モスクワは次第に寒くなり、気温は3度程度になった。でもモスクワっ子によると、まだ秋のはじまりくらいだと笑う。
そんな昨晩、東京のオリンピックの落選を聞く。負けたのは悔しいが、それよりも驚いたのはネットにおける反応だった。日本人が他の国が勝ったことに、悔しがる訳でもなく良かったとか言っている。ふーんと思って、そういう意見の人のブログの論旨を読んでみると、少しばかり唖然とした。
箱もの行政、格差社会、ゆとり世代等、日本がいくつかのキーワードで語られる。しかしそこにあるのは、現在の社会の支持体に関する痴ほう的な依存の姿である。ゆとり世代は自分らしく生きたい、社会はいまの持つ者からそうでない者になるべきだと言いつつ、なんの具体的な行動も無く、現状の社会にモラトリアムで依存している。老いたものたちは、年金の確保に奔走し、いまの社会の貯蓄を先延ばしすることに固執する。
日本という国がダイナミズムを失い、「リオありがとう」とか、「南米でやるのが良かったよ」とか、まるで世界の傍観者のような視点からコメントしているのには驚く。日本の社会がダイナミズムを復活させるのには、別にオリンピックだけではないが、経済を大きく動かす目標が必要である。
モスクワでテレビを見ていると、韓国は自分の国のPRを懸命にやっている。それは企業ばかりでなく、政府もそうである。
日本が老いも若きも隠居老人のように、またプチブルのように仮想の支配者として傍観者になっているようでは、足下にある危機を乗り越えられはしない。そんな高見からの見物をしているだけでは、日本はさっさと他国に食われてしまうだろう。
@モスクワ 東京オリンピックの敗退と、日本の総プチブル化について憂う。
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