
ソフィア・コッポラの作品は、とてもハイクラス・セレブリティな感性に溢れている。
『ロスト・イン・トランスレーション』におけるS・ヨハンソンのコケテッシュなオヤジ殺しの魅力溢れる感性も素晴らしく、女の子が一番輝く瞬間をとてもよく知り抜いていると思う。そういう感性を、若い女の子が学ぶのはとても大切であるし、いままで表現の空白地でもあっただろう現代のファッショナブルな女の子の感覚的風俗を体現している稀有な作家であることは間違いない。
その点、最近活躍している日本の女性監督は少し偏っているし、まったくセレブ性は低い。ファッショナブルな女の子が憧れる感性とは違って、哀愁がある。(貧しい…新興劇団のトーンマナーだ)
そういう意味では、『マリーアントワネット』は成功している。アメリカの少女は、これを観てフランスと歴史に興味を抱くと思うし、フランスPR映画としては最良の部類である。セレブリティの日常生活のように、主人公のライフスタイルを体感できるフィルムだ。しかし、確かにキルスティン・ダンストの魅力はあるけれど、それがフランス革命の断頭台に消えたマリーアントワネットと思うことは最後までできなかった。
まるでタイムスリップしたヤンキー娘がフランスの王妃になったら??という、少しお馬鹿映画の雰囲気すら漂ってしまう。それでも舞台は本物(ヴェルサイユ宮殿)だから、そこは目で楽しめるけれど。
発想は面白いけど、何が言いたいのかとオヤジは腹が立つだろう。若い女の子に自分の大事なことを伝えたいと思っても、なかなか伝わらないときのような苛立ちがそこにある。
まあオヤジは観ないほうが身のためだと痛感した映画でした。
※サウンドトラックはとても素晴らしい。いつも音楽のセンスはさすがです。
tokyotaro
バルセロナ・イースターの思い出

再び春のバルセロナに行く。
先週の日曜日の早朝にカテドラルの近くを散歩していたら、棕櫚の葉を束ねた飾りを持った群集を見た。棕櫚の葉はキリストを祝福するしるしである。ちょうど欧州は聖週間(イースター)のはじまりだった。
キリストがゴルゴダの丘で刑死し、その後復活したという奇跡を祝う祭りであり、また古来から春を祝う祭りがあって、それが転化したという説もある。
僕は子供の頃、カトリックの教会のイースター祭りに従姉に連れていかれた事を思い出した。イースターというと、教会の庭に色とりどりの卵を隠して、それを探すという行事がある。そこで卵を探したのだけれど、見つけた卵をある男の子と取り合いになり、キリスト教なんて良くわかるわけもないから、争ってはいけないと尼さんに諌められた時、その男の子に卵をぶつけて逃げ帰ったのだった。まあ頭の悪いガキだったのだと思う。
投げた卵が粉々になって彼の服を汚した記憶は、僕にとっては鮮明だけれども、その彼は三十年も昔の事は覚えていないだろう。
その昔の彼の驚いた顔を想い、僅かながら、贖罪の気持ちが生まれた気がした。
tokyotaros
東京の空を発見する。
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「東京には空がない」と、そう想うのは、精神を患っていた高村光太郎氏の奥方ばかりでもない。
が、先日逮捕されたライブドアのホリエモンが住んでいたという六本木ヒルズの屋上から東京を眺めると、そこには素晴らしい空が存在していた。今年になって少しばかり仕事の変化に戸惑っていた私にとって、その壮大な空の眺めに救われた気持ちがした。
かつてシェークスピアは戯曲にて、雲を眺める者を阿呆と登場人物に言わせた。しかし現代では、そういう阿呆は消えてしまい、東京は賢い人間で満ちている。
ケータイに代表される通信技術の発達は人の自由をより奪っているだろう。しかし皮肉にも、その象徴とも云える建物の屋上には、しっかりと空があった。
万葉の頃の人の自由な気持ちは追想と夢想にしか存在しない。が、空の手触りの中にその痕跡を発見し、その夢想が現実ではないかと想う時、私は夢の中にいるのだろうかと惑う。
<tokyotato>
川崎にホオジロザメ現る。
中国の反日デモと吉野家
吉野家は大変である。
TVをつけると、北京で群集が吉野家を取り囲んでいた。反日の矛先として企業も襲われているらしい。
それにしても吉野家は、米国とのBSE問題しかり、ちかごろ国際問題の矢面に立っている。そもそも創業時、牛を喰うという欧米の食文化から派生しているのだから、当時は牛を大きな文化的な衝突があったことが想像に難くない。創業から先鋒だっただなと、そんなことを感じながら、時差ぼけ直らぬままTVを観ていた。
それから何人かの中国人が卵を日本大使館に投げる映像が放送された。中国では飢えている人も農村にいると聞くから、これはどういうことかと思った。日本では食べ物を投げるようなことはしないし、デモの女性は笑いながら投げている。
これはなんなんだろう。少なくともデモの参加者にとっては、日頃のストレスの捌け口になっているようで、みんな生き生きして、投げるとすっきりとしているようだった。
僕が許せないなと思うのは、中国は自国の飢えている人を尻目に、都会では卵も投げてしまう。そんなエネルギーがあるなら、自国の人を助けたらどうだろうかと思う。共産主義国家の人民とは思われない。もはや北朝鮮の方がストレートで、正直じゃないだろうか。
こういう茶番で誰が得をするのかと考えると、先ずやっているデモ隊の欲求不満解消と、放送局のネタぐらいには意味があるかもしれない。中国国内の急激な経済所得の格差による階層化、社会の変貌によるフラストレーションは高まっているにちがいない。
学生は社会のリトマス試験紙のようなものだ。でも茶番から何が出るか考えてはいないだろう。
結局東アジアの緊張は、欧米の武器商人たちの、「不安定化」による市場の創出に繋がるだけなのだから、頭冷やした方がいいでしょうね。そう、反応すればするほど、彼らの思う壺にはまっていくんです。しかも状況は清朝末期の頃のパロディのようですね。
牛を買ったら、おまけにミサイルも買わされたよ、なんて洒落にもなりません。
<tokyotaro>
Leeum美術館とレム・コールハース
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レム・コールハース氏は世界的な現代建築家である。
『錯乱のニューヨーク』という著書で、素晴らしい都市論を披露している。ニューヨークという都市が一枚の岩盤からはじまり、何もない土地にグリッド(桝目)を当てはめ、そこに過去の土地の様相の記憶を留める広大なセントラルパークが計画される。歴史の読解力と、ユニークな都市論の視点。 現代建築を理解する必携の本である。
そのコールハース氏の建築を観たいと思ったら、福岡に集合住宅もあるけれど中には入れない。だからソウルのLeeum美術館がおすすめだ。
この美術館には、日本では電通ビルを設計した、ジャンヌーベル氏とマリオ・ボッタ氏の建築もあり、国際的にも面白い巨匠たちの共作である。
日本でも、ジャン・ヌーベル氏がグッゲンハイムを建築する計画があったそうだが、実現していない。韓国企業のサムスンのように気概のある施主が現れてくれないだろうか。
<tokyotaro>
ワインと映画 Ch La Conseillanteを飲む。

六本木のヴァージンシネマにて、『サイドウェイ』というアメリカ映画を観た。親友のため、男二人で婚前旅行する(バチュラーパーティーのような旅行?)、カルフォルニア・ワイナリーをめぐるロードムービーである。人情ものの落語のように切なく、可笑しく、ホッとする話だった。それはともかく、映画を観ると無性にワインが飲みたくなった。
大学生の頃、フランスに長期滞在していた時はヴァン・ド・ターブル(下級ワインですね)で酔っ払って楽しんでいるくらいで、別に銘柄なんて読めないし、「高級ワインをめでるいうブルジョア嗜好なんて」と軽蔑していたくらいだった。(ただAOCなんて飲めなくて、金がなかっただけでしたが…)
やがて仕事をするようになって、(少しばかりお酒関係の仕事をすることになり)、そこからワインという深みを知った。『ブルゴーニュのコートドールは、石灰岩が土地に含まれていて、それはここが太古の海底だったからだ』とかいううんちくを仕事相手から呪文のように聴かされ、いつのまにか入信してしまった。
それから良いワインの味を知ろうと、いままでラベルも良く覚えていなかったようなレベルから、本を読んだり日記をつけたり、それなりに良いワインを飲んでみた。
それからは、展示会で試飲したり、高いお金を払って買ったりもした。でも、chマルゴー、chムートン・ロートシルトのような五大シャトーから、ポムロルの有名シャトー、またカルフォルニアではアローホを買ったりという程度で、ロマネ社やら、ペトリュス等は未だ手が出ない。さすがにワインは農産物に近いから、一本づつ状態が分からない。だから外れると怖い。十万という金を出すなら、高級フレンチを食べたほうがいいと怯んでしまう。
映画では、主人公がシュバルブランの61年物を飲むシーンがある。そのせいか映画を観て、秘蔵していたCh La Conseillante 93 コンセイアントを週末飲んでしまった。
そのシュバルブランと比べるべくもないワインであるが、それでも僕にとっては高価で十分満足できるワインだった。
首相官邸の池とカルガモ
春になると、花粉とともに鼻水が流れるのですが、それでも暖かくて気持ちが良いなと思う今日この頃です。
そういう季節になると、そろそろかなと思うことがあります。それは溜池山王にある首相官邸の池やって来たカルガモの消息です。この池は官邸の周りを流れている水路にある池なので、歩行者や警官がおやと目を留め、ひょこひょこ藪に隠れたり、または気にすることもなく水遊びをするカルガモを見て、ほのぼのしています。
東京の春は少しばかりの自然のなかに発見されるので、それは箱のなかの草花のように特別なもののように珍重されるのでしょう。
皇居の池にでも行けば安全なのにと会社員がやきもきしたり、記者が記事を書こうと警官に取材したり、それでもカルガモにとってはどこ吹く風なのですが。
<tokyotaro>
