表参道ヒルズに象徴される病

20060220153316
表参道ヒルズは、安藤忠雄氏の建築したという。もうオープンして一ヶ月は過ぎただろう。
新しい建築が出来ると猫も杓子も行って見るのが、日本人の物見遊山の伝統だ。オープン当初は、5万人もの人を集めたという。一口に五万人というが、東京ドームの巨人戦よりも多い群集である。行ってみると、ハリーウインストン、ドルチェ&ガッバーナ等の世界的な高級ブランドが軒を連ねている。そんなところに五万人もの人が、本当に用事があるはずもない。昔のアパートメントを考えたら、千人も人が来たら仰天するような場所だったのだ。
最近の若い人たちと話をすると、結構身の丈で物を買うらしい。昔は機能が凄いという情報があって、何処どこで流行っているという情報があると、人は物を買った。これは今の二十代後半から四十代前半くらいの典型的な傾向だった。リーバイスのジーンズも、レア物のスニーカーも、そういう思考からブームになった。しかし、今の十代を調査すると、自分のスタイルが基準にあって、そこから物を買うという。その考察なしには、物を買わないのだ。思うと八十年代、これからはDJだとか言ってニューヨークのラッパーの格好をしたり、フランスの良家子女のスタイルを真似たりしていた僕らの世代は馬鹿者だった。それは情報がまだ蔓延していなかったからに違いない。
エルメスのバックを予約して買うおばさんたちも、そういう過去の病に冒されている。蓋し、表参道ヒルズはそういう患者に溢れている。バブルに影響された子供の末期症状である。
僕はそういう馬鹿げた思考に脳をやられた世代ではあるけれど、今の若い世代の思考を羨ましく思う。決してヨーロッパの富裕層になることはなく、どこまで行ってもアジア人はブランドという病に冒されているだけなのである。そこをきっぱり諦めているのはさすがだと思う。(無意識であるだろうが)
ヨーロッパの最後の財産は「ブランド」だという。さてどこまでアジア人は搾取されるのだろうか。

短編小説:『テープは反復する。まるでこだまのように』

指先が躊躇う。黒電話のひんやりとした感触。
耳を黒電話の受話器にあてる。ぽわんと外の空気から離されて、ツーっという音が響く。電信柱。その電話線を通って遥かかなたの交換機を通じ、その先にある漁港に通じる道を通り、田園に広がる里山の森のひっそりとした小道を駆け上がった先へ。やがて森を切り開いた丘陵にある彼女の家の電話に繋がっている。
赤いトタン屋根の下で家族たちは歓談しているかもしれない。その廊下ではひっそりとキルティングの服を着た黒電話が鳴り響くのを待っているだろう。私の心が高鳴る。
0番のダイヤルがジリジリと戻る、その一秒半くらい。心が惑う。指をそえた受話器の置きのバネの感触が伝わってくる。電話をかける勇気が十分でなかった私は、切ろうか切るまいかと、人差し指と中指に力をこめていた。やがてトゥルルトゥルルと呼び出し音が聴こえる。
 
ガチャ。
「どちらさまですか」
と彼女の母がでた。
「…さん、いらっしゃいますか」
「ちょっとお待ちください」
置かれた向こう側の黒電話。向こう側から聞こえてくる部屋の音。ドアの開く音。足音がする。彼女の母の声が響く。彼女が近づいてくる。
「電話くれたんだね」
その瞬間、黒電話から耳のなかへ、彼女の体温がやってきた。
それから七年の恋をして別れ、この電話番号を思い出したのは昨日のことだった。あれから二十年が経っていた。昭和五十九年に高校生だった私は四十を過ぎ、偶然開いた当時のアドレスブックにその電話番号を見つけた。
今日私は、その番号に電話をかけた。ケータイ電話に番号を入力し、発信ボタンを押した。もう指が二十年前のように躊躇うことはなかった。
「おかけになった電話番号は現在使われておりません。番号をご確認いただきもう一度…」
 テープは反復する。まるでこだまのように。そして私の切ない追憶は、深い闇とともに次第に、そして緩やかに消えていく。

東京の空を発見する。

sora
「東京には空がない」と、そう想うのは、精神を患っていた高村光太郎氏の奥方ばかりでもない。
が、先日逮捕されたライブドアのホリエモンが住んでいたという六本木ヒルズの屋上から東京を眺めると、そこには素晴らしい空が存在していた。今年になって少しばかり仕事の変化に戸惑っていた私にとって、その壮大な空の眺めに救われた気持ちがした。
かつてシェークスピアは戯曲にて、雲を眺める者を阿呆と登場人物に言わせた。しかし現代では、そういう阿呆は消えてしまい、東京は賢い人間で満ちている。
ケータイに代表される通信技術の発達は人の自由をより奪っているだろう。しかし皮肉にも、その象徴とも云える建物の屋上には、しっかりと空があった。
万葉の頃の人の自由な気持ちは追想と夢想にしか存在しない。が、空の手触りの中にその痕跡を発見し、その夢想が現実ではないかと想う時、私は夢の中にいるのだろうかと惑う。
<tokyotato>

X-Box360がプレイステーション2を追放する。やがて…。

2CGSHardwareXbox360
2006年の正月は寒く、冬の海を想うとサーフィンから足が遠のいた。そして引きこもり気味になり、買ったばかりのX-Boxをやっていた。情けなくも、暖かい年末年始の娯楽である。
昨年買ったハイビジョン対応の薄型テレビでプレイステーション2をやってみると、いままでは気にならなかった画像の荒さが目についていた。いままではクオリティの高い画像と感心していたのが、不思議なくらいだった。そんなある日、青山の紀伊国屋の跡地にできたX-Box360のプロモーションをやっているカフェで(リーズナブルな価格でコーヒーとスウィートも供してくれる、気持ちの良いスペースです)、はじめて実機を見た。
果てしなく広がる空の映像を見ながら、戦闘機を操縦している感覚は素晴らしかった。
確かに、これなら薄型TVでも楽しめる十分な画質を持っていると感心した。しかもゲームのインストラクションをしてくれた女性が親切だったので、それまでまったく興味のなかったX-Boxに親近感を、不覚にも抱いてしまった。やはりオヤジには、若い女性の誘惑は効果テキメン!と自嘲してしまう。
そんな好印象を想っていた最中、偶然友人がX-Box360の新品を買わないかと、私に訊ねた。しかも彼の乗っていた自動車の座席にその商品が置かれていた。しかも酔っていたので、即座に買ってしまった。友人は仕事の関係で4台買ったそうだ。
それから付属してきたファイナルファンタジー等のネットゲームにも興じてみる。二十時間ほど遊んだ挙句、疲れたしまった。
それにしても、TVゲームは人生の大切な時間を消費してしまう遊びだと思う。我が家ではX-Box360がプレイステーション2を追放したのもつかの間、やはり私には読書の方が性にあっているらしく、いまでは埃を被っている。
<tokyotaro>

レクサスISに乗る。高級を考える。

c20681a
トヨタの高級ブランドとしてレクサスがローンチされたのは、今年の8月だった。
メルセデス・ベンツ、BMWの顧客をターゲットにしているという。文芸批評家・故小林秀雄氏はトヨタの創成期に工場を見学し、「これは世界一の工場になる」と予言したそうだ。経済の門外漢であっても、小林氏の眼はそれを見抜いていたのだろう。現在、トヨタは日本一の会社であり、米国のビック3の牙城を突き崩したのである。しかも日本経済のバブル崩壊後の失われた十年に。
品質の高さとマーケティングには恐るべき強さを感じていたものの、私のような洋物好きにとっては「トヨタの高級ブランド?」と、頭に疑問があったのは否めない。まあ少なからず、ブランド=洋物である意識を持っているような人たちこそ、ルイ・ヴィトン等のブランド(高級)を信奉しているのである。ブランド(高級)は、日本にとっては明治以来の舶来信奉に結びついていると思う。
そういう意味でも、世界で確立してから日本へブランドを持ってくる段取りは、真っ当なプロセスである。逆輸入車に高い金を払って乗る人間が少なからずいるのも、そのコンプレックス(舶来信奉)からだ。
高級に関する概念を、「自動車の品質」「人のサービス」「通信ネットワーク」の三点から非常に高い次元のバランスで実現しているというのが、レクサスに対する私の印象である。
品質としては、乗ってみると、唯の静かな高性能な自動車というものではなく、リニアリティをステアリングから伝達しつつ、尚、高次元な形でコンピューターが介在してアシストする。乗り味は、硬く、尚且つ、上質な柔らかさを持っている。同乗者には滑らかなバターの上にいるかのような感覚をもたらし、ドライバーにはある種のしっかりとした硬さを感じさせる。多分、シャーシーがよほどしっかりしているのだろう。またインテリアの素材は、自分の乗っている700万円近くするAudi Allroad よりも、高品質である。
またナビゲーションが凄い。GPSと連動していて事故時にはボタンひとつで24時間スタッフが現場に急行するそうであるし、また渋滞情報を的確に、またタイムリーに表示する。しかも初めて触っても感覚的に使えるし、音楽を専用サイトから高速にダウンロードし(多分専用回線があるのだろうか)、HDにお気に入りジュークボックスが作れてしまう。本当に至れりつくせり、未来のおもてなしと驚く。
京都の俵屋とか、熱海の蓬莱のような高級旅館にいるような心地と言えばいいだろうか。いままでメルセデスでも感じたことのない、不思議な次元の高級感であった。
そういう私も偶然家族が買うことがなければ、乗ることはなかっただろう。
それにしても、日本独自の「エクスペリエンス(体験)」としての高級を実現しようとしている姿勢には、凄まじいと感嘆するしかなかった。<tokyotaro>

ピエール・ガニエール東京に行く。

NEC_0048
フランスの三ツ星シェフである、ピエール・ガニエール氏が東京に店をオープンした。場所は青山のプラダ本店の隣である。11月29日にオープンし、フランスから駆けつけたガニエール氏自ら、スタッフに事細かに指示をしていた。私が足を運んだのは、オープン後5日目だった。パリの本店に続いての出店であり、先週末まで本人が常駐していた。
インテリアはフランスのコンテンポラリー・デザイン。フィリップ・スタルクのスタンド、ミニマルなシャンデリア、四面ガラス張りの室内、緑色の椅子のコージーコーナー。ランチだったので、店内は光に満ちていた。
昼のコースは、前菜、魚、メイン、デザート。しかし供される品々は、私の想像できない領域の品々だった。これほどのバラエティーのある料理を、私は知らなかった。写真で撮ったのは、前菜の品々である。レンゲにフォアグラのコロッケが一口やって来て、その後、いくつもの味覚のハーモニーを楽しむ。ウコンのムースを固めたようなもの等、普段フランス料理店では供されない不思議な品々を何種も楽しんだ後、この前菜がやって来た。
メインは羊肉、そして蕪と人参を煮込んだものだった。でも羊肉と野菜はそれぞれ別のスープで煮込まれ、その有機野菜を、ガニエール氏が惚れて調達した言う。とても甘く、土の味がする程の鮮度だった。野菜の素性を昇華した味つけだった。しかもガニエール氏自ら、私に給仕をしてくれた。母の誕生日で食事をしていたのだけれども、そういう事由も忘れてしまって自分が舞い上がってしまった。<さすが馬鹿者である>
最後に印象的だったのは、バラのムース・マシュマロである。口入れると、新鮮なバラの花びらを食べたような清涼感が満ちてくる。フランスではバラのエッセンスは有名だそうだけど、私は体験はしたことがなかった。
画家のパレットを食べているような食事、それが私の感想だ。おいしい店でも、素晴らしい皿が二品あったら、お金を払う価値があると思うけど、ここはその十倍は価値がある。自分の味覚の領域が、明らかに拡張したからである。
料理のアーティストというものがあるのなら、まさに彼は巨匠だと実感させられた。<tokyotaro>

波を待つ。やがて。

namimachi
波を待っている光景は、何かとても瞑想を感じさせる行為だと思う。何かを日常生活の些細な事柄を思い出し、また遠くからやって来る波をじっと見つめる眼差し。多くのサーファーは、そこで記憶と現実の狭間で漂っている。それが波を滑る快感とは別の、サーフィンの醍醐味のひとつと思う。波が来なくても、海のリズムは心の中に溜まる垢を洗い流してくれると。<tokyotaro>

茨城県・平井海岸にて。

Hirai
やはり寒くなってきたと、5mmのセミドライの初登場。去年買ったものなので暖かく、新素材の恩栄に預かる。それと、防水タイプのデジカメを中古で手に入れたので、初めて海で写真を撮ってみた。ペンタックスのオプティという製品で、本当に海なんかで大丈夫なのだろうかと思いつつも、ウエットの中に忍ばせて海に出る。
この海岸はロングに適したメローな波質で、ロングボーダーには有難いビーチだと思う。茨城というと、ショートの方を持ってくるのだけど、ここを知ってロングを持って来た。今日はサイズがなかった。でも乗ってみると、力もあるし、やはり思ったとおりの良い波だった。
唯、やはりアウト<浜から一番外側で波が立つところ>でデジカメで撮影しているサーファーは不思議らしく、写真の女性サーファーの方にも怪訝な顔をされたようです。(もし自分だと分かる方いらしたら、メールください。データをお送りします)
陸にあがって、自前の温水シャワーを浴びていると、地元の小父さんから声を掛けられる。多分60は過ぎているだろう。「最近は色のついたボードも多くなったね、それに昔は人が少なかったけど、いまじゃ危ないよ(湘南を見たら卒倒するにちがいない)僕がはじめて東京オリンピックの頃ボードを買った時は、3万円(現在の50万円くらい)したよ」という話を、茨城弁で話してくれた。ラスティのキャップを軽く被って、いい感じの人だった。僕が東京から押しかけて失礼しますと言うと、笑って二匹の柴犬と去って行った。
hikoki
それにしても夕方の海辺の景色は素晴らしい。そんなことを思いつつ、空を飛び去るジェット機を撮りました。機影は良く写ってないけれども、成田から異国へ飛び去る余韻は感じられるかもしれません。<tokyotaro>

キース・ジャレット。現在最高の音楽を聴く

jarrett
耳を澄ますと、いまでもキースの弾いた旋律が聴こえてくる。
10月にキース・ジャレット氏が来日し、大阪と東京でソロ・コンサートを開いた。主催者の鯉沼ミュージックによると、キースがソロコンサートを開くのは、今では日本だけらしい。キースの独特な瞑想を誘う旋律にとって、その即興音楽を生成する場に日本人の感性の方が適してると、彼が考えているからだそうだ。しかし、今回の大坂公演では残念な事件が起きたらしい。ケータイと咳・くしゃみによって公演がストップした。キースは観客に言った、『日本人がその精神を失って、欧米化していくのは残念だ』と。
キースのソロは、完璧な即興音楽である。ジャズピアニストというカテゴライズでは困難なほど、ジャズ、クラッシック、現代音楽を横断した音楽性。 繊細な感性、肉体が音を紡いでいく現場、幸運な観客はそのプロセスを体験する。そして二度と、その旋律は繰り返されない。『ケルン・コンサート』のような名曲であっても。
だからこそ、真摯に聴いていく姿勢は大切である。
キースは慢性疲労症候群から立ち直るまで、相当に苦しんだと思う。その苦難の痕跡を感じるアルバムがある。スタンダード・ナンバーを弾いた『Melody Night at wiuh you』(写真のアルバムです)。東京のコンサートでは、そのなかで弾いているビル・エバンスの『Porgy』を、アンコールで披露した。
コンサートで涙を流したのは初めてだった。キースのコンサートを聴くのは、ソロでは二回目だった。そして最高の一夜だった。<tokyotaro>

小名浜と福島の波

NEC_0014
福島へ。自動車を走らせた。
そして訪れたのは小名浜。福島県の南部・東京から常磐道で200キロくらいに位置する港町である。
徳川幕府の庇護もあり、17世紀から海運で栄えた街だったらしい。現在は東日本でもトップクラスの魚を扱い、魚河岸が賑わっている。
11月から冬の間はあんこう鍋が美味しい。僕も「割烹一平」という料理屋で食べてみた。だしは、どぶ汁という味噌とあん肝のペーストを混ぜたようなもの。そこに、あんこうのゼラチン質たっぷりの皮と、さっぱりした肉、脂の乗ったあん肝を入れて煮る。煮込むと、オレンジ色のあん肝から出る脂が溶け込んで、スープは魚系のこってりした美味となり、しかし魚臭さはない。女中さんに聞くと、なんでももっと寒い2月くらいが一番脂が乗っていいのだそうだ。身はふぐと鱧の間という感じの、さっぱりした食感だった。
もうひとつ、「うにの貝焼き」という、うにを貝に詰めて焼いた料理がある。これは抜群に日本酒と相性が良い。これは漁港の屋台で食った。
波はというと、外洋から良いうねりがやって来ていた。太平洋を望む海は壮大だった。朝五時には夜明けとともに永崎海水浴場にはサーファーが五六人集まってきた。テトラの間から来る波に乗っていたのだけれど、形が整って、ムネ・カタくらいのサイズだった。
アウトには良い波があるが、誰も沖には出ていない。少し浜を西に行くと、もっと大きく、形の良い波がブレイクしていた。潮がきついのか、サーファーは二人だけだった。ゲッティングは多少厳しそうだ。私はそこに入らなかったので、それ以上はわからない。
東京から北へ向かって行って、はじめて食事も波も満足できる街だった。<tokyotaro>