ピエール・ガニエール東京に行く。

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フランスの三ツ星シェフである、ピエール・ガニエール氏が東京に店をオープンした。場所は青山のプラダ本店の隣である。11月29日にオープンし、フランスから駆けつけたガニエール氏自ら、スタッフに事細かに指示をしていた。私が足を運んだのは、オープン後5日目だった。パリの本店に続いての出店であり、先週末まで本人が常駐していた。
インテリアはフランスのコンテンポラリー・デザイン。フィリップ・スタルクのスタンド、ミニマルなシャンデリア、四面ガラス張りの室内、緑色の椅子のコージーコーナー。ランチだったので、店内は光に満ちていた。
昼のコースは、前菜、魚、メイン、デザート。しかし供される品々は、私の想像できない領域の品々だった。これほどのバラエティーのある料理を、私は知らなかった。写真で撮ったのは、前菜の品々である。レンゲにフォアグラのコロッケが一口やって来て、その後、いくつもの味覚のハーモニーを楽しむ。ウコンのムースを固めたようなもの等、普段フランス料理店では供されない不思議な品々を何種も楽しんだ後、この前菜がやって来た。
メインは羊肉、そして蕪と人参を煮込んだものだった。でも羊肉と野菜はそれぞれ別のスープで煮込まれ、その有機野菜を、ガニエール氏が惚れて調達した言う。とても甘く、土の味がする程の鮮度だった。野菜の素性を昇華した味つけだった。しかもガニエール氏自ら、私に給仕をしてくれた。母の誕生日で食事をしていたのだけれども、そういう事由も忘れてしまって自分が舞い上がってしまった。<さすが馬鹿者である>
最後に印象的だったのは、バラのムース・マシュマロである。口入れると、新鮮なバラの花びらを食べたような清涼感が満ちてくる。フランスではバラのエッセンスは有名だそうだけど、私は体験はしたことがなかった。
画家のパレットを食べているような食事、それが私の感想だ。おいしい店でも、素晴らしい皿が二品あったら、お金を払う価値があると思うけど、ここはその十倍は価値がある。自分の味覚の領域が、明らかに拡張したからである。
料理のアーティストというものがあるのなら、まさに彼は巨匠だと実感させられた。<tokyotaro>

波を待つ。やがて。

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波を待っている光景は、何かとても瞑想を感じさせる行為だと思う。何かを日常生活の些細な事柄を思い出し、また遠くからやって来る波をじっと見つめる眼差し。多くのサーファーは、そこで記憶と現実の狭間で漂っている。それが波を滑る快感とは別の、サーフィンの醍醐味のひとつと思う。波が来なくても、海のリズムは心の中に溜まる垢を洗い流してくれると。<tokyotaro>

茨城県・平井海岸にて。

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やはり寒くなってきたと、5mmのセミドライの初登場。去年買ったものなので暖かく、新素材の恩栄に預かる。それと、防水タイプのデジカメを中古で手に入れたので、初めて海で写真を撮ってみた。ペンタックスのオプティという製品で、本当に海なんかで大丈夫なのだろうかと思いつつも、ウエットの中に忍ばせて海に出る。
この海岸はロングに適したメローな波質で、ロングボーダーには有難いビーチだと思う。茨城というと、ショートの方を持ってくるのだけど、ここを知ってロングを持って来た。今日はサイズがなかった。でも乗ってみると、力もあるし、やはり思ったとおりの良い波だった。
唯、やはりアウト<浜から一番外側で波が立つところ>でデジカメで撮影しているサーファーは不思議らしく、写真の女性サーファーの方にも怪訝な顔をされたようです。(もし自分だと分かる方いらしたら、メールください。データをお送りします)
陸にあがって、自前の温水シャワーを浴びていると、地元の小父さんから声を掛けられる。多分60は過ぎているだろう。「最近は色のついたボードも多くなったね、それに昔は人が少なかったけど、いまじゃ危ないよ(湘南を見たら卒倒するにちがいない)僕がはじめて東京オリンピックの頃ボードを買った時は、3万円(現在の50万円くらい)したよ」という話を、茨城弁で話してくれた。ラスティのキャップを軽く被って、いい感じの人だった。僕が東京から押しかけて失礼しますと言うと、笑って二匹の柴犬と去って行った。
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それにしても夕方の海辺の景色は素晴らしい。そんなことを思いつつ、空を飛び去るジェット機を撮りました。機影は良く写ってないけれども、成田から異国へ飛び去る余韻は感じられるかもしれません。<tokyotaro>

キース・ジャレット。現在最高の音楽を聴く

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耳を澄ますと、いまでもキースの弾いた旋律が聴こえてくる。
10月にキース・ジャレット氏が来日し、大阪と東京でソロ・コンサートを開いた。主催者の鯉沼ミュージックによると、キースがソロコンサートを開くのは、今では日本だけらしい。キースの独特な瞑想を誘う旋律にとって、その即興音楽を生成する場に日本人の感性の方が適してると、彼が考えているからだそうだ。しかし、今回の大坂公演では残念な事件が起きたらしい。ケータイと咳・くしゃみによって公演がストップした。キースは観客に言った、『日本人がその精神を失って、欧米化していくのは残念だ』と。
キースのソロは、完璧な即興音楽である。ジャズピアニストというカテゴライズでは困難なほど、ジャズ、クラッシック、現代音楽を横断した音楽性。 繊細な感性、肉体が音を紡いでいく現場、幸運な観客はそのプロセスを体験する。そして二度と、その旋律は繰り返されない。『ケルン・コンサート』のような名曲であっても。
だからこそ、真摯に聴いていく姿勢は大切である。
キースは慢性疲労症候群から立ち直るまで、相当に苦しんだと思う。その苦難の痕跡を感じるアルバムがある。スタンダード・ナンバーを弾いた『Melody Night at wiuh you』(写真のアルバムです)。東京のコンサートでは、そのなかで弾いているビル・エバンスの『Porgy』を、アンコールで披露した。
コンサートで涙を流したのは初めてだった。キースのコンサートを聴くのは、ソロでは二回目だった。そして最高の一夜だった。<tokyotaro>

小名浜と福島の波

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福島へ。自動車を走らせた。
そして訪れたのは小名浜。福島県の南部・東京から常磐道で200キロくらいに位置する港町である。
徳川幕府の庇護もあり、17世紀から海運で栄えた街だったらしい。現在は東日本でもトップクラスの魚を扱い、魚河岸が賑わっている。
11月から冬の間はあんこう鍋が美味しい。僕も「割烹一平」という料理屋で食べてみた。だしは、どぶ汁という味噌とあん肝のペーストを混ぜたようなもの。そこに、あんこうのゼラチン質たっぷりの皮と、さっぱりした肉、脂の乗ったあん肝を入れて煮る。煮込むと、オレンジ色のあん肝から出る脂が溶け込んで、スープは魚系のこってりした美味となり、しかし魚臭さはない。女中さんに聞くと、なんでももっと寒い2月くらいが一番脂が乗っていいのだそうだ。身はふぐと鱧の間という感じの、さっぱりした食感だった。
もうひとつ、「うにの貝焼き」という、うにを貝に詰めて焼いた料理がある。これは抜群に日本酒と相性が良い。これは漁港の屋台で食った。
波はというと、外洋から良いうねりがやって来ていた。太平洋を望む海は壮大だった。朝五時には夜明けとともに永崎海水浴場にはサーファーが五六人集まってきた。テトラの間から来る波に乗っていたのだけれど、形が整って、ムネ・カタくらいのサイズだった。
アウトには良い波があるが、誰も沖には出ていない。少し浜を西に行くと、もっと大きく、形の良い波がブレイクしていた。潮がきついのか、サーファーは二人だけだった。ゲッティングは多少厳しそうだ。私はそこに入らなかったので、それ以上はわからない。
東京から北へ向かって行って、はじめて食事も波も満足できる街だった。<tokyotaro>

川崎にホオジロザメ現る。

川崎の運河に「人食いザメ」
26日午前9時ごろ、川崎市の千鳥運河から体長約4.8メートルのホオジロザメが死んだ状態で発見された。ホオジロザメはどう猛な性格で「人食いザメ」として一般的に知られている(26日午後、川崎市川崎区)(時事通信社)
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東京近辺でサーフィンをしている者にとっては、信じたくない話です。ハワイ、沖縄等では、確かにサーファーを襲うという事故が少なくないのです。が、関東にホオジロザメがいるなんて初耳です。しかも東京湾とは…。
くわばらくわばら…。
<tokyotaro>

靖国をめぐる内政干渉を考える

現在の私たちの生活は、第二次世界大戦における多大なる犠牲のもとに成り立っています。これは紛れもない事実です。国を守って亡くなった方々を祀る感情は、まさに正しいのです。
しかし靖国神社における問題に関しては、1980年以降(A級戦犯の合祀以降)次第に注目され、特に小泉首相の参拝には中国の批判が絶えません。当然の行為が責められる理由は、ひとつは歴史認識であり、ひとつは宗教観の違いです。
当時、思想の問題、経済的な問題、人種的な問題等さまざまな課題がありました。当時日本は「近代の超克」を掲げ、西欧からの自律性を主張しましたが、その考えは完全に駆逐されたという点が、その敗北の意味する所です。日本の姿勢は、多くの有色人種の自律を促しました。しかし日本では、霧散してしまいました。敗北までは、確かにその骨格としての「装置」として、靖国神社は機能し、また当時の天皇制も機能していました。
日本の宗教的な背景は、「やおよろずのかみ」であって、包容力の高い宗教性を有した国民であり、だからこそ、仏教、イスラム教、キリスト教に関しても偏見なく、受け入れてきたという歴史があります。(江戸時代のキリスト教徒の弾圧は、まったくの政治的な問題です)だからこそ、祟りを恐れて祀ることもあり、また英雄を祀ることもあり、しかも日本人が霊性を感じるのは、山、滝もあり、人においてだけでもありません。
しかし戦争中、国体を強固なものにする目的で、本居宣長のいう「やまとごころ」と「からごころ」を一緒くたにしてしまった。平易に言えば、「やまとごころ」はゆるやかな集合意識=「やおよろずのかみ的なもの」、「からごころ」は文化された骨格=「中国・韓国からの大陸的なもの」でした。
蓋し、靖国問題について、中国は「からごごろ」から批判する。日本は「やまとごころ」から納得がいかない。なぜなら当時の国家システム=「装置」は、六十年前に消滅しているからです。
では中国の言うように(政治的に)、またその「装置」が復活しうるのでしょうか。私はあり得ないと断言できます。なぜならもはや、「近代の超克」を意図したときのような、歴史的な意義は世界から喪失しているからです。
1990年代に冷戦は終結しました。それから十五年、天皇制も、憲法九条の問題も再度検討し、それから日本は新しい装置を構築する局面を迎えています。(なぜなら現憲法・体制は、アメリカの冷戦シフトの産物だからです)それがどういう形であれ、民主主義国であるのだから、議論をし、国民に提示されていくべきです。
確かに中国的な考え方では、国家元首の参拝=装置の復活に繋がるという図式になります。それならば、パラダイムのギャップを埋めるべく現実的な解決を促すべきです。少なくとも中国の歴史教育の転換とセットで話し合うべき問題であるはずです。
日本は中国に関して、一方的に譲歩する必要はありません。説明していくことしかないのです。譲歩するということは、その批判を認めることです。納得もしていないのに認めることは、絶対に正しくないのです。それは一時的な納得を促しても、経済面も含めて、将来大きな禍根となるでしょう。
※歴史的な背景について、イギリス人の歴史家クリストファー・ソーンが、『太平洋戦争とはなんだったのか』において非常に公正な視点で歴史を語っています。(偏向なく歴史を知るには良い本です。)
<tokyotaro>

フェルメール・レンズ・記憶

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『デルフトの眺望』という画は、オランダの画家・フェルメールの作品である。初めて図録で見た時、十七世紀を覗く窓のようだと感銘した。作品はハーグにある、マウリッツハイス美術館にあり、僕は一度本物を見たことがある。勿論本物も素晴らしいが、図録でも十分に真価は味わえる。
僕が感銘したのは、その写真のように精密な外光の表現ばかりではなく、当時十七世紀、オランダ・デルフトという土地の記憶である。この土地は、陶器を通じて日本との繋がりが深かった。画を見、長崎の出島を出たオランダの商船の積荷が、ここに降ろされていたのだという証拠を見た思いがしたのである。東インド会社は、東洋の富を欧米にもたらし、欧米からは日本に銀がもたらされた。(金の兌換価値が日本の方が低かったので、多くの金が欧米に渡った)また陶器という文化は、デルフトに製陶を伝播し、有名なデルフトのブルーには、蓋し有田のブルーを感じる。
フェルメールは、カメラ・オブスキュラというカメラの装置を通じ、レンズを通じて見た世界を描いたと言われている。レンズを通じた世界(映画、TV、報道写真)を、世界の姿だと信じている=洗脳されている私たちだからこそ、フェルメールをリアルに感じるのかもしれない。フィルムが発明されたのは、十八世紀当初の銀塩式であるが、それまでは画像を定着できなかった。だからカメラの見た光景は残っていない。だからその映像を、当時の画家が描きたいという心情は想像に難くない。
レンズは総てを光として等価に描写する。艀も、船も、運河も、人も。その等価性=客観性は、人の眼で描かれた世界とは微妙に違う。外の光のそのままに残すこと=リアルな世界であると私たちは感じる。
十七世紀のオランダにある港町・フェルメールの描いた船の船倉には、日本の陶器があったかもしれないし、長崎を出島を出入りした船かもしれない。そこには、リアルな時代の空気がある。
確かに神の眼を巡る「ミメーシス(世界をありのままに描く)」の問題は、現在レンズが担っている。しかしレンズの世界は編集方法の高度化で、リアルとは乖離されつつある。テロリズムを巡る政治の問題は、もはやレンズの問題である。
レンズの世界の黎明期を見つめることで、また新たな世界の眺め方のヒントを見つけられるかもしれない。
<tokyotaro>

サーフトリップ:東京→鹿嶋→日立

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台風18号が来る。
都内から鹿嶋へ高速道路を走ると、一時間半で鹿島灘へ出た。
鹿嶋は古来より、風土記にも記されている土地である。鹿島灘は太平洋に面し、荒々しい海が一面に拡がっている。空は果てしなく、水平線の果てからスウェルがやってくる。ちょうど台風の影響で普段よりも海は荒れていた。
サーフィンに良いかたちの波ではなかった。潮来から国道51号を北上すると、旭村に至る。鹿島灘を望む眺望は素晴らしく、気持ちの良い場所である。かつてヴィラトレディオという名の瀟洒なホテルがあったそうだが、現在は営業していない。やがて塩が満ちた海風に朽ち、廃墟となってしまうだろう。海岸に降りると、3-4人のサーファーが海に入っていた。オンショアの風が強く、ちょっと入る気持ちにはならなかった。確かに、ここにホテルがあっても、遁世を望む人しか来ないかもしれない。
そこから大洗へ北上。30分程度の道のりである。大洗のサンビーチで、買ったばかりのショートボードに乗った。いつも乗っているロングよりも1m以上短いので、自転車から一輪車に乗り換えたような感覚である。荒い波に揉まれながらも、ショートボードを楽しんだ。
翌日、大洗から日立へ北上する。距離にして40kmくらい。
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日立は工場もあるので、海岸の状況が想像できなかった。が、港の横にある浜は、とても綺麗だった。そこから丘に昇ると、日立の白い灯台が陽光に輝いている。海見ると、波がアウトで割れていた。潮が速いというので私は海には入らなかった。数人が浜から500mはアウトへ出て行くのを見たが、ガイドによると満ちると戻れなくなるらしい。
波がいいのに誰も入らないのは、なぜ??と思う。湘南ならショッカー軍団のように黒山になるだろう。
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その帰り、大洗海岸で入った。すると、見た目よりも潮の力が強く,辛かった。日立の潮の流れを思うと、自分の力量では難しかっただろう。
海岸を巡って旅をしてみると、東京から自動車で二時間圏内であっても、素晴らしい自然は残っているのだなと実感した。
<tokyotaro>

株という魔物とデイ・トレーディング

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『賭博者』というドストエフスキーの小説に克明に書かれているように、人は賭け事の熱気に翻弄されて我を失ってしまう。
公式には賭場は禁止されているが、さまざまな金融商品とネット売買の進歩に伴って、株式市場はヴァーチャルな賭場の様相を呈している。証券会社が提供するネットツールの点滅する気配値をにらみながら、目と指先に神経を集中する。その指先の向こう側では、白熱する市場がネットとともに連結し、その波動が肉体を蝕む。
特に、信用で売り・買いの瞬間の恍惚感と、身投げをするような高揚感を感じる時が恐ろしい。
白熱している株で、一瞬で10%以上も値が変動する時は、まるでジェットコースターが落ちていく感覚でしかない。先週からの三菱関連株の乱高下は、まさにその熱狂を感じる場だった。
百万円ももとでがあるなら、数十万から数百万の金を一瞬で儲けられるし、また失う。
追証に追われて、キャッシングをするものもいるだろう。掲示板では、数千万の損失を出した個人の書き込みもあった。
怖いと思うと、平気で人は暴走する。まるでチキン・ゲームのように誰が先に降りるのかを見極める。
と言う私も、落ちていく株価を眺めながら、頭が白くなり、指に電気が走った。
儲けるためだけでなく、この高揚感を感じるために投機している者も少なくないだろう。
そんなことを思いながら、己の臆病さに腹が立ち、今晩も酒を煽るしかない。<tokyotaro>