原子力発電の事故、状況、様々なコミットメント。

3月11日以降の6ヶ月間、特に東日本に住まう人々には、生活と潜在するリスクについて深く、また人生のなかにおける自分の立ち位置を検証する時間だったと思う。仕事、家族、生活等、1980年代以降に発展したメディア主導型の消費謳歌社会が、決定的な問い直しを受けた。その最大の理由は、言うまでもなく『福島第一原発事故』だった。
地震当初は、津波の被災エリアの決定的なダメージから、しばらくは原発の話はプライオリティに語ることが難しかった。が、時間が経つにつれ、さまざまな側面が露呈し、特に情報の開示については、電力村=電力マフィアと称される体質が糾弾された。しかし同様の体質は、日本中の何処にでも存在しているし、また鏡の中の自分に腹をたてるような、気持ち悪さがそこにある。まったくの外部にいる日本人はないし、あくまで内部からの闘争を行わなくては嘘である。
私は6月某日に、遠藤 哲也 (元IAEA理事会議長/元原子力委員会委員長代理)の講演を聞いてきた。元国連の明石 康氏が主催された原発問題を考察するイベントの「福島原発事故の影響~原発事故に国境なし」と題した講演だった。遠藤氏の講演は、まだ6月という異様な状況が現在ほども冷めやらない時だったこともあり、率直に語っていたという印象だった。あくまで外務省出身ということもあり、コミュニケーションの問題として原発を語り、技術的な問題については、専門家ではないが、中核にいた人間ならではの知見を感じた。
●原子力の問題は、天災で起きたが、その後の対応を含めては人災でもある。特に組織の在り方。
●10万マイクロシーベルト以下の低量放射線での人体の影響は、諸説をさまざまな立場の専門家(医師、技術者等)から聞いてきたが、悪いともいいともいえない。数字化=科学的な根拠がない。
●原子力の見直しは議論すべきだが、エネルギーの安全保障上の問題は重要な問題だ。
遠藤氏のポイントは、私がその後様々な専門家、関係者、つまり原子力を巡る様々なプレイヤーを理解していく足場となった。
人体への影響がどうなるかという議論については、今後の臨床的なデータの蓄積もあるし、内部被ばくを軽減するための人的及び官民一体の努力次第であるので、未だわからない話だ。但し、結局は責任のなすり合いにより現実的に存在している危機(特に高放射線の地域)にて、対策の不備は否めない。今なお続いている人災の側面からの可能性のある健康被害(特に放射能の受容性の高い子供たち)については緊急の対策をするべきである。そういう意味で、以下の課題解決は急務だ。
●潜在する危機に対するアクション(児童の疎開等)
●現在稼働または停止している原子力発電所における大規模事故のシュミレーション
●閉鎖している炭鉱の再稼働を含め、エネルギー安全保障体制の再構築
様々な利権を含む私たちの問題である側面がある。すべてを単純な経済状況とのトレードオフだけではなく、現在の政治がしなくてはならないのは、未来志向の課題解決だ。少なくとも半世紀のスパンの計画をつくるべきだ。民主党とか、自民党の次元ではなく、私たち全てがコミットメントするべき問題だという状況であることは、少なくとも東日本の人間は骨身に沁みている。
技術を捨てるという議論はあり得ない。必要が有る限り技術を人が抹消することはできない。核というパンドラの箱は既に開いてから半世紀以上継続している現実であり、冷戦後の私たちも莫大なコストを払い続けるという事態は不変だ。全廃を求めるだけの反原発運動はその意味では空論であり、いかに私たちがその技術とのスタンスを決定するための議論と、リーダーが不可欠なのだ。
兎に角、目を瞑る時ではない。

東日本大地震に。

人は、人を通じてしか、世界に触れられない。
だから世界の事象に人の名前をつけたがる。いうまでもなく、世界には人が介在しない事象もある。それを神と名づけてしまうのも、人が脆弱な存在である所以だ。
大地震のさなかで津波に飲み込まれ、または土砂に流され命を失った人々に祈りを捧げる。また辛い状況にさらされている被災者の無事を願う。
現在も危機にさらされている、勿論僕の家族を含んだ、東北・関東のひとびとは、やはり人の繋がりのなかに救いを求めていく。様々な流言、また停電、インフラの崩壊によるストレスを持った人々が、言葉を通じて人に及ぼして行くのは、善ばかりではない。インターネットというかつて存在しなかったインフラは、僕は特にツイッターを読んでいたが、僕がフォローしている限りでは、皆冷静で、また愛情に溢れていた人々だと思う。それでも、自分を含めて様々な流言に惑うし、また善かれと思って、嘘を流す人も少なくなかった。
政治家、特に首相は東京電力のマネージメントを罵倒したらしいが、皆は政府を罵倒したいだろう。それが無益なことは誰もが分かっているのに、人を責めようとする。日本のメディアの一部、また社民党の福島瑞穂代表は、電力の配布を地域単位でするべきではなく、病院等に細分化し、コントロールすべきだとか、また「友愛」で日米関係を壊した視点と同じ空論をほざき、現に懸命にやっている人々を間接的に愚弄している。もう人を責めるのをやめよう。石原首相は日本人の我欲に対する天罰と言ったそうだが、さすがに「天罰」というのは辛い。
僕は神の試練だと思う。僕らは脆弱な存在だ。だからこそ、僕らはきっと乗り越えて、次の地平に立つのだと深く信じている。

オープンリソースの行方は?中国のアンドロイド端末とグーグル。

 

CESには、多数の中国メーカーが米グーグルの基本ソフト(OS)「アンドロイド」を使うタブレット端末を出展した。ただ、中小メーカーの中には独自の仕様変更を加えすぎ、グーグルから非公認のものも少なくないとみられ、会場では「独自の進化を遂げるのでは」(日本メーカー)と“ガラパゴス化”を指摘する声が上がっている。
CESには、中国からレノボや華為技術(ファーウェイ)、「愛国者」のブランドで知られる愛国者数碼科技(アイゴ・デジタル・テクノロジー)などの大手に加え、まだ無名の中小・ベンチャーも10社超が出展。
中にはアンドロイドOS搭載端末が利用可能なグーグルのソフト配信サービス「アンドロイドマーケット」に未対応の端末も複数あった。アンドロイドは、メーカーが無償で自由に利用できるのが特徴だが「あまりに独自の仕様変更を勝手にしすぎると、グーグルが公式サービスの利用を認めないケースもある」(国内メーカー)という。
アンドロイドマーケットに対応していないタブレット端末を出展したボアイ(深セン市)の担当者は「公式サービスが使えなくても中国企業の同様のサービスが使えるので、利用者には不便はない」と強調した。(三塚聖平)フジサンケイ ビジネスアイ 1月11日(火)8時15分配信http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110110-00000007-fsi-bus_all

新年早々、さすが中国は面白い話題を提供してくれます。
グーグルはまたもや中国とトラブルを抱えつつあるのでしょうか?やはり、オープンリソースというキリスト教&民主主義世界のパラダイムに対し、やはり東アジアはひと味違うのでしょうか。日本という官僚主義バリバリの統制技術国と、共産主義風重商&個人主義者の巣窟である中国という、まさになんというか、21世紀の新たな世界像が示されつつあるのかなと思います。
知本主義の社会が到来するということは、どういう社会を実現したいのかというヴィジョンと不可分な関係性があります。資源、工業製品よりも観念の共有化が財になるという時代なのだから、その絵を描いている西欧の支配層からすると、東アジアは読みにくいでしょう。資源、国力の衰えを、今更宗教ではどうにもならないから、エコとか新しいパラダイムを想定しつつも、お盆をひっくり返され、唯一敗戦国&西欧コンプレックス支配層(欧米留学して洗脳された)がいる日本ばかりが、有り難がってる。それに対し、中国人はアナーキーです。
みんなが育てて、その果実を皆が食べ、自分はその樹の賃料で商売を使用というオープンリソース的な考え方など、中国人は樹までも焼いてしまう勢いです。よく日本の有識者とか称するTV文化人が、中国はそのうち知材の有り難さが身にしみるとか言っていますが、そういう有識者は官僚主義的利益を得てる層ばかり。下手をすると、中国人に椅子まで食われてしまうんじゃないかと、新年早々まんざら冗談も嘘でもないような気がしています。 tokyotaro

海賊版電子書籍販売を巡る、著作権管理はどうするべきか。

読売新聞 12月14日(火)10時32分配信
 米アップルのソフト配信サイト「アップストア」で村上春樹さんらの小説の海賊版電子書籍が売られていた問題で、日本書籍出版協会(書協)など出版関連4団体は14日、「明白な著作権侵害が横行している」と同社に抗議する声明を出した。
 また、改善策を求めるための協議を申し入れる文書を同日、アップルジャパンに送った。
 声明は書協と日本雑誌協会、日本電子書籍出版社協会、デジタルコミック協議会の連名。村上さんや東野圭吾さんの小説だけでなく、「違法に電子化された大量のコミックスを自由に閲覧できる」ソフトが配信されていると指摘し、「著作権侵害物を配信することは違法行為の幇助(ほうじょ)」と強く非難している。著者や出版社が海賊版の削除を求める際の窓口や手順が明示されていないことについても、早急な情報開示を求めている。
 これに対し、アップルジャパンは「声明を見ておらず、コメントできない。著作権侵害の申し出を受けた際は速やかに適切に対処する」としている。 最終更新:12月14日(火)10時32分

アップル社のアプリストアで、村上春樹の小説も電子化されたのかと見ると、真っ赤な海賊版だった。中国人が制作したものらしく、粗悪な代物らしい。コメント欄にも書き込みが多く、少なくともコメントに偽物等書かれた場合の、自動警告システム、また調査するスキームが機能しているのかが疑わしい。ベストセラーに村上氏の小説が長らく掲出されたいたのだから、多分監督もしていないのだろう。
確かにデジタルの著作物を管理するシステムは開発途上である。が、いくつか実用化されているシステムもあるし、電通、ソニー等が特許を既に取得しているそうだ。しかし、まだ運用に組み込むことが法制化されてはいないし、今後拡大するモバイル等のマーケットは、まだコスト化する姿勢が明確でない。
個人的には、電子書籍はプラットフォームも拡充し、益々発展するのは自明だと思う。しかしインターネットをベースとしているので、法的な枠組みの整備していくのは難しいだろう。そういう意味では、中国圏等、海賊版の横行する「山塞」大国からの参入には、格差をつけても”性悪説”的に対応していくべきと思う。

タイガー・ウッズは復活するのだろうか。

 

圧倒的な強さはもう戻らないのか。不倫騒動と離婚に揺れたタイガー・ウッズ(米国)は今季、1996年のプロ転向後では初めてツアーで1勝もできずに終わった。かつて手術を受けた左膝の負担を軽くするようスイングも改造しているが、完全復活は遠そうだ。
11月、米誌ニューズウィーク(電子版)に寄せたエッセー。「交通事故による体の傷は癒えても、心の痛みはより複雑なもので落ち着かない。生活のバランスを欠き、過ちから学ぶ苦しみが続いている」と書いた。正直な反省の表れとも取れるが、ツアーの賞金増額などプロゴルフの市場規模拡大にも貢献してきたスーパースターには、不似合いな弱音にも映る。
ゴルフは精神状態や性格がよく出る。5年余り世界ランキング1位に君臨し、抜群の実力で着々とスコアを伸ばすウッズに対し、優勝を争うライバルがミスなどで自滅していく場面が、かつては目立った。しかし、一連の騒動とその後の不振で、王者のオーラは消えた。スイング改造で技術は復調しても、他の選手が「ウッズ恐るるに足らず」と思えば、騒動前のようにはいかないだろう。
昨年8月の全米プロ選手権。ウッズはY・E・ヤン(韓国)に栄冠をさらわれた。メジャー大会で、単独首位か首位タイで最終日を迎えながら優勝を逃したのは初めてだった。3カ月後、不倫騒動が発覚。全米プロの敗北は、暗転の予兆だったのか。家族を裏切る行為を陰で重ねた報いに、第一人者は気付いていなかった。
[時事通信社]

偉大なゴルファーであっても、人生のスコアが崩れることはあるだろう。あのウッズであっても、1勝も出来なかったのかと凋落を憂う一方、凄まじいバッシングの状況であそこまでのプレーが出来たという見方もある。精神面の激しく反映するプロレベルのゴルフが出来ること自体驚愕であると、プレーをしたことがある人だったら、誰でも納得することだ。いろいろ契約もあるのだろうが、シーズン休んだ方が良かったかとも思う。
とにかく、もう一度素晴らしいプレイを見せつけてくれるだろうと、ファンとしては来年に期待したい。

伊ピニンファリーナを買収意向:中国メーカー3社が名乗り(中国)

ユニクロのジルサンダーと同じ方式ですが、日本メーカーにとっては脅威ですね。
ZARA、H&Mのような自動車メーカーが誕生するかも?という話題です。パラダイムチェンジが予感されますが、中国資本の生産品質の向上が鍵でしょう。

北京汽車や華晨汽車など複数の中国の自動車メーカーが、イタリア最大の自
動車デザイングループ、ピニンファリーナ(Pininfarina)の買収に名乗りを
上げていることが分かった。26日付の京華時報が報じた。ボルボやサーブな
ど中国メーカーによる海外ブランド買収が相次ぐ中、「欧州の老舗ブランド」
の巨大買収案件として注目されそうだ。
ピニンファリーナは、イタリアのトリノを本拠地とし、「アルファ・ロメオ」
や「フェラーリ」などの自動車デザインから、エンジニアリング、委託生産
工場まで展開するグループ企業。特にデザイン分野では船舶や電車、PCな
どまで幅広く手がける老舗ブランド。ただし委託生産部門については来年を
めどに撤退する意向を明らかにしていた。
同紙によると、中国メーカーでピニンファリーナの買収意向を示しているの
は、北京汽車や華晨汽車、江准汽車の3社。これら3社はピニンファリーナ
と自動車設計契約で密接にかかわってきた経緯がある。特に華晨汽車の幹部
が半年以上前から「イタリアの大手自動車デザイン企業と合弁したい」と公
言してきた。
上記3社のほか、買収意向を示しているのは海外含めて12社で、そのうちプ
ライベート・エクイティファンド(PE)などを含め、中国企業は10社にも
上るという。残り2社は、インドのタタ・グループと、カナダの自動車部品
大手のマグナ・インターナショナルという。
経営再建中だったピニンファリーナは昨年初めに、創業一族のピニンファリ
ーナ家が株式の50.6%を銀行団に売却することで合意。また、車体製造部門
のグルリアスコ工場も売却していた。(C)NNA

名作アニメを実写化したくなるのは、どうしてだろうか。

子供の頃、心底大好きだった『宇宙戦艦ヤマト』が実写版で公開されると知り、普段はあまり意識しなかった問題について考えてみた。
アニメ作品の実写化というプロジェクトに至る理由は、映画製作の費用の回収と言う観点から見たら、1)既に有名であるので、動員が見込みやすい。2)制作現場からセールスに至るまで、プロジェクト開始時点から、イメージを共有しやすい 3)有名人をキャスティングすることで、話題性が作りやすい ということが大きな要因であるだろう。権利者が明確に存在しているところからスタートするので、プロジェクトに参加する人々の皮算用からも、推進力が当初からあるだろうし、リスク回避という観点からも、ある種の保守的なプロジェクトなのだろうか。確かに制作サイドからの理由づけはありそうだ。
そこで実際の興行成績で確認しようと、世界歴代映画興行ランキングを見てみると、確かにバットマン(昔TVシリーズは実写だったが、コミックベースであるし、アニメも存在したので)を原作とした、『ダークナイト』が7位、17位『スパイダーマン3』、23位『トランスフォーマー:リベンジ』と、確かに成功している映画も少なくない。しかし、そもそもアニメで評価が高かった作品ではない。それでは、日本の歴代映画興行ランキングを見てみると、前述された『スパイダーマン』以外に上位にランクインしているタイトルは存在しない。アニメーションそのものは、スタジオジブリの名作ばかりでなく、華々しく好成績であるに関わらずである。結果、人気の高いマンガをアニメーション化する方が、どうも分が良いようにも感じられる。
マンガをアニメーションにしたいというのは、そもそも性質が全く違うから良くわかる。動画になっているということは、声、音、しかも動きがある=いい悪いは別にしても、より作品に生命を感じさせるからだ。それはファンにとって、見てみたいと思わせる動機が存在している。しかし、すでにアニメーションで存在する作品を、しかも成功しているものをまた見たいと思うのであろうか。
『人造人間キャシャーン』、『タイムボカン』等、いくつか実写化アニメーションというものを観たことがある。個人的には、アニメーションよりも生命感の欠けた残骸にしか感じなかった。『ドラゴンボール』に至っては、そもそものアニメーション版を理解すらしていない。
看板俳優で人を呼ぶというのは、スターシステムを生み出した映画界からの定石である。有名アニメ+人気俳優は、確かに数字が高くなる公式のような気もしてしまう。しかし、僕には質の悪いコスプレショーにならないよう、頑張って欲しいと言う他、なにも励ましの言葉が浮かばない。
それは、日本のアニメーション程、生命感溢れる映像表現を知らないからだ。

モーターサイクルの醍醐味は、大型二輪にあるのだろうか。

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ロングツーリングに行ってから、そろそろ一ヶ月が過ぎようとしている。涼しくなってくると、秋の素晴らしいシーズンとなる。また走りたいなと思いながら、暇ができると、いろいろと大型二輪を試乗している。
400ccでもしっかり回せば、法定速度なんてすっかりオーバーしてくれるくらいの力は持っている。でも奥只見を走った時、昇りのコーナーではやはり力不足を痛感し、以来、大型やっぱり欲しいなと、自分のバイクを横目に探してしまう。しかし、人に訊くと、十人十色の見解があるのがバイクであるので、何がいいのか見極めるのは難しい。ツーリングで楽を求めるか、コーナリングの楽しさか、はたまた高速道路での暴力的な加速なのか。ニーズマップを作るのは得意でも、自分のニーズを探すのは甚だ困難を極める。それでまず乗ってみようかということにした。排気量が急に大きくなるのも、手に余る気がして、上限800ccを目安にしてみた。
現在、5年落ちのドカッティに乗っているので、ハイパーモタード796、モンスター696+に試乗してみた。どちらも自分のバイクと同じ血統を感じさせる親しみやすさがあるが、新設計であるがやはりスムースさはないし、デザイン偏重が過ぎている気もする。796はパワーもしっかりしているし、このエンジンが自分のバイクに載っていたらいいなとは思う。
すると、BMWという全く別の領域を見たくなる。そこでF800STに乗ってみた。スムースに回るエンジン。ちょうどレインボーブリッジを走ったのだけど、いつものドカよりもペースが早いのに、大人しい感じ。少し回してみると、クッと後輪がしっかり地面を蹴り、バランスがとても良くなる。これを最初に持っていたら、満足したし、ツーリングにもいいなと感心した。が、一度ドカに乗ってしまうと、なんだか淡白な気がする。ドルチェ・ガッバーナ着ていると、モノが良いから、ラルフローレンのパープルラインとか、英国老舗テーラーはどう?と言われているような感じかな…。悪くはなく、賢い選択だとは思う。多分1200ccとかになると、もはやパイプ片手に乗るような世界だろう。
やはり日本車かなと、ホンダに乗ってみる。CB1100、CBR1000RR、VFR1200。スムースでエンジンが存在しないかのようだ。魔法の絨毯の感覚で、するするスピードが出て行く。VFR1200のDCTでは、もはやクラッチもなく、スーパースクーターの気軽さである。一番気に入ったのは、CBRだ。スーパーバイクでありながら、CBRはとても乗りやすい。スーパーバイクなら、こういうのじゃなきゃ僕は乗れないなとは思う。ホンダは素晴らしい。でも後悔はしないだろうことが、一番の後悔になる気がする。しかも800ccというお題に適わない。
同じく適わないが、ヤマハのFZ−1、KawasakiのZ1000にも試乗した。どちらも力強く、逞しく、素晴らしい。ホンダと比べると、スムースさはないが、なんかバイクに乗ってるなという気分になる。個人的には、Kawasakiの方が、アドレナリンが出る感じがする。が、どちらも僕の感覚からは、少々ボディが重過ぎるかなと思う。
3気筒という変わり種にも乗った。英国のトライアンフのストリートトリプルRだ。675ccであるが、100馬力くらいあって、車体も軽く、小型だ。知人は一輪車のようだと言うが、まさにそのようにパワフルで、楽しく、自在に動く。確かに走行安定性はないが、前輪もすぐに浮き上がるようなパワーと、レスポンスの良さは素晴らしく、バイクに乗っているぞと嫌でも感じる。長距離は疲れるかもしれないが、いつでもどこでも楽しめる感じが良い。アンジェリーナ・ジョリーも、『ソルト』で豪快に乗り回していたバイクだ。
そんなこんなで、中々候補が絞れないのだけど、こういうプロセスが一番楽しいときなのだろうなと、秋一杯はいろいろ試そうと思っている。

ユング/幻の日記『赤の書』。そのイメージの洪水に脳が浚われる。

ユングの『赤の書』を数ページ見た。半世紀も眼に触れずに、スイスの貸金庫に秘匿されていたという。ユング氏が自ら描いたイメージが、アウトサイダーアートにも似た作用、脳内を掻きまわされる感覚を引き起こす。強烈なイメージが眼に刺さって離れない。
日本ユング心理学会で講演された猪股 剛氏の言葉を引用すると、『「赤の書」は、ユングの体験した様々なイメージに満ちあふれ、同時にヨーロッパの伝統的な対話的思索にあふれている。ニーチェがキリスト教とその歴史観と対決し、現在に充溢する力を意志したように、ユングは地獄の修羅へと下降しながらも、恍惚としてこの現在に帰ってくる。このダイナミックに展開するエネルギーは、大胆で繊細である。一方で、「赤の書」の執筆時期にユングはそれと平行して「タイプ論」を書き上げている。それは、心理学のタイプを機能や形式の面から整理しようとした試みであり、科学的心理学を志向したものである。この二つの書物は、一見全く別の志向性から成り立っているが、その実、相互の内的な対話に満ちている。』とある。
勿論研究家の視点は、門外漢である私の感想とは別の大事な地平があると思うが、素人ながらも、五感で感じてみるだけで、個々人の無意識が何かを掴むだろう。わたしは早速一冊を注文し、届くのを待っている。海外とほとんど時差なく、日本語で出版に携わった方々にも敬意を表したい。

憲法の精神も愚弄する、民主党の現況

ここまで来ると言葉を失う。
整備がちゃんとされていないとか、そういう問題ではなく、そもそも政治というものを、また国政というものに対する責任感の欠如のほか、何があるだろう。
僕は陰謀論が跋扈するネットを鵜呑みにはしないが、もし意識的でないとするならば、法治国家に関する理解の不足も甚だしいじゃないか。
こういう政党が、本当に国民一人一人の痛みを理解するなんて言うのは、嘘である。読売新聞の社説にもあるように。

代表選の投票権 外国人にも認めるのは問題だ(9月5日付・読売社説) 
民主党代表選は日本の政党の党首選びである。在日外国人にまで投票権を認めるのは、明らかに行き過ぎだ。
 民主党は、国会議員、地方議員、党員・サポーターに代表選の投票資格を与えている。その合計の1224ポイントのうち、党員・サポーター票は300ポイントと約4分の1の重みを持つ。
 選挙戦が激しくなれば、約5万人の党員、約29万人のサポーターの1票が、勝敗を決する可能性もあると指摘されている。
 問題は、民主党の規約が党員とサポーターの資格を「在日外国人を含む」と定めている点だ。
 憲法は公務員選定・罷免の権利を、公職選挙法は選挙権を「日本国民」にのみ認めている。政治資金規正法は、政党や政治団体が外国人や外国法人から寄付を受けることを禁じている。
 いずれも、日本の政治や選挙が外国からの干渉を受けるのを防ぐための規定だ。この趣旨に照らせば、政権党であれ、野党であれ、党首選の投票権を外国人に認めることは、きわめて疑問である。
 党員などの要件や代表選の仕組みは、政党自身が決めることではある。民主党は「開かれた政党」という考えの下、在日外国人にも門戸を開いていると説明する。
 しかし、政党は、国民の税金である政党交付金を受ける公的な存在だ。憲法や法律から逸脱することは無論、その趣旨を歪(ゆが)めるようなことがあってはならない。
 民主党は、党員・サポーターの中にどのぐらい在日外国人が含まれているかも把握していない。選挙管理があまりに杜撰(ずさん)過ぎる。
 枝野幹事長は先月、記者会見で「将来的にいろいろ検討しないといけない。国政に参加する要件は国籍で判断するべきだ」と述べている。代表選が首相選びに直結してようやく、この問題の重大性に気づいたのだろう。
 自民党や共産党などは、日本国籍を党員の要件としている。民主党も、党員・サポーターの資格を日本国籍の者に限るべきだ。
 党員・サポーターには、永住外国人への地方選挙権付与を期待する在日韓国人が少なからずいるとみられている。
 菅首相と小沢一郎・前幹事長が党を二分する選挙戦を演じる中、党員・サポーター票の獲得を目当てに、両氏やその支持議員が、この法案の成立を競って約束するといった展開になれば、国の基本を損ねることにもなる。
 民主党は、早期に是正措置を講じるべきだろう。
(2010年9月5日01時11分 読売新聞)