来があると僕は思うが、それは彼らが貧困と富の分配の問題をどう克服するかにかかっているだろう。

『生活支援定額給付金』という愚行

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愚かな…余りにも愚かな政策。
ひどい話である。
二兆円もの財源を、千百兆程度の財政赤字があるにも関わらず、血税を自分たちの選挙のためにばら撒こうとする自民党・公明党の姿勢を許すことはできない。
高齢化及び医療の現場での困窮をしるならば、そういうところに財源を投入するべきであるし、雇用を安定化させるためならば、ニート及びフリーターとして職業訓練の機会を逸した人々の救済に投入する方が、どれだけ長期的な国益になるだろう。
無策の極みであり、国民を愚弄している。
上から目線で池の鯉に餌をやらんばかりの態度だ。
こんな国民を愚弄する内閣は、早晩消え去るべきだと痛感する。

米・財務長官ポールソン氏はいまも日本を嘲笑するか。

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ポールソン米財務長官は8日の記者会見で「金融安定化法の効果を最大限発揮させるため、資本増強を含むあらゆる手段を講じる」と述べ、経営が悪化して資本不足に陥った金融機関に公的資金を使って資本注入する可能性を示唆した。(読売新聞)
そのポールソン氏は今年2月のダボス会議では日本を嘲笑していたのだが…。
08年1月下旬の世界経済ファーラム(ダボス会議)や2月上旬に東京で開かれた先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)などで、渡辺喜美金融相や額賀福志郎財務相は欧米の金融当局者や市場関係者らとの会談で、ことあるごとに「日本は金融機関への公的資金の投入が遅れたばかりに、不良債権問題を深刻化させ、デフレ不況まで招いた」と、恥を偲んで失敗談をアピール。サブプライム問題では、欧米政府が多額の損失を出した大手金融機関に対して速やかな公的資金の投入を決断すべきだと間接的に求めているが、「ポールソン米財務長官や欧州中央銀行(ECB)幹部らはどこ吹く風と聞き流し、ほとんど相手にされていない」(同)という。
やはり奢れるものは久しからず。公的資金を投入し、右往左往する米政府の行く末はどうなるのだろう。日本を真似しなくちゃならないとは、不本意なのだろうが。
それにしても、2月の記事のコメント欄を見ると、寄らば大樹とばかりに欧米を賛美する日本人たちもどうかと思う。

洞爺湖サミット・エコファシズムの台頭。

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欧州気候取引所が取り扱う排出権を元に、
排出権先物価格連動債券という金融商品が売り出されている。基本的には排出権は一般市場で個人が購入することは難しいと思われていたが、こういう商品が出来ることにより、個人マネーも巻き込み、将来的にエコは壮大な金融商品市場を形成しそうである。
原油高高騰、穀物の高騰等、マネーゲームと総称される、実体経済を乖離した膨大なキャッシュフローにより、人々の生活は混乱している。原油高で漁業に行けない船が、日本中の漁港に溢れている。旧左翼のイメージ思想に頭をやられている人たちは、弱者がマネーゲームの犠牲になっている叫ぶ。そして政府がスケープゴートのように吊り上げられる。しかし誰が糾弾されるべきなのだろうか。
確かに、排出権の導入は南北問題解決の糸口になるかもしれない。しかし冷戦が終わりイデオロギーでの縛りがなくなり、大きな物語から小さな物語へ移行する。ナショナリズムが高まり、結果がテロとの戦いだった。物語を喪失していた世界が、次の壮大な物語を探し、それがエコロジーとなった。それは、ドイツの緑の党が、第三の道として70年代から提唱していた、多文化主義、エコロジー、脱物質主義等の延長である。
ヨゼフ・ボイス氏は、「社会彫刻」を目指し、緑の党の主要な人物だった。蜂蜜、鉄、フェルト等の物質に対する詩的な感性は、特筆すべきものである。そういうナチュラルな物質に対する、純粋な感性でありながらも、その神秘性のなかに人を織り込んでしまう怖さがある。
蓋し、エコロジーはある種のファシズムである。自由な選択を恐れ、自由から逃走しようとする人々の惑いがある。かつては国家単位だったものを、グローバルに展開したファシズムである。
資本家あるいは先進国も、労働者あるいは発展途上国も、みながその中に救いを探している。そこにさまざまな思惑が、メルティング・ポットのように渦巻いている。人々は自由を差し出し、何を手に入れようとしているのだろうか。権力、金、あるいは正しいことをしているという幻想。
二十一世紀の最大の詭弁が、この後どういう道を辿るのか。しっかり見ていかなければならない。

グリーンピースの偽善。環境活動家の底知れぬ病。

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洞爺湖のサミットが来るということで、環境テロ(犯罪)があったそうだ。
佐藤潤一というグリーンピースの海洋生態系問題担当部長が逮捕された。鯨の肉の横領を示す証拠を盗みに、西濃運輸の倉庫に忍び込んだのだという。無論、彼は正義からの行動であって、自分が悪いとは思っていない。
僕も海の素晴らしさを知っているつもりだし、同時に自然の怖さも知っている。別に彼が海を愛し、自然を愛すことに異論はない。僕は鯨を美味しいと食べるが、彼が食べなくても構わない。
そもそも自然自体は、人間が死滅すればさっさと別の形で再生するのであって(そもそも自然は破壊できない)、何をもって人間が自然を支配したり、破壊したりと言っているのだろうか。自然を支配したことなど、一時もなかったし、未来永劫あり得ない。先ず僕が環境テロを起すような団体に思うことは、その行動理念こそが人間の驕りの極点だということだ。自然を疎外してはじめて、人間が社会を作りあげていることを忘却している阿呆だろう。
民主主義国家を人間生活の基盤としている以上、そもそも鯨が貴重か貴重でないかについて、どうのこうの言う議論はあってもいいだろう。しかし犯罪行為を持ちこみ、自分の考えをアピールするに至っては論外だ。
現在の世界の病であるエコロジーのコンテクストには、善意を偽装した悪意が蔓延している。イデオロギーを失った社会が次の大きな物語を求め、皆が新しい物語のヒーローになりたがる。そういう環境ナルシストの悪行でしかない。自然環境を守るということは、自分たちの生活環境を守る=人間が意図しない状況に生活環境を悪化させている状況を改善することでしかない。そんなことは佐藤氏も分かっているだろう。
それならば法を遵守し、民意を得てこそ、初めて理念を実行できるのではないだろうか。

自動車いろいろ。それにしても疑問な価格戦略。

BMWが新しいクーぺを発表したという。
BMWJ、「1シリーズ・クーペ」発売・価格抑え若者狙う
 ビー・エム・ダブリュー(BMWJ、東京・千代田、ヘスス・コルドバ社長)は26日、クーペタイプの高級小型車「BMW1シリーズ・クーペ」を発売したと発表した。2ドア4人乗りで排気量3リッターの直列6気筒エンジンを搭載する。価格はMT車が538万円、AT車が549万円。BMWブランドでは一番安価なクーペとなり、スポーティさを求める若年層など新規顧客の開拓を狙う。(NIKKEI NET)
それにしても、1シリーズのクーペに538万円(総額600万円?)払う若者って、日本のどこにいるのだろう。自動車離れがいちじるしく、しかもクーぺに魅力を感じる若者…って。三十過ぎても年収500万が難しい世の中で、一方市場は小さいけれども成功した企業家だとしたら、若くたって1シリーズは乗らないだろうし(倍してもM3乗るだろうと思う)BMWが売れようが売れまいが別に関係ないのだけれども、インプレッサSTIが400万円以下で売ってる国なのにと言ってあげたくなる…。
まあこういうところからも、もはや日本が彼らのアジア戦略の思考の想定外になりつつあるのだなと痛感する。蓋し、シンガポールや、中国の若い企業家たち、インドの企業家にとっては高くない価格だから。まあインドはそもそも関税が倍くらいかかるけど…。カムリが600万円くらいするし。世界的にサブプライムだとか、国内では年金問題も、地域自治体の破産も心配されているのに、まだ世界の経済の歯車はぐるぐると拡張に向けて進行しているのだろうか。