このたびニートの職業訓練を法制化するという話がある。
2ちゃんねる等を見ていると、さっそくこの新法に関するコメントが多数投稿され、端的にニートと称する人々の意見を集約してみるならば、『仕事があるなら失業者に与えてあげるべきであり、自分たちは食べていられるのだからほっておいてほしい』という話である。もちろんニートの人々は、多分親のスネをかじったり、または遺産等十分にある人々なのだろう。
ちょうど加藤周一氏の1960−70年代の評論を読んでいるのだけれども、その当時の左翼の若者、またはヒッピーのような若者たちは、中流階級の典型的な生活に失望したのだと書いている。中国が転向し、ソビエトが崩壊した現在から眺めてみると、このアメリカ型資本主義が謳歌している実情からは、ファンタジーに聴こえる。(現在はリセッションとなっているが)彼らが失望した中流階級的な生活とは何であろう。蓋し、給与生活者、または中小企業を商い、テレビ、洗濯機、冷蔵庫等の家電が配備された家に居住し、スーパーマーケットで生活物資を購入し、消費する生活である。現在、中国、ロシアであっても、その生活を否定する者などいない。それを当時はプチブル的な態度と批判した。つまりは資本家でもないのに、資本家に同調していると。
リセッションに突入し、アメリカ経済も危ういと、世間は蜂が暴れ回るように騒いでいる。日本は対岸の火事だと思っていた人も多かったので、尚更焦っている。そして官僚や左翼崩れの人たちが、その期に乗じて金をかっさらおうと算段している。今朝もTVでは高橋是清の言葉を引用し、民主党も自民党の政治家も、巨大利権の復権=大きな政府を担ぎだそうと語っていた。アメリカのGDPは今後落ちると行っても、世界の第二位である日本の2倍は割らない。安保反対の癖にアメリカで稼ぎ、アメリカが没落するとなると既得権益の確保に走る。かつて在野に散った左翼の残党(役人、代議士)は国の根幹を考えず、自らの正当化に走る。郵政省を復活しようという、弱者の庇護を隠れ蓑にした下郎も絶えない。
若者に自分の生き方の正しさを背負わせたり、心配している振りをして弱者を食い物にしたりするべきではない。人生に失敗すれば路頭に迷い、成功すればそのまま安泰である。別に誰も助けることはなく、日本が右肩上がりに成長していく必要もない。
幸福はGDPの成長と比例しない。つまり金とは比例しない。もし生きていくことができない人がいるならば、助けるのはリアルな人であり、殺すのもリアルな人である。どうしてシステムが救う必要があるのだろう。彼らは助けなど求めていないし、税金をかけて助ける必要もない。彼らは十分にブルジョアであり、死のうと死ぬまいとそれも本人の問題だ。残念ながら人生の宿命は、自らが負うしかない。誰もニートであれと強いてはいない。
なぜ助ける振りをして権益を生み出すのか、そして人から金(税)を奪うのか。民主主義と自由主義の原則に立ち戻り、小さな政府への道はやめるべきではない。
政府主導の職業訓練は、希望するニートに制度として設けるオプションは可能だろうが、現在の案のように、政府が人を派遣して実情を把握し、促して社会参加させるというのは現実的に無理だろう。効率を考え、国家主導で矯正する案だとしたら、徴兵制また準ずる国家労働奉仕が妥当だと傾く他はない。
冬の東京タワーを眺める。『50』のライトアップ。

六本木ヒルズのけやき坂に架かる橋から眺めると、東京タワーがちょうど遠望できる。今年は50周年らしく、様々なライトアップとともに、50の数字が窓に示されている。
2011年の地上波デジタルとともに、東京タワーはテレビ塔としての主役の座を降り、台東区にできる新タワーに役目を譲るそうだ。しかしケータイの発信塔としての機能等はそのまま残るので、取り壊されてしまうわけではない。
名古屋にも、札幌にもテレビ塔はあって、そこも観光地となっている。1958年当時、20歳だった若者も、もはや古希(70歳)となり、インターネットでNHKもVODを実施した2008年、TVの時代は翳りを迎えている。1950年代の黄金期だった映画界(東宝、東映、日活等)と同じく、権勢をほこるテレビ業界も歴史になっていくのだろう。
僕は学生の頃(1990年頃)、東京タワーの特別ラジオ番組をつくる仕事に関わったことがある。放送作家の下請けの下請けみたいな仕事だったけど、『東京タワー』みたいなモノを売り込むっていう仕事があるのだとはじめて知ったのは収穫だった。
もちろん今も広告代理店とかが、東京タワーを売り込んでいるし、そのおかげで無償で綺麗なタワーの姿を眺めることができるのは、東京都民と観光客にとってはあり難いことだ。皆に愛されている限り、100周年を迎えるかもしれない。
そのうちかっては「テレビ」という電波を流していた塔なんだよと、今の若者が孫に語る時代が来るのだろうか。
自動車産業を失った米国経済はどういう道へ向かうのだろうか。
[ワシントン 11日 ロイター] 米上院は11日夜、自動車メーカー3社(ビッグスリー)救済法案について、妥協案で合意に達せず、事実上、年内の議会での救済法案をめぐる協議は打ち切りとなった。自動車メーカー救済法案は、上院での採決に持ち込むための審議打ち切り動議に十分な支持を得ることができず廃案となった。
自動車産業を失った米国経済はどういう道へ向かうのだろうか。
産業革命以来、資本の集中により発展して来た20世紀型の資本主義を牽引した産業構造が音を立てて崩れていく現場である。ビックスリーはなくなっても1社は残るだろうが、かつて英国が失った製造業を、追従するように米国は失っている。タバコ、自動車というアメリカを代表する産業が疲弊していく姿を見ると、かつてアメリカ文化に羨望の目を向けていた私たちは、大きな時代の転換を痛感する。<tokyotaro>
ムンバイにおけるテロ行為と経済的な繁栄

ムンバイで大規模なテロが発生(ロイター写真)したという知らせを受けたのは早朝だった。都市の半分がスラム街である金融都市に衝撃が走ったのは、そのテロの発生した場所が、オベロイ、タージ等の超高級ホテルであり、しかも占拠および銃撃等、テロというよりも市街戦の様相を呈しているからだろう。
見出しの写真はオベロイ・ホテルのロビーであるけれど、ムンバイのスラム街との対比を見ると、凄まじい格差だった。普通の中流階級の月給が約2万円の国で、一泊6万円以上するのである。日本の感覚ならば、一泊80-100万円以上の部屋しかないホテルと言ってもいい。そこにいるのはインドの富裕層と、欧米人(+日本人)である。
格差が急拡大しているという理由がそこにある。カースト制度という旧来の階級社会に、高度資本主義のもたらした経済格差が渦巻いているのだ。インドの成長は、2003年からこの5年間に急拡大したものであり、そこから実質GDPにて年7-9%超の成長を遂げているのである。ちなみに、アメリカでは人口の2割が、8割の富を独占しているそうだが、インドでは5%の人口がほぼ大部分を独占している。(人口は約11億人)その他の人は、すべて年収40万円以下である。
蓋し、富の配分の問題及び宗教の問題が絡まり、社会不安が増長している。文化と経済の発展は、常に破壊と犠牲を伴う。インドには現在、日本における昭和20-30年代の左翼運動時と同様のエネルギーの高まりが満ちているのだ。
インドのその先には輝かしい未来があると僕は思うが、それは彼らが貧困と富の分配の問題をどう克服するかにかかっているだろう。
『生活支援定額給付金』という愚行
米・財務長官ポールソン氏はいまも日本を嘲笑するか。

ポールソン米財務長官は8日の記者会見で「金融安定化法の効果を最大限発揮させるため、資本増強を含むあらゆる手段を講じる」と述べ、経営が悪化して資本不足に陥った金融機関に公的資金を使って資本注入する可能性を示唆した。(読売新聞)
そのポールソン氏は今年2月のダボス会議では日本を嘲笑していたのだが…。
08年1月下旬の世界経済ファーラム(ダボス会議)や2月上旬に東京で開かれた先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)などで、渡辺喜美金融相や額賀福志郎財務相は欧米の金融当局者や市場関係者らとの会談で、ことあるごとに「日本は金融機関への公的資金の投入が遅れたばかりに、不良債権問題を深刻化させ、デフレ不況まで招いた」と、恥を偲んで失敗談をアピール。サブプライム問題では、欧米政府が多額の損失を出した大手金融機関に対して速やかな公的資金の投入を決断すべきだと間接的に求めているが、「ポールソン米財務長官や欧州中央銀行(ECB)幹部らはどこ吹く風と聞き流し、ほとんど相手にされていない」(同)という。
やはり奢れるものは久しからず。公的資金を投入し、右往左往する米政府の行く末はどうなるのだろう。日本を真似しなくちゃならないとは、不本意なのだろうが。
それにしても、2月の記事のコメント欄を見ると、寄らば大樹とばかりに欧米を賛美する日本人たちもどうかと思う。
蔡國強の壮大な想像力と中国をめぐる誹謗

北京オリンピックをめぐる話は、大変にネット掲示板を賑わせていた。
韓国の放送局が開会式の映像をフライングしてしまったことに中国のネットが噛みつき、閉会式で中国の映像に朝鮮半島から光が出ていない、日本海と表示がある等、韓国人もいつも通り高血圧気味に騒いだ。本当にやれやれと、村上春樹の登場人物ではないが思ってしまう。
その北京オリンピックを巡る不思議のひとつに、オープニングの花火に関するCG問題があった。巨人の足が花火で打ち上げられ、次第にその足跡がメイン・スタジアムに近づいていく映像だ。このプロジェクトは、万里の長城を1万m延長するプロジェクト等で名声を得、その後日本からニューヨークに活動場所を移して世界的なアーティストとなっている蔡國強の作品である。コンセプトだけで、やはり凄い人だと身震いする。日本人の作家とは、スケールが違う存在だ。
火薬、火は彼の作品の核となる要素であり、今回の花火もまさにそうだった。花火は現地でも上がっていたのは事実だが、映像はCGで補完されているというのが問題となった。日本のメディアは(僕はフジの朝の番組で笠井アナウンサーが得意げに批判しているのを見たが)まるで偽装体質の一環のように報じていた。
北京に関する過剰な批判は、少なくともこの件については、メッセージが大切なのであり、別にCGで補完していようと構わない。映像とはそういうものだ。映像が真実であり、真実は映像に写らないということを、理解していない。映像は真実を作り出すが、誹謗は真実も打ち壊す。
食品の安全、公害等、いまだから日本は批判できるのではないだろうか。無論中国人に文化的差異以上の問題がないというわけではないが、偽装米の問題は、現に日本人が引き起こしている。過去には日本人もまだ見識が浅かった時代はあったはずであるし、中国に対する日本人の負の感受性も少し過剰気味だと思う。
なんでも味噌糞一緒に言うのは正しくない。良いものは良いと認め、それだからこそ、誤りを指摘できるのだと思う。
夏の京都・円通寺と比叡山の借景

大雨に苦労しながら、晩夏の京都へ出掛けた。
新幹線に閉じ込められたりと道中は散々だったが、祇園のいづうで鱧寿司を食うと来て良かったと思った。
八月の末ということもあり、祇園にも人は少なかった。河原町の天よしというてんぷら屋で海老とキスを食い、木屋町のバーで地元の客と話した。明日から東京に行くけど、どこか良いとこないかと訊いてくる。東京は怖いんじゃないかと、彼女は言った。
京都は平日の昼間も活気があるわけではない。地方都市独特のゆっくりした時間が流れている。毎日東京の喧騒の中で生活していると、多分少しずつズレが蓄積していく。
円通寺は北山の向こうにある、後水尾天皇の御所跡であり、延宝6年(1678年)、文英尼を開基として創建されたという。借景で有名であり、ちょうど比叡山が良く眺められる臨済宗の禅寺である。しかし近隣の開発が進み、借景の一部にマンションが建つのだという。
その問題について、腹がたつのは理解はできる。しかし拝観料を払い、ここまで足を運び、せっかくその素晴らしい借景の比叡山を眺めているのに、そこの坊主がくどくどテープで愚痴を聞かせる。これはどうかと思う。
借景が失われていくかどうかは、京都人の問題である。観光産業を主とし、文化保全に邁進し、仏教界も過去から努力しているなら、そういう問題は起きていないはずだ。高さ制限、景観の保全等がしっかり機能しているならば、京都の街中に乱立するビル、マンション群もなかっただろう。京都駅のような最新の建築を望みながら、一方で古都であるという矜持を保つのは無理である。
そういう裏舞台は自分たちで努力していくしかないだろう。外から来る人に、さもありがたい御題のように押しつけるのは止めて欲しいなと思う。外国の人も府外の人も、素晴らしいと思えば尊敬するし、再訪を望むだろう。
街の姿は、そこに住む人の心を反映する鏡に過ぎない。
初源的なアニメーションの力。『崖の上のポニョ』を観る。
飛べる人は飛べるけれど、そうでない人は海に飲み込まれる。
賛否両論が多く観るかどうか迷ったものの、『黒猫のタンゴ』以来の子供の素直な歌声に誘われ、ついに映画館に足を運んだ。宮崎駿氏の曰く、できる限り手で書くアニメーションであり、素直に動くことに対する魅力を表現したという。冒頭のオープニング、くらげの軍団とともに溢れていく海の豊穣な世界の描写を見、僕はディズニーの傑作である『ファンタジア』を想い出した。一枚一枚の絵が動いていくと、宇宙が出来ていく。
『ハウルの動く城』しかり、最近の宮崎駿の映画を観ると、重層的な物語をアニメーションの語りに置き換えていく試みに驚かされるものの、少しばかり「アニメーション」としては難解になっている気がした。少女の内的世界を外部化した試みは素晴らしいが、そこにはアニメーションを言語化し理解するというリテラシーが要求される。
『崖の上のポニョ』は、すべて見たままの世界である。見たままに見たことが現実化する。言語化し、自分の価値観と照らしあわすなんて不要だ。見たままを見たままに感じる力が求められる。子供が母親を名前で呼ぶから、そういう映画を見せたくないなどという馬鹿親の書き込みを見たけれど、そういう既成観念こそ不要である。
蓋し、初源的なアニメーションの力は、文字通り生命を吹き込む力である。豊穣な海は母の力に満ち、母はすべてを可能に出来る存在=生命の力である。魚は人間になり、老いた者も若返る。それがこの映画の本質であり、あとは見るだけだ。
そう、海=「産み」の世界なのだと、僕は席を立つとき気がついた。 <tokyotaros>
鴨川・波乗り・夏休み

世間よりも少しばかり早い夏休みだった。
ちょうど仕事の台風の目のようにぽっかり空いたので、ひとり千葉・鴨川へ出掛けた。昼間に前原海岸で波に乗ったけれども、波がスネくらいしかなく、一時間半程度で諦めてコンドミニアムに向った。チェックインした後、缶ビールを開け、高層マンションのベランダから海を眺める。海風が心地良い。僕はビール二缶飲みながら、ハワイのFMラジオ局から流れる80年代ヒットソング、カジャグーグー、マイケルジャクソン、TOTO等の懐メロを聴いていた。
やがて夕方6時近くになったので、僕は歩いて横渚の街を散歩し、何処か美味しい魚でも食べさせる店がないかと歩いてみた。次第に日が落ちてきて、夕方から夜へと光が変わっていく。
しばらく歩いていると、鴨川駅の商店街も午後6時だというのにしんと静まって、時折通軽自動車の音が響くだけだった。平日の夜はこんなものなのだと、僕ははじめて知った。都心に暮らしている時間の感覚とは、まったく異なる時間が流れている。が、ここも同じ首都圏なのだ。
一時間ほど散歩をしたけれど、閉まったシャッターの他に眼にするものもなく、駅へと戻る。すると整然と留まっている列車の群れが、まるで子供の頃みたジオラマのように静かに、目前に広がっていた。近くには人の気配がない。何処か遠くへ来てしまったような気がした。昔の夏休みに迷い込んだような休日だった。
翌日腰くらいのセットが入り、僕のようなロングボード乗りには、丁度楽しめる波だった。tokyotaros

