クロード・レヴィ=ストロース氏が亡くなる。構造主義者ではない構造主義の祖。

【パリ共同】フランス紙ルモンド(電子版)が3日伝えたところによると、現代フランスを代表する思想家で社会人類学者のクロード・レビストロース氏が、死去した。100歳。10月31日から11月1日にかけての夜に死去したという。死因など詳しい状況は不明。
第2次大戦中に亡命した米国で構造言語学を導入した新しい人類学の方法を着想、戦後フランスで実存主義と並ぶ思想的流行となった構造主義思想を開花させた。
1908年11月28日、ブリュッセルのユダヤ人家庭に生まれた。パリ大学で法学、哲学を学び、高校教師を務めた後、35年から3年間、サンパウロ大学教授としてインディオ社会を調査。41~44年にナチスの迫害を逃れて米国亡命、49年の論文「親族の基本的概念」で構造人類学を樹立した。
自伝的紀行「悲しき熱帯」(55年)は世界的ベストセラーとなり、「構造人類学」(58年)「今日のトーテミズム」(62年)「野生の思考」(同年)で構造主義ブームを主導する思想界の重鎮に。世界の民俗や神話に鋭く切り込み、64年から71年にかけ「神話学」4部作を発表。
73年、フランス学界最高権威のアカデミー・フランセーズ正会員に選出された。

『野生の思考』を十代に読んだときの高揚感を忘れない。彼こそ言うまでもなく、未開という文脈に知性の存在を見い出し、はじめてヨーロッパ中心主義を離れた局面から文化人類学を切り開いた人である。器用仕事と訳されたプリコラージュという思考様式は、実は現在のネットカルチャアに相似している。後年、概念をツールであると表現したドゥルーズ&ガタリの先見も、未開の思考にその根源がある。500年来連綿と世界の中心であった欧州から、第二次大戦後アメリカに中心を移動させることにより花開いた思考だったと思う。
ナチズムの根拠となった観念主義=人間(欧州)中心主義により、多大な犠牲を払ったユダヤ人であるからこそ、ストロース氏は欧州文明を離れた視線を獲得し、また時代に呼応したのだ思う。
構造主義者は、その構造に対し一歩離れたところから批評するので、「プチブル的」とコミュニスト&実存主義者に批判されたりもした。そういう意味では、ストロース氏は「構造主義者」ではなかった。
日本はそういう意味で20世紀に突如大国として世界史に登場し、戦争を通じて欧州中心主義を破壊した外部である。ストロース氏はその日本についても講演にて的確な分析をしていた。僕はテレビで見たのだけれども「日本には開く時期と、閉じる時期がある。そして常にアメリカ(欧州)と中国の均衡のなかに晒される。しかし常にバランス良く、立ち回って来た国である」というようなことを、言っていたと記憶している。確かに現状ストロース氏の言うように、中国とアメリカの間でどういうバランスを取るべきかは、日本の課題である。中国は常に沿岸部と内陸部の格差に悩んでいる。時に毛沢東のような人物がその平準化を図るため、中国であっても国を閉じる。
現在はインターネット&金融の国際化により、世界はアメリカ的なグローバニズムで開放状態である。その最中日本はどうバランスを取っていくのか。氏の意見をもはや聞けないのは残念である。

URTRA002@青山スパイラル 新進気鋭の画廊ディレクターたち

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画廊の名前ではなく、画廊に属するディレクターの名による展示というイベントである。主催者によると『才能あふれる51名の若手ディレクターが集結する、新形式のアートフェア』だそうである。画家や作品よりもキュレーターが現在の価値を表現するシンボルになったように、画廊の名前のバックヤードたちが表舞台に出るという嗜好らしい。
個人的には作家であってもアノニマス(無記名)であることを美徳と感じている私にとって、バックヤードの人々が表舞台に出ること自体は、またそれを説明責任の明確化だという観点から評価することもあるかもしれないけど、教育的な観点以外に意味あることとは思わない。
ざっくりとした印象は美術大学からの青田買いという風である。将来の才能を感じさせる作家もけれども、先鋭的なディレクターの挑戦というよりも、美大の学園祭というか、ゆとり世代のフェスティバルかなと辛口ながら感じてしまった。表現に生命力であるとか、知性を感じたいと無理を思うのは、僕が現在の美術業界の外に属しているからかもしれない。が、少なくとも東京モーターショーよりは明るい活気があるのが、日本の将来を考えると救いかもしれないとは思う。

10/17/09・武道館にてアークティック・モンキースのライブを観る。

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Whatever People Say I Am, That’s What I’m Not(Released on 23 January 2006 )は衝撃的だった。まさに現在ではイギリスにしか存在しないロックの伝統を継承する偉大なバンドだと思う。ロンドンにて偶然で出会った1stアルバムから3年が経ち、僕はようやくライブを聴く機会を得た。武道館という日本のロックの殿堂にて聴けるというのも、不惑の音楽愛好家には嬉しい。
武道館の中に入ると、客層は思いのほか若かった。
洋楽離れが叫ばれて久しいにも係わらず、安くはないチケットを買って来るのだからと、10代後半-20代半ばの聴衆たちを頼もしく感じる。欧州ではハイファッション/スタイリッシュな人々(Diorのエディ・スリマンスら)のラブコールを受けたロックムーブメントだが、日本の聴衆は、しっかりと老いも若きも、中央線(中野&高円寺系)たちである。
20代半ばの後輩と二人で缶ビールを飲みながら、彼らの登場を待つ。やがてステージに現れた彼らを見て驚いたのは、皆がロングヘア=70年代初頭のプログレッシブ風になっていることだった。あの若さほとばしるイメージは霧散してしまった。うーんこれはと、雲行きの怪しさを感じる。
3rd/Humburgからの曲・My Propeller 等も良い曲ではあるけれど、”I Bet you look good on the dancefloor”, “Fake tales of San Francisco”, “Perhaps Vanpires Is A bit strong but….”が聴きたいっていう聴衆が多かった思う。
それらの曲がかかると、皆が激しく踊りだし、アリーナフロアは熱気に溢れるのだが、やがてすぐHumburgからの曲(メローな)になって意気消沈するという状況だった。
アンコールになっても、僕の好きな”When the sun goes down”は演奏されなかったのは残念であるし、観客の要望を知りつつもはぐらかしている感もある。君らの能力も分かる、やりたいものも分かる。イギリスでは聴衆も理解できるのかも知れない。でもここは残念ながらアジアの果てなのだと、少し…分かって欲しかった。
若くして大物になってしまったバンドの難しさを痛感する一夜だった。tokyotaro

マイケルジャクソンの死 / ポップスターの悲劇

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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090626-00000045-jij-int
ロサンゼルス25日時事】マイケル・ジャクソンさん(50)が搬送されたロサンゼルス市内のカリフォルニア大学ロサンゼルス校メディカルセンターでは25日、悲報を聞きつけ熱心なファンや報道関係者など数百人が詰めかけた。上空には報道各社のヘリコプターが飛び交うなど、周辺は騒然とした雰囲気に包まれた。
(中略)
 米メディアによると、病院関係者らは同日中に記者会見し、死亡経緯などを明らかにする予定。 

偉大なイコンの死である。
R&Bとポップの世界に君臨し、白人と黒人の壁を壊した人物だ。
日本人が想像するよりも、かつて白人と黒人の壁は高く、険しく、陰惨だった。ブラック・コンテンポラリーが白人のヒットチャートとほぼ同じになり、アフリカ系の血を引く黒人=オバマが大統領になる現在からは、想像も出来ない世界だった。
その抑圧のなかでイコンは白人になろうとし、狂気の果てに命を失った。悲劇であると同時に、幾分滑稽でもある出来事だったが、幼児性愛、白人になろとする激しい欲求は、あまりにも激しく、残酷だったと思う。
TV全盛のマスメディア、MTVの台頭を経て、ネットが世界を覆いつくした現在まで彼はポップスターであり続けた。その奥に潜む闇は、まだ深く、未だ誰も深淵を覗く事ができない。
僕のマイケルに関する一番の思い出は、1988年だったと思うが、僕は当時13歳だった弟を連れて出かけた横浜球場のコンサートだ。『BAD』がリリースされたツアーのプラチナチケットを手に入れ、幸運にも彼の最高の時期のパフォーマンスを観ることが出来た。いまでも鮮烈にそのダンスは覚えているし、子供だった弟も大興奮だった。ムーンウォークしかり、あれほどのダンスをその後も観たことはないし、ショーの構成も舞台も最高だった。
冥福を祈るとともに、世界から人種差別のなくなることを願う。

博多にある著名建築家たちの作品…コールハース氏の住宅

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博多には確かに面白い建築が多い。
アルド・ロッシ氏の設計した中州にあるホテル・イルパラッオは現在改装中だったけれども、ハイアット・リージェンシー福岡のマイケル・クレイヴス氏、西日本シティ銀行、寿司・やま中等、九州出身の磯崎新氏の建築、古くは吉村順三氏の河庄まで、モダン以降の著名建築が建てられている。
そのなかで一番個人的に関心があるのは、現在のように世界的な名声を得る前の、レム・コールハース氏が建築した住宅があることだ。
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福岡市東区. ネクサスワールドにある物件は、確か日本唯一の彼の建築であり、黒い石組みのような意匠が象徴的な建築だ。(現在写真に出ている建物が売りに出ている)。価格は3980万円だそうだけど、178㎡もあるので魅力的である。物件を買って、福岡に住もうかなと夢想してしまう。
博多は風光明媚であり、食事は美味しく、名建築もあるし、気持ちの良いのカフェもある。人柄も温厚実直と感じるし、豊かな自然と都会とかこういう近しい関係を築いている都市は余りないと思う。

発見された3万5千年前のヴィーナスと秋葉原のフィギュア

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マンモスの骨に刻まれたヴィーナスが発見されたという。独チュービンゲン大学の研究チームが、同国南西部のホーレ・フェルス洞窟で発見した3万5千年も昔の彫刻だという。
石器時代から現代社会に至るまで、女性(イメージ)は聖の存在であり、富の象徴であり続けている。蓋し、アイドル=偶像であり、日本の秋葉原で売られているフィギュアと同じものだ。
それにしても、素材はマンモスからプラスチックに変化こそしたが、何万年経っても女性は世界の中心であるのだなと痛感する。その姿、ボテロの彫刻のように豊満な女性は、同様に誇張された乳房を持つ秋葉原のフィギュアも、女性の肉体に対する根源的な母性への憧憬が溢れているなと思う。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090514-00000042-yom-soci

ジャン・シャルル・カーズ氏のテースティングツアーに参加する。

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フランス ボルドー・ポイヤックの著名なワイン醸造元である、CH.ランシュ・バージュ。オーナーであるジャン・シャルル・カーズ氏のテースティングツアーが開催されるというので、晩に丸の内のエノテカへ出掛けた。60名の定員が一杯であり、予約も困難だった。周りを見回すと、30代後半から50代の女性が多い。皆、ワインスクールの生徒繋がりで来ているかのようである。残りはぱらぱらと酒業界関係者のような人、女に連れられて来た男、または私のように興味本位で来た素人という具合。
私が参加した理由は、幾度かCH.ランシュ・バージュを飲んでいたが、(勿論良いワインという印象だったけど)巷で言われる完璧な状態のものだったのかと疑問を抱いてきたからだった。
1990年、1999年、2003年のCH.ランシュ・バージュを試飲できる他、ブラン・ド・ランシュ・バーシュ、CH。オーバージュ、CH.レゾルム・ド・ペズの合計6銘柄を味わう。特にCH.ランシュ・バージュの垂直試飲をベストコンディションで経験し、初めてテロワールというものと、ブーケについての理解を深めることが出来たのは幸運だった。
90年はカルベネソーヴィニオン独特の力強さが漲り、タンニンと酸味のバランスが見事だった。しかし派手な感じはなく、上品なヴィンテージである。ベリー、杏、葉巻、鉛筆の匂いが複雑に現れると同時、まるで草花の溢れる欧州の古城を散策しているような心地になった。が、99年はまるでその古城がスクリーンの向こう側に消えてしまい、茫漠とした感が否めない。03年は将来ここが素晴らしくなるのが約束されているように、タンニン、酸味が力を秘めているが、まだ開花していない。
いままでテロワールの意味は知っていたが、まさに同じ場所=土地なのだということを実感したのは初めてだった。
やがてジャン・シャルル・カーズ氏が現れ、スピーチが始まる。彼は4代目当主であり、白を担当しているそうだ。昔は1ガロン家族向けに白を25ケース作っていたけれど、知人に配布しているうちに好評になり、やがて役人にワイン法に違反していると指摘され、そこから商売のレベルまで拡張したのだと言う。
確かに白も上品であるながら力強く素晴らしいが、僕は同じ白ならばアローホが良いかなと思う。90年のCH.ランシュ・バージュ(赤)には唯一無二であることは疑いの余地がないのだが。tokyotaro

BEER&WINE STAND Sと13年の歳月

山本宇一氏から案内をいただき、渋谷に出来た新しいショップに出掛けた。昨年の話である。
駒沢のバワリーキッチンがオープンしたのは、もう13年前にもなるだろう。彼は、その当時からの知り合いである。当時、僕はアメリカの資本の広告代理店に働いている二十代の若者だった。いつも駒沢に出かけては、明け方店が閉まるまで友達と徹夜で語り明かしたり、週末はブランチを楽しんでいた。ブック・リーディングを主宰していたブルース・バンドの方と知り合ったのもバワリーだったし、ある意味当時のカルチャーが肌に感じられる店だった。NYの肉屋街にあった画家のR・リキテンシュタインが懇意にしていた『フローレンス』という名の食堂に似ていると話をすると、山本氏も僕もその店は好きだと言っていたのを思い出す。
出来たばかりのバワリーキッチンのオーナーとして忙しく働いていた山本氏は、九十年代後半、メディアでも時代の提案者として注目の人となった。日本中の喫茶店がカフェになり、真夜中に酒を飲まずにお茶を飲む時代が来た。いわゆるカフェ・ブームである。その立役者としてHeadsという企画会社を発展させ、現在も空間プロデュースの仕事で大活躍している。今でも13年前と同じ物腰のしなやかさを失わなず、昔のみずみずしさを感じさせるのは立派だと思う。いわゆる鼻持ちならない嫌味なトレンドセッターとは、一味違う矜持がある。
13年前僕は当時酒の仕事をしていた。高級クラブ・スナックの衰退期であり、先輩が後輩に酒の飲み方を教えることが少なくなっていく時代だった。日本の酒文化はある意味転換点を迎えていた。そのうち巷に溢れているスナックはなくなると予測していたけれど、本当にそういう世の中になり、みんなは人との直接的な繋がりを避けるようになりつつあった。インターネットが台頭しはじめ、街をぶらつくかわりにネットの世界に若者が吸い込まれて行った。情報手段が蔓延し、世の中は回り道をすることが、極端に少なくなりはじめた。
現在、店というメディアが何を発信できるのだろう。昔のディスコ・クラブのように新しい世界の情報を受け取る為にわざわざ出向く(何も釣れない日もあるのに)若者っていまもいるのだろうか。80年代は最新の情報は街にあったけれども、そういう意味では街(東京)は貧しくなったなと痛感する。街が既知&既存情報の追体験をする場所のようになってしまったのは、21世紀になってからだろう。
「美味しいワインとおつまみ(ハム)が安く楽しめるシンプルな場所」と、BEER&WINE STAND Sのことを山本氏は言っていた。フィジカルな要素を満足させるというシンプルな答が、とても現在の東京の状況を示唆していると思う。

現在は過去の文化の複製を生み出し、そこに文化を感じていることで危うげに結びついている。

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現在は過去の文化の複製を生み出し、そこに文化を感じていることで危うげに結びついている。多様であった文化は、「共通言語」として一元化されていく方向を進んでいる。世界は一元化した「共通言語」で人の魂を救済できるのであろうか。
メディアの技術は「共通言語」を生み出し、世界の知識を一元化しつつある。しかし共通言語は幸せをもたらすのかどうかは分からない。「共通言語」の間で魂は凍りつくかもしれないし、結びつくはずの糸が解けていくきっかけになるのかもしれない。それでも技術は世界を結びつけ、人の魂を浚っていく。蟹の群れを底引き網が根こそぎ浚っていってしまうように。それでも人の魂は、海底に潜む蟹のようにしか生きていけない。
紙はかつて人々の魂に大胆な変化をもたらした。それまでの人は紙によって、別の空間、時間からやって来る他の人の言葉を知らなかった。言葉は人の口から出で、人の耳に入るものでしかなかった。息、体温、その場の空気というノイズとともに、言葉は語られるだけであり、同時の空間の中で紡ぎだされるものでしかなかった。物語も知識も、人の口から膨大な周辺の情報と共に伝えられ、それを人は理解し、その周辺情報の残滓から文化が育成された。神話、方言、さまざまな所作は、そういうノイズを包含しながら真髄であるところの意味を醸成して来たのである。
 
無駄がなくては文化が出来ないと言う真意は、つまりはそういうところにある。酒が菌による醗酵によって生み出されるように、文化は不純物によって醗酵出来る。つまり、余りにも有機的なものなのである。だからこそ、文化は宿木であるところの、人を決して出ることができない。宿木が失われればその文化は死んでしまう。
周囲に存在する人は、文化の伝承者として尊敬され、社会的な位置づけを帯びていた。勿論すべてが優秀な伝承者であったわけではない。副産物として迷信が生まれ、無知蒙昧な人々となっていたことも否めない。十八世紀以降の「文化人」たちは、啓蒙(エンライトメント=光を当てるという英語の方が分かりやすい)と称して市民社会を生み出そうとした昔の人々は、そういう不純物に目をつけて浚っていった。次第に宿木は倒され、無知の蔑称と共に排斥されて来たのが、つまり近代である。マルクスが自然から疎外された存在としての人間を発見できたのも、まさにそういう現実が顕在化しつつあるのを目の当たりにしたからだろう。
 グーテンベルグの印刷機の発明も、紙の大量生産も、文化の神話性を貶める役割を帯び、やがて写真、映画、音響装置の発明が拍車をかけてきた。テレビとインターネットがあまねく普及した(つまりユビキタスある)現代の市民社会はそういう文化の磨耗のある極点となっている。これは地球温暖化よりも深刻な問題であり、人の生きる意味に関わる問題である。(日本の自殺者の急増も、蓋し文化の崩壊と深刻な関わりがある。)
勿論現在も、企業文化等、「文化」という言葉は周囲に満ちている。しかしその「文化」という言葉は文化のメタファーでしかない。「共通言語」は、政治的な思惑とシンクロナイズし、つまりデファクト化した知性として、最後の砦である言語の障壁をクリアしようと目論んでいる。これも技術の進歩で早晩実現するかもしれない。
そこには不純物は存在しない。純粋な水で生物が死に絶えるようにすべての魂は死に絶えるだろう。その先に残るものは、ゾンビとなった人に過ぎないのではないか。ゾンビにも欲望はあるのだろうか。そこは平準化した死=最大化されたエントロピーが満ち満ちた静かな地獄であるにちがいない。
ネットワークを完璧に破壊するウィルス以外に「魂」を救える救済者はいない。キリストは再度降臨するだろうか。
 

アポフィス (99942 Apophis) は、アテン群に属する地球近傍小惑星の一つ。2004年6月に発見された。地球軌道のすぐ外側から金星軌道付近までの楕円軌道を323日かけて公転している。
アポフィスという名は古代エジプトの悪神アペプ(ギリシア語でアポピス、ラテン語でアポフィス)に由来する。
2004年12月、まだ2004 MN4という仮符号で呼ばれていたこの小惑星が2029年に地球と衝突するかもしれないと報道され、一時話題になった。その後、少なくとも2029年の接近では衝突しないことが判明している。

 
 

グレン・グールドを聴く。生誕75周年CD80枚セットを買う。

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 グールドを聴くたび思い出すのは、友達が『ばあさんが好きだからこのレコード録ってよ』と、当時僕が愛聴していたグールドのベートーヴェンのピアノ変奏曲をダビングしたことだ。当時使っていた貧弱なオーディオ装置でダビングしたテープだった。当時使っていたアイワ製のカセットレコーダーで再生すると、若干ノイズが残っていた。が、調整が難しいので、そのままカセット・テープを友達に渡してしまった。後日、友達に大丈夫だったと訊くと、『ばあさん喜んでたよ、ありがとう』と言う。その友達の祖母は、今は故人となられた白洲正子さんであり、その芸術に対する深い見識について、当時の僕は余りにも認識が浅かった。後年僕が分別つくようになった頃には残念ながら他界され、カセット・テープを二度頼まれることはなかった。せめてカセット・テープをもうひとつランク高いメタルにすれば良かったなと、ふと悔やむことがある。まあ蓋し音楽素晴らしさと、音質は違うものなのであるが…。
 それから二十年経っても、僕はいまでもアナログレコードを聴く。またエソテリック製のワディアデジタルのDAコンバーターを搭載したCDプレイヤーを買ってからは、CDでも十二分に音楽を愉しんでいる。その他のオーディオ機器も、ソニー、マランツの廉価版、やがてセレッションのスピーカーにクオード44+405のアンプで聴いていた頃から、現在はATCのスピーカーにクレル+アキュフエーズのアンプと変遷した。いまでもアナログの馴染みの良さ、蓋し昔からの耳の慣れというか郷愁に心を揺らし、同時に明瞭な音のCDの方が優れていると感じる。気がつくと、アナログがデジタルか等と、二十年来さ迷っている。
 グレングールドの生誕75周年記念で80枚のCDセットが限定発売されたのは昨年だった。買う機会がなかったが、ようやく手に入れることが出来そうだ。80枚のコンプリートセットで3万円を切る価格はべらぼうに安い。一枚2500円も払ってLPレコード一枚を買った高校生の自分を想うと、夢のようである。すべての聴衆に最高の音楽を表現できないとライブ演奏を辞め、オーディオでの再生を最良の観客として演奏したグールド氏の全作品である。
※写真は別のLPです。
F1010074
 ぜひ手元に残っているLPレコードとCDを聞き比べて、もう一度昔を思い出してみようと思う。カセット・テープもなくなってハードディスクが記録媒体になってしまうなんて、夢にも思っていなかった昔を。