フェルメール・レンズ・記憶

ViewDelft
『デルフトの眺望』という画は、オランダの画家・フェルメールの作品である。初めて図録で見た時、十七世紀を覗く窓のようだと感銘した。作品はハーグにある、マウリッツハイス美術館にあり、僕は一度本物を見たことがある。勿論本物も素晴らしいが、図録でも十分に真価は味わえる。
僕が感銘したのは、その写真のように精密な外光の表現ばかりではなく、当時十七世紀、オランダ・デルフトという土地の記憶である。この土地は、陶器を通じて日本との繋がりが深かった。画を見、長崎の出島を出たオランダの商船の積荷が、ここに降ろされていたのだという証拠を見た思いがしたのである。東インド会社は、東洋の富を欧米にもたらし、欧米からは日本に銀がもたらされた。(金の兌換価値が日本の方が低かったので、多くの金が欧米に渡った)また陶器という文化は、デルフトに製陶を伝播し、有名なデルフトのブルーには、蓋し有田のブルーを感じる。
フェルメールは、カメラ・オブスキュラというカメラの装置を通じ、レンズを通じて見た世界を描いたと言われている。レンズを通じた世界(映画、TV、報道写真)を、世界の姿だと信じている=洗脳されている私たちだからこそ、フェルメールをリアルに感じるのかもしれない。フィルムが発明されたのは、十八世紀当初の銀塩式であるが、それまでは画像を定着できなかった。だからカメラの見た光景は残っていない。だからその映像を、当時の画家が描きたいという心情は想像に難くない。
レンズは総てを光として等価に描写する。艀も、船も、運河も、人も。その等価性=客観性は、人の眼で描かれた世界とは微妙に違う。外の光のそのままに残すこと=リアルな世界であると私たちは感じる。
十七世紀のオランダにある港町・フェルメールの描いた船の船倉には、日本の陶器があったかもしれないし、長崎を出島を出入りした船かもしれない。そこには、リアルな時代の空気がある。
確かに神の眼を巡る「ミメーシス(世界をありのままに描く)」の問題は、現在レンズが担っている。しかしレンズの世界は編集方法の高度化で、リアルとは乖離されつつある。テロリズムを巡る政治の問題は、もはやレンズの問題である。
レンズの世界の黎明期を見つめることで、また新たな世界の眺め方のヒントを見つけられるかもしれない。
<tokyotaro>

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