性犯罪、子供をめぐる犯罪に関する神経症的な批判が多くなっているように思う。
性犯罪者は去勢しろとか、死刑にしろとか、まるで検察が容疑者を起訴する前に、断罪するネット社会の現状。まるで日本が昔の牧歌的な状況から変質したかのような誤解が駆け巡り、国家権力をむやみに信用する人々を増やしていく。毎日犯罪の記事が告知されると、ネットには厳罰化を求める声(状況が分からず、しかも微罪であっても)が増えてやまない。
裁判員制度が開始される前に、このように犯罪者を無闇にスケープゴートとし、同時に管理社会を犯罪者でない人まで窮屈にさせる社会でいいのか考え直すべきであると思う。
ネット上で統計を探してみると、子どもの犯罪被害データーベース という興味深いサイトがある。発生件数を比べてみても、殺人は1960年と比較し、80%減少し、また性犯罪は、90%減少している。最近のTVの感情を煽るスキャンダラスな報道が、まるで治安が悪化し、人の心が荒んでいるというイメージを増幅しているかが分かると思う。
私は犯罪は憎むべきだし、重罰も必要だとは思う。しかし、すべてに関して監視を厳しくし、しかもポルノの所有まで断罪し、表現と思想の自由まで奪っていく傾向自体が、病んでいることを分かるべきだと思う。
子供たちは危険だから外で遊べないのだろうか。知らない人と挨拶すると危ないのだろうか。『三丁目の夕日』の昭和三十年代は、人間がみな暖かかったなどというのは大嘘である。当時の小説を読んでみれば分かる。人間が闇を抱えて生きている現状に変りない。
今問題なのは、闇を理解しようと出来ない心の未成熟なのではないだろうか。人を孤立させていく、窮屈な世の中ではなく、自由な世の中にしていくべきである。何故異常な事件があると、すべてを封鎖するのだろう。学校、家庭、地域社会。心の鎖国をこそ、自殺者を増やし、GDH(国民幸福指数)の低い社会を生み出しているのではないだろうか。
犯罪をめぐる神経症的な糾弾を憂う。
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