コロナ禍に問われる日本人の知恵

 コロナ禍になったからか、にわか自然科学者や、医者もどきが増殖している。ひとつの話題に「うがい」が意味あるかというのがあって、意味がないという人の論は、厚生労働省が、新型コロナに対するうがいの効果について、「世界的にうがいの習慣は少なく、科学的に確立されたエビデンス(根拠)はない」と説明するのに相乗りしているに過ぎない。しかし日本の厚生労働省は、「のどの調子を整えるために習慣になっている人もいる。とくに推奨はしていないが、否定するものではない」とはしている。

 「うがい」という行為単体での効果を、科学的に云々は、そんなことはどうでも良いとまで言わないが、日本人が続けてきた経験の方が大切だろう。

 大抵、うがいをする時、帰宅し、先ずは洗面所など鏡のある場所へ行き、手を洗い、自分の顔を見、コップに水、薬を入れ、がらがらっと上を向いてやり、吐き出し、鼻が出ればかみ、口元を洗う。  

 うがい単体よりも、こういうストーリー化された行為が重要だ。ギリシャ人は自己への配慮を、人の知恵に大切とした。

 うがいをする時、顔色、喉や首の筋肉の違和感、鼻腔の通りを知り、また手を洗い汚れも落としている。手だけならば、アルコールで洗うで十分だが、鏡を見て自分を調べる行為は欠落する。これが健康に資することは言うまでもない。

 なんでもファクトばかりを一面的に捉える還元主義は馬鹿らしい。理が先立ってばかりは、そもそもの全体を失うことも多い。

 何が良い、何がだめだと理が先立つ前に、自らを感じることが大事だろう。

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