余りにも空虚な、非人間的な言論空間となりつつあるメディアについて

「時」と「場所」。何かを伝えるときに、その関係はとても重要な働きとなる。ヘタをすれば、話されている内容の価値よりも、全てを決定してしまう。教室、会議室、役員室、法廷。また授業中、試験中、昼食時、開会時、閉会後、掃除中、等。組み合わせは多様であるし、片方が全てを規定はしない。

しかし、新聞の誕生まで、社会の基盤として存在しなかった現在のメディアは、新しい権力、その場に属するメンバーの恣意に任されたまま、曖昧な基準で発信され、社会に混乱を引き起こし、権力を集中させるか、またはテロの温床となってきた。

見た話、聴いた話は、「時」と「場所」が、貴方と共有されているだろうか?

なぜ戦争の報道でどちらが正しいかわかるのか?また犯罪の報道は感情に何を引き起こすのか?SNSの馬鹿騒ぎは、また承認欲求を煽る行為は何を伝えているのか?

送り手には戦略があっても、「時」と「場所」から疎外されている受け手が、理解することは不可能である。単に感情をコントロールされるだけだ。ソーシャルネットが普及した現代では、全てが送り手になれるという幻想とともに搾取されていく。

エンターテイメント?そう思いつつ、蝕まれていく精神こそ、現在の世界的な格差社会を生産している根源だろう。蓋し、近代社会は情報の非対称性から産まれたが、しかし情報の民主化を謳うネットくらい、偏差を産む装置はない。

共同体を共同体の外部が、まるでパペットのように操っていく。

西欧の発明した、自由、権利、平等という民主主義が危機に瀕しているのは言うまでもないが、日本人は災害のひとつくらいに看做しているのかも知れない。

希望と信じられている、A I、ブロックチェーン、仮想通貨等のテクノロジーは、その力をさらに強めていくだろう。残念ながら……

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