
訳があって昨日まで、僕はインドに一週間滞在していた。
インドという不可思議な国について書くのは難しい。バックパッカーであるとか、辺境の土地を旅することが好きでもなく、衛生的で洒落たところを嗜好する僕にとって、勘弁して欲しい土地のひとつだった。世間ではヨガだとか、アーユルベーダだとかインドはトレンドの口に上る。またBRICSの成長も著しい。確かにインドは大進歩しているらしく、現地の邦人の話では、五年前とは大違いだそうだ。しかし一方では、まったく変わらないという人もいる。
僕はバンガロール、デリーを巡っただけであるけれど、もしヴォーグ誌の特集などでイメージしたとしたら、失望と幻滅を味わうだろう。現在インドには千人近い日本人が居住し、日本製品の普及のためにまい進しているそうだ。インドではスズキが自動車産業の半分近いシェアを取っているそうだし、日本との関係は浅くない。しかし彼らも口をそろえてインドの生活はハードだという。

まず町中がスパイスの匂いに満ち、自動車のクラクションが途切れることがなく、人の命が草木のように軽いという現実。ミートホープの偽装だとか、中国の野菜がどうとか神経質に騒ぐわが国とは、180度違う国である。牛糞が街路に落ちているし、崩れそうなバラックが店であり、その場で屠って鶏を売り、数千の蝿が舞っている。
そして建築物は、日本だと耐震偽装がどうとか騒ぐ以前の話で、鉄骨どころか、日干し煉瓦を積み上げただけのようでもあり、高級な家にも隙間があったりと、まあホントに凄まじい。
そもそもタイのサムイ島であるとか、二十年以上前のバリ島も知っていたので、まあその延長だと思っていた自分の甘さを痛感した。インドはそういうスケールではなかった。
勿論、デリーにも、バンガロールにも素晴らしい建築もあるし、食事は美味しいし、日本にないような豪華な病院、ホテルも存在する。しかし素晴らしいプールの水を口に含めば、下痢になるかも知れないし、カレーのスパイスも数日で日本人の胃腸を破壊する。そしてうだるような暑さと埃。

高級なホテルに泊まり、ミネラルウォーターで歯磨きをし、神経質なほど気を使っていたにもかかわらず、結局僕も凄まじい下痢になってしまい、一晩眠れなかった。カラダの水分を搾り取られるような下痢だった。しかしスポーツ飲料もなく、おかゆもなく、インドにはカレーか水しかない。
が、不思議なことだけれども、、下痢になって朦朧としてからの方がインドの景色が自然に見えてきた。人の動きも、牛の歩みも、喧騒もナチュラルに受け入れている自分を発見した。ある人の話によると、インド人も下痢をするらしい。別に日本人だからという訳でもないそうだ。
下痢はインドの洗礼なのだろうか。そう思いながら、断食のまま僕は飛行機で日本へ戻ってきた。
コペンハーゲンから眺める東京、あるいは日本

11月のはじめ、僕はコペンハーゲンに滞在していた。
はじめて訪れたコペンハーゲンは荒涼とした空港から程近い港町だった。人口も541万人しかなく、また国土も日本の十分の一でしかない。が、この小国は、A・ヤコブセン、H・ベグナー、F・ハンセンと偉大なデザイナーを輩出し、ロイヤルコペンハーゲン、バング&オルフセン、カールスバーグ、レゴ等、世界的に有名な企業が少なくない。
SASロイヤルホテルというアンリ・ヤコブセンがデザインしたホテルに泊まっていたので、そのデザインの良さには感嘆した。華美でなく、洗練というわけではなく、ほっとするようなセンスの良さである。
またデンマークは、かの森鴎外が紹介した『即興詩人』の著者アンデルセンHans Christian Andersenの祖国である。彼は眠ったまま埋められた男の悲話を聞いて恐ろしくなり、以来枕元に自分は死んでいないとメモを置いて眠るほど素朴な男だった。
アンデルセンの逸話は、彼の夢見がちな性格を現していた。11月の頭にマイナス6℃にもなる土地の部屋では、誰もがシンプルな生活を嗜好するのかもしれない。素朴でピュアな空気がコペンハーゲンには満ちていた。

街を歩いても、パリやロンドンのようなモードはない。一般的なデザイン…特にインテリアの趣味は良いのに、服装は良くも悪くも野暮である。質実のバランスに優れているという言い方できるかもしれない。その趣味の良さにはナチュラルなものであり、マスコミの影響というものではなく、教育の賜物のように思う。折りしも日本では政府主導で教育の話が盛んであるけれども、本来の教育は政府主導ではなく、人々の生活から育まれ、自由な文化教育から生まれるものだろう。知識の正誤に拘泥し、教育委員会が跋扈する日本の教育のなかから、素晴らしいデザイナーなど生まれない。勿論、素晴らしいデザイナーは日本にもいる。しかし彼らは、蓋し日本の自由なサブ・カルチャ=マスコミが育んだ者たちだ。
もはや商業主義的な色彩の強くなってきた日本のサブ・カルチャばかりに頼るのではなく、本来のカルチャを取り戻すために、これからは政府の教育への関与など最小限にするべきだと思う。
何を履修しようがしまいが関係ない。読むこと、書くこと、そして最小限の計算だけができるようにすることが公の教育の基本であり、その他は個々の自由に(つまり学校単位の)委譲するべきだ。
早晩教育において、受験機械=官僚機械を破壊し、もっと自由な個人が醸成される社会になって欲しいと願う。
表参道ヒルズに象徴される病
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表参道ヒルズは、安藤忠雄氏の建築したという。もうオープンして一ヶ月は過ぎただろう。
新しい建築が出来ると猫も杓子も行って見るのが、日本人の物見遊山の伝統だ。オープン当初は、5万人もの人を集めたという。一口に五万人というが、東京ドームの巨人戦よりも多い群集である。行ってみると、ハリーウインストン、ドルチェ&ガッバーナ等の世界的な高級ブランドが軒を連ねている。そんなところに五万人もの人が、本当に用事があるはずもない。昔のアパートメントを考えたら、千人も人が来たら仰天するような場所だったのだ。
最近の若い人たちと話をすると、結構身の丈で物を買うらしい。昔は機能が凄いという情報があって、何処どこで流行っているという情報があると、人は物を買った。これは今の二十代後半から四十代前半くらいの典型的な傾向だった。リーバイスのジーンズも、レア物のスニーカーも、そういう思考からブームになった。しかし、今の十代を調査すると、自分のスタイルが基準にあって、そこから物を買うという。その考察なしには、物を買わないのだ。思うと八十年代、これからはDJだとか言ってニューヨークのラッパーの格好をしたり、フランスの良家子女のスタイルを真似たりしていた僕らの世代は馬鹿者だった。それは情報がまだ蔓延していなかったからに違いない。
エルメスのバックを予約して買うおばさんたちも、そういう過去の病に冒されている。蓋し、表参道ヒルズはそういう患者に溢れている。バブルに影響された子供の末期症状である。
僕はそういう馬鹿げた思考に脳をやられた世代ではあるけれど、今の若い世代の思考を羨ましく思う。決してヨーロッパの富裕層になることはなく、どこまで行ってもアジア人はブランドという病に冒されているだけなのである。そこをきっぱり諦めているのはさすがだと思う。(無意識であるだろうが)
ヨーロッパの最後の財産は「ブランド」だという。さてどこまでアジア人は搾取されるのだろうか。
茨城県・平井海岸にて。
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やはり寒くなってきたと、5mmのセミドライの初登場。去年買ったものなので暖かく、新素材の恩栄に預かる。それと、防水タイプのデジカメを中古で手に入れたので、初めて海で写真を撮ってみた。ペンタックスのオプティという製品で、本当に海なんかで大丈夫なのだろうかと思いつつも、ウエットの中に忍ばせて海に出る。
この海岸はロングに適したメローな波質で、ロングボーダーには有難いビーチだと思う。茨城というと、ショートの方を持ってくるのだけど、ここを知ってロングを持って来た。今日はサイズがなかった。でも乗ってみると、力もあるし、やはり思ったとおりの良い波だった。
唯、やはりアウト<浜から一番外側で波が立つところ>でデジカメで撮影しているサーファーは不思議らしく、写真の女性サーファーの方にも怪訝な顔をされたようです。(もし自分だと分かる方いらしたら、メールください。データをお送りします)
陸にあがって、自前の温水シャワーを浴びていると、地元の小父さんから声を掛けられる。多分60は過ぎているだろう。「最近は色のついたボードも多くなったね、それに昔は人が少なかったけど、いまじゃ危ないよ(湘南を見たら卒倒するにちがいない)僕がはじめて東京オリンピックの頃ボードを買った時は、3万円(現在の50万円くらい)したよ」という話を、茨城弁で話してくれた。ラスティのキャップを軽く被って、いい感じの人だった。僕が東京から押しかけて失礼しますと言うと、笑って二匹の柴犬と去って行った。
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それにしても夕方の海辺の景色は素晴らしい。そんなことを思いつつ、空を飛び去るジェット機を撮りました。機影は良く写ってないけれども、成田から異国へ飛び去る余韻は感じられるかもしれません。<tokyotaro>
小名浜と福島の波
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福島へ。自動車を走らせた。
そして訪れたのは小名浜。福島県の南部・東京から常磐道で200キロくらいに位置する港町である。
徳川幕府の庇護もあり、17世紀から海運で栄えた街だったらしい。現在は東日本でもトップクラスの魚を扱い、魚河岸が賑わっている。
11月から冬の間はあんこう鍋が美味しい。僕も「割烹一平」という料理屋で食べてみた。だしは、どぶ汁という味噌とあん肝のペーストを混ぜたようなもの。そこに、あんこうのゼラチン質たっぷりの皮と、さっぱりした肉、脂の乗ったあん肝を入れて煮る。煮込むと、オレンジ色のあん肝から出る脂が溶け込んで、スープは魚系のこってりした美味となり、しかし魚臭さはない。女中さんに聞くと、なんでももっと寒い2月くらいが一番脂が乗っていいのだそうだ。身はふぐと鱧の間という感じの、さっぱりした食感だった。
もうひとつ、「うにの貝焼き」という、うにを貝に詰めて焼いた料理がある。これは抜群に日本酒と相性が良い。これは漁港の屋台で食った。
波はというと、外洋から良いうねりがやって来ていた。太平洋を望む海は壮大だった。朝五時には夜明けとともに永崎海水浴場にはサーファーが五六人集まってきた。テトラの間から来る波に乗っていたのだけれど、形が整って、ムネ・カタくらいのサイズだった。
アウトには良い波があるが、誰も沖には出ていない。少し浜を西に行くと、もっと大きく、形の良い波がブレイクしていた。潮がきついのか、サーファーは二人だけだった。ゲッティングは多少厳しそうだ。私はそこに入らなかったので、それ以上はわからない。
東京から北へ向かって行って、はじめて食事も波も満足できる街だった。<tokyotaro>
サーフトリップ:東京→鹿嶋→日立
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台風18号が来る。
都内から鹿嶋へ高速道路を走ると、一時間半で鹿島灘へ出た。
鹿嶋は古来より、風土記にも記されている土地である。鹿島灘は太平洋に面し、荒々しい海が一面に拡がっている。空は果てしなく、水平線の果てからスウェルがやってくる。ちょうど台風の影響で普段よりも海は荒れていた。
サーフィンに良いかたちの波ではなかった。潮来から国道51号を北上すると、旭村に至る。鹿島灘を望む眺望は素晴らしく、気持ちの良い場所である。かつてヴィラトレディオという名の瀟洒なホテルがあったそうだが、現在は営業していない。やがて塩が満ちた海風に朽ち、廃墟となってしまうだろう。海岸に降りると、3-4人のサーファーが海に入っていた。オンショアの風が強く、ちょっと入る気持ちにはならなかった。確かに、ここにホテルがあっても、遁世を望む人しか来ないかもしれない。
そこから大洗へ北上。30分程度の道のりである。大洗のサンビーチで、買ったばかりのショートボードに乗った。いつも乗っているロングよりも1m以上短いので、自転車から一輪車に乗り換えたような感覚である。荒い波に揉まれながらも、ショートボードを楽しんだ。
翌日、大洗から日立へ北上する。距離にして40kmくらい。
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日立は工場もあるので、海岸の状況が想像できなかった。が、港の横にある浜は、とても綺麗だった。そこから丘に昇ると、日立の白い灯台が陽光に輝いている。海見ると、波がアウトで割れていた。潮が速いというので私は海には入らなかった。数人が浜から500mはアウトへ出て行くのを見たが、ガイドによると満ちると戻れなくなるらしい。
波がいいのに誰も入らないのは、なぜ??と思う。湘南ならショッカー軍団のように黒山になるだろう。
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その帰り、大洗海岸で入った。すると、見た目よりも潮の力が強く,辛かった。日立の潮の流れを思うと、自分の力量では難しかっただろう。
海岸を巡って旅をしてみると、東京から自動車で二時間圏内であっても、素晴らしい自然は残っているのだなと実感した。
<tokyotaro>
A Vacation in Bali
バリ島に滞在している。
スミニャックという地域で、デンバサール空港から三十分くらいの土地であり、東京でいうと代官山(十年以上前の)ような場所であり、つまり少しずつハイファッションなヴィラ、レストラン、ブティックが出来ているという具合である。オーストラリア人、欧州の人たちが多く、バリ一番の観光客である日本人は少ない。どうも欧米人はアジアのツーリストから逃げたいらしい。彼らのオリエンテリズムの満喫を阻害する要因にしかならないのだろう。観光というイメージの消費の求められる土地では、どうしても生活が演劇的にならざる得ない。欧米人にとってアジアはファンタジーであり、いつまでも神秘的(野生的)でなくてはいけない。
またバリの人は親切でありながら、ずるいところがある。元来性質のいい人たちなのだろうが、貨幣価値が数十倍は違う国の人たちのせいで、オカシクなってしまっているのだろう。勿論、日本人の責任も少なくはない。そして彼らは日本語を喋る人が多い。
それを金を稼ぎたいから喋るのだろうと、皮肉るのは簡単である。しかし元来インドネシアは、五十余年前にオランダの植民地から、日本人が加担して独立を勝ち取った国なのだ。いまでもウブドの独立戦争の英雄が眠る墓地には、日本人の軍人が眠っている。特に若い日本人はそういう歴史を知らない。もっと正面からインドネシアと対峙していい。が、いつでも欧米人の文化のフィルターを通して評価してしまう傾向が強いと思う。
日本は欧米の眼差しのイミテーションで満足するのではなく、アジアの同胞として、こういう土地の日本語を学んでいる人々を真っ当に評価するべきである。バリの人に聞くと、そこまで日本語を喋れても日本に来ることは(経済的な理由で)難しいそうだ。
こういう日本語を学んでいる人の資源はなによりも大事であり、もっと日本の政府も経済会もスカラーシップのプログラム充実させて、馬鹿な外交での無駄な支出を、意味のある交流に注いで欲しいと切に願う。
戒厳令の白昼夢
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本物の戦闘用特殊車両が白昼に六本木ヒルズを方面を疾走していた。巨大なダンプカーよりも大型な車両である。右翼の抗議行動が激しくなっている近隣大使館に、(機動隊では役不足になってしまったて)派遣されたのだろうか…。しかしそれは杞憂であって、乗っていたタクシーの運転手が言うところ、自衛隊が協力したTVドラマのPRだそうである。
頑丈な装甲を持っているフォルムには迫力と機能美を感じた。さすがに操作は難しそうで、三名が四方に眼をやりながら操縦していた。それにしても迫力があり、普通の撮影用のハリボテとは違っている。こういう車両が攻撃をしたら、きらびやかな高層ビルも一瞬で廃墟になってしまうだろう。口径百ミリ強の機銃が陽光に輝き、異様な美しさを醸し出していた。それを否定するとか、肯定するとかを別にしても、武力はある種の生命力と連結していると思う。現実的に巨大な武力を見ると、畏敬を感じてしまう。
六本木ヒルズのルイ・ヴィトン前を疾走する戦闘車両は異様でした。こういう武力が活躍しない世の中であってほしいものです。
<tokyotaro>
韓国における野菜と肉
小鉢に野菜がいくつも盛られてやって来た。韓国の料理は多種多様である。香菜の類がからめられた小鉢を食すると、中華とも、日本料理とも、タイ料理とも違う食感を楽しめた。それにしても韓国料理は辛いという観念に縛られていた一般的な日本人の私には、ある種の解放を味わうことができた。
そもそも焼肉という料理は、銀座にある老舗の焼肉屋が創案したということを聞いたことがある。その時、いくつかの伝統料理のみを出し、肉を供するというスタイルが一般的になったからだろう。多種多様の日本料理があるなかで、「肉」を食わせる店=韓国料理という戦略が大当たりしたからにちがいない。
ワールドカップの共同開催と韓国ドラマのブームを受けて、韓国料理は日本でも一般化しつつある。私も新大久保辺りで家庭料理を何度も食したことがある。
それでも自分が虫になったと思うくらい野菜ばかり食べ、肉はさほどでもない本場の料理を体験し、日々の商業文化の刷り込みは恐ろしいと痛感した一夜だった。
<tokyotaro>
ソウルの春
初めて朝鮮半島に行くまで、そこに日本に似ている都市を想像していたけれども、漢江を眺め、やはり大陸なのだと実感する。曇り空のなかシャッターを切ると、ヨーロッパ都市に似た風景の湿度を感じたからかもしれない。
羽田から二時間あまりで着く都市とは想像できない、明らかなディファレンス(差異)を秘めて都市が呼吸をしている。河はそれぞれの都市の鼓動であり、基底音だと思う。
厳冬期は河が一面白く凍るんですよと、ガイドが日本語で言う。高速道路は東京の倍は道幅があり、こういうところも河とのアナロジカルな関連があるのだろう。
そんなことを、ソウルの明洞に向かう自動車のなかで想った。
<tokyotaro>
