
北島三郎はアゲアゲを鼓舞していたように見えたけど、実は怒っていたそうだ…。
その直前に放送されていた昨年のNHK紅白歌合戦で、DJ・OZMAのバックダンサーの裸にかぎりなくちかい演出で苦情が殺到したという。その後のNHKの対応はまさに滑稽であり、またそのくらい折り込んで音楽を楽しめない日本の状況はあまりに窮屈で堪らない。子供が見ているとかいう馬鹿な苦情を言うくらいなら、午後10時前に寝かしつけるべきである。ロックによって自由も何ももたらされなかった国であり、また教育を受けたとぬかす人たちは、ピューリタンでもないくせにアメリカ・ワスプの倫理を真似る。まさに猿であり、全く北朝鮮の管理社会を馬鹿に出来ない人々だと思う。
放送直後、YOUTUBEには模様及び関連情報がUPされており、さすが新しい時代のメディアの面目躍如だと思う。いまさら情報の閉鎖性で、くだらない大人の権威を保とうという卑屈さが気持ち悪い。一体自称大人というひとたちは何を守りたいのか、わたしには理解できない。現代に関する恐ろしいほどの見識の欠如である。
そんな状況で音楽ってどうなってるのかなと、渋谷のレコードショップに久しぶりに立ち寄った。Vladimir & RutchovのCDを買った。テクノでお馬鹿でXXX Fricksレコードというくらいで、ポルノ嬢がコラージュロゴデザインが怪しさとともに期待感を醸し出す。
さすが鎖国のさなかも交流のあった自由の国・オランダのレーベルだ。その曲はエレクトリック・テクノのDJテクニックが展開され、かぎりなく明るいエロである。鬱屈した気持ちをぱあっと開放する力にみなぎっている。
確かに昨年末欧州で見たMTVの音楽アワードでも、現地・欧州の人たちは五十歳ちかくになっても踊り、エネルギッシュに盛りあがっていた。その時わたしは、欧州のそういうパワーがEU拡大とユーロ高にも現れていると実感した。
日本もバブルの時、あれほどジュリアナ東京でパンツを全開に踊る女の子で溢れ、エロパワー全開だったのを懐かしく思い出す。それにTVも平気でヌードを放送していたではないかと。
多分、子供が見ているとか文句を言っている母親は、その頃パンツを見せていた世代だったはずだ。まあ自分がそうしていなくても、そういうエロのエネルギーが満ちていた日本を知っていると思う。
もともと日本は開放的な民族であり、昭和初期にも裸は日常だった。なぜそういう愚かなことを言う社会になってしまったのだろう。蓋し、ひとつは国民の老化と、もてない女のやっかみである。そういうやっかみなどという負のエネルギーに翻弄されていては、国は発展しない。
所詮人間なんてエロなのである。大人しいエロより、激しいエロの方が国が活気ずく。暗くて残酷なエロは追放してもいいけど、明るいエロまで犠牲にしてはいけない。石原都知事さん、あんまり風俗の取締りを言っては文化を殺すと肝に銘じてもらいたい。
tokyotaro
短編小説:『花』
雨後の照りつける陽射しのなか、私、凍ってしまう気がしたわとわたしの女がつぶやいた。暑い夏の陽射しと蒸風呂のような湿気のなかで凍るなどと口走る女が正常だとは思えなかった。が、結晶のように固まった光線が紫陽花の葉に照り返す光景には、普段の感覚を超越させる奇妙なものがあるかもしれない。それでもわたしには依然として暑い、夏の午後だった。雨後の雑草の匂いにのぼせてしまうわたしには、死ぬまでその女の感覚は分からないだろう。
此処に逃げてきて三ヶ月になる。とうとう気が狂う段になったのかも知れない。横に寝ている女の首筋から汗がじわり吹き出し、わたしの白いシャツに染みた。豚草の匂い。ベトナム人はあれを食うのだそうだ。湿気と汗。化粧気もなくなった女の横顔を見ていると、初々しさなど微塵もない。平凡な日常がまた満潮のように戻ってくる。太陽がわたしの頬に照りつける。女は自分の境遇を悔いている様子もなく、わたしに抱きついている。半年前はただの他人であり、法的にわたしは犯罪者であり、彼女が被害者であるなどと想像もできない。一匹の蛙が草むらから顔を出した。目を閉じると、世界が大きな鍋のなかで煮えたぎっている幻像が現れた。そこに形もなく、場所もなく、ひたすら煮えたぎっている幻だった。
「雨やんだのね」
「ああ、やんだよ」
「もう夏ね」
「やっと夏だ」
わたしの女が立ちあがった。軽く伸びをし、縁側を降りて庭に出た。裸足で雨後の雑草のなかを女は歩いている。足が土を跳ねあげ、泥が舞い、女の顔に点々と黒い跡が残る。わたしは女が逃げない理由が分からなかった。わたしは相当に疲れていた。わたしは逃げている自分を思うだけで吐き気を催す位、精神が弱っている。別に女が警察を呼びに行っても、それを阻止しよういう意志などなかった。
わたしは、ぼんやりと女が泥と戯れるのを眺めていた。
あれは凍てつくような冬の晩だった。
1987年製のカローラで、わたしは多摩丘陵にある郊外住宅地を走っていた。冬一番の寒波が、シベリア高気圧とともにやってきたとラジオが喋る。天気予報を聴きながら、わたしはある男を殺そうと、死に物狂いで男の家を探していた。寒く、窓を開けると、耳をちぎりそうな風が吹いている。男とわたしは一度の面識もなかった。しかしわたしは殺す者であり、男は殺される者だった。一生涯に一度の逢い引きのようなものだ。
閑散とした集合団地の群れを抜けると、住宅街に入った。誰も人が歩いていない冬の夕暮れだ。唯、一匹の犬が歩いているのを見た。老いぼれた犬は飼い主に捨てられたのだろう、人を憎む眼をしてわたしを睨む。
迷った挙げ句、ようやく家を見つけた。伊勢丹の包装紙でくるんだ箱を小脇にお歳暮の配達を偽装し、わたしは呼び鈴を鳴らした。腰下の小袋に布で巻いたナタを隠し、玄関に近づく人の匂いをびりびりと感じていた。ストップウオッチを押す。もはや、わたしの心は白かった。
「**さん、お届け物です」
「はい、ごくろうさま」
箱を両手で**氏が受け取った瞬間、わたしは布を巻いたままのナタで大振りに左頭部を殴打した。男は殴られるままに玄関横の壁に頭を打ち、壁のモルタルが少々剥落する。わたしは、玄関の戸を閉め、卒倒してぴくぴく虫のように痙攣している**氏を玄関先にうつぶせにし、腰の袋から取り出したアイスピックを後頭部から延髄に向けて刺した。**氏の絶命。とその時、二階に足音がした。わたしは、直ぐ二階に駆けあがり、足音のした部屋のドアを開けた。すると高校生位の女の子(男の娘だろう)が恐怖の余り声が出なくなり、ウガウガと喉を鳴らして座り込んでいた。わたしは時計を見た。ちょうど一分。わたしは取り出した透明のスコッチテープで女の子をぐるぐる巻きにした。髪、顔の皮膚、両手、氷に閉じこめられているかのようだ。もはや抵抗もしない。震えている。二分が経過。わたしは玄関を閉め、自動車のトランクに女の子を押し込めた。バタン、とトランクが閉まる。
福島県の廃村にある隠れ家で、わたしは女の子を犯した。それから女の子は女になり、毎夜わたしの隣で眠っている。わたしの依頼者は、娘を殺さなかったことを不服に思っているのだろうか、約束の三ヶ月が過ぎても連絡がない。わたしは、ひどく疲れてしまった。不毛の待ち時間と、父親を殺した男と平然と過ごす娘にわたしの神経が参っているのだろうか。凶器は処分したし、ラジオによれば目撃者もない。だがもはや唯一の目撃者を処分する気力がないのだ。青空と入道雲。庭の泥が強烈な陽光に輝いている。
「見て、見て」
「なんだよ」
「ほら、あれ。だって太陽に顔を向けているのが本当なのに。ね、変よ」
泥塗れの女が白い歯を剥き出しげらげらと笑っている。わたしには何がおかしいのは分からない。唯、急に見た太陽が眩しすぎたのか、女が空を背に切り取られた影絵のように平板な、軽く、重さのない存在になっていた。そして余りにも青い空と余りにも黒い女の向こう側に眼を凝らした。すると陽炎のようにおぼろげながら恐ろしい姿の何物かが立っていた。
それは巨大な一茎の向日葵が、燦然と太陽を背に輝いている姿だった。
(1997年)
短編小説:『性物画』
その穴は白かった。崖の岩肌が脆く崩れ、私は足場を失った。底の方へと落ちていく最中、私の意識が次第に妙な具合に明確になり、恐ろしいとか死ぬのではないかという不安の彼方に妙な希望を感じていた。私の存在は、その肉体の周りに纏わりついている空間と時間の枠組みを超えてしまっているかのようだった。頭蓋骨が砕ける音が耳に響いた瞬間、永劫の責め苦と至福の映像が脳裏を去来した。
私は名前を忘れてしまった。私は意識を回復したと同時、肉体の自由を完全に失っていることを悟った。目が覚めると眩い光が網膜を突き刺し、喋ることも動くこともできない身を認識した。私は完璧な不具者になったらしい。が、肉体の自由を失ったことが悲しいという反射的な感想を感じるには、私の脳は少々壊れすぎてしまったのかも知れない。未だない位、冷静な私がそこにいるのだった。
窓の外には春風が吹き荒れていた。その硝子を叩く音が祝福の歌のようだった。私はじっと死の到来を待っていた。それは遠い雷鳴のように現実感のない危機だった。
針が私の右腕に突き刺さっている。一匹の蝿が窓硝子の傍に惑っている。何処に行こうとしているのだろうか、それとも何処にも行けないのか。リノリウムの床が日光を受けて輝き、薄汚れた天井に照り返していた。生き物のように日の痕跡は蠢いている。
喉を感じてみたが、その感触は何もない空洞のようだった。私は喋ることができない。一日はひどく緩やかに流れる河のようだった。背骨が何かに巣食われているような感官に幾度も襲われて大声を張りあげたが、辺りは完璧な静寂に包まれていた。薄く、そして完璧なベールが私と現実世界との間には張り巡らされている。
脳が次第に現実の時間から私を解放していくのか、私は過去に向かって世界が広がるのを感じていた。私の寝ているベッドが、次第にかつて子供の頃寝ていたベッドになり、空を流れる雲が、かつて私が虫取り網を持って駆け巡った野原の雲になった。私は、父親に殴られて痛んだ心を抱えて走り抜けた、あの野原に立っていた。
凧の群れが青空に舞っている。雲の切れ端が硝子の先端の鋭さで空に突き刺さっている。私はひとりだった。郊外の空き地では、錆びた立て看板が客を待っていた。
風が吹いてきた。私は半ズボンで来た事を後悔した。ススキの穂が私の素足を叩いた。瞳には寒い青空だけが映っていた。ドクダミの匂いが肌に沁み込んだ。ショウリョウバッタが背中に子供を乗せて歩いている。泥棒草の実がからだじゅうに纏わりつき、捨てられた猫たちが鳴いている。僕も泣いていた。僕は捨てられた猫の身になり、人を呪った。青空は果てのない青だった。セスナ機が東から飛んできて、大きな空を叩いていた。バタバタと音が世界中に響いていた。僕は空を見あげていた。僕の小さな手を空に向けると、空は手に収まらない程広かった。途方もなく広い。段々と僕の悲しみは空に吸い込まれていってしまい、すっとした心が残った。ラムネの味が口に広がった。僕はラムネのキャンディを舐めていたことを思い出した。
誰もいない公園。独りでに揺れるブランコ。その軋む音が空に響いている。
周囲は真っ暗闇だった。医療機械のスイッチの光だけが点滅している。私はその光を感じていた。小さな弱い光であるのだが、私にとっては太陽よりも眩しい光だった。
父は未だ八歳の私に問うた「お前の人生はどう転んでもお前の人生だ。どう生きるつもりなのかを考えろ」と。私はその答えが未だ分からない。何十年も答えることのできない父の問いを心に刻み生きてきた。そして私は穴に落ち、此処に至る。
空虚な、余りにも空虚な存在に成り下がったのだ。私はカフカの『家父の心配』に登場するオドラデグそのものだった。はたして死ぬことができるのだろうか?死ぬものはみな、生きている間に目的を持ち、だからこそあくせくして、いのちをすりへらす。オドラデグはそうではない。生き物でもなく、物でもない存在…私は涙を忘れてしまったらしい。
昼が去り、夜が訪れる。
暗闇のなかで忘れていた事柄が洪水となり、私の記憶は今の私に舞い戻ってくる。今の私は何もない空虚な身体であり、記憶はより強烈に私の脳髄を占拠してしまう。
私が最後に海に行ったのは、秋だった。
閑散とした観光道路を、女とオープンカーで走っていた。イタリア製のオープンカーが奏でる排気音を響かせ、海外沿いの道を北に向かった。東北は冬がキツイと女が呟いた。
女は肌が痛むのを極度に気にしていた。寧ろ神経症に近かった。太陽の光を恐れ、サングラスとスカーフで顔全体を覆っていた。その癖、オープンカーには乗りたいと云っている。私には話を合わせて引っ込みがつかなくなり乗っているのかと思ったが、別段そうでもないような顔をしている。最大限に日の光を避ける為、トンネルの多い道を走っていた。時折地下水が頭上より滴り、顔を打った。冷たいと女が叫び、私は笑った。私はどうしてこの女と此処にいるのか分からなかった。涼しい風に髪が舞い、遠くの島々が書割の風景のように景色に張りついている。透明な午後だった。私は自分の目的を見失っていた。女を抱きたいのか、それとも何かに向かって走りたいのか。酷いと女が叫んだ。見ると、路面には一匹の鼬が轢死していた。
「いつの日かあたしたちもああいう目になるのかしら」
「わからない。明日か、それとも五十年先なのか」
「そういう危うさって大切な感覚じゃない」
「普段はすっかり忘れてしまっているけどね…」
ブルーの空が幾重にも重なり合い、透明な秋の空が広がっている。私たちは走り抜けている。女は北の実家へと戻り、二度と東京へは戻らないと呟いた。
「あたしのが前に勤めていたクラブの娘の話なんだけどね、あたしが店を辞める半年前に失踪してしまって見つからないのよ。いつも突然いなくなる娘は多いんだけど、彼女の場合は、同じ店に勤める美奈ちゃんていう娘と同居していたから…。美奈ちゃんがいうには、身の回りの物がすべて朝出かけた通りに残っているし、化粧品からパジャマまで普段通りにちらかっているし、荷物をまとめて出て行った形跡もないらしいのよ。渋谷にでも服でも買いに出かけたのかなって思って気にもしないでいたらしいの。でも次の夜になっても帰らないから変だと思って、携帯に電話をしたら彼女の部屋で音がしたんだって。彼女の部屋を覗いたらハンドバックが残っていて、携帯が鳴っていたそうなのよ。しかも財布も残っているし、銀行のカードも現金もあるし、普段使っていた口紅もコンパクトも入っていたそうなの。それで怖くなったんだって。だって化粧も直さないで歩き回っている娘じゃないし、それに現金を剥き出しで持って出かけるなんて想像できないでしょ。それで美奈ちゃんはお店のマネージャーに連絡したんだって。でね、それで履歴書にある彼女の実家にマネージャーが電話を入れたらしいんだけど、電話は現在使われておりませんとメッセージが繰り返しているし、住所から地図を調べたら、そこは福島県***市の郊外にある発電所だったそうなの。それで美奈ちゃんは近所の警察に届を出しに行ったらしいんだけど、カードの名前も偽名だったらしく、失踪届にもならなかったんだって。夜逃げ同然で暮らしている人も多いんですよ、あなたが何か被害にあっている可能性はないですかと警察は言ったそうなの。で、美奈ちゃんは怖くなって自分の保険証とか印鑑とかを調べたけど全部あるし、ほっとしたらしい。でもひとつなくなっているものに気がついたんだって…」
女が黙った。
「臍の緒の入った巾着…美奈ちゃんの亡くなったお母さんに貰ったお守りで、出生書といっしょになっていたものらしいの…しかも美奈ちゃんお母さんの指の遺骨も一緒にしていたらしくて」
「気味が悪いね、人のそんなものを盗むなんて」
海岸沿いの岩肌がぎらりと輝き、暗闇のトンネルのなかへと私たち自動車は入った。鍾乳石のようなのたくったコンクリートの天井から地下水が滴り、フロントガラスで弾け飛んだ。
「美奈ちゃん、それから少し気が変になって、今じゃ神経科に通院しているのよ。美奈ちゃん、なんだか自分が盗まれてしまったみたいだと泣いていたわ」
時折強い風が日本海から吹きつける。トンネルの暗闇を出、一面の青空が現れた瞬間、女が巻いていたシルクのスカーフが風に吹き上げられて飛んでいった。ひらひらと舞い上がりながら、バックミラーから消えてしまった。
「ねえ戻ってよ、ねえ」
「…」
太陽が昇っていた。
看護婦が私の股間を洗っている。私のペニスはしっかりと立っている。女はピンセットを用いてガーゼでペニスを洗浄している。その光景は妙であるが、医学的な見地からは正しいのだろう。だがそれを悪ではないと言えるのだろうか。注射が一本打たれる。私が腐らない為なのだろうか。私は生鮮食料品だ。腐らない為に生きている。看護婦は腐らせない為に努力している。喉元に流動食が流れる。生きるための装置、だがその先に何があるのだろう。私は小さな汚物工場であり、その存在は人工世界の規則に遵守している。
私はその世界のどの場所に登録されているのだろう。その登録は有効なのだろうか、それとも無効なのだろうか。私の存在は、法的な監視下のもとにある場所を与えられている間は処分されないだろう。が、その範囲を少しでも逸脱してしまうと、私は人間から動物にでも、または物体にでも格下げされてしまうだろう。薬物の実験台になりさがり、糞尿を垂れ流しながらも意識なく死にゆく存在にもなるし、切り刻まれて医大生の為の標本にもなる。その境界線は曖昧なものであると、私は確信した。そう、今の私にここまでの明晰な思考があるなど、誰も思ってはない。私はかって人間と呼ばれた存在のなれの果てなのである。
私は顔を忘れてしまった。顔の記憶は朧げな輪郭、目鼻、口、しかしながら自分の顔という明晰な像を思い出すことはできない。顔の断片、瞳の光彩、目元の黒子。私の隆起した鼻の側面にある脂肪の残滓。それらは覚えているが、私の顔の総体を覚えていない。昔母親が綺麗なハンカチを鞄から取り出し、私が垂れ流している鼻を拭いてくれた。光が空から降り注ぐ午後の庭先だったか、それとも…。砂浜に掘られた穴に埋められていた。入道雲が輝く広大な青空。崩れる砂が顔に降る。子供たちの顔が穴から私を覗き込む。悪戯を愛し、人の不幸を軽快に楽しめる年頃の少年たち。肌が黒く、夏を体いっぱいに吸収していた子供たち。私は崩れる砂の、穴のそこに座っている。私はそのうち訪れるだろう大波を待っている。海が満ちて海水が注ぎむ時を。私は溺れ死ぬことを期待していた。青空の処刑台は幸福な地獄だった。
私は目覚めると、青白い病室のなかにいた。いままで私は子供の自分を生きていたが、夢だったらしい。汗が毛穴から噴き出で、四肢が痺れてきた。これは回復の予兆なのだろうか。それともシシュポスの責め苦のように出口がないのだろうか。
生の輪郭が朧げになっている。生とは意識のことなのだろうか。それとも現実に関与する力なのか。私は喋ることもなく、思うことで生を証明している。しかしそれが理性の所業であるとは確信できない。私は理性など私は持ち合わせていない。感情の郵便があて先不明になって、口から理をまとって出でるに過ぎない。私は必死に思考している。思考が果て、私が死んでしまわないために。思考が果てても、肉体が勝手に生き続けるのは地獄だ。それとも私は既に地獄にいて、傍から見たら勝手に生き続けている肉体でしかないのかもしれない。
心臓の鼓動が耳に障った。目を開くと、海原が広がっていた。私は世界の果てに棲んでいる一つ目族を捜している。星の道筋を辿って私の船は闇の海原を進んでいた。一つ目族に捕らえられたオデュッセウスは名乗る「何者でもない=ウーシス」と。大いなる海原の洞窟に棲んでいる怪物たちの呼吸が耳に響く。名前はやっかいなものだ。肉体の外、心の外で勝手に生きている。金貸しも、誹謗者も名前を忘れてはくれない。私はオデュッセウスのような罠を仕掛けることはできなかった。私は病院の枕元にしっかり名前を貼られ、縛りつけられている。私は名前を忘れてしまったが…。目を潰された一つ目族の男に仲間が言う「誰でもないものに潰されたなら、ゼウスの所業にちがいない。あきらめろ」私は一冊の本を拾った。開くと、ゼウスは復讐の神であると書かれていた。
闇が来た。私は目を瞑る。
看護婦は監獄の看守のようだった。
私に何も話し掛けないことで、偉大なる権力を保持していた。日に二回私の肛門に管を差込むと、ぞんざいに尻をタオルで拭く。私の性器は女の手に著しく反応していた。私は大きな女に抱かれていた昔を思い出した。私の家には北の漁村から出てきた若いお手伝いが住んでいた。病弱な母の代わりに、私の面倒を見ていてくれたのである。私を風呂で洗ってくれたその女性は、二倍以上の体躯の女だった。大きな女に包み込まれる快楽…以来、そこには決定的な愛があると信じている。今の私も看護婦である女に対して、決定的に私は無力であり、私は乱暴に扱われ、その状況が私に女を神聖化させる。
白衣の匂いを感じた。私は女の眼を見た。が、殆ど女は私を無視していた。
「・・・・・・・・」
女がなにかを喋っているような気がしたが、私にはよく見えなかった。無論、何も聴こえない。朧げな女の輪郭が宙に浮かび、私は美しさに胸を痛めた。女は乱暴で、私は無力だった。その無力な私は、その女を渇望していた。性器は女の手を感じていた。だが私は生き物でもなく、物でもなかった。孤独で満ち足りていて、そして空虚だった。私は生きている…。
残雪が踏み荒らされていた。私は飛行機で窓から眺めた空を想った。群青色の天空には大熊座が輝き、その下方に拡がる雲海には橙色の光の帯が連なっている。群青色、薄緑、薄黄色、橙色、赤、黒い灰色。何歩から私の人生は惑ったのだろう。踏みしめられた残雪が音を放つ。青い色が鳴った。夕暮れが虚空に流れる綿毛の軽やかさを思い起こさせ、肉体が歩くたび軽くなっていく。私は飛んでいた。舞っていた。時計が午後六時を指していた。私の首筋に痛みが走った。首筋で蠢く甲虫の足が刺さった。いや何かが血管に挿入された痛みだった。私は墜落した。一台の旧式の路面電車が来た。パンダグラフを直撃すると、屋根が破れて路面電車のなかに落ちた。そこには壊れた座席が並んでいた。破れた布地からバネが頭を出している。割れた運転席のガラスドア越しに一羽のカラスが私を凝視していた。路面電車は街を滑走していた。街は昭和三十年代の東京だった。灰色の日劇を横目に路面電車が走る。鳩の群れが空を埋め、急に到来した夜に群集は戸惑っていた。煙を吐き出す巨大なネオンの看板が屋上に輝いている。私は父の手を握り締め、都会の夜景をじっと眺めていた。ゴジラが破壊した街の中心に立っているのだと思い、背筋がぞっとしたのことを忘れない。
涙が口蓋を満たし、溺れそうになった。私は真夜中に目が覚めた。現実と妄想の境界が曖昧になっているのか、横たわる肉体の私が現実であるという意識もなくなり、妄想や夢の方が現実味を帯びてきていた。私の生命を維持している装置の鼓動が聞こえてくる。私は次第に空想のなかに生きるようになっていた。意識が次第に明確になってきているのか、それとも肉体が崩壊していく予兆なのかは分からない。時々目が覚めると、子供の姿で近所の友達が私の枕元に立っていたりする。現実と空想が重なり合ってしまい、どちらが地であって、どちらが重なっている虚像なのかが判断がつかなくなっている。私が夢の中の存在であり、目が覚め、母親に大人になって動けなくなった夢を見たんだよと、泣いている自分が現実なのではないか。小学生くらいの薄桃色のカーディガンを着た少女が私の枕元に立っていた。その少女の顔の輪郭を記憶に重ねると、それは妙子ちゃんだという事を思い出した。私が八つの頃好きになった初恋の女の子だ。頬にキスをした思い出が忘れられない。幾分物憂げな大人びた目をした女の子だった。
「何しているの」
「眠っているんだよ」
「わたしと話しているじゃない。昨日も学校さぼったでしょ」
「学校はもう出てしまったんだよ」
「もう学校には来ないのね」
「そうだよ、もう僕は大人なんだ」
「悲しいな、妙子」
「どうして」
「わたしはずっと小学生なのに」
「もう君も大人だよ、同い年だから」
「だったら抱いてくれない。何十年もわたしはキスしかされていないわ」
妙子ちゃんは怪しげに私を睨んだ。桃色のカーディガンを脱ぐと、性的に興奮した女の狂態で絡んできた。小学生の姿のままなのに、心だけが大人になってしまったのだろう。私は妙子ちゃんに脱がされるままに裸になっていた。私のペニスは屹立していた。小さな口がペニスを咥えている。赤いランドセル。私は小児愛の欲望などなかったが、小学生の妙子に興奮を覚えていた。スカート。妙子は裸になった。すると次第に肉体が艶めきだし、子供の肉づきから大人の女の肉づきへ変貌していく。ソプラノリコーダー。肌を重ねると、成熟した女の肉体がやんわりと触れた。小さな花柄の髪留め。私は微動もできず、妙子を眺めていた。小学生の体躯に女の肉体が具わっている姿は奇妙な興奮を促した。薄桃色のカーディガン。やがて妙子は私の上で腰を振った。私はペニスが熱くなっていくのを感じた。私は妙子のなかに射精した。
次の瞬間、妙子は消えた。
二晩に一度は妙子が私の傍にやってきた。私は最近妙子以外の空想を見なくなっていた。目が覚めると、病室のリノリウムの床が日光を受けて輝き、薄汚れた天井に照り返し、一般的に現実という光景が広がっていた。妙子は小学生から次第に成長し、いまでは高校生くらいの年齢になっていた。妙子の変貌を追っていなかったら、私はいまの彼女を妙子だとは分からなかっただろう。
「もう私はいなくなるわ」
と、妙子が呟いた。
「本当。どうして」
妙子は黙ったまま私を見、辛そうに微笑んだ。
「本当。淋しいけど、もう来ないわ」
「そうか…」
「さようなら、また何処かで会いましょう」
妙子は消滅した。
「さようなら」
と、私は告げた。私は消えてしまった妙子の痕跡がまるで残り香のように宙に浮遊しているのを感じた。私は思い出した。妙子が昔に他界した初恋の人だった。私は初めてのキスをしたが、若すぎてセックスまで至っていなかった。その後高校が別になり、やがて疎遠になった。訃報を聞いた時、悲しくなった同時に存在すら忘却してしまった。どうして此処に現れたのだろう。今はいつなのだろう、何処にいるのだろう。私は脳髄の中に閉じ込められてしまった囚人なのだ。ここから出ることはできないのだろうか。急に焦燥感が満ち、何も動かない肉体と、現実か 幻覚か判別できない光景を呪った。
美奈ちゃんのへその緒を盗んだ福島の女は誰なのだろう。私は出生所とへその緒を亡くしてしまって気が狂った美奈ちゃんのことを想った。私は大きな海原を目の前にしてオープンカーを止めていた。日本海を見るのは初めてだった。女が失くしたスカーフのことを悔しがっていた。風が吹きすさんでいた。海がヒステリックに波立っていた。私が垂れ流した鼻を拭いてくれた母、失踪した母を想いました。へその緒を失くした美奈ちゃんを余り知らないけれど、母との繋がりが何であるかは神秘的なものであり、その証拠を赤の他人に盗まれる気持ち悪さを想うと、気が狂う美奈ちゃんの弱さを私にも発見できる気がしました。海は岩場を砕き、屹立する山もやがて海に飲み込まれてしまうのでしょう。海岸線には大きな岩が点在し、荒れすさぶ海の音を聞いているうち、その岸壁から海原を眺めたいと、足が向いて歩き出しました。女は「危ないから変なところ登らないでよ」と叫んでいます。思い出しました。女は私の妻でした。東北にある妻の実家へ向かう道の途中だったのです。
空はモノクロームの映像のようでした。散りじりに、速く、雲が流れていました。崖を昇ると、青い空が破かれた雲の間に顔を出し、波が一瞬きらりと輝きました。瞬間、私の足場は脆くも崩れ、はっと宙に舞いました。
頭蓋骨が割れました。目を開けると白い岩が真っ赤に染まっていました。
(2002年作)
短編小説:『テープは反復する。まるでこだまのように』
指先が躊躇う。黒電話のひんやりとした感触。
耳を黒電話の受話器にあてる。ぽわんと外の空気から離されて、ツーっという音が響く。電信柱。その電話線を通って遥かかなたの交換機を通じ、その先にある漁港に通じる道を通り、田園に広がる里山の森のひっそりとした小道を駆け上がった先へ。やがて森を切り開いた丘陵にある彼女の家の電話に繋がっている。
赤いトタン屋根の下で家族たちは歓談しているかもしれない。その廊下ではひっそりとキルティングの服を着た黒電話が鳴り響くのを待っているだろう。私の心が高鳴る。
0番のダイヤルがジリジリと戻る、その一秒半くらい。心が惑う。指をそえた受話器の置きのバネの感触が伝わってくる。電話をかける勇気が十分でなかった私は、切ろうか切るまいかと、人差し指と中指に力をこめていた。やがてトゥルルトゥルルと呼び出し音が聴こえる。
ガチャ。
「どちらさまですか」
と彼女の母がでた。
「…さん、いらっしゃいますか」
「ちょっとお待ちください」
置かれた向こう側の黒電話。向こう側から聞こえてくる部屋の音。ドアの開く音。足音がする。彼女の母の声が響く。彼女が近づいてくる。
「電話くれたんだね」
その瞬間、黒電話から耳のなかへ、彼女の体温がやってきた。
それから七年の恋をして別れ、この電話番号を思い出したのは昨日のことだった。あれから二十年が経っていた。昭和五十九年に高校生だった私は四十を過ぎ、偶然開いた当時のアドレスブックにその電話番号を見つけた。
今日私は、その番号に電話をかけた。ケータイ電話に番号を入力し、発信ボタンを押した。もう指が二十年前のように躊躇うことはなかった。
「おかけになった電話番号は現在使われておりません。番号をご確認いただきもう一度…」
テープは反復する。まるでこだまのように。そして私の切ない追憶は、深い闇とともに次第に、そして緩やかに消えていく。
キース・ジャレット。現在最高の音楽を聴く
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耳を澄ますと、いまでもキースの弾いた旋律が聴こえてくる。
10月にキース・ジャレット氏が来日し、大阪と東京でソロ・コンサートを開いた。主催者の鯉沼ミュージックによると、キースがソロコンサートを開くのは、今では日本だけらしい。キースの独特な瞑想を誘う旋律にとって、その即興音楽を生成する場に日本人の感性の方が適してると、彼が考えているからだそうだ。しかし、今回の大坂公演では残念な事件が起きたらしい。ケータイと咳・くしゃみによって公演がストップした。キースは観客に言った、『日本人がその精神を失って、欧米化していくのは残念だ』と。
キースのソロは、完璧な即興音楽である。ジャズピアニストというカテゴライズでは困難なほど、ジャズ、クラッシック、現代音楽を横断した音楽性。 繊細な感性、肉体が音を紡いでいく現場、幸運な観客はそのプロセスを体験する。そして二度と、その旋律は繰り返されない。『ケルン・コンサート』のような名曲であっても。
だからこそ、真摯に聴いていく姿勢は大切である。
キースは慢性疲労症候群から立ち直るまで、相当に苦しんだと思う。その苦難の痕跡を感じるアルバムがある。スタンダード・ナンバーを弾いた『Melody Night at wiuh you』(写真のアルバムです)。東京のコンサートでは、そのなかで弾いているビル・エバンスの『Porgy』を、アンコールで披露した。
コンサートで涙を流したのは初めてだった。キースのコンサートを聴くのは、ソロでは二回目だった。そして最高の一夜だった。<tokyotaro>
フェルメール・レンズ・記憶
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『デルフトの眺望』という画は、オランダの画家・フェルメールの作品である。初めて図録で見た時、十七世紀を覗く窓のようだと感銘した。作品はハーグにある、マウリッツハイス美術館にあり、僕は一度本物を見たことがある。勿論本物も素晴らしいが、図録でも十分に真価は味わえる。
僕が感銘したのは、その写真のように精密な外光の表現ばかりではなく、当時十七世紀、オランダ・デルフトという土地の記憶である。この土地は、陶器を通じて日本との繋がりが深かった。画を見、長崎の出島を出たオランダの商船の積荷が、ここに降ろされていたのだという証拠を見た思いがしたのである。東インド会社は、東洋の富を欧米にもたらし、欧米からは日本に銀がもたらされた。(金の兌換価値が日本の方が低かったので、多くの金が欧米に渡った)また陶器という文化は、デルフトに製陶を伝播し、有名なデルフトのブルーには、蓋し有田のブルーを感じる。
フェルメールは、カメラ・オブスキュラというカメラの装置を通じ、レンズを通じて見た世界を描いたと言われている。レンズを通じた世界(映画、TV、報道写真)を、世界の姿だと信じている=洗脳されている私たちだからこそ、フェルメールをリアルに感じるのかもしれない。フィルムが発明されたのは、十八世紀当初の銀塩式であるが、それまでは画像を定着できなかった。だからカメラの見た光景は残っていない。だからその映像を、当時の画家が描きたいという心情は想像に難くない。
レンズは総てを光として等価に描写する。艀も、船も、運河も、人も。その等価性=客観性は、人の眼で描かれた世界とは微妙に違う。外の光のそのままに残すこと=リアルな世界であると私たちは感じる。
十七世紀のオランダにある港町・フェルメールの描いた船の船倉には、日本の陶器があったかもしれないし、長崎を出島を出入りした船かもしれない。そこには、リアルな時代の空気がある。
確かに神の眼を巡る「ミメーシス(世界をありのままに描く)」の問題は、現在レンズが担っている。しかしレンズの世界は編集方法の高度化で、リアルとは乖離されつつある。テロリズムを巡る政治の問題は、もはやレンズの問題である。
レンズの世界の黎明期を見つめることで、また新たな世界の眺め方のヒントを見つけられるかもしれない。
<tokyotaro>
ジャズと東京の夜
ちょっといいコンサートがあるんだけど、聴きに行かないと美女に誘われるままに、六本木の老舗のジャズ・ラウンジ(サテンドール)へ。音楽事務所に勤める彼女はビックバンドに興味があるらしく、古き良き時代のジャスを捜し求めているらしい。
扉を開けると、100席ほどの店内に18名のミュージシャンがウォーミングアップしていた。ドラム1名、ベースギター1名、パーカッション1名、バリトンサックス1名、トランペット4名、トロンボーン4名、テナーサックス2名、アルトサックス2名、ピアノ1名(バンドマスターは砂川氏)、ヴォーカル1名という錚々たる編成である。そして店内は大盛況だった。
僕は日本人のジャズミュージシャンが大編成のジャズをやるのかとう驚きとともに、ビックバンドならではの音のうねりとハーモニーを堪能した。ライブハウスの会場を考えると、トリオ、またはカルテットあたりでも採算がと思うのだが、そこでビックバンドとはとても贅沢である。
かつて東京・赤坂見付のホテルニュージャパンの敷地には、”ニューラテンクォーター”があった。フランク・シナトラ、サミー・デイビスJr、ナット・キング・コールが出演したという素晴らしいラウンジだったと伝説のように語られている。まさにビックバンド全盛の時代だった。
モダンジャズ以前の、1950-60年代の在りし日の記憶のなかにしか存在しないビックバンドの音楽。しかし、いまでもその生の演奏には、誰もが素直に感動できる力を秘めていると思う。
<tokyotaro>
バルセロナ・チェアと猫
『ディテールに神は宿る』というのは、建築家ミース・ファン・デル・ローエ氏の名言である。
バルセロナに滞在した時、昼に空いた時間で行かなくてはとタクシーに乗り、ミースの記念碑的作品へと向かった。その建物は、カタルーニャ美術館の敷地の斜面にある。元来、1929年のバルセロナ万国博覧会のドイツ館として建てられたパビリオンで、当時の建物は会期の終了と共に撤去されてしまったけれども、1986年、ミース財団によって同じ場所に復元されたそうだ。
僕は、NYのシーグラムビル、シカゴのアパートメント等、スケールが大きなものに足を運んだことはあるけれど、小さなスケールの建築物ははじめてだった。しかもここは、有名なバルセロナチェアの起源となる建築作品である。
建築家がデザインした家具は、その対象となる建築空間にフィットするように設計される。それでも名作と呼ばれるようになる家具は、ユニバーサルなデザインとして世界に普及していく。そういう意味でも、ディテールのなかに真髄のあるミースの家具の現場を知りたかった。そこには完璧な調和があるだろうと、期待していた。
その建築は、ミニマリズム建築の極地という程、素晴らしいものだった。僕は、バルセロナの陽光のなかに佇む建築物に崇高さを感じた。設計自体の構成美の素晴らしさもさることながら、石とガラスが織り成す建築物そのものが、質感として素晴らしいものだった。
現代のミニマリズム建築の旗手であるジョン・ポーソン氏の作品には、このミースの建築物を翻案したものがある。それでもこのテクスチャの素晴らしさは翻案できなかった。
ミニマルであることと、リッチであることのバランスに対する解答とは、ここにあるのだろうと思う。ゴージャスなミニマリズムという地平があって、そこにはローコストでは達成できない境地がある。
現在、その建物に住んでいるのは、一匹の猫である。
<tokyotaro>
蔡國強と大陸の力
火薬と爆発による発光。僕が蔡氏の芸術を知ったのは、もう十年以上も前になる。そのころ、万里の長城を延長するというプロジェクトのドキュメンタリーを見、そのスケールに驚愕した。一万メートルの延長された爆薬が順に爆発して発光する。すると、彼は言う「宇宙からこの爆発を眺めると、万里の長城から光の龍か舞い立ち、それは宇宙空間を永遠に旅するのだ」と。
東京でも、僕もいくつか彼の作品を体験した。1994年、世田谷美術館で秦の兵馬俑の展示があり、同時に彼の展覧会も併催された。ちょうど兵馬俑の展示してある建物の外に大きな穴を掘り、盗掘のパロディをやった。また翌年、青山の街全体でキュレーターのヤン・フート氏が監督した『水の波紋』では、幼稚園から墓場繋がる竹の橋を築き、橋の上から過去と未来を俯瞰させてみせた。そののちもニューヨーク、横浜で彼の作品には何度も接した。どれもが明確なコンセプトと語る力のある作品だった。
今、中国は経済的にも大きな力となっている。十年前に、その前触れのような力を感じさせてくれた作家だった。
現在建築
モダン建築が再評価されて流行となり、5~6年くらいになるんですね。チャールズ・レイ・イームズの椅子ばかりでなく、建築まで自動車の広告となっているし、青山、代官山、中目黒のファッショナブルな建築には、モダン家具のイメージが溢れていますね。80年代にはポストモダンの洗礼を受けて、いまさらまたモダン?って僕は思うんだけど。いまの若い人たちが半世紀も昔のものを、(百年以上も昔のものならまた別だけど)新しいと感じているのは、僕には日本の美術教育の怠慢としか考えられないんです。そんな難しい話じゃなく、WallPaper等、お洒落な外国の建築雑誌の影響が一番の理由なんでしょうけどね。
写真は再開発エリアに取り残された孤島のような建物ですが、嫌味な作為性がなく、目を奪われました。住まうことが生み出した現在建築の粋だと思います。さまざまな規制、さまざまな快適性への課題を思うと、この家には問題はあるでしょう。しかし生活の感性から偶然生み出された(多分意識的ではないのでしょう)無為なフォルムに美しさを感じます。
ダンボールの家もそうですが、建築家の持つ作為的なものを超えたところに何かを感じるんですね。もちろん作為的でありながら、新しい地平を切り開く、フランク・O・ゲイリー氏のグッゲンハイム美術館(スペイン・ビルバオ)のような建築は別ですが…。
