
自衛隊が実弾にて演習するというので、8月末に富士の演習場に初めて足を踏み入れた。これは毎年実施されている火力演習というもので、数万人の一般人が自衛隊の実技を見聞出来るイベントである。
90式戦車、軍用ヘリ、大砲、ミサイル、装甲車たちが、実弾を用いて、想定された4キロ前方の敵陣地を攻撃するのである。
自衛隊の能力と隊員たちの統率力は素晴らしかった。はじめて兵器の火力というもの間近で見たが、はじめて銃を撃ったときの数十倍の恐ろしさを感じた。わたしたちの都市は数台の戦車によって簡単に制圧されてしまうことも実感した。戦車の射程は5km精密射撃を可能にしているし、極論小型ミサイルを持った装甲車1台で、都市は麻痺するだろう。
兵器は破壊することにしか存在しないという、まさにタナトスの具現であった。死を現実化できる力しか、人間の暴走を制圧できないのか、それとも自身が存在することが暴走を生み出すのかは分からない。しかしそのタナトスは、存在する現実であり、世界において誰かが力をコントロールしなければならないという宿命を、わたしたちは引き受けなければならない。
村上春樹の小説を読んでいたら、小説に登場する銃は絶対使用されるというような一節があった。わたしたちの社会のコンテクストには、確実に「兵器」は存在しているし、日本においても、かつては著しい量の爆弾とともに、大量の死が発生したのは現実である。
フィクションのように存在する軍隊は、はやく現実の軍隊にするべきであると思う。目を背けていようがいまいが、確実にこういう兵器が世界には存在しているし、その力をじっくり認識していかなくてはならない。日本は戦後経済の隆盛の中で、戦後六十年過剰なエロスの力を具現した。しかしその潮は引きつつあり、やはりタナトスの力が現れて来るのは、歴史の摂理であるのだから。
自衛隊の富士演習地にて、初めて軍事力の凄まじさを知る。
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