
6年前にゴーン氏が約束した日産GTRがデビューし、築地にある日産本社には、カラーバリエーションのラインナップとともに数台のGT-Rを展示している。モーターショーでは予約制らしいが、ここでは自由に触れるので、座席にも座ってみた。タイトな革張りのシート、情報機能の満載したナビ、現代的なステアリング、それでも日産のDNAを感じさせるデザインになっている。
私にとっての日産・スカイラインのイメージは、『神奈川』、『暴走族』、『セブンスター』がコアになっている。明け方の本牧埠頭近く、また第三京浜で爆走する姿であり、少し悪いぼんぼんが乗っているというイメージがある。スカイラインは嫌味なほど男臭い自動車であり、コンサバティブなセンス人たちは乗らない自動車だった。
時代が変遷し、バブルを経て、その当時の方々も五十代半ばになっている。確かにギャラリーを見渡すと、若い者は少なく、白髪頭の紳士たちが熱心に覗き込み、ステアリングを握っている。800万円という価格もあるが、やはり自動車に情熱を持つ人々は、確かに高齢化しているようだ。
今回のGT-Rは日産の情熱を表現したものだと、ゴーン氏は語っていた。若者に情熱を伝えるために(?)通常のTV-CFは行わず、路上で発表前に露出するというハプニング的なシティジャックの演出を用いたり、ブログを活用し、若者に自動車の情熱を伝える役割を与え、紙媒体、ゲーム等でのPRを実施している。
走りはポルシェターボ以上だという、0-100kmも3.6秒。凄まじい性能である。
しかしはたして若者が再び情熱を取り戻すきっかけになるのかは、正直分からない。デザインもセンスは良くなっているが、少々やぼったい。でもそこがGT-RのDNAなのである。
最近40代後半から50代向けのファッション誌が創刊されている。ドルチェ&ガッバーナ、その他イタリアブランドを着た年配の方が、男臭さを発散し、確かに六本木のクラブでもそういうタイプの紳士を目にする。昔、暴走族でやんちゃをしていたけれど、今では企業の役員になって、それでも過去の熱を忘れられない方々。
蓋し、GT-R=リッチなチョイ悪親父カーである。どこまで若者を魅了するかは未知数であるが、男の回春薬としては、ポルシェ以上であるのは間違いないだろう。
全日空ムンバイ直行便に乗る。

先週出張のため、インド・ムンバイへの直行便に乗った。全席ビジネスクラスで、2007年9月1日から就航。ボーイング737-700ER型機で飛行し、36席全てがビジネスクラスの客室仕様となっている。
乗り心地は、小さな機体であったからか揺れが多少大きかったと思う。でも偏西風がキツクなってきているからかもしれない。10月末からは、確かに燃料の消費量も時間も多くかかる時期になり、成田を出て、長崎で一度給油が必要になる程だそうだ。
食事は洋食・和食と特別の料理がサービスされる。和食を食べたけれど、いままでの飛行機の食事のレベルを上回る美味しさだった。しかし想像よりも座席は堅く、僕にとって寝心地は良くはなかった。アメニティは気配りも良く充実していたが、インドの航空会社のジェット・エアがブルガリ製のアメニティを常備していることを比べてしまうと、少々物足りない。<モデルのような女性をCAにし、それを売りにしている高級志向の会社ではあるけど>
最大のメリットは、なによりトランジットがなく、10時間弱でムンバイまで到着できることに尽きる。早く、安全に到着できることの他、確かに大切なのことはないけれど、さらに贅沢を言ってしまうのが客の常である。
断片。月に落下していく隕石の姿。

諸行無常の響きあり。
無常観を感じる映像<イメージ>だった。
21世紀になっての映像技術とメディアの整備によって、いままで観たことがないものが見れるようになった。NASAが提供している月に衝突する隕石の映像も、そのひとつである。
月は深くわたしたちの生活に関わっている星である。今日は大潮だなとか、小潮だなと、私はサーフィンをするようになってからとても月の存在を強く感じるようになった。月は毎日の潮だけでなく、28日周期でわたしたちにさまざまな影響を及ぼしている。でもそれは地球→月の視線であって、人の観念でしかない。月は観念を超越して存在しているという真実を、いまさらながらに痛感する。
その映像の断片は、とても痛烈な批評のようだ。幾千年の歴史も一時の幻か。人生の儚さを覗き見るような心地がするのは、蓋し私だけではない。
<tokyotaro>
ソフィア・コッポラ:『マリー・アントワネット』を観る。

ソフィア・コッポラの作品は、とてもハイクラス・セレブリティな感性に溢れている。
『ロスト・イン・トランスレーション』におけるS・ヨハンソンのコケテッシュなオヤジ殺しの魅力溢れる感性も素晴らしく、女の子が一番輝く瞬間をとてもよく知り抜いていると思う。そういう感性を、若い女の子が学ぶのはとても大切であるし、いままで表現の空白地でもあっただろう現代のファッショナブルな女の子の感覚的風俗を体現している稀有な作家であることは間違いない。
その点、最近活躍している日本の女性監督は少し偏っているし、まったくセレブ性は低い。ファッショナブルな女の子が憧れる感性とは違って、哀愁がある。(貧しい…新興劇団のトーンマナーだ)
そういう意味では、『マリーアントワネット』は成功している。アメリカの少女は、これを観てフランスと歴史に興味を抱くと思うし、フランスPR映画としては最良の部類である。セレブリティの日常生活のように、主人公のライフスタイルを体感できるフィルムだ。しかし、確かにキルスティン・ダンストの魅力はあるけれど、それがフランス革命の断頭台に消えたマリーアントワネットと思うことは最後までできなかった。
まるでタイムスリップしたヤンキー娘がフランスの王妃になったら??という、少しお馬鹿映画の雰囲気すら漂ってしまう。それでも舞台は本物(ヴェルサイユ宮殿)だから、そこは目で楽しめるけれど。
発想は面白いけど、何が言いたいのかとオヤジは腹が立つだろう。若い女の子に自分の大事なことを伝えたいと思っても、なかなか伝わらないときのような苛立ちがそこにある。
まあオヤジは観ないほうが身のためだと痛感した映画でした。
※サウンドトラックはとても素晴らしい。いつも音楽のセンスはさすがです。
tokyotaro
バルセロナ・イースターの思い出

再び春のバルセロナに行く。
先週の日曜日の早朝にカテドラルの近くを散歩していたら、棕櫚の葉を束ねた飾りを持った群集を見た。棕櫚の葉はキリストを祝福するしるしである。ちょうど欧州は聖週間(イースター)のはじまりだった。
キリストがゴルゴダの丘で刑死し、その後復活したという奇跡を祝う祭りであり、また古来から春を祝う祭りがあって、それが転化したという説もある。
僕は子供の頃、カトリックの教会のイースター祭りに従姉に連れていかれた事を思い出した。イースターというと、教会の庭に色とりどりの卵を隠して、それを探すという行事がある。そこで卵を探したのだけれど、見つけた卵をある男の子と取り合いになり、キリスト教なんて良くわかるわけもないから、争ってはいけないと尼さんに諌められた時、その男の子に卵をぶつけて逃げ帰ったのだった。まあ頭の悪いガキだったのだと思う。
投げた卵が粉々になって彼の服を汚した記憶は、僕にとっては鮮明だけれども、その彼は三十年も昔の事は覚えていないだろう。
その昔の彼の驚いた顔を想い、僅かながら、贖罪の気持ちが生まれた気がした。
tokyotaros
東京の空を発見する。
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「東京には空がない」と、そう想うのは、精神を患っていた高村光太郎氏の奥方ばかりでもない。
が、先日逮捕されたライブドアのホリエモンが住んでいたという六本木ヒルズの屋上から東京を眺めると、そこには素晴らしい空が存在していた。今年になって少しばかり仕事の変化に戸惑っていた私にとって、その壮大な空の眺めに救われた気持ちがした。
かつてシェークスピアは戯曲にて、雲を眺める者を阿呆と登場人物に言わせた。しかし現代では、そういう阿呆は消えてしまい、東京は賢い人間で満ちている。
ケータイに代表される通信技術の発達は人の自由をより奪っているだろう。しかし皮肉にも、その象徴とも云える建物の屋上には、しっかりと空があった。
万葉の頃の人の自由な気持ちは追想と夢想にしか存在しない。が、空の手触りの中にその痕跡を発見し、その夢想が現実ではないかと想う時、私は夢の中にいるのだろうかと惑う。
<tokyotato>
川崎にホオジロザメ現る。
中国の反日デモと吉野家
吉野家は大変である。
TVをつけると、北京で群集が吉野家を取り囲んでいた。反日の矛先として企業も襲われているらしい。
それにしても吉野家は、米国とのBSE問題しかり、ちかごろ国際問題の矢面に立っている。そもそも創業時、牛を喰うという欧米の食文化から派生しているのだから、当時は牛を大きな文化的な衝突があったことが想像に難くない。創業から先鋒だっただなと、そんなことを感じながら、時差ぼけ直らぬままTVを観ていた。
それから何人かの中国人が卵を日本大使館に投げる映像が放送された。中国では飢えている人も農村にいると聞くから、これはどういうことかと思った。日本では食べ物を投げるようなことはしないし、デモの女性は笑いながら投げている。
これはなんなんだろう。少なくともデモの参加者にとっては、日頃のストレスの捌け口になっているようで、みんな生き生きして、投げるとすっきりとしているようだった。
僕が許せないなと思うのは、中国は自国の飢えている人を尻目に、都会では卵も投げてしまう。そんなエネルギーがあるなら、自国の人を助けたらどうだろうかと思う。共産主義国家の人民とは思われない。もはや北朝鮮の方がストレートで、正直じゃないだろうか。
こういう茶番で誰が得をするのかと考えると、先ずやっているデモ隊の欲求不満解消と、放送局のネタぐらいには意味があるかもしれない。中国国内の急激な経済所得の格差による階層化、社会の変貌によるフラストレーションは高まっているにちがいない。
学生は社会のリトマス試験紙のようなものだ。でも茶番から何が出るか考えてはいないだろう。
結局東アジアの緊張は、欧米の武器商人たちの、「不安定化」による市場の創出に繋がるだけなのだから、頭冷やした方がいいでしょうね。そう、反応すればするほど、彼らの思う壺にはまっていくんです。しかも状況は清朝末期の頃のパロディのようですね。
牛を買ったら、おまけにミサイルも買わされたよ、なんて洒落にもなりません。
<tokyotaro>
Leeum美術館とレム・コールハース
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レム・コールハース氏は世界的な現代建築家である。
『錯乱のニューヨーク』という著書で、素晴らしい都市論を披露している。ニューヨークという都市が一枚の岩盤からはじまり、何もない土地にグリッド(桝目)を当てはめ、そこに過去の土地の様相の記憶を留める広大なセントラルパークが計画される。歴史の読解力と、ユニークな都市論の視点。 現代建築を理解する必携の本である。
そのコールハース氏の建築を観たいと思ったら、福岡に集合住宅もあるけれど中には入れない。だからソウルのLeeum美術館がおすすめだ。
この美術館には、日本では電通ビルを設計した、ジャンヌーベル氏とマリオ・ボッタ氏の建築もあり、国際的にも面白い巨匠たちの共作である。
日本でも、ジャン・ヌーベル氏がグッゲンハイムを建築する計画があったそうだが、実現していない。韓国企業のサムスンのように気概のある施主が現れてくれないだろうか。
<tokyotaro>
ワインと映画 Ch La Conseillanteを飲む。

六本木のヴァージンシネマにて、『サイドウェイ』というアメリカ映画を観た。親友のため、男二人で婚前旅行する(バチュラーパーティーのような旅行?)、カルフォルニア・ワイナリーをめぐるロードムービーである。人情ものの落語のように切なく、可笑しく、ホッとする話だった。それはともかく、映画を観ると無性にワインが飲みたくなった。
大学生の頃、フランスに長期滞在していた時はヴァン・ド・ターブル(下級ワインですね)で酔っ払って楽しんでいるくらいで、別に銘柄なんて読めないし、「高級ワインをめでるいうブルジョア嗜好なんて」と軽蔑していたくらいだった。(ただAOCなんて飲めなくて、金がなかっただけでしたが…)
やがて仕事をするようになって、(少しばかりお酒関係の仕事をすることになり)、そこからワインという深みを知った。『ブルゴーニュのコートドールは、石灰岩が土地に含まれていて、それはここが太古の海底だったからだ』とかいううんちくを仕事相手から呪文のように聴かされ、いつのまにか入信してしまった。
それから良いワインの味を知ろうと、いままでラベルも良く覚えていなかったようなレベルから、本を読んだり日記をつけたり、それなりに良いワインを飲んでみた。
それからは、展示会で試飲したり、高いお金を払って買ったりもした。でも、chマルゴー、chムートン・ロートシルトのような五大シャトーから、ポムロルの有名シャトー、またカルフォルニアではアローホを買ったりという程度で、ロマネ社やら、ペトリュス等は未だ手が出ない。さすがにワインは農産物に近いから、一本づつ状態が分からない。だから外れると怖い。十万という金を出すなら、高級フレンチを食べたほうがいいと怯んでしまう。
映画では、主人公がシュバルブランの61年物を飲むシーンがある。そのせいか映画を観て、秘蔵していたCh La Conseillante 93 コンセイアントを週末飲んでしまった。
そのシュバルブランと比べるべくもないワインであるが、それでも僕にとっては高価で十分満足できるワインだった。
