ジョージ・フロイド氏の無残な死

白人と体制(警察官)がひとりの男を殺した。

確かに犯罪行為が推量される状況だったかもしれない。しかしあの映像が「象徴」的につきつけた事実は、現在も世界に「白人」社会と「近代資本主義国家」が、多大な奴隷の犠牲によってはじまり、またいまもそれが終息していないことだ。

確かに、あの警察官も裕福ではなくサイレントマジョリティーのひとりかもしれない。現在、アメリカの富の格差は著しく、そこにコロナ騒動もあり、もはや数千万の雇用が瞬間に失われ、同時にその影響も関係なく抑圧された人々がいまも大勢いるという事実である。フォーブス誌によると、2018年を見ると、最も裕福な10%が、家計資産合計の70%を所有している。この数値は、1989年には60%だった。トップ1%に流れ込む割合は、1989年の23%から、2018年には32%に跳ね上がっている。2020年も更に加速してるだろう。

奴隷制のはじまりは、1619年8月下旬、ホワイトライオンという名のイギリスの船がアメリカに奴隷を荷下ろし、1662年、バージニア州の議員が奴隷制度を正式に制定した。可決した法律にはこう書かれていた。奴隷となった黒人女性が生んだ子供もまた、全て永遠に奴隷になると宣言され、歴史家のカサンドラ・ニュービー・アレギサンダーは、「奴隷制度はアメリカ経済にとって非常に大きく、非常に重要で、それはアメリカの(他の)産業をすべて足し合わせたものよりも高く評価されるほどでした」と話していたそうだ。つまり新国家アメリカは、奴隷制度とともに発展し、北東部の州であるロードアイランド州の初期の白人議員たちはそれで財をなし、アメリカの新国家は奴隷とともに発展したものの、合衆国の奴隷制度が終了したといわれる1863年以降も、黒人たちの社会的な位置を、「白人」たちは放置した。1960年代のキング牧師の台頭も、暗殺によって中断し、いまでも多くのアフロ・アメリカンは、一部の社会的な成功者(スポーツ、エンターテイメント)を除いては、1980年代~90年代になっても抑圧されている。勿論、一部の成功者の黒人たちは、多少はその恩恵を受けたが、それが眩い光としてメディアで増幅されて広く伝わることの影に、蓋し過去から変わることのない闇が現在も存在している。それはタイガーウッズや、オバマ大統領が誕生しても、まだアメリカのなかには、文化的遺伝子として継承されているのだろう。なぜなら、そもそも黒人は奴隷であり、それが国の富を産み出したからだ。しかし奴隷解放以降は、「白人」社会にとっては、処分できない負債だったのだ。

私たち日本人は、その現実に対して、他国への内政の問題であるから沈黙するべきなのであろうか。それとも、何か声をあげるべきであるのだろうか。私にはその答えはわからない。

それでも現状の著しい世界における富の格差と、同時に「生資本」(消費者)としての価値しかなく、社会的立場も、声もあげることができず、消費社会の船底で生きていくのは、蓋し、近未来の「日本人」も同じことかもしれない。いまや労働は「奴隷」でなく「機械」に。そうであるならば、経済・政治システムにとって無用な民の存在は、「生資本」として以外の価値はないだろう。古いシステムと未来のシステムの狭間で、彼は無残に死んだのだと思う。

冥福を祈りたい。

 

 

 

 

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