オーストラリアって南極の利権を主張してたとは、知りませんでした。

1月10日21時42分配信 読売新聞
 【シンガポール=岡崎哲】今月6日に発生した日本の調査捕鯨船団の監視船「第2昭南丸」と米国の反捕鯨団体シー・シェパードの小型高速船「アディ・ギル号」の衝突が、高速船の大破など過去最悪の被害となり、同団体に同情的だったオーストラリアで過激行動への反感が募っている。
 不満は、エスカレートする事態を止められない豪ラッド政権にも向かっている。
 「政治家と記者は(シー・シェパードの)活動家への支援をやめるべきだ」――。豪有力紙「オーストラリアン」は8日付の社説でこう訴えた。一連の抗議行動を「傲慢(ごうまん)で理屈に合わない」と切り捨て、シー・シェパードとの「決別」を宣言した。同紙のサイトで実施された読者投票で衝突責任の所在を尋ねたところ、約64%が「シー・シェパード」と回答した。
 シドニー・モーニング・ヘラルド紙の社説もシー・シェパードの行為を「違法すれすれの極めて危険な遊び」と非難。日本側の「防衛的措置は合法」とした。
 捕鯨海域に近い豪州は、シー・シェパードの事実上の出撃拠点で、資金の主要供給源でもあった。衝突直後には日本を批判する意見が強かったが、最近は矛先が反捕鯨団体に転じた。背景には、衝突時の映像が広がり、団体の無謀な抗議行動がひとつ間違えば人命にかかわる事態となっていたことが判明、反感が広がった事情がある。
 こうした風向きの変化にもかかわらず、ラッド政権は衝突後、「(捕鯨船団と抗議側の)双方に危険行為の自制を求める」と公式発言を繰り返すにとどまっている。野党などからは、「豪州から船を派遣して双方の動きを監視すべきだったのではないか」などと無策批判が一斉に上がった。
 そもそもラッド労働党は2007年の総選挙で、「日本の調査捕鯨の違法性を国際法廷で訴える」と公約、反捕鯨の環境団体「グリーンピース」の元理事ギャレット氏を環境相にすえた。だが、その後は「外交努力」をうたうだけで具体的行動は見送ってきた。
 政府内には、主要貿易相手国である日本との関係悪化への懸念に加え、国際司法裁判所などに持ち込んでも「勝てる保証はない」(ギラード副首相)との計算があるようだ。豪州の主張は、自国が南極大陸の一部に領有権を持ち、その沖合は「排他的経済水域」(EEZ)にあたるため、「この海域での日本の捕鯨は違法」という論拠だ。
 だが、領有権が確定していない南極でEEZを主張するには無理があり、「国際法廷で南極領有が否定されれば、かえって国益を損なう」との懸念がうかがえる。ラッド政権は年内にも行われる総選挙をにらみ、世論と国益確保のはざまでジレンマに陥っている

面白いニュース。捕鯨運動がこういう利権と絡んでいたとは…。そういう話だと思うと、捕鯨問題も理解できるというものです。
環境とか、捕鯨とか、「綺麗ごと」がニュースになる背景って、壮大な利権があるんですね、やっぱり。tokyotaro
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100110-00000757-yom-int

ゴードン・ベル賞を受賞した浜田教授の快挙と、新たな発想力。

 東京・秋葉原でも売っている安価な材料を使ってスーパーコンピューター(スパコン)を製作、演算速度日本一を達成した長崎大学の浜田(剛つよし)助教(35)らが、米国電気電子学会の「ゴードン・ベル賞」を受賞した。政府の「事業仕分け」で次世代スパコンの事実上凍結方針が物議を醸しているが、受賞は安い予算でもスパコンを作れることを示した形で、議論に一石を投じそうだ。
 同賞は、コンピューターについて世界で最も優れた性能を記録した研究者に与えられ「スパコンのノーベル賞」とも呼ばれる。浜田助教は、横田理央・英ブリストル大研究員、(似鳥にたどり)啓吾・理化学研究所特別研究員との共同研究で受賞。日本の研究機関の受賞は06年の理化学研究所以来3年ぶりという快挙だ。
 浜田助教らは「スパコンは高額をかけて構築するのが主流。全く逆の発想で挑戦しよう」と、ゲーム機などに使われ、秋葉原の電気街でも売られている、コンピューターグラフィックス向け中央演算処理装置(GPU)を組み合わせたスパコン製作に挑戦した。
 「何度もあきらめかけた」というが、3年かけてGPU380基を並列に作動させることに成功。メーカーからの購入分だけでは足りず、実際に秋葉原でGPUを調達した。開発費は約3800万円。一般的には10億~100億円ほどかかるというから、破格の安さだ。そしてこのスパコンで、毎秒158兆回の計算ができる「演算速度日本一」を達成した。
 26日の記者会見で事業仕分けについて問われた浜田助教は「計算機資源は科学技術の生命線。スパコンをたくさん持っているかどうかは国力にもつながる」と指摘。一方「高額をかける現在のやり方がいいとは言えない。このスパコンなら、同じ金額で10~100倍の計算機資源を得られる」と胸を張った。【錦織祐一】

米国でソニーのPS3を並列使用してスパコンを構築する話は知っていたけれども、日本人でそういう発想から構築を目指し、しかも同賞を受賞できる程の性能を発揮するとは予想もしなかった。やはり知らないところにも、偉人はいるのだと痛感し、自分の思い込みを恥ずかしくも思う。
記事にもあるように、現在素材から作り出すようなプロジェクトが政治でも話題になっている。スパコンの使用目的として語られるのは、「気象変動の精緻な予測が出来るので、温暖化をシュミレーションできる」等、誰にでも分かる凡庸な大儀であって、それ以外にも核分裂のシュミレーション等さまざまな使途があるのだろう。が、スパコンの開発に際し、どの程度のスペックが必要であり、コスト効果がどうであるかについては、誰も詳細を説明しない。蓋し、官製プロジェクトの常として、手段が目的化しているのが実情でないかと思う。
日本のような小資源国には、確かに技術が必要である。それを国民は否定しない。しかし同時に巨額の債務を抱えた国家であることも忘れるべきではない。第二次大戦における海軍の巨艦主義と同質の病が日本には潜伏しており、それがこういう浜田氏の快挙(まるで航空機が戦艦を撃沈するかのような)転換点を見過ごすことになっては、同じ誤りを繰り返してしまう。
現在、日本のさまざまな状況に求められている資質は、柔軟な知性ではないだろうか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091127-00000003-maiall-soci

美食の王様と喧伝される来栖氏のレストランに行く。

10月半ばにオープンし、『ソロモンの賢人』でも取材を受けていた西麻布にあるレストラン・エキュレに行く。ちょうど週末の金曜日だったが、席は十名ほどでほぼ満席だった。革張りの一人がけのソファでフランス料理を食するというのは、少しばかり不思議な気がする。
食事はコースになっていて12,000円と、デザート&パンが充実した+4,000円のコースになっている。給仕は3名、そのうちの一人が来栖氏で、彼はパンとデザートをサーブする。バケットは、駒場東大前にあるル・ルソールから取り寄せているという。
僕はスペインの辛口のスパークリングワインをグラスで飲みながら、料理を待った。
2009年11月6日金曜日。1品目は、アミューズとして、カリッとした脂:イベリコハムを揚げたもの…これは少し揚げ方に(タイミング)が、微妙にずれた感じだけど、中身はうまい。
2品目はいがぐりのスープ…秋の栗の甘みが口に広がるロマンティックな味わい。
3品目は美白と題された、ホワイトマッシュルームとかわはぎの一品。かわはぎの肝のソースとホワイトマッシュルームって、結構美味しいなと思う。フランス料理でも、和食でもないフュージョン感が面白い。
4品目はホタテパン…ホタテを焼いたパンと黒トリュフで挟んだ一品。トリュフって美味しいけど、大量に食べたらどうなんだろうとか、妙なことを空想する。味は上々。
5品目は、じゃがバターと題された、ソテーされたしっかりした量のフォアグラと、サツマイモ。フォアグラは、まさにフランス料理の王道って感じで美味しく、サツマイモは僕にはどう料理されたのか分からないけど、とても上品な石焼きイモという印象。
6品目は潮風と題された、アズキハタに青菜としじみ、全体にゆずの香りがする和の感じの一品。
7品目は、鴨。非常に貴重な鴨の肉を取り寄せたらしく、臭みも無く、素晴らしい。いままで食べた鴨のなかでも最高の部類だ。その次の2品は、デザート。いちじくとモンブラン。軽くてさっぱりしている。
デザートを+している人は、そこからパティスリーリョーコのキャラドゥー等、6品がサーブされる。最後は元麻布のミ・カフェートのキロ6万円?とかいうコーヒー豆(少量づつガスで封をされ梱包された)を挽いてから、来栖氏自らが目の前で注いでいく。
シェフは元白金にあるカンテサンスのスーシェフだったらしい。カンテサンスは行ったことないけれど、伝統的なフランス料理からヌーベル・キュイジーヌになって久しいが、もはや別カテゴリーのフュージョン、ジャパニーズ懐石フランセーズと呼びたくなる。店のサービス&料理の統合的な印象を言葉にするならば、ロマンティック、ノスタルジック&一生懸命。
価格以上の食事(食材&技術)とサービスがあるので、ぜひ足を運んで損はないと思う。しかし食事に集中するほかない環境なので、接待&デートには難があるかもしれない。

クロード・レヴィ=ストロース氏が亡くなる。構造主義者ではない構造主義の祖。

【パリ共同】フランス紙ルモンド(電子版)が3日伝えたところによると、現代フランスを代表する思想家で社会人類学者のクロード・レビストロース氏が、死去した。100歳。10月31日から11月1日にかけての夜に死去したという。死因など詳しい状況は不明。
第2次大戦中に亡命した米国で構造言語学を導入した新しい人類学の方法を着想、戦後フランスで実存主義と並ぶ思想的流行となった構造主義思想を開花させた。
1908年11月28日、ブリュッセルのユダヤ人家庭に生まれた。パリ大学で法学、哲学を学び、高校教師を務めた後、35年から3年間、サンパウロ大学教授としてインディオ社会を調査。41~44年にナチスの迫害を逃れて米国亡命、49年の論文「親族の基本的概念」で構造人類学を樹立した。
自伝的紀行「悲しき熱帯」(55年)は世界的ベストセラーとなり、「構造人類学」(58年)「今日のトーテミズム」(62年)「野生の思考」(同年)で構造主義ブームを主導する思想界の重鎮に。世界の民俗や神話に鋭く切り込み、64年から71年にかけ「神話学」4部作を発表。
73年、フランス学界最高権威のアカデミー・フランセーズ正会員に選出された。

『野生の思考』を十代に読んだときの高揚感を忘れない。彼こそ言うまでもなく、未開という文脈に知性の存在を見い出し、はじめてヨーロッパ中心主義を離れた局面から文化人類学を切り開いた人である。器用仕事と訳されたプリコラージュという思考様式は、実は現在のネットカルチャアに相似している。後年、概念をツールであると表現したドゥルーズ&ガタリの先見も、未開の思考にその根源がある。500年来連綿と世界の中心であった欧州から、第二次大戦後アメリカに中心を移動させることにより花開いた思考だったと思う。
ナチズムの根拠となった観念主義=人間(欧州)中心主義により、多大な犠牲を払ったユダヤ人であるからこそ、ストロース氏は欧州文明を離れた視線を獲得し、また時代に呼応したのだ思う。
構造主義者は、その構造に対し一歩離れたところから批評するので、「プチブル的」とコミュニスト&実存主義者に批判されたりもした。そういう意味では、ストロース氏は「構造主義者」ではなかった。
日本はそういう意味で20世紀に突如大国として世界史に登場し、戦争を通じて欧州中心主義を破壊した外部である。ストロース氏はその日本についても講演にて的確な分析をしていた。僕はテレビで見たのだけれども「日本には開く時期と、閉じる時期がある。そして常にアメリカ(欧州)と中国の均衡のなかに晒される。しかし常にバランス良く、立ち回って来た国である」というようなことを、言っていたと記憶している。確かに現状ストロース氏の言うように、中国とアメリカの間でどういうバランスを取るべきかは、日本の課題である。中国は常に沿岸部と内陸部の格差に悩んでいる。時に毛沢東のような人物がその平準化を図るため、中国であっても国を閉じる。
現在はインターネット&金融の国際化により、世界はアメリカ的なグローバニズムで開放状態である。その最中日本はどうバランスを取っていくのか。氏の意見をもはや聞けないのは残念である。

URTRA002@青山スパイラル 新進気鋭の画廊ディレクターたち

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画廊の名前ではなく、画廊に属するディレクターの名による展示というイベントである。主催者によると『才能あふれる51名の若手ディレクターが集結する、新形式のアートフェア』だそうである。画家や作品よりもキュレーターが現在の価値を表現するシンボルになったように、画廊の名前のバックヤードたちが表舞台に出るという嗜好らしい。
個人的には作家であってもアノニマス(無記名)であることを美徳と感じている私にとって、バックヤードの人々が表舞台に出ること自体は、またそれを説明責任の明確化だという観点から評価することもあるかもしれないけど、教育的な観点以外に意味あることとは思わない。
ざっくりとした印象は美術大学からの青田買いという風である。将来の才能を感じさせる作家もけれども、先鋭的なディレクターの挑戦というよりも、美大の学園祭というか、ゆとり世代のフェスティバルかなと辛口ながら感じてしまった。表現に生命力であるとか、知性を感じたいと無理を思うのは、僕が現在の美術業界の外に属しているからかもしれない。が、少なくとも東京モーターショーよりは明るい活気があるのが、日本の将来を考えると救いかもしれないとは思う。

10/17/09・武道館にてアークティック・モンキースのライブを観る。

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Whatever People Say I Am, That’s What I’m Not(Released on 23 January 2006 )は衝撃的だった。まさに現在ではイギリスにしか存在しないロックの伝統を継承する偉大なバンドだと思う。ロンドンにて偶然で出会った1stアルバムから3年が経ち、僕はようやくライブを聴く機会を得た。武道館という日本のロックの殿堂にて聴けるというのも、不惑の音楽愛好家には嬉しい。
武道館の中に入ると、客層は思いのほか若かった。
洋楽離れが叫ばれて久しいにも係わらず、安くはないチケットを買って来るのだからと、10代後半-20代半ばの聴衆たちを頼もしく感じる。欧州ではハイファッション/スタイリッシュな人々(Diorのエディ・スリマンスら)のラブコールを受けたロックムーブメントだが、日本の聴衆は、しっかりと老いも若きも、中央線(中野&高円寺系)たちである。
20代半ばの後輩と二人で缶ビールを飲みながら、彼らの登場を待つ。やがてステージに現れた彼らを見て驚いたのは、皆がロングヘア=70年代初頭のプログレッシブ風になっていることだった。あの若さほとばしるイメージは霧散してしまった。うーんこれはと、雲行きの怪しさを感じる。
3rd/Humburgからの曲・My Propeller 等も良い曲ではあるけれど、”I Bet you look good on the dancefloor”, “Fake tales of San Francisco”, “Perhaps Vanpires Is A bit strong but….”が聴きたいっていう聴衆が多かった思う。
それらの曲がかかると、皆が激しく踊りだし、アリーナフロアは熱気に溢れるのだが、やがてすぐHumburgからの曲(メローな)になって意気消沈するという状況だった。
アンコールになっても、僕の好きな”When the sun goes down”は演奏されなかったのは残念であるし、観客の要望を知りつつもはぐらかしている感もある。君らの能力も分かる、やりたいものも分かる。イギリスでは聴衆も理解できるのかも知れない。でもここは残念ながらアジアの果てなのだと、少し…分かって欲しかった。
若くして大物になってしまったバンドの難しさを痛感する一夜だった。tokyotaro

86の復活。そんなこと喜んでいるのはオヤジだけかもしれないが…。

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トヨタは東京モーターショー2009に、小型FRスポーツコンセプト「FT-86 Concept(エフティー・ハチロク・コンセプト)」を出展する。
FT-86 Conceptは、08年4月にトヨタと富士重工業による共同開発が表明され、11年末に市場投入が目標のFRスポーツカーのコンセプトモデル。生産は富士重工業が担当し、トヨタとスバルの両ブランドで販売する予定だ。
エンジンは、スバルの伝統である水平対向4気筒自然吸気ガソリンエンジンを搭載、トランスミッションは6速MTだ。車名の86=ハチロクは、83年にトヨタが発売した小型FRスポーツカー、4代目「カローラ・レビン」「スプリンター・トレノ」の1.6Lモデルの車両型式番号「AE86」にちなんで名付けられている。


白物家電のような自動車が横行するこの頃(まあこれもトヨタだが…)ではあるけれど、日本グランプリでのトヨタ・トゥルーリの二位表彰台に続き、日本人のモータースポーツ愛好家にとって嬉しいニュースだ。社長の豊田氏が個人的にも、レーシングカーを運転するような自動車好きだから、はっきり時流に逆らうような自動車がリリースされるのだろう。(しかもアストンからIQをリリースさせてしまうような、エンスージアニストだ。)
日本市場の若者に刺激を与えるかどうかは未知数(無理かな…)とは思うけど、中国やアジアの新興国の若者たちにとっては、憧れになりうる可能性は高いだろう。
ヤングマガジンでは、いまだに現役でハチロクはバトルを繰りひろげているが、ヴァーチャルでない現実でわたしたちを興奮させて欲しいものだと、わたしは密かに願っている。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20091006-00000304-trendy-ind
(追記)
日経トレンディの取材によると、ターゲットはやはりオジサンらしい…。

メインターゲットは40~50代の男性。つまり80年代の若いころに、かつての「ハチロク」に乗っていた、あるいは憧れていた人々だ。「目指すのは、オヤジがカッコよく見えるクルマ。運転するお父さんを見て、息子が自分も乗ってみたい、運転したいという憧れや夢を抱くクルマにしたい」と多田氏はいう。そしてオジサンたちの楽しそうな姿から、若い人にも関心が広がってほしいと考えている。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp:80/article?a=20091026-00000301-trendy-ind

自衛隊の富士演習地にて、初めて軍事力の凄まじさを知る。

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自衛隊が実弾にて演習するというので、8月末に富士の演習場に初めて足を踏み入れた。これは毎年実施されている火力演習というもので、数万人の一般人が自衛隊の実技を見聞出来るイベントである。
90式戦車、軍用ヘリ、大砲、ミサイル、装甲車たちが、実弾を用いて、想定された4キロ前方の敵陣地を攻撃するのである。
自衛隊の能力と隊員たちの統率力は素晴らしかった。はじめて兵器の火力というもの間近で見たが、はじめて銃を撃ったときの数十倍の恐ろしさを感じた。わたしたちの都市は数台の戦車によって簡単に制圧されてしまうことも実感した。戦車の射程は5km精密射撃を可能にしているし、極論小型ミサイルを持った装甲車1台で、都市は麻痺するだろう。
兵器は破壊することにしか存在しないという、まさにタナトスの具現であった。死を現実化できる力しか、人間の暴走を制圧できないのか、それとも自身が存在することが暴走を生み出すのかは分からない。しかしそのタナトスは、存在する現実であり、世界において誰かが力をコントロールしなければならないという宿命を、わたしたちは引き受けなければならない。
村上春樹の小説を読んでいたら、小説に登場する銃は絶対使用されるというような一節があった。わたしたちの社会のコンテクストには、確実に「兵器」は存在しているし、日本においても、かつては著しい量の爆弾とともに、大量の死が発生したのは現実である。
フィクションのように存在する軍隊は、はやく現実の軍隊にするべきであると思う。目を背けていようがいまいが、確実にこういう兵器が世界には存在しているし、その力をじっくり認識していかなくてはならない。日本は戦後経済の隆盛の中で、戦後六十年過剰なエロスの力を具現した。しかしその潮は引きつつあり、やはりタナトスの力が現れて来るのは、歴史の摂理であるのだから。

@モスクワ 東京オリンピックの敗退と、日本の総プチブル化について憂う。

モスクワは次第に寒くなり、気温は3度程度になった。でもモスクワっ子によると、まだ秋のはじまりくらいだと笑う。
そんな昨晩、東京のオリンピックの落選を聞く。負けたのは悔しいが、それよりも驚いたのはネットにおける反応だった。日本人が他の国が勝ったことに、悔しがる訳でもなく良かったとか言っている。ふーんと思って、そういう意見の人のブログの論旨を読んでみると、少しばかり唖然とした。
箱もの行政、格差社会、ゆとり世代等、日本がいくつかのキーワードで語られる。しかしそこにあるのは、現在の社会の支持体に関する痴ほう的な依存の姿である。ゆとり世代は自分らしく生きたい、社会はいまの持つ者からそうでない者になるべきだと言いつつ、なんの具体的な行動も無く、現状の社会にモラトリアムで依存している。老いたものたちは、年金の確保に奔走し、いまの社会の貯蓄を先延ばしすることに固執する。
日本という国がダイナミズムを失い、「リオありがとう」とか、「南米でやるのが良かったよ」とか、まるで世界の傍観者のような視点からコメントしているのには驚く。日本の社会がダイナミズムを復活させるのには、別にオリンピックだけではないが、経済を大きく動かす目標が必要である。
モスクワでテレビを見ていると、韓国は自分の国のPRを懸命にやっている。それは企業ばかりでなく、政府もそうである。
日本が老いも若きも隠居老人のように、またプチブルのように仮想の支配者として傍観者になっているようでは、足下にある危機を乗り越えられはしない。そんな高見からの見物をしているだけでは、日本はさっさと他国に食われてしまうだろう。

金融危機対策に対する反動…モラルは法制化されるか。

世界経済にようやく景気底入れの兆しが見え始め、米欧諸国は金融危機の再発防止に向けた金融規制の強化に力点を移しつつある。「政府は極力、市場に介入すべきでない」とする市場万能主義からの転換だ。
▽高額報酬
「危機の発端が金融業界だったことは誰も忘れていない」。フランスのサルコジ大統領は8月25日、大手銀行トップと会談し、トレーダーらのボーナスを抑制するよう要請。最大手のBNPパリバはボーナスの半減を受け入れた。
同大統領はさらに、銀行の経営者やトレーダーの報酬に対する国際的な規制導入を目指す。短期的なもうけを狙ってリスクの高い取引に走るのを防ぐため、報酬に上限を設け、中長期的な利益に見合う水準に抑える必要があるとの判断からだ。
まずドイツのメルケル首相の同意を得た上で、金融街シティーを抱え規制に消極論もある英国のブラウン首相を説得。ロンドンで9月4~5日に開いた20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議では銀行の報酬制限が中心議題となり、国際基準作成で合意した。
▽自己資本規制
「われわれは今すぐに行動を起こすことが必要だ」。報酬問題で欧州に機先を制された米国のガイトナー財務長官はG20会議後の記者会見で、銀行の自己資本規制を米国並みに強化するよう各国に強い調子で迫った。
長官は会議で「より厳格な基準について詳細で早期の合意が不可欠」と畳み掛け、慎重姿勢の欧州勢と激突。「各国の利害と思惑が鋭く対立し、予想外に白熱」(日本政府筋)し、フランスのラガルド経済・産業・雇用相は記者団に「とても激しい議論だった」と振り返った。
直後の6日にスイスで開かれた国際決済銀行(BIS)のバーゼル銀行監督委員会。主要国・地域の中央銀行と金融監督当局は、銀行の自己資本を原則として普通株式と内部留保で増強することで合意した。
▽覇権争い
ただ米国内では業界だけでなく、議会や政府の一部からも自由な企業活動の足かせとなる金融規制強化に反対意見が出ている。「景気回復で危機感が薄れ、改革の勢いが鈍っている」(米シンクタンク)のは否めず、オバマ大統領の足元は盤石といえない。
24~25日に米ピッツバーグで開く第3回金融サミットで議長を務めるオバマ氏は声明で「(G20首脳は)金融危機の再発防止に向けたルールを整備し、持続可能な成長のため協調して取り組む責任がある」と呼び掛け、国際合意をてこに突破を目指す構え。21世紀の国際金融の覇権をめぐり、綱引きが激化している。(ワシントン共同)

現在、11月の底の時点のほぼ70%+で市場は回復している。そこで虫の息だった金融業者たちが、益々息巻いているという。実業をしている私の立場から見ると、いまだ景気は回復しているとは言えない最中、また全世界を金融の賭場にしようとする人間たちのモラルは糾弾されるべきであると思う。
市場万能主義でいくのか、法的な規制で行くのか。わたしたちは民主主義を選択したが、ほぼ資本主義と混同される。その自由主義が、金融中心主義ではないといいながらも、金の蠢きに翻弄されるのがグローバニズムである。社会主義も破綻したが、行き過ぎた資本主義(金融自由主義としての)は、それも問題である。
静岡の日系人親子が生活保護か、それとも強制帰国かで翻弄されている。これもその綻びの微細な表れなのである。そこで日本人(血を受け継ぐもの)たちが、利益を言い争うのは醜いと思う。それよりも巨視的に思考していく行動を、日本人は世界2位の経済大国として実行するべきだろう。
自由主義=金融主義の岐路を見極め、現実的な判断が求められる。民社党のイメージする「友愛」が、現実を失ったアナクロニズムに陥らないことを切に願う。