10/17/09・武道館にてアークティック・モンキースのライブを観る。

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Whatever People Say I Am, That’s What I’m Not(Released on 23 January 2006 )は衝撃的だった。まさに現在ではイギリスにしか存在しないロックの伝統を継承する偉大なバンドだと思う。ロンドンにて偶然で出会った1stアルバムから3年が経ち、僕はようやくライブを聴く機会を得た。武道館という日本のロックの殿堂にて聴けるというのも、不惑の音楽愛好家には嬉しい。
武道館の中に入ると、客層は思いのほか若かった。
洋楽離れが叫ばれて久しいにも係わらず、安くはないチケットを買って来るのだからと、10代後半-20代半ばの聴衆たちを頼もしく感じる。欧州ではハイファッション/スタイリッシュな人々(Diorのエディ・スリマンスら)のラブコールを受けたロックムーブメントだが、日本の聴衆は、しっかりと老いも若きも、中央線(中野&高円寺系)たちである。
20代半ばの後輩と二人で缶ビールを飲みながら、彼らの登場を待つ。やがてステージに現れた彼らを見て驚いたのは、皆がロングヘア=70年代初頭のプログレッシブ風になっていることだった。あの若さほとばしるイメージは霧散してしまった。うーんこれはと、雲行きの怪しさを感じる。
3rd/Humburgからの曲・My Propeller 等も良い曲ではあるけれど、”I Bet you look good on the dancefloor”, “Fake tales of San Francisco”, “Perhaps Vanpires Is A bit strong but….”が聴きたいっていう聴衆が多かった思う。
それらの曲がかかると、皆が激しく踊りだし、アリーナフロアは熱気に溢れるのだが、やがてすぐHumburgからの曲(メローな)になって意気消沈するという状況だった。
アンコールになっても、僕の好きな”When the sun goes down”は演奏されなかったのは残念であるし、観客の要望を知りつつもはぐらかしている感もある。君らの能力も分かる、やりたいものも分かる。イギリスでは聴衆も理解できるのかも知れない。でもここは残念ながらアジアの果てなのだと、少し…分かって欲しかった。
若くして大物になってしまったバンドの難しさを痛感する一夜だった。tokyotaro

86の復活。そんなこと喜んでいるのはオヤジだけかもしれないが…。

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トヨタは東京モーターショー2009に、小型FRスポーツコンセプト「FT-86 Concept(エフティー・ハチロク・コンセプト)」を出展する。
FT-86 Conceptは、08年4月にトヨタと富士重工業による共同開発が表明され、11年末に市場投入が目標のFRスポーツカーのコンセプトモデル。生産は富士重工業が担当し、トヨタとスバルの両ブランドで販売する予定だ。
エンジンは、スバルの伝統である水平対向4気筒自然吸気ガソリンエンジンを搭載、トランスミッションは6速MTだ。車名の86=ハチロクは、83年にトヨタが発売した小型FRスポーツカー、4代目「カローラ・レビン」「スプリンター・トレノ」の1.6Lモデルの車両型式番号「AE86」にちなんで名付けられている。


白物家電のような自動車が横行するこの頃(まあこれもトヨタだが…)ではあるけれど、日本グランプリでのトヨタ・トゥルーリの二位表彰台に続き、日本人のモータースポーツ愛好家にとって嬉しいニュースだ。社長の豊田氏が個人的にも、レーシングカーを運転するような自動車好きだから、はっきり時流に逆らうような自動車がリリースされるのだろう。(しかもアストンからIQをリリースさせてしまうような、エンスージアニストだ。)
日本市場の若者に刺激を与えるかどうかは未知数(無理かな…)とは思うけど、中国やアジアの新興国の若者たちにとっては、憧れになりうる可能性は高いだろう。
ヤングマガジンでは、いまだに現役でハチロクはバトルを繰りひろげているが、ヴァーチャルでない現実でわたしたちを興奮させて欲しいものだと、わたしは密かに願っている。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20091006-00000304-trendy-ind
(追記)
日経トレンディの取材によると、ターゲットはやはりオジサンらしい…。

メインターゲットは40~50代の男性。つまり80年代の若いころに、かつての「ハチロク」に乗っていた、あるいは憧れていた人々だ。「目指すのは、オヤジがカッコよく見えるクルマ。運転するお父さんを見て、息子が自分も乗ってみたい、運転したいという憧れや夢を抱くクルマにしたい」と多田氏はいう。そしてオジサンたちの楽しそうな姿から、若い人にも関心が広がってほしいと考えている。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp:80/article?a=20091026-00000301-trendy-ind

自衛隊の富士演習地にて、初めて軍事力の凄まじさを知る。

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自衛隊が実弾にて演習するというので、8月末に富士の演習場に初めて足を踏み入れた。これは毎年実施されている火力演習というもので、数万人の一般人が自衛隊の実技を見聞出来るイベントである。
90式戦車、軍用ヘリ、大砲、ミサイル、装甲車たちが、実弾を用いて、想定された4キロ前方の敵陣地を攻撃するのである。
自衛隊の能力と隊員たちの統率力は素晴らしかった。はじめて兵器の火力というもの間近で見たが、はじめて銃を撃ったときの数十倍の恐ろしさを感じた。わたしたちの都市は数台の戦車によって簡単に制圧されてしまうことも実感した。戦車の射程は5km精密射撃を可能にしているし、極論小型ミサイルを持った装甲車1台で、都市は麻痺するだろう。
兵器は破壊することにしか存在しないという、まさにタナトスの具現であった。死を現実化できる力しか、人間の暴走を制圧できないのか、それとも自身が存在することが暴走を生み出すのかは分からない。しかしそのタナトスは、存在する現実であり、世界において誰かが力をコントロールしなければならないという宿命を、わたしたちは引き受けなければならない。
村上春樹の小説を読んでいたら、小説に登場する銃は絶対使用されるというような一節があった。わたしたちの社会のコンテクストには、確実に「兵器」は存在しているし、日本においても、かつては著しい量の爆弾とともに、大量の死が発生したのは現実である。
フィクションのように存在する軍隊は、はやく現実の軍隊にするべきであると思う。目を背けていようがいまいが、確実にこういう兵器が世界には存在しているし、その力をじっくり認識していかなくてはならない。日本は戦後経済の隆盛の中で、戦後六十年過剰なエロスの力を具現した。しかしその潮は引きつつあり、やはりタナトスの力が現れて来るのは、歴史の摂理であるのだから。

@モスクワ 東京オリンピックの敗退と、日本の総プチブル化について憂う。

モスクワは次第に寒くなり、気温は3度程度になった。でもモスクワっ子によると、まだ秋のはじまりくらいだと笑う。
そんな昨晩、東京のオリンピックの落選を聞く。負けたのは悔しいが、それよりも驚いたのはネットにおける反応だった。日本人が他の国が勝ったことに、悔しがる訳でもなく良かったとか言っている。ふーんと思って、そういう意見の人のブログの論旨を読んでみると、少しばかり唖然とした。
箱もの行政、格差社会、ゆとり世代等、日本がいくつかのキーワードで語られる。しかしそこにあるのは、現在の社会の支持体に関する痴ほう的な依存の姿である。ゆとり世代は自分らしく生きたい、社会はいまの持つ者からそうでない者になるべきだと言いつつ、なんの具体的な行動も無く、現状の社会にモラトリアムで依存している。老いたものたちは、年金の確保に奔走し、いまの社会の貯蓄を先延ばしすることに固執する。
日本という国がダイナミズムを失い、「リオありがとう」とか、「南米でやるのが良かったよ」とか、まるで世界の傍観者のような視点からコメントしているのには驚く。日本の社会がダイナミズムを復活させるのには、別にオリンピックだけではないが、経済を大きく動かす目標が必要である。
モスクワでテレビを見ていると、韓国は自分の国のPRを懸命にやっている。それは企業ばかりでなく、政府もそうである。
日本が老いも若きも隠居老人のように、またプチブルのように仮想の支配者として傍観者になっているようでは、足下にある危機を乗り越えられはしない。そんな高見からの見物をしているだけでは、日本はさっさと他国に食われてしまうだろう。

金融危機対策に対する反動…モラルは法制化されるか。

世界経済にようやく景気底入れの兆しが見え始め、米欧諸国は金融危機の再発防止に向けた金融規制の強化に力点を移しつつある。「政府は極力、市場に介入すべきでない」とする市場万能主義からの転換だ。
▽高額報酬
「危機の発端が金融業界だったことは誰も忘れていない」。フランスのサルコジ大統領は8月25日、大手銀行トップと会談し、トレーダーらのボーナスを抑制するよう要請。最大手のBNPパリバはボーナスの半減を受け入れた。
同大統領はさらに、銀行の経営者やトレーダーの報酬に対する国際的な規制導入を目指す。短期的なもうけを狙ってリスクの高い取引に走るのを防ぐため、報酬に上限を設け、中長期的な利益に見合う水準に抑える必要があるとの判断からだ。
まずドイツのメルケル首相の同意を得た上で、金融街シティーを抱え規制に消極論もある英国のブラウン首相を説得。ロンドンで9月4~5日に開いた20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議では銀行の報酬制限が中心議題となり、国際基準作成で合意した。
▽自己資本規制
「われわれは今すぐに行動を起こすことが必要だ」。報酬問題で欧州に機先を制された米国のガイトナー財務長官はG20会議後の記者会見で、銀行の自己資本規制を米国並みに強化するよう各国に強い調子で迫った。
長官は会議で「より厳格な基準について詳細で早期の合意が不可欠」と畳み掛け、慎重姿勢の欧州勢と激突。「各国の利害と思惑が鋭く対立し、予想外に白熱」(日本政府筋)し、フランスのラガルド経済・産業・雇用相は記者団に「とても激しい議論だった」と振り返った。
直後の6日にスイスで開かれた国際決済銀行(BIS)のバーゼル銀行監督委員会。主要国・地域の中央銀行と金融監督当局は、銀行の自己資本を原則として普通株式と内部留保で増強することで合意した。
▽覇権争い
ただ米国内では業界だけでなく、議会や政府の一部からも自由な企業活動の足かせとなる金融規制強化に反対意見が出ている。「景気回復で危機感が薄れ、改革の勢いが鈍っている」(米シンクタンク)のは否めず、オバマ大統領の足元は盤石といえない。
24~25日に米ピッツバーグで開く第3回金融サミットで議長を務めるオバマ氏は声明で「(G20首脳は)金融危機の再発防止に向けたルールを整備し、持続可能な成長のため協調して取り組む責任がある」と呼び掛け、国際合意をてこに突破を目指す構え。21世紀の国際金融の覇権をめぐり、綱引きが激化している。(ワシントン共同)

現在、11月の底の時点のほぼ70%+で市場は回復している。そこで虫の息だった金融業者たちが、益々息巻いているという。実業をしている私の立場から見ると、いまだ景気は回復しているとは言えない最中、また全世界を金融の賭場にしようとする人間たちのモラルは糾弾されるべきであると思う。
市場万能主義でいくのか、法的な規制で行くのか。わたしたちは民主主義を選択したが、ほぼ資本主義と混同される。その自由主義が、金融中心主義ではないといいながらも、金の蠢きに翻弄されるのがグローバニズムである。社会主義も破綻したが、行き過ぎた資本主義(金融自由主義としての)は、それも問題である。
静岡の日系人親子が生活保護か、それとも強制帰国かで翻弄されている。これもその綻びの微細な表れなのである。そこで日本人(血を受け継ぐもの)たちが、利益を言い争うのは醜いと思う。それよりも巨視的に思考していく行動を、日本人は世界2位の経済大国として実行するべきだろう。
自由主義=金融主義の岐路を見極め、現実的な判断が求められる。民社党のイメージする「友愛」が、現実を失ったアナクロニズムに陥らないことを切に願う。

ファストブランドの台頭は、欧米ブランド・モードの末期的な症状かもしれない。

LAのセレブ御用達のセレクトショップと喧伝されるKITSONが原宿ラフォーレに出店し、H&Mの銀座店が出来たときのようにブームとなっている。
電通総研の消費者研究を見ていると、『他己ウケの時代』という10代の消費者像を分析したコラムがある。そこに書かれている消費者は、つまりいくつかの小グループからの情報に影響され、カリスマのようなものに影響されることのない消費者である。その構造については個々が批判なり、分析なりするといいと思う。周りの知人の意見の反映が主であり、その知人が影響されるのは、別の「半径10名の知人」である。しかしそこに新しい価値が創造される気概はない。ひたすらに受身の消費者の群れである。
H&Mの場合は、マスメディアのPR戦略が精緻に実行されたものだった。雑誌から派生するコンテンツであったり、TV情報番組での取材から、20-30代はマスメディアがしっかりと影響し、10代には「半径10名の知人」たちの誰かが共鳴したのだろう。蓋し、KITOSONも同様だと思う。特にハリウッドの若手のPR力が強かったということだ。特にハリウッドでは、セレブリティに対して海外の有名ブランドたちは、こぞって無料でいくらでも衣装を提供している。彼らは金持ちであるのに、何千万円もの高級ブランドに金を払う必要はない。CMではなく、パパラッチたちが撮る写真の露出に対しての広告費と換算されている。
東京ガールズコレクションもそうだが、アイドル化したモデルが着ているものそのものを着たい。ハリウッドスターが着ているものを着たいという、つまりアスピレーション型マーケティング(憧れを欲求させる)が成功しているのだ。インターネットを通じて複雑化しているように見えて、基本に即したシンプルなマーケティングとなっている。
ネット社会になってから、情報の流通量が増したと同時に、情報の質というのが劣化しているのかなと、僕は感じている。かつての70年代-80年代のファッションは、ファッション関係者の見解を反映し、そこで良い物と悪い物を峻別していたと思うのだが(デザイナーの才能、製品の質、職人の技術等)、これからはそういう見方などアナクロニズムとなってしまうのだろうか。
ユニクロのブランド「+J」のインタビューでジル・サンダーが言っているように、ハイファッションの感性を欲しいと思っている人たちに、安価に良いものを供給しようとする意思=民主化なのだろうか。以前ファッション界の巨匠アルマーニ氏は、自分が創ったクリエイティブが、発売後数週間したら、同じようなものがZARAに並んでいると、嘆いていた。
ファストファッションの台頭は、ブランド・モードの末期的な症状に見えてしまう。棲み分けがあるのだという人もいるけど、都内にある海外ハイファッションの店舗を見るにつけ、中国人がいなかったら、もはや商売になっていないと思うのは気のせいだろうか。

家庭菜園の盛況とプライベート耕運機の普及

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ホンダは2日、家庭用のカセットガスを燃料に採用したミニ耕運機「ピアンタFV200」(価格は10万4790円)の累計販売台数が発売後、半年の8月末時点で6000台を超え、年間販売計画を達成したと発表した。家庭菜園やガーデニングを楽しむファミリー層などの新たな顧客をつかんだことなどが理由。ホンダは年間計画を1万台に上方修正し、さらなる販売増を目指す。http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/economy/honda_motor/?1251941781
中国産の食品偽装問題、米問屋の不正米の流通問題等、食への不安からの反動からか、家庭菜園はブームになっているそうだ。自分の食べるものを自分で作りたいという欲求が、農業経験のない人たちにも広まっている。大手広告代理店の手がける農水省の自給率向上キャンペーンの一環で、セレブリティたちが農業をやる企画も多いし、エコロジー&スローライフという時代の気分も影響しているのだろう。
恵比寿のアトレでは、約月一万円で屋上にプライベート農園を貸しているそうで、すでに盛況だという。都市に住みながらも、土をいじる喜びがあるのは良いことだと思う。そういう経験から、いままでの都市型のライフスタイルではなく、都市的な利便さも、センスもあるエコ・ライフスタイルというものが、しばらくはトレンドとなってくるのだろう。確かに物語(エコ)の序章は順調にページを進めている。
ホンダの販売している耕運機も好調なのは、そういう時代の気分にぴったりだからだ。先週青山の本社ショールームを覗いたら、自動車がメインを占める光景ではなく、積まれた土と耕運機たちのキャンペーンが華々しく(?)開催されていた。インストラクターが丁寧に耕運機で土を耕し、青山を散歩する女性たちが熱心に話に耳を傾けていた。
やがてブランドエコグッズ-エルメス園芸セットとか、スワロフスキーで飾られたシャベルが雑誌を賑わす日も遠くないのかも知れない。

友愛政権の愚かな欧米軽視を憂う。

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?b=20090901-00000034-mai-pol

次期首相と目される民主党の鳩山代表に、欧米で警戒感が広がっている。米紙への投稿で、経済や安全保障のアメリカ主導を批判し、東アジアを軸に考えるとしているからだ。
■「オバマ政権は、相手にしないだろう」
 民主党が総選挙で圧勝し、海外でも政権交代に関心が集まっている。まだ開票から1日のため、海外のメディアで鳩山由紀夫民主党代表への論評は少ない。しかし、鳩山代表の考えに違和感を表明した向きもあり、今後、海外でも政策を巡る論議が広がりそうだ。
 鳩山代表の考えで特に注目されたのは、米ニューヨーク・タイムズ紙に2009年8月27日載った寄稿論文「日本の新しい道」(英文)。そこで、鳩山代表は、冷戦後、アメリカ主導のグローバリゼーションの中で、日本が市場原理主義の風潮にもてあそばれてきたと指摘。そして、人々が目的ではなく、手段として扱われ、「人間の尊厳が失われている」とまで言い切った。その現れとして、イラク戦争や金融危機があるという。
(中略)
 英エコノミスト誌は、8月20日付サイト記事「間違った敵に攻撃している」で、鳩山代表が奉じる友愛に噛みついた。それは「感傷的に聞こえる概念」だというのだ。日本で鉄壁の保護を受けている農業をグローバリズムから守り、非正規労働の禁止や最低賃金引き上げだけを考えていると批判。経済政策については、影響力がなく、関心もないとの指摘が出ているとして、民主党の政策には限界があるとしている。
 また、英フィナンシャル・タイムズ紙は、28日付サイト記事「民主党代表の政策への疑問」で、友愛の概念を具体的な政策に移す鳩山代表の能力に疑問があると指摘している。

グローバリズムの批判及び高齢化した島国中心内向き政策が、鳩山氏の考えであるそうだ。欧米との歪を生みながらやっていくのは、愚の骨頂であるし、しかも欧米各誌のポイントは、冷静な分析であると思う。
冷静な政権分析もなく、無闇に政権をバッシングしてきた日本のサヨク系マスコミに踊らされた結果である。現在の高度金融&IT社会の中において、感情的にグローバニズムを軽視する人間に投票した方々は、今後の世界からの反動に覚悟してほしい。踊らなかった人々も、一蓮托生なのであるからこそ、泣き言を言わないで欲しい。

成人した子どもの罪を、親が詫びる必要があるのだろうか。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090828-00000527-san-soci
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世間を騒がせている芸能人の麻薬関連の事件。ワイドショーも、スポーツ新聞も最高の報道ネタを提供され、視聴率も、販売部数も伸びていることだろう。不景気な世の中には、スキャンダルのような麻薬が必要なのだなと、半ば呆れていたところ、高相容疑者の父親が詫びたという記事を読んだ。
成人(しかも40歳を過ぎた!!)子どもの罪を親が詫び、またネットのリアクション等をみると、親の責任を追及しているコメントも少なくない。日本はどうやら、近代国家という理念を理解していない馬鹿の巣窟らしい。<近代国家とは、憲法および法に基づく、国家と個人の直接的な関係と社会の均質的画一化である>
少なくとも、成人が犯した罪に関し、親が追及されるのは、甚だ「個人」というものが理解されていないのだなと、馬鹿らしくなるし、勿論、罪が違う(例えば、同居している家庭内で息子が監禁事件を犯したような類)ならば、そういう指摘も分かるが、麻薬の使用などという、まったく個人の倫理観に基づく犯罪について、こういう追求をするとは、村社会=百姓根性以外の何物でもない。すぐに連帯責任とか、家族の責任とか、責任所在を曖昧にするくせがある。
保護者責任は、未成年までである。(しかも成人を18歳にしようと機運があるくらい)しかし道義的な責任は一生追及される。家族ぐるみ、刑罰よりも社会的な制裁となる。日本はそんなレベルの国(前近代精神)でいいのだろうか。
もう少し、「個人」であり、「責任」を明確にするべきであり、感情に流されるばかりではいけない。裁判員制度もいいけれど、そういう基本的な認識を啓蒙していくべきではないだろうか。

グーグルの『ストリートビュー』に総務省が配慮を要請する。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090825-00000031-san-bus_all
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総務省は24日、グーグル日本法人に対して、同社が展開する地図検索サービス「ストリートビュー」をめぐり、個人のプライバシーなどに配慮した運用ルールを策定するように求める方針を固めた。路上から撮影した風景などをインターネット上で立体的な画像として閲覧できる同サービスに対しては、個人の生活環境などが判別されるとして、地方自治体などから強い反発が起きていた。グーグル日本法人も運用のルール化を受け入れる方向で調整を進めている。(産経新聞)
グーグルは摩擦を気にせず、旧来の社会を変革している。
そういう意味では、こういう衝突があることは十分に予見していただろう。インターネットの革命的な資質は、誰にでも十年前には政府の諜報機関でしか入手できない情報を開示した点にある。時間・空間の束縛を解き放ち、またクラウドコンピューティングは、知の偏在をも技術によって消失させていく。米国では、絶版された出版物はデジタルコピーされて配布することも合法となり、グーテンベルグの印刷技術の発明以来の転換が起きつつある。
中国、ロシアにおいてもグーグルは同様の活動を推進しつつある。旧来の権威と軋轢を生みつつも、新しい枠組みは、まさに水が高きから低きに流れるように浸透していく。米国であっても、テロリストに情報を与えるようなこういうデジタル技術の拡散は、いままでの観点から見たら国益に反すると考えるだろう。しかし現在の米国は、ITの変革を恐れず、国家の変貌も容認しているように思う。
今回の日本の総務省も調整は促すが、確かに禁止はできない。蓋し、現在のインターネットで起きつつある流れをもし国家が止めてしまった場合、それは何よりも「鎖国」を起こすようなものであり、同時に世界の時流から大きく取り残され、ケータイの業界で生じた日本製品の没落を、同様にIT産業界のみでなく、経済全般に引き起こししてしまうだろう。
政治的な変革を謳いながらも、駅前商店街の窮乏を解決するとかいう政党たち。『三丁目の夕日』的アナクロニズムに陥っている日本の現状を見ると、本当にこのままではガラパゴスになってしまうなと憂う。列車から自動車の時代に変革させたのもあなたたちであるし、光ファイバーを張り巡らせたのもあなたたちである。しかしその結果引き起こされた現状には、「納得」できないのである。
昨日の魚は美味しい。人の脳は、機能的に良かったことしか記憶しないそうである。だからこそ変化を恐れず、さらに変革していく世界を受け入れていこうと、僕は思う。